職業婦人通信
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2006年05月10日(水) 怒涛の結婚準備【女の厄年大騒動編・厄その1】

やりたくなかった結婚式をするハメになり
持病の腰痛に苦しみつつも、理想の結婚式&披露宴を目指して
準備活動を続けてきた千代子。

しかしまぁ ここまでの準備編は
結婚式&披露宴をやる人にとって
多かれ少なかれ、誰にも訪れうる苦労のかずかずであった。



私は今年、32歳。
女の大厄を迎えていた。

結婚という、一生に一度の大イベントを控えつつも
厄払いも一切せずにいたためか

そのツケは
着々ちゃくちゃくちゃくちゃくと
雪ダルマ式の特大厄となって
私(と周囲の人々)に襲い掛かろうとしていた・・・

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大厄その1:父、病に倒れる


結婚式および披露宴の準備の中で
私はけっこう、母に頼っていた。

ドレスや髪につける造花は全部母ちゃんに作ってもらったし
ウェルカムボードは妹と母が作ってくれた。

母は「オカンアート」の名手で
特に造花のウデには自信があったらしく
それが厄・・いや役に立つ日がやってきたと
かなりコーフン気味に喜んで色々作ってくれていたのである。

そんなわけで、実家との連絡は自然と緊密になっていたのだが

ある日のこと。
母から珍しく深刻な声で電話がかかってきた。

母「ああ、千代子?アタシ」

私「元気ないじゃん、風邪でもひいたの?」

母「ううん、アタシは平気なんだけど・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・
  あのね、お父さんがね、胃ガンなんだって」

私「・・・・・・・・ハァ?父ちゃんがなんだって?」

母「お父さん、胃の調子がおかしいからって先々週に病院行ったら
  胃ガンって言われたのよ。
  アンタ色々忙しいし、ショック受けちゃマズいから
  アンタには内緒にしとけってお父さんは言ってたんだけど
  でも・・もしかすると式には出られないかもしれない」

私「・・・・・・・・・・・・・ガン?」

母「うん、でも、先生は、まだギリギリ初期だから
  今すぐ手術すればすぐにイノチに関わることはないだろうって」

私「あ・・・そ・・・そーなの・・・」

母「明日からお父さん入院して来週には手術する予定なのよ。
  これまで黙ってたんだけど、明日からはお母さんも病院に付き添いに行っちゃうし
  一応言っとかないとって思って。
  びっくりさせちゃって悪いんだけど、そういうことだから」

私「あ・・・・」

母「アンタの結婚式までには退院して元気になるってお父さんも言ってるから
  あんまり心配しないで」

私「え・・・あ・・・」

あまりのことに
私は口をパクパクするだけで
大したことも言えないまま電話を切ったのだが
三国一の親不孝娘の私でも
親がガンと聞けばさすがにショックは大きかった。

しかも両親は口をそろえて
縁起が悪いから、相方には話すなとか
そっちは忙しいんだろうから見舞いにも来るなとか
くだらぬ遠慮ばっかりするのである。
父が元気になるまで式を延期しようかとも言ったのだが
もんのすごい勢いで逆に叱られる始末。

母は
遠くの病院に入院した父の付き添いに
毎日2時間半かけて病院に通い
帰ってきてからも私のために造花を作り続けていた。

「付き添いも大変なんだろうから花はもういいって」
と、私は毎日電話で言ったのだが
彼女は花を作るのをやめない。

こんなにいらないだろっていうくらいの
大量の花ができあがっているのに
毎日毎日、夜なべしては花を作り続け
そして口癖のように
「お父さんは大丈夫だから、アンタは心配しないで」
と言うのであった。

母には
父の病気にともなう不安やら悲しみやら
(苦労ばかりかけられたとはいえ)娘をヨメに出す寂しさやら、
色々なものが一気にのしかかったんだろうと思う。
それを唯一紛らしてくれるのが花作りだったんだろうと
今では自分に都合よく考えたりもするのだが

当時は
何かに追い詰められたように花ばっかり作っている母を見て
今ヨメに行っていいのだろうか・・・と
私も物凄い不安でいっぱいであった。

今すぐ死ぬことはないといわれても
胃の3分の2を取ってしまう父と
気丈に振舞いつつも急に痩せた母のことは
気にかかるし

かといって私は
父の病気に関しての詳細は両親から教えてもらえず、
見舞いにさえ行かせてもらえず
(具体的な病院名さえ教えてもらえなかった)
何の役にも立たなかった。

父とはメールで連絡を取るしかなく
メールはしていたのだが
父からは「こっちのことは心配すんな、死ぬわけじゃなし」
とか
「お前こそ風邪ひかないように」
みたいな内容の返事が来るばかりであった。

父のことは気になって仕方なかったのだが
でも目前に迫った式&披露宴の準備もしなくちゃいけないし
しかも、相方には父の病気のことは言うなと固く口止めされているので
相方に相談するわけにもいかず
相変わらずの腰痛と闘いながら
歯を食いしばるようにして
披露宴やら式の準備をしていた。

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この時は
(私自身はもちろん大ショックだったけど)
自分自身が病気になったわけではなかったので
厄年との関連性を疑うことはなかった。

が、

この先、私には
次なる災厄が待っていたのである・・・


千代子 |MAIL
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