きのう、TVチャンネルをザッピングしていたら、偶然にも日本代表監督ジーコをめぐる論争番組にぶち当たった。4人のサッカージャーナリストがジーコを「支持」する側と「不支持」する側に分かれ、舌戦を展開するもの。「支持」は中西・永井の2氏、「不支持」は越後・後藤の2氏だ。「支持」の中西氏だが、コメントを聞いていると、「支持」というよりも「不支持」に近い。つまり、4人のうち3人が「不支持」といってよい。 ジーコを完璧に支持している永井氏の論拠は、日韓W杯ベスト8をかけたトルコ戦の敗北の総括だという。この一戦を日本サッカー協会幹部は深刻に受け止め、トルシエサッカーの限界だと解釈した、と永井氏は解説する。あのトルコ戦、日本はまったくいいところなく、0−1で完敗したのだけれど、02年当時のトルコは、それまで日本が予選で戦ってきたベルギー、ロシア、チュニジアとは実力が違った。何度も書くことだけれど、W杯日韓大会の日本は、ホームの利、グループ抽選に恵まれての予選突破だった。日本のグループに、たとえばブラジル、フランス、アルゼンチン、イングランド、ドイツ…といった強豪国が1国でも入っていれば、日本の予選リーグの展開は変わったものとなったことは明白だ。 トルシエ・サッカーというのは、予選免除のホーム開催というメリットを最大限生かしたものだった。トルシエはチーム力・組織力のアップに力を入れ、選手も調子に乗り、予選突破できた。永井氏の指摘は、間違っていない。だが、トルコに負けた、だから、組織や規律や戦術を無視して、「個人」に依拠する、という発想が奇妙奇天烈なだけだ。 トルコに負けた日本が、トルコとの差を埋めるには、おそらく20年かかる。欧州と同じ歴史を誇るトルコのサッカーと日本のサッカーは、その発生において80年以上の隔たりがある。発生は1世紀近くの隔たりがあるが、近年、情報・人材の流動化が著しいので、昔ほど時間はかからない。逆に、トルコが野球を始めたとしたら、日本との差を縮めるのに、およそ30年かかるだろう。日本はJリーグが発足して10年たっているので、トルコとの差は単純に20年と計算した。 だが、日本がこの先20年、絶対にトルコに勝てないかといえば、そんなことはない。日本が日本人に合ったサッカーを研究開発し、組織・戦術・規律を固めれば、つまり、トルシエサッカーのより高度化を目指せば、勝てる可能性は大いにある。いまだって、10回戦って2回勝てる。それが、サッカーだ。 話は飛躍するが、日本は西欧に比べておよそ1世紀以上近代化に遅れて着手したのだが、西欧との格差をその後の2世紀で逆転した。(その代償は大きかったけれど。)サッカーではそれほど時間はかからないし、代償もいらない。日本はトルコを20年という年限で逆転できる。(なお、何度も書くように、FIFAの世界サッカーランキングの日本の順位は高すぎるので、無視する。) さて、論争番組に戻ろう。論争のポイントは、海外組の扱いだった。海外でプレーしない(ベンチ入りもできない柳沢・俊輔・稲本、試合に出ても結果が出ないのが鈴木・高原)をなぜ使うのか、しかも、コンディションが悪いのに、というところだ。この点については4氏とも、はっきりした結論をくだせなかった。試合に出ていなくとも、海外組には光るものがある…といった程度の一般論だった。 私の推測では、ジーコはJリーグを馬鹿にしているのだと思う。かつて、Jリーグチャンピオンシップだっただろうか、国立でPKの判定に怒ったジーコ選手は、サッカーボールに唾を吐いた。選手時代のジーコの悪行の1つだ。ブラジルや欧州では絶対にしないこの行為がジーコの本質であり、Jリーグに対する認識だと思われる。ジーコについて論争するならば、選手時代のこのジーコの「唾はき事件」を避けて通れるはずがない。繰り返すが、この「唾はき事件」にジーコの日本(サッカー)に対する本質が象徴されている。 ジーコは日本サッカーのために尽力したい、恩返しをしたい、といって監督を引き受けたらしいが、越後氏が言うように、それなら無報酬でやれ、だろう。かつてこのコラムで書いたことの繰り返しになるが、ジーコが日本のサッカーに目をつけたのは、ビジネスになるからだろう。サッカー風土が未成熟な日本では、「神様」ブランドが通用する。監督1年生に2〜3億円もだす国など世界中どこを探してもない。さらに、CM等々の出演料が保証される。こんなおいしい国はない。しかも、負けてもだれも文句は言わない。 日本は監督経験のないジーコに高額の報酬を支払って監督経験を積ませ、監督ジーコを育てている。お人よしもここまでくれば、●●と言ったほうがいい。ジーコに流れる数億円は、サッカーファンが入場料で賄っている。TV放映権は消費者が商品代の一部として支払っている。 推測だが、Jリーグを馬鹿にしているジーコは、Jリーグで活躍している選手など、まったく信頼していない。それが、ジーコの選手起用の本質だろう。でなければ、説明がつかない。そんな人物が代表監督で、ほんとーにいいんですか?
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