| 2003年05月27日(火) |
地蔵、あたり屋、用心棒 |
ある夕刊紙が、横浜戦で死球を2度続けて受けた清原を「地蔵」で「あたり屋」と揶揄していた。清原は内角の厳しいところを攻められると、よけられない。だから死球が多いのだという。たしかに、横浜の投手が清原に当てた場面をスポーツニュースで見た限りでは、清原はよけていない。 地蔵というのは、そのとおりで、清原の下半身は機能していないので、よけたくてもよけられないのだ。衰えた下半身で精一杯ふんばって打席に立っているため、内角がこようが外角がこようが、ステップバックが不可能なのだ。下半身を動かさない頭部あたりへの投球には、辛うじて対応可能なので大事に至らないが、厳しい内角攻めへの対応をみる限り、清原は野球選手としては終わっている。 さて、「あたり屋」というのはいうまでもなく、自動車が近づくとわざと車に当たって、法外な示談金をせしめようとする輩のこと。清原は死球を受けた投手から次の打席でヒットを打ったのだが、一塁に走りながらその投手に対して暴言を吐いていた。あたり屋の本領発揮というところだ。清原は常日頃から、格闘技家風の筋肉で肩をいからせ、バンチョーなどといわれて、相手投手を威嚇する態度をとる。朝青龍は品位を欠く、などと発言する読売のオーナーは、まず自分のところの選手の教育からはじめるがよかろう。清原の暴言は野球選手として、いや健全な社会人として許されない。明らかに暴力団、チンピラの態度である。横浜の投手はいかにもひ弱なルーキーで清原と一戦交えるような選手ではなかったが、体力的に引けを取らない外国人投手などなら、清原に負けていない。地蔵のあたり屋は、打者よりも格闘技家としてグランドで暴れたらいい。読売のオーナーも、品位云々などいわずに、プロスポーツのエンターテインメント性に目覚めることだ。 清原は、投手のもつ正当な厳しい内角攻めに対して、フットワークが使えない。そのため、投手を暴力的に威嚇して内角攻めを封じようとしている。卑劣というほかない。相手投手は、こんな卑怯な暴力選手にひるまず、どんどん内角を攻めるべきである。審判もコースがトライクなら、清原にあたってもストライクとコールすべきである。故意の死球は(とくに頭部に対しては)絶対に許されないが、正当な内角攻めは投手の攻めのうちである。それが全部、死球になってしまうのならば、野球の興味は半減する。よけられないのは清原自身が悪いのであって、それを技術ではなく暴力で封じようとするのなら、野球というスポーツから外れている。 もう、野球選手として終わっているこんな選手と読売はなぜ、契約をしているのだろうか。清原がいるとベンチが安定するなどといわれているところをみると、清原は地蔵、あたり屋、用心棒か。
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