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五十嵐 薫
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エンピツユニオン

2013年08月19日(月)
エレファント

女の左手が肩に乗る。
PCの画面を覗き込む。

「あら、その絵。」
「樹花鳥獣図屏風。静岡県立美術館にある。」

反対側の肩に顎が乗る。
女の湿った髪が耳に触れ、少しくすぐったい。

「昨日見に行った画だよね?。」
「それはこっち。鳥獣花木図屏風の方。」

女の右手がマウスに伸びる。
二枚の画像を交互に開く。
その度に女の顎が肩の骨に当たる。
ドライヤーをかける前の女の髪から、滴がぽとりと落ちる。

「殆ど一緒だね。」
「専門家が見ると大分違うみたいだよ。真贋の論争もある。」

女の手がマウスから離れ、僕の右手の甲に重なる。

「どっちが偽物って言われてるの?」
「どっちも。どっちかがどっちかのコピーだって話だよ。」

女の口が動くたびに、髪が揺れる。
冷えた髪の内側で女の頬が動く。
女が重ねた掌が熱い。

「あなたはどう思うの?見てきたんでしょ?」
「いや、画は見てない。」

女の顔が肩から離れる。僕の横顔を見ている。
僕は画面いっぱいに鳥獣花木図屏風の画像を広げる。



プライス夫妻が東日本大震災の支援の一環として貸してくれたプライスコレクション。
仙台、岩手と巡回し、今は福島県立美術館で開催中だ。

僕が行ったのはお盆休み最後の日曜日。
昼前には駐車場が満員になるほど盛況だった。
人混みの中、それでも東博の企画展よりはゆったりと眺めることが出来た。
子供が楽しめるようにと、展示や解説に工夫を凝らしていたのが印象的だった。

「花も木も動物もみんな生きている」
この展覧会にあわせ、鳥獣花木図屏風にはこんな名前がついていた。
展覧会のポスターにも使われたこの絵の前にだけは人だかりができ、列が途切れることがなかった。

画の前の絶好の場所に、ロングソファーが据えられていた。
平日の午前中などはここに腰かけてのんびり鑑賞することもできただろう。

ソファーに座ってみる。
人の肩越しに時々象や犬や鳥の姿が覗く。
なんだか、象の顔が笑って見えた。



「じゃ人垣越しに眺めてたの?」
「うん。」

女の顔がもう一度、近づく。
今度は正面から。
重なった女の右手に力が入ったのが判った。



左手で女の髪を撫でながら、右手でマウスをクリックし鳥獣花木図屏風の画像を閉じる。
その下で開いていた放射線量マップもそっと閉じる。



手を繋いだカップル。
ノートをもった中学生のグループ。
車いすの母親とそれを押す娘。
若い男、女、それに親に手を引かれた小さな子供。
鳥獣花木図屏風の前には人がいた。

真贋はともかく、人がいて初めて完成する画なんじゃないかと思った。



画を眺める人垣の向こうで、覗く若冲の象は確かに笑った。

だからさ、僕もつられて笑ったんだよ。


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