| 2003年03月10日(月) |
疑惑でも何でもない。 |
ナビスコカップの京都vs大分の「故意ゴール問題」が騒がしい。この「事件」は、負傷選手がピッチに復帰後、京都が大分にプレゼントボールを返したところ、大分の前線の選手がゴールしたところから始まった。フェアプレーに反すると大分の監督が京都のゴールを故意に許し、チャラにした。大分の監督の指示はきわめて適切。なんら問題はない。それを「疑惑のゴール」と騒ぎ立てるスポーツマスコミの精神構造が理解できない。この時期、大きなスポーツ大会もなければプロ野球も開幕前、見出しで売りたいスポーツ新聞の事情もわからないでもないけれども、この「事件」、珍プレーではあるけれど、疑惑ではない。むしろ、スポーツマン精神に則った好判断だと賞賛されるべきだ。 テレビ報道によると、プレゼントボールをゴールした試合はイングランドにあるそうで、そのときは協会が試合を預かり、再試合にしたという。それに比べれば、大分の監督はとっさに適切な指示を選手に出し、事態を収拾したのだ。このゲームが再試合になれば、遺恨試合となることは必至。そんな試合はファンとて見たくないだろう。 日本のプロサッカーが未成熟なことについては何度も書いた。その原因が不勉強なスポーツマスコミにあることも繰り返した。いまの日本のスポーツ新聞は芸能新聞である。彼らはスポーツに対する純粋な批評精神をもっていない。スポーツをネタに扇情的な気分を煽るだけ。売れればいい、おもしろければ買う、という構造をどちらかが断ち切らなければ、プロスポーツは幼稚な芸能の域を脱することはできない。もちろん断ち切る責任はマスコミ側にある。「悪貨は良貨を駆逐する」のが市場原理なのであるから、買う側に責任はない。
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