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2006年08月01日(火) |
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百年小町 |
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逢坂の関は足で越えてみたいと思い、電車を降りた。
多くの歌枕は当時の面影を残していない。 西行の戻り松も、白川の関も、今や自動車の行きかう幹線道路だ。
逢坂の関もその例に漏れない。
それでも。 せめて徒歩で行けば。 その場所で眠る地霊の微かな痕跡が何事か囁くのではないかといつも思う。
峠道はあっけなく下りになった。
地霊だって昼夜トラックに踏みつけられていては口を開くのも億劫だろう。
途中、長安寺の旧参道らしきわき道を見つけ国道を外れる。
わずか十数メートル分け入るだけで、途端に深山の息吹が伝わってくる。
新緑の重なる木立の隙間から零れる太陽。 足元にはまだ朽ち切れない去年の落葉。 湖面から吹く風はたっぷりと水気を含んでいる。
さわさわと緑が揺れ、蝉時雨が真上から降り注ぐ。
ふと思い出す。 この辺りは関寺小町の舞台だった場所だ。
絶世の美女、小野小町。
しかし僕にとっての小町は、卒塔婆に腰掛け足をさする「百年に一つ足りない九十九髪」の老婆だ。
100年。
夢の歌人と言われた小町が夢から覚めるには、それほどの時間が必要だったのだろうか? あるいは伝説通り、髑髏になっても夜な夜な夢を詠み続けたのだろうか?
それとも、今も尚地霊として…。
折り重なった枝の隙間から見える、琵琶湖の湖面がキラキラと揺れた。
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