コンフェデ杯の日本代表については、予想以上に力がなかったニュージーランドに大勝したものの、二軍フランスに惜敗、ガチンコ勝負のコロンビアには力負け。予選リーグで敗退した。小野は欠いたもののほぼベストメンバーの日本代表が、チームづくりに腐心するフランス、コロンビアに負けたのだ。でも、結果については驚いていない。私の予想は細部では間違っていたかもしれないが、日本代表の実力の認識としては大方正解だった。 まず、前回のコンフェデ準優勝、日韓W杯ベスト16をどうみるかである。この結果はいずれもホームである。何度もこのコラムで書いたことだけれど、サッカーではホーム絶対優位なのだ。ホームでは勝って当たり前、負けは許されない。だから、いまの日本代表の実力は日韓大会から後退したというよりも、前々回のフランス大会と変わっていない。W杯の予選であれば、ニュージーランドのような弱小チームは絶対に出てこないから、今回のコンフェデ予選結果は、予選全敗したフランス大会と同じ結果とみるのが自然である。 トルシエジャパンがジーコジャパンに勝っていたか劣っていたかについては、私にはわからない。ただただ私は、ジーコ氏がトルシエ氏のアンチテーゼのみでマスコミ受けを狙い、日本代表強化の具体的なプログラムを示さないことにいらだちを覚えていた。と同時に、ジーコ氏の無内容を批判できないスポーツマスコミおよび「ジーコ」というブランドに溺れたサッカー協会の幹部達のバブル体質に絶望してきた。コンフェデ杯で私のいらだちと絶望は、現実の結果となってしまった。 現実認識の第一歩は、日本代表は強くない、ということだ。いくら、ホームで親善試合を繰り返しても、これは「スポーツイベント」にすぎない。その「イベント」にも勝てなくなったのが、最近の代表なのである。 もう一つは、代表選手選考、選手起用、選手育成のビジョンの欠如である。日本は欧州や南米の強豪国とは違う。(代表といえども)チーム力で勝利しなければいけない。一方、複数の日本選手が海外でプレーするようになったため、海外組とJリーグ組を短期間で融合する指導力・統合原理を必要としている。それぞれが短期間で意思統一できるキーワードのようなものが大切なのだ。それを与えることで、日本の戦い方ができる。選手個々にまかせるだけでは、「チーム」はできない。戦術・戦略・精神面・コンディショニングまで含めて指導できる「監督」を必要としている。指導力は名前や実績ではない。 日本代表の個々の選手が優秀だと、ジーコ監督は思っているらしいが、それが本当なら、ジーコ氏の眼力を私は疑う。日本の選手が海外でプレーするのは、選手の実力だけではない。日本人プレーヤーの海外移籍の背後には、ジャパンマネーの存在も大きいのである。たとえば、日本に競り勝ったコロンビアには、欧州でプレー可能な選手が日本より多いけれども、なかなか、彼らに声はかからない。欧州のサッカー市場は、ただうまい選手だけで成り立っているわけではないのである。 ジャパンマネーに吸い寄せられてきたのが、ほかならぬジーコ氏本人である。ジーコ氏は日本のスポーツマスコミ、サッカー協会幹部に「反トルシエ」の幻想を振りまき、代表監督の座を得た。契約金がどのくらいか知らないが、おそらく高額である。海外のサッカー市場において、指導者経験のないジーコ氏をこれほどまでに優遇するところなどない。もちろん、ジーコ氏は海外でも尊敬されている。南米出身者では、おそらくペレ氏に次ぐくらいに尊敬されていると思う。しかし、それは実績あるプレーヤーに対する尊敬であって、監督としての実績に対してではない。それを見誤ってはいけない。海外でジーコブランドが力を発揮するのは、名選手ジーコであって、「名監督ジーコ」ではない。それが日本のスポーツマスコミにわからない。ジーコ氏が各国のサッカー協会幹部と対等で話せるからといって、それは選手団長という職責にふさわしいのであって、監督の仕事ではない。監督はピッチで勝ってなんぼである。 コンフェデ杯で結論は揺るぎないものとなった。日本サッカー協会の幹部達は、「ジーコブランド」を捨てて、あまり強くない日本代表を基礎からたたき上げることができる熱血指導者を捜すことだ。日本のサポーター、スポーツマスコミは、ホームの親善試合(スポーツイベント)の勝利などに酔うことなく、冷静にサッカーを分析することだ。そして、野心のない監督、コーチ、選手に対しては、的確な批評(批判)を行うことだ。フランス戦は惜しかっただとか、審判がおかしい、などと言ってもはじまらない。日韓大会では両国ともホームの恩恵を受けたのだから。 (この項続く)
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