読売の松井がFA宣言し、大リーグを目指すという。朗報である。FA制度はドラフト制度導入に苦しんだ読売が、他球団の主力選手を引き抜くために創設を進めたもの。その読売が自ら進めた制度によって、自軍の主力中の主力を失うのだから、皮肉といえば皮肉な話だ。読売のワンマンオーナー氏は、FAで読売に入る選手はいても、FAで読売を飛び出す選手などいない、とたかをくくっていたに違いない。私は常々、このオーナー氏の言動を快く思っていないので、松井のFA宣言は痛快である。松井に拍手を送りたい、よくやったと。 これもプロ野球改革のサインなのだ。松井の読売離脱は、他球団選手の離脱に比べて、日本球界がはるかに、深刻な局面にあることを暗示している。読売中心の人気に支えられたいびつな日本球界が、そのいびつさゆえに崩壊を開始する予兆なのだから。 20世紀末、ソ連が崩壊し、その波が東欧に及んだとき、世界中の人々は、波の速さに驚いたものだ。でも実際のところ、ソ連・東欧の人々は、われわれの想像を越えて、西側の情報をつかんでいたという。情報収集を可能にしたのが、衛星放送等のメディアの存在だ。人間は情報を得ることによって、いかようにも態度を変える。新しい価値観に目覚めるからだ。 私は以前このコラムで、日本のプロ野球を日本経済にたとえた。日本経済がバブル絶頂期にあったとき、だれ一人その崩壊を予想しなかった。経済の当事者、たとえば、経済評論家、企業経営者、金融関係者、大蔵官僚、マスコミ・・・、誰一人としてバブルが崩壊すると言わなかった。いま、プロ野球がその状態だ。選手、球団オーナー、ファン、スポーツマスコミ・・・みな、日本プロ野球が繁栄し続けると思っている。 とんでもない話だ。もうすでに崩壊の予兆が出ているではないか。松井不在の読売に、彼に代わるべきスター選手はいない。来シーズンの優勝は難しいだろう。そうなれば、日本の「野球ファン」は衛星放送で、松井、イチロー、新庄らが活躍する大リーグ中継を見るに違いない。日本の「野球ファン」は読売中心に組織されていて、地域に密着していない。読売に魅力がなくなれば、彼らは新しい話題の「野球」を見るようになる。読売が自社の新聞、テレビでつくりあげた「人気」に組織された「野球ファン」は、「巨人」から去っていく。 しかし、プロスポーツの本来の姿は、何度も繰り返すが、ホーム&アウエーなのだ。たとえば、大リーグのワールドシリーズ――エンジェルスとジャイアンツの最終戦――エンジェルス・ホームの球場は一面真っ赤に染まっていた。完全なホーム&アウエーだ。アナハイムからサンフランシスコまでは、そう遠くない。でも、アナハイム(エンジェルス)にサンフランシスコ(ジャイアンツ)のファンはいない。一方、日本シリーズ第4戦、読売と西武では、西武のホーム・所沢に読売ファンがひしめいているではないか。所沢と東京は確かに、アナハイムとサンフランシスコに比べればはるかに近い。しかし、それは距離の問題ではない。たとえば、サッカーのローマダービー、ロンドンダービー、同じ街であっても、ホーム球場に集まるのはホームファンである。 所沢の状況を異常と見るか尋常と見るか。世界のプロスポーツ界から見れば異常なことが日本では常態化している。まさにバブル経済の日本と同じ。だから、読売が衰弱すれば、それまでだ。バブル経済の主役は土地(地価)だったが、プロ野球バブルの主役は読売だ。バブル崩壊後の地価については、ご存知の通り。読売人気も土地と同じ道をたどる。野球界に地価下落の恐怖が近づいてきた。さあどうする、日本プロ野球。
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