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2004年05月04日(火) ベッケンバウアーかく語りき

「日本には小野、中田という優秀な選手がいる。だが、真の意味でもワールドクラスのプレーヤーはまだ出てきていないと思う。日本代表の強さは個人能力以上に、集合体としての強さにあると思う」
報道によれば、ドイツ代表で現役時代、皇帝と言われたフランツ・ベッケンバウアーは、チェコに勝った日本代表をこう評した。サッカーで一時代を築いた目は、たった1試合の日本代表の戦いぶりを見ただけで、その方向性を的確に言い当てた。ベッケンバウアーの日本代表に対する評価が、このコラムで私が言い続けてきたことと偶然にも一致した。
ベッケンバウアーでなくとも、日本代表にワールドクラスの選手がいないことくらいは分かっている。だが、02年日韓W杯で日本がベスト16の成績を残したころから、日本のスポーツマスコミを中心に、日本サッカーを過大評価する傾向が強まった。W杯後、俊輔、柳沢、高原らが欧州のクラブと契約を交わすことも手伝って、日本代表選手がワールドクラスであるかのような錯覚が日本中に浸透してしまった。その機運に乗って、トルシエ前監督批判を前面に打ち出して登場したのがジーコ新監督だった。組織よりも個人、規律よりも自由といった抽象的「サッカー論」が跋扈しはじめたのだ。このことは、何度もここで繰り返し述べた。
日本サッカーにおいては、選手のレベル向上と、それを取り巻くスポーツマスコミのレベルとにバランスを欠く。冷静なサッカー評論を展開できるスポーツマスコミは少ない。スポーツ新聞、一般紙、テレビは、たとえば、日本代表がフレンドリーマッチで海外の代表に勝っただけで大騒ぎをする。反対に負ければ、エキセントリッな批判をする。ミスをした選手には、厳しい評価が必要なのに、それをしない。海外チームから得点をとれば、「ワールドクラス」の見出しが躍る。重要な公式大会で勝てなくとも、惜敗で終わってしまう。
さて、ベッケンバウアーのコメントに再び、戻ろう。日本代表は、ワールドクラスの選手が11人そろうブラジル代表とは違う。選手個々の能力を高めたいのは当たり前だが、一朝一夕には高まらない。Jリーグが発足して10年経過したが、欧州でレギュラーをはれる選手は小野と中田の2人だけだ。10年間でたった2人。それが日本サッカーの現段階における実力なのだ。
ベッケンバウアーのコメントは、裏を返せば、日本の現段階の実力の程度を語っている。と同時に、サッカーというスポーツは、個々の選手の実力は劣っていても、結束力や組織や精神面で相手を上回ることができれば、試合に勝つチャンスがあることを暗示している。
もし、日本代表の個々の創造性や能力がチェコより勝っているから試合に勝てたのだとしたら、ベッケンバウアーは、「日本の選手はチェコの選手より力が上だ」とコメントしたろう。ベッケンバウアーの目には(もちろんだれの目でも明らかのように)、日本人選手はチェコの選手より劣っている。けれど、組織力で上回っていたので勝てた、と映った。
それが、サッカーにおける勝利の可能性だ。サッカーでは、ランキングの上のチームが常に勝つとは限らないし、ワールドクラスの選手がいなくとも、世界の大会で勝てるチャンスがある。その確率はたとえ30%であってもゼロではない。さらに、ホーム、アウエー、スケジュール、相手側チームの内情(たとえば監督と選手がうまくいっていない等々)といった諸々の要素が勝敗の影に隠れている。だから、サッカーは面白いのであって、個人の能力ばかりを計っていても、そこからはサッカーの楽しさは出てこない。サッカーは、個々の記録で優勝が決まる、砲丸投げや槍投げではない。
サッカーが個人の能力次第だといってしまえば、どんな国際大会であれ、優勝はブラジルに決まってしまう。しかし、現実はそうではない。サッカーが団体競技である以上、組織や規律が徹底していれば強いし、約束事(戦術)が守れられていれば、勝つ確率が高まる。
いま現在の日本代表を強くしたければ、個々の選手の実力を高めるという、およそ20年、30年の期間を要する仕事に取り組もうとしている代表監督を選ぶことは間違っている。そんなことができる時代ではない。いまや、選手は世界中のクラブに散らばっている。国内リーグだって、代表に即座に召集できるとは限らない。そんな状況の中、代表監督のスキルとは、チームに結束力をもたせ、短期間で組織・戦術を構築できることだ。そういう専門技術をもった人物が代表監督にいれば、06年にドイツに行って勝てる可能性が高まる。個々の能力を高める仕事は、クラブに任されている。Jリーグの存在は、だから、重要なのだ。


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