FC東京vs東京ヴェルディの東京ダービー(FCホーム)。結果は2−1でFCが逆転勝ち。当方注目の東京ヴェのエジムンドはこの試合でもゴールを上げたが、試合はFCに逆転負け。 東京ヴェはエジムンドのファインゴールで先制。それに対して、FCの1点目は東京ヴェの守備の選手がアマラオをペナルティーエリア内で倒したという判定によるPK。厳しい判定である。その直後、追いつかれた東京ヴェが反撃に出たところ、FCのジャーンがペナルティーエリア内で見え見えのハンドの反則。これをレフェリーは取らない。ビデオで見てもシュートを腕で故意に止めている。故意でないという判定か、見逃しか。腕を広げてコースをふさいでいるのは明らかだから、見逃しなのだろう。これで東京ヴェの勢いも止まった。 ホームのFCの主力外国人選手2人に甘い(疑惑)判定だ。この試合のレフェリーの心情は、相当屈折しているといわねばならない。 レフェリーの判定は絶対だと言われるが、それはレフェリーが誤審をしてもいいということを意味しない。レフェリーが絶対であればこそ、レフェリーは技術を磨き、誤審が起きないよう努力することが求められている。この試合のレフェリーは、態度は大きいが技術力は小さい。見る位置が悪い。サッカーを知らない。予測力がない。 レフェリーを淘汰するのがコミッショナーの仕事である一方、スポーツジャーナリズムに負う部分も大きい。スペインリーグの中継では、きわどい判定については、しつこいくらい繰り返してビデオを流す。レフェリーへの警鐘である。それでも、スペインリーグ最大の課題の1つは、レフェリーの質の向上だといわれている。日本のテレビ中継はレフェリー(の権威)を守っているつもりなのか、それほど問題シーンのビデオを流さない。中継スタッフもサッカーを知らないのだ。レフェリーを誹謗中傷してはいけない、と勝手に決めているようだが、そうではない。審判技術を向上させることも、サッカーの技術向上の一部なのである。中継のディレクターが自分の仕事を理解していない。試合を見せればいいというのは、官僚的な発想である。レフェリーのみならず選手に対しても言えるが、ミスを放置しておくことは優しさとは違う。 日本のサッカーファンは贔屓のチームが負けた試合にも寛容で、負け方を問題にするまで成熟していない。気の抜けたミス、未熟なプレー、誤審、危険なファウル等々に対しては、味方であっても反省を促す必要がある。サポーターが成熟するためには、常日頃からゲームを真剣に「みる」ことである。試合中の歌や手拍子に夢中になって自己陶酔していても始まらない。このような応援スタイルでは、サッカーそのものから満足感を得ることができないのである。 テレビ中継も同様である。中継担当者、カメラマンはサッカーを勉強して、ビデオという文明の利器をフルに活用してほしい。サッカー中継、レフェリー問題、サポーターのあり方については、日本サッカーの未熟さの象徴である。
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