職業婦人通信
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昨日、家に帰ってみたら 実家から大きい封書が届いていた。
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中を開けると、 小学校5〜6年生の時、担任だった先生からの 手紙が入っており
「千代子ちゃん、お元気ですか。 □□小学校を卒業してからもう20年がたちますね。 (中略) 私は停年で教職を離れた後も ボランティアなどの活動を通じて 教育の現場に関わらせていただいています。 (中略) 私はとうに70歳を過ぎ、 いつ人生の終わりを迎えてもよい年齢となりました。 あなたたち教え子から預かったものを お返しして、身辺を整理しておきたいと思い立ち ここにお送りさせていただきます。 あなたたちからいただいた 作文や絵は、長らく私の宝物でしたが 教え子のみんなからは、すでに、思い出という、 何よりも大切でかけがえのない宝物を いただいています。 思い出は私がしっかりと あの世に持っていきたいと思っていますが 形あるものはお返しして、 あなたたちが人生を振り返るときに 小学校時代のことも思い出してもらえたらと 願っています。 (以下略)」
と、あった。
封書の中には 私が小学校を卒業する時に書いたらしい作文と、 先生の似顔絵が入っていた。
20年経った今も、色あせておらず 先生がきちんと保管していてくれたことがわかる。
小学校の時、この先生にはよく叱られたが 私のような頭の悪い生徒にもとことん付き合ってくれて 不得意な算数を放課後にも教えてくれたこと、
私の書いた、祖母の戦争体験とその後の人生を聞き書きした 拙い作文を、先生は読みながら泣いてくれて しかもその後、コンクールにその作文を出してくれ、 生まれてはじめて、私に賞などというものを取らせてくれたこと、
それがきっかけで、私の祖母と親しくなり、 祖母が死ぬまで話し相手になってくれたことなど
この先生に関する思い出は 私にとっても大切なものなのだが 筆不精な私は、最近すっかり先生にご無沙汰であった。
先生は戦後、満州から引き上げてきたという人で 「私は、戦後の混乱を 他人様の好意で生きのびることができたから その後の人生は私のものではない。 誰かのために尽くすことで、生き延びられた恩を返したい」 というようなことを言っていた。 その言葉のとおり、一生のほとんどをこどもの教育に尽くして こられたのである。
生徒をイジメるような先生がいる世の中で 私は本当に良い先生に出会えてラッキーだったと思う。
手紙は 「こどもの時に死ぬはずだった命を生きられたことで 素晴らしい教え子たちと出会えて 私はとても幸せな人生を送ることができました。 千代子ちゃんも人生を大切に、いつまでもお元気で」 と、締めくくられていた。
先生、そんな遺書みたいなこと書かずに いつまでも元気でいてほしいし 身辺整理なんてしなくていいのに。 と思うと、涙モロい私は (まだ先生は生きてるっつうのに) 涙が止まらなかった。
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ただ、ひとつ先生も知らない(だろう)事実がある。
絵心ゼロの私にしては ウマい似顔絵だと思ったら 20年前のあの時、 先生の似顔絵は うちの母ちゃんに泣きついて 描いてもらったんだった・・・
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