読売の不透明な監督交代に、ファンのみならず、多くの人々が辟易している。読売球団、いわゆる「巨人」というのは奇妙な存在だ。長い間スポーツの枠を越え、信仰(巨人教)の対象に近かった。いまの40歳代以上は、「巨人」の勝利は絶対的であり、「巨人」が勝たなければメシもまずいというほどだ。かつてこの球団はV9(9年連続日本一)という「偉業」を成し遂げた。これは偉業というよりも、異様だ。健全なスポーツという前提に立つならば、1つのチームが9年も勝ち続けることはあり得ない。それを可能にした要因を考えれば、八百長、勝ち続けられる制度の存在、有望選手の一方的なリクルートなどが挙げられるが、いずれも不健全なものだ。 一人の選手が勝ち続ける「スポーツ」に、プロレスがある。プロレスは八百長ではなくショーであるから、演じられるものであり、その地域の「ハンサム」と呼ばれる中心選手が、「ヒール」と呼ばれる悪役に勝ち続ける。最近、バーリーチュ―ド、総合格闘技などと呼ばれる真剣勝負の格闘技が人気があるが、こちらの世界ではチャンピオンはめまぐるしく変わる。 読売のV9を可能にしたものは何かといえば、やはり、選手のリクルートが第一だろう。ドラフト制度などなかったから、資金が潤沢で知名度のある読売球団に有望新人選手が遍在した。さらに、ベテラン選手が自由契約で読売に集中する。資金難の球団が実力ある選手を読売に売り、球団の運営資金に当てたりもしたのだ(当時はFA制度はなかった)。 有望新人、実力あるベテランが読売に集まれば、戦力に勝る読売が勝ち続けることは自明のことだ。さらに、読売には当時、ONという天才選手がいた。Nは天才だったが、Oは並みのプロの才能を努力で補った人だった。Oを育てたのは読売の自前の努力なので、その点は評価しなければいけない。V9はこの二人の存在抜きには実現しなかった。 さて、今回の監督交代に話を戻そう。前監督に代わった新監督は「V9戦士」と呼ばれ、V9時代に活躍した投手の一人だ。前監督より10年前の世代に属す。「V9戦士」を監督に就任させた意図は、読売が「V9」の再現を望んでいるからだ。夢よ、もう一度、といったところだろう。 しかし、この読売の「夢」ほど、スポーツと遠いものはない。いまの若い世代(に限らず、すべての世代かもしれないが)は日本のプロ野球のレベルより高いベースボールを知っている。今シーズン、大リーグに移籍した読売の有力打者の成績は、100数打点、2割8分台、ホームラン15、6本。チームに貢献したことは認めるが、日本での成績より下がった。もちろん来季、成績が上がる可能性もあるが、大幅な飛躍はないと考えたほうが自然だろう。メージャー入りした投手の成績も同様だ。 そういう時代の変化に目をふさぎ、いまさら「V9」の夢を追ってなんになる。海の向こうのレベルに近づくには、完全ドラフト制度を復活させ、各球団がしのぎを削る状況を作り出し、実力を高めるしかない。監督は、監督専門職として確立すべきであって、読売の功労者の中から選出するのはやめたほうがよい。選手、スタッフ、監督・・・の流動化を促進し、南中北米、アジア、豪などから選手が日本にやってくる状況を作り出すしかない。 このような土壌が形成された暁には、「V9」など夢想するだに、愚かだろう。読売のファンは東京周辺にしか存在しないのが自然だろう。大阪や名古屋や広島に行けば、読売の選手はブーイングの対象であることのほうが自然なのだ。一日も早く「プロレス野球」に終止符を打ち、スポーツとして健全なプロ野球を取り戻さなければいけない。それにみごとに逆行する読売球団とは、いかにも無理筋だが、それが好きな人もまだ少なくないのが現実なのだろうか。
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