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2004年05月03日(月) 神話

日本代表監督のジーコの存在を日本人の精神性から語る手法がある。民俗学や社会学を援用して、ジーコ支持・不支持を分析するものだ。
数日前、A新聞にジーコ支持、不支持の特集があった。見ると、支持は永井氏、不支持は後藤氏で、このコラムで取り上げた某TV局のパクリ。困ったものだ。だが、よく見ると、もう一人、某教授がジーコを来訪神信仰と結びつけて書いた部分があった。A新聞、「文化的」装いを付加して、パクリを隠蔽したようだ。
来訪神信仰というのは、客人信仰と同義。農業においては豊作、漁業においては大漁といった福が、彼岸からやってくる神によってもたらされる信仰をいう。人々に福をもたらす神は、人々の生活の場にいろいろな姿をしてやってくる。たとえば、箕の傘をかぶり藁の衣服を身に着けていることもあるし、鬼や悪魔のような異形の者であることもある。また、芸能者、狂人の場合もあるが、いずれにしても、人々は、来訪神をもてなすため、彼らの来訪時に酒、ご馳走を振舞う。農村では田の神と呼ばれ、年に数度、指定された農家にやってくる。
一見、この来訪神信仰はジーコに期待するメンタリティーを説明しているように見えるが、まったく当てはまらない。ジーコをそのように崇拝している層というのは大衆ではなく、川渕キャプテン、A新聞を筆頭とする一部ジーコ信者のマスコミ関係者、鹿島サポーター、一部頑迷なサッカーファンであって、ごく一部の層だからだ。マスコミ人は、自分がジーコを崇拝していると同じように、大衆がジーコを崇拝している勘違いしているようだが、一般サッカーファンは、ジーコなど、どうでもいいと思っているのが実態なのだ。A新聞に代表されるマスコミ関係者は、ジーコが日本代表監督になると聞いて、こりゃすごい、神様が日本にやってくる、と勘違いした。さらに、自分の勘違いを日本国民にまで勝手に拡大し、日本人の大多数がジーコに期待し、ジーコならなんでもかなえてくれると考えていると思い込んでいるようなのだ。だから、前提は「多くの日本人は、ジーコに期待している」となっている。期待しているのは自分なのであって、日本人一般ではない。だから、前提としては、「自分はジーコに期待しているが、期待していない層もある」でなければいけない。そこから出発していれば、期待していない理由として、代表監督経験ゼロの人物がいきなり、日本の代表監督に就任したが、監督手法は未知数ではないか、と話が発展する。ジーコ代表監督に違和感を覚えた人は少数派だろう。少数派の意見は無視すればいい…それが日本のマスコミのやり方なのだ。
私はジーコ監督就任時から、異議を唱えてきた一人だった。さらに、このコラムで書き続けてきたけれど、ジーコ監督就任当初の鹿島偏重の選手選考はじめ一貫性のない選手選考・起用や戦術の未熟さを見て、また、固定メンバー云々の発言を聞いて、こりゃあかん、と思ったものだ。もちろん、ジーコを来訪神などと思ったことは一度もない。
マスコミは、自分達が勝手につくったジーコ神話を三流民俗学者が唱える来訪神信仰で説明させる。このやり口はナチが捏造した「アーリア人神話」の形成手法と同じだ。マスコミ人は権力から与えられた神話を勝手に信じ込み、それをマスコミという手段を使って大衆レベルに拡大させる。自分達の主張では効果が薄いと見るや、「専門家」「知識人」「学者」を利用する。こうして、神話は人々の内側に浸透し、やがて、神話が人々の首を絞めていく。恐ろしい循環運動である。


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