| 2003年04月25日(金) |
名前や実績にこだわるな |
読売のクローザーが危ない。対ヤクルト戦、おとといは3点差をひっくり返され、きのうは同じく3点差から1点差まで詰め寄られた。これでは、河原を切り札として使えない。大逆転された次の日、同じ点差で河原を使った原監督を評価するか、それとも、名前や形にこだわった観念論者とするか、評価が分かれるところだろう。 結果はどうあれ、私の評価はむろん後者である。クローザー河原は昨シーズン、確かに驚異的なできばえだった。しかし、日本野球界のクローザーの多くは、活躍した翌年、調子を落とす。日本球界だけの傾向なのか、大リーグと共通な傾向なのかは、データがないのでわからない。が、2年以上継続してクローザーが実績を残すことは、私の記憶では、難しいことになっている。まして、河原は故障上がりの投手である。肩や肘に疲労が残っていておかしくない。シーズン前、今年の河原の活躍はない、と私は予想したが、いまのところ、この予想が当たりそうだ。むろん、大魔神・佐々木や高津といった、長年活躍しているクローザーもいることはいるが、近年の読売というチームでは、そうした偉大なクローザーを輩出していない。 原監督は、河原を清原と同じように扱おうとして、苦境に陥っている。監督がそうあってほしい、戦力が戦力として機能してほしいという願望を口にすることは悪くない。選手に期待を寄せ、選手をその気にさせる効果がある。だが、それに固執すると、サラリーマン社会の歯が浮くような部下操作術(=管理論)と大差なくなってしまう。そんなもの、スポーツの世界に持ち込むな、といいたいし、サラリーマン社会もどきの「管理論」に自己陶酔している野球の監督など、はずかしくって見ていられない。「部下のやる気を引き出して、実績を上げよう」なんて発想を、プロスポーツに持ち込むなかれ。 何度もいうように、チームスポーツの監督の原則は、調子のいい選手を使うことである。とりわけ、長いシーズンを戦うリーグ戦形式では、これがすべてに優先する。もちろん、それを実現するためには、選手のリクルートを含めたシステム整備が前提である。選手の調子を見抜く力のあるスタッフを持っているかどうかも、含まれる。 さて、読売がそうしたシステムをもった、近代的なチームなのかといえば、疑問符が無限大につく。読売は、伝統だとか根性だとか管理術だとかが横行しているチームである。むろん、これは日本プロ野球の体質であって、読売だけの問題ではない。
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