Sports Enthusiast_1

2004年07月02日(金) 代表至上主義の克服

日本サッカーを良くも悪くも支えているのは、「日本代表」というブランドだ。日本代表(試合)には、ビール会社の冠がついている。キ○ンだ。この企業のCMのキャラクターに俊輔が起用されている。俊輔は代表の顔だ。だから、俊輔は代表に選ばれる…のか。
さて、今月、キ○ンカップが開催される。その代表メンバーに久保が選ばれたのだが、久保はケガのため代表辞退を申し入れた。ジーコ監督はクラブ(横浜)を無視して、久保を呼ぶという。クラブ側は日本サッカー協会に対し、久保は出さないと、反発している。
キ○ンカップはFIFA-Aマッチの認定があるから、権威がないわけではない。けれど、親善試合に限りなく近い。無理をして(選手生命を賭けて)出るほどのことはない。若手やこれまで出場機会に恵まれない選手に、出場の機会を与えてもいい。
そもそも、日本のサッカー風土は異常だ。このことは前にも書いたことだけれど、敢えて書く。クラブよりも「代表サポーター」が多く、親善試合でも異常に盛り上がる。代表サポーター諸氏には、サッカーと言えば「代表試合」だ、という思い込みがあるように思う。W杯の「熱い思い」が忘れられないのだろうか。国家演奏があり、ストロボがたかれ、日本代表の相手は外国の代表チームでなければいけない…
こういうサッカー観は、できるだけ早く捨てたほうがいい。代表試合が愛国主義や国粋主義を培うから危険だ、というつもりはない。代表同士のサッカーが占める位置は、サッカーの全体像のうちのほんの一部なのだ。
代表チームに技術の粋が常に結集するわけではない。代表チームに国のサッカーのすべてが結集する機会は、象徴的に言えば、欧州では2年に1度。それぞれ、2年ずれて4年に一度開催される。南米では4年に1度しかない。欧州では言うまでもなく、いま行われているユーロと、W杯だ。それぞれに予選があるわけだから、代表チームは、真剣勝負の代表戦を数多く行っている。そこでエネルギーを使ってしまうわけだから、親善試合は経験・調整・試行という位置づけが強くなる。そうしなければ、代表選手は燃え尽きてしまう。
日本を取り巻く国際的サッカー環境も欧州と同じで、アジア杯とW杯の2つの公式大会がある。しかしながら、前者には緊張感がないし、国民も関心を示さない。アジア杯で優勝するよりも、親善試合でイングランドと引分けたほうが賞賛されるのが日本のサッカー風土だ。私は、日本のサッカー界に巣食う、異常な「代表」中心主義をできるだけ早く克服する必要があると考える。代表に偏重したサッカー像を一掃してほしい。それには、クラブが地域にできるだけ深い根をはることだ。鹿島、浦和だけでなく、ようやく、仙台、新潟、大分といった、地域で観客を呼べるクラブが増えてきた。こういう流れを大事にしたい。
代表チームが常にすごい試合をするとは限らない。いまのJリーグを見れば、それがわかる。Jリーグの真剣試合のほうが、親善試合の代表戦よりおもしろいし、レベルが高い。
時差ぼけした外国の代表チームとの試合など、気の抜けたビールみたいだとは思いませんか、キ○ンさん。


 < 過去  INDEX  未来 >


tram