TVのJリーグ中継では、ハーフタイムに監督のインタビューが入る。およそ、30秒程度の短いものだが、監督の肉声が聞けるので、楽しみにしている。きょうの中継では、市原のオシム監督が出た。アナウンサーの質問にいつものように冷淡に答えるオシム監督。表情は暗い。何かに耐えているように見えた。市原は前半2−0で新潟をリードしている。楽勝のように見える。この一戦、実は市原が勝ったことは勝ったが、内容は悪かった。ハーフタイム時点で、オシム監督は自分のチームの状態が悪いことを認識していたようだ。オシムの胸のうちは、ハーフタイムでのんきにインタビューに答える状況ではなかった、というわけだ。 市原の苦戦は、後半、たびたび訪れた決定的得点チャンスをことごとく外しまくったことに始まる。しかも、後半の時間の経過とともに、オシムを心の師と仰ぐ理論家反町監督率いる新潟が、徐々に市原を追い詰め始めたのだ。そして、反町監督が切り札として投入した長身FWの森田が頭で1点を返した。それ以降の市原は新潟に走り負けるわ、当たり負けるわ、とまったくいいところがない。新潟がブラジル人FWを欠いていたため、ロスタイムの得点シーンはかなわなかったけれど、あと10分あれば、新潟が同点に追いついたに違いない。オシム監督の「走るサッカー」はこの試合に限れば、新潟にお株を奪われた形だ。 市原vs新潟は、Jリーグの新しい可能性を感じさせる戦いだった。オシム監督も反町監督も、自分のチームを自分のビジョンで築き上げようとする野心に燃えている。二人に共通するのは、<否定>だ。自分達のサッカーは未熟だ、練習しかない、走ることでしか勝機を見出せない、高い位置(前線)からプレッシャーをかけ、ボールを奪いゴールに向かう…シンプルそのものだ。そこには戦う姿勢がある。 この2チームでは、練習が成果(勝利)に結びついている(と思う)。市原・新潟には、スポーツの原点がある。試合でできなかったことを練習する。そして、次の試合に臨む。試合〜練習〜試合…まさに、スポーツの原点だ。練習で培った約束事は試合でも同様だ。勝つためにチームが1つの意志となり、相手を粉砕する。 Jリーグでは磐田が強い。磐田の円熟期を迎えた元日本代表クラスが、他のクラブを寄せ付けない。それはそれで結構なことだけれども、私は市原や新潟のような戦いを好む。どちらかといえば、スターのいない両クラブ。たとえば、市原の村井、羽生、坂本がなぜ、日本代表に選ばれないのだ。 日本代表では、自分達は世界レベルだ、Jリーグとは格が違う、個人の創造性だ…と、海外でプレーしない「海外組」とやらが、自己肯定に陥っている。だから、日本代表はうまくなれないどころか、退歩するのだ。勝つために必要なのは、自己否定だ。選手に<向上>を強いることが、監督の仕事の1つなのだ。 日本サッカーに必要なのは、現状の否定だ。自分達は強いんだ、うまいんだ、などと絶対に思ってはいけない。10年前からレベルは上がったけれど、世界水準で言えば100番目くらいだと思ったらいい。オシムは日本サッカーの実力を知っている。自分の仕事がたくさんあることを知っている。私はTVに映る、あのオシム監督の不機嫌そうな表情が理解できる。オシムは、オレの教え方が悪いんだ、オレは監督としてまだまだなんだ…と自己否定をしているのではないか。だから、それを知ろうとしない日本のサッカージャーナリズムに冷淡にならざるを得ないのだ。
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