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2002年09月22日(日) マルセリ―ニョ、エジムンド、そしてカズのこと

きのうのJリーグの注目の一戦は、名古屋グランパスvsガンバ大阪。大阪に「天使の右足」=マルセリ―ニョ・カリオカが帰ってきたのだ。結果は、マルセリ―ニョを筆頭に、ブラジルトリオが活躍した大阪が1−0で名古屋に勝利。名古屋のオーストリア代表・バスティッチは動きが鈍く得点に絡めなかった。バスティッチはオーストリア代表だが、クロアチア出身だ。
それにしても、Jリーグでは、ブラジル選手はどこのチームでも高い戦力になっている。ブラジルの超一流から一流はみな欧州にいくが、その下のクラス、元代表とか2〜3回代表に選ばれたクラスが日本にきて大活躍している。そのなかでトップといえるのが、東京ヴェルディのエジムンドだろう。彼はフランス大会代表だが、日韓大会では代表からもれた。しかし、Jではご存知のとおりの大活躍。
彼は、欧州からブラジルに帰った後、私の記憶が正しければ、バスコダガマに復帰してドニゼッチィ(黒豹)とFWのコンビを組んでいたのではなかったか。ドニゼッチィもヴェルディで少しプレイをしたが、いまのエジムンドほど活躍しなかった。エジムンドはその後、クルゼイロに行って、悪童ロマーリオと喧嘩別れしたのではなかったか。
反対にブラジルで活躍した日本人選手といえば、三浦カズだけだ。彼はその意味で偉大な選手の1人なのだが、運が悪い。彼の絶頂期で迎えたW杯アメリカ大会では、予選がなんとカタール一国開催、つまり、全試合アウエーというイレギュラーなものだった。ホーム有利、アウエー不利の原則から見て、信じられない予選方式だが、案の定、「ドーハの悲劇」でW杯出場を拒まれた。フランス大会のような、各国開催方式であったなら、当時の日本代表の実力からみて、間違いなく予選を突破していただろう。
次の、フランス大会では監督問題などでドタバタした。あのとき解雇されたK氏は、いまでもJのテレビ解説などをやっているが、とても代表監督のレベルではない。あとを継いだO氏も同様だ。O氏はJリーグの何チームかの監督をその後やったようだが、たいした実績を残していない。ご両人とも、素人に毛のはいた程度なのだ。
そんななか、調子を落とした中近東勢が自滅して日本代表は辛うじて予選を通過したのだが、カズは最終選考で代表から外された。それが正しいのか正しくないのかはわからないが、日本代表はフランス大会の予選リーグで、勝点すら上げられなかったのだ。
カズの不運はそれだけではない。セリエAのジェノバにいったものの、ケガで長期欠場。バスティッチの祖国クロアチアリーグではクロアチアザグレブを解雇されるなど、ブラジル以外の海外では活躍できず、「ドーハの悲劇」以来、坂道を転げ落ちるように下降線をたどった。カズがW杯に行くべき時期は、アメリカ大会だったのだ。体力・技術・精神的充実度等々、すべてにわたって、あのころがカズの絶頂期だった。
カズはいま、神戸でスーパーサブのような使われ方で現役を続けている。もともとスピードが持ち味の選手だけに、いまの年齢では往年のプレーを復活させることは難しい。W杯だけがサッカー人生ではないというけれど、実力があっても行けない選手の代表になってしまった。
アメリカ大会の予選方式、フランス大会の監督問題など、当時カズを取り巻く日本のサッカー環境は、今から考えれば信じられないほど、劣悪なものだった。日本サッカー協会など、素人の集まりにも等しかったのだ。私はカズを好きではないけれど、ブラジルで活躍したただ一人の日本人という偉大な実績を否定するつもりはもちろんないし、彼の絶頂期、日本のサッカー環境はお粗末このうえなかったことに、心より、同情もする。実力があっただけに、カズ本人が一番悔しいのだろうが。


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