きのうのA新聞を見て驚いた。スポーツジャーナリストのG氏が、ジーコ監督批判およびジーコ批判をしないスポーツマスコミ批判を展開されていたのだ。論調は小生がここで再三くりかえしてきたものと全く同じ。G氏のスポーツジャーナリストとしての健全な批判精神が、ジーコ氏の代表監督不適格を結論付けていた。いやはや、同志を発見したような喜びである。ジャーナリストを職業とするG氏は、ジーコ氏が代表監督として不適格であることを結論づけるのに慎重であったようだ。G氏は先のアルジェリア戦の勝利を、ジーコ監督の意に反する選手の独断による――選手の判断による組織プレーの復活によるもの――と分析。それをもって、今回の持論発表に至ったようだ。 選手がなんでもかんでもやってしまうのなら、監督などいらない。ジーコ氏を監督として押す協会幹部が、キックバックでももらっているのであろうか。監督の仕事をしない「監督」に多額の報酬を支払うとは、協会幹部に背任の疑いがある。 問題は、いまの日本代表の現状なのだ。日本代表のいまの実力は、コンフェデ杯で予選落ちしたとおり、フランスの三軍、コロンビアの一軍半より劣る。もちろん、韓国より数段落ちる。最大の弱点は、守備を含めたシステムの問題である。日本代表は、極めて不自然な戦い方を強いられている。 要するに、4バックの問題。4バックがいいか3バックがいいかを考えるとき、世界の趨勢がどうの、イングランドがどうの、ブラジルが・・・ということは関係ない。いまの日本が抱えているタレントからすると、日本は3バックに戻すべきだろう。まず3人で守る。そして2ボランチ、両サイド、トップ下1、FW2人。代表選出は、以前にも書いたとおり、各ポジション2名(GKは3人)と簡潔に考えたい。これが最もわかりやすい。 ところで、ジーコ氏の祖国ブラジル代表は4バックで、左にロベルトカルロス、右にカフーという世界で1、2のプレイヤーがいる(今後はわからない)ので、4バック。ま、ブラジルは伝統的に4バックだが。それに反して、サイドバックにタレントを擁しない日本に4バックは無理。三都主の左サイドへのコンバートなど、邪道である。ジーコ監督の選択は、いずれ破綻するだろう。 具体的に見てみよう。俊輔と三都主と小野は左サイドで競合する。ただし、俊輔、小野は欧州リーグでやっているボランチにまわる可能性が残る。ヒデのトップ下は、同様に、俊輔、小野と競合する。2ボランチは稲本、遠藤そして、俊輔、小野と競合する。さらに市川、明神、山田(東京V)らが競争に加わる。中盤に人材の豊富な日本は、3−5−2のシステムによって、選手起用の選択肢が一段と広がるのである。もちろん、落とさなければいけない選手も出てくる。その中にヒデが含まれない保証はない。先の俊輔のように。 現在の4−4−2では、左右のサイドバックに人材がいないため、三都主をコンバートして、穴を補充しようとする。はじめにシステムありきというのは、観念的である。観念に選手を無理矢理当てはめているわけだ。前監督のトルシエが選択した3−5−2をジーコが意地でも選択しないというのならば、それは、代表監督としての次元を越えた個人の確執の問題だ。3−5−2ならば、バックスも坪井、中沢、松田、宮本、中田(浩)、森岡らで固まる。 代表選考の難しさは、限られたポジションに優秀な選手が集中することだ。ファンには納得できないことが多かろう。イタリアでは先のW杯のとき、R.バッチョを代表に、という国民的運動が起きたが、トラバットーニは選ばなかった。あたりまえである。代表監督は人気に左右された人選はできない。勝つための選択をするだけである。代表監督稼業には、勝つことが義務付けられている。ジーコ氏は代表監督稼業で食っているわけではいから、自分自身に厳しがない。いまの日本代表に最も欠けているのは、厳しさと緊張感である。ジーコ氏が「神聖不可侵」の存在なら、選手の責任は問われても、監督の地位は安泰だ。そんな代表チームは世界のどこにも存在しない。もっとも、カダフィやフセインやKが代表監督ならば、負ければ選手は鞭打ちの刑だが、監督の座は安泰だ。監督だけが安泰な代表チームなど、見たくもない。
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