退任が決まっている指揮官が演じた、奇妙なパフォーマンスが終わった。このシリーズは、私にとって、苦痛以外のなにものでもなかった。互いが不規則な枠組みをもたず、正々堂々と戦う――当たり前の勝負の基本が、なぜ、日本のスポーツ界に定着しないのだろうか。世間が名勝負と礼賛する根拠がわからないが、とにかく、日本シリーズは、ダイエーがホーム4勝(アウエー3敗)で阪神を退けた。 このシリーズ、ホームがお互いに全勝するという珍しい結果が出たのだが、このことをもって、日本にホーム&アウエーの意識が定着し、「巨人」(読売)というナショナルブランドの価値が崩壊したという人もいる。そのとおりなら誠に結構であるが、「阪神」が「巨人」に代わるのであれば、意味のない交換だろう。 さて、このシリーズで私が最も興味をもった点は、ダイエーのホームでの圧倒的強さであり、アウエーでの戦い振りとの落差の大きさだった。ダイエーは、「100打点トリオ」と呼ばれる豪快な打線と、才能のある若手投手陣が売り物のチーム。確かに杉内、和田の左腕は、看板どおり立派な成績を残した。ところが、「100打点トリオ」のアウエーでの成績は芳しくない。ダイエー打線のホームとアウエーの好不調の波は常識を超えている。 たとえば最終戦、井口、城島のホームランは、来た球を打ったように見えなかった。明らかに予測したボールを打った。井口のライトへのホームランの打席の踏み込みは、内角球がこないことを予期したもののように見えた。また、伊良部投手が再三走られていたが、投球の癖を盗まれていたと理解するしかない。伊良部投手は失礼ながら、インサイドワークに難がある。彼は自分の投球に圧倒的な自信を持っているため、細かい配慮を怠る面がある。だから、ダイエーの走塁は、スタッフがデータを分析し、それを選手に伝えた結果だろう。 ダイエーというチームは、豪快な打撃が目立つが、意外にも、配球や癖などを分析して、選手が予測を働かせてプレイしているチームなのだ。 ところが、それはそれでいいのだが、私が疑問に思うのは、予測力や分析力がホームでは結果に結びつくのだが、アウエーでは効力を発揮しないことだ。甲子園におけるダイエーというチームは阪神と接戦を演じる程度であり、福岡ドームでは阪神を完璧に粉砕しきるパワーを発揮した。精神的なものという説明では納得できない。 私は、阪神については、ホームとアウエーの落差を感じなかった。阪神は、甲子園と福岡ドームとで違う野球をしたわけではない。ダイエーが甲子園で打てなかったぶん、阪神に勝機が生じたのだ。阪神のセリーグ優勝の要因を一言で言えば、他球団の自滅だ。それは、試合においてもペナントレース総体においても、言える。阪神は、パターンどおりの野球をした。 日本のスポーツマスコミは、「勇退星野監督」を美化する報道で終わりそうだ。でも、気骨あるスポーツジャーナリズムがあるのならば、負けた指揮官に反省を求めるべきだ。阪神の敗因は、まぎれもなく、ダイエーの「細かな野球」に対抗できなかった結果だ。この結果は、素人の私はもちろん、プロの評論家も予想しなかったことだった。(たった1人の例外が、次期中日監督の落合氏らしい。落合氏はお互いホーム勝利のダイエーの4―3優勝を予言していたという。) 米大リーグ、レッドソックスは27日、グレディ・リトル監督(53)の解任を発表した。解任理由は、ヤンキ―スとの最終戦、マルチネスを続投させた責任を問われたものだ。あんなにも感動的な勝負をしたのだから、負けても許してあげよう、なんてお情けは大リーグでは通じない。この人事を受けて、敢えて乱暴に言うならば、ファンがあんなにも応援したにもかかわらず結果を出せなかった指揮官を、病気だからといって、放免すべきではない。阪神球団(=セリーグ)の野球がグランド外スタッフの活用を知らないものならば、阪神球団(=セリーグ)はこの敗北を謙虚に総括し、来シーズンに備えるべきなのだ。勝つためには、情報戦も必要だと自覚すべきなのだ。 負けた者には、花道も栄光もない。リベンジあるのみ。そのために何をなすべきか――。敗因を分析しそれを克服しなければいけない。でなければ、プロ野球のレベルは向上しないではないか。
|