ベルギーVSギリシアはホームのギリシアが3−2で逆転勝ち。これで、ベルギーはたいしたことない、と言う人はまずいないと思うけれど、結果はまるで参考にならない。 前半、ベルギーの動きは鈍い。最終ラインが混乱していて、ギリシアに簡単に突破される。それでも持ちこたえて、素早く先制、そして駄目押しの2点を前半でとってしまう。実質的にはここでゲームは終了。 ベルギーは後半になると、フォーメーションを変更し、選手交代を繰り返し、テストモードに入る。結果、大きくチームのバランスを崩し、PKで1点を返されるや、あとはずるずる後退して2点を献上、逆転されてゲームセット。ホームのギリシャのサポーターを喜ばせてしまった。後半のベルギーは前に見たホームでのノルウェイ戦とは全然違うチームのようだった。 そもそもサッカーに限らず、同じチームだからいつも同じ戦いをするとは限らない。フィットネス、モチベーション、選手個人の調子・・・など全て違うのである。だからランキング上位のチームが常に下に勝つわけではない。 しかも、選手には「調子」というものがある。バイオリズムのようなあまりうまく説明できない「何か」である。少しでもスポーツをしたことがある人ならわかると思うけど、バスケットでシュートがよく入る日、水泳で水によく乗れる日、ベンチプレスでダンベルが軽く感じる日・・・を経験していると思う。そんな日はモノに憑かれたように、すべて「決まる」のである。 もう一つ、「勢い」がある。これも説明しにく要素である。ある種のシナジー効果の1つなのだろうが、チームに不思議な一体感が生まれ、個々の選手の力量の総和以上の力が発揮される。集団催眠のような不思議な力である。この力を引き出すには、なによりも「きっかけ」であり、次に「サポート」である。応援を甘く考えてはいけない。それもいまの日本のプロ野球の応援のように「ためにする」ものではなく、選手とサポーターが一体化したものでなければならない。基本は「声」である。楽器や打ち鳴らしも否定しないが、私は「声」が基本だと思っている。 こうした、ゲームと観客が一体化した情況を「祝祭」と表現することもできる。古代ローマの剣闘士、スペインの闘牛、ギリシアの仮面劇・・・人類がその誕生以来、繰り返してきた非日常空間の創出である。
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