職業婦人通信
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2006年04月20日(木) |
怒涛の結婚準備【「やるなら婚」の会場決定編】 |
「披露宴、やりたくない」と思っていたのに 結局、親からの圧力に負けて やることになってしまった。
しぶしぶ式も披露宴もやるんだったら 簡略で質素なものにしたいんでしょ? ・・・と思われるかもしれないが ところがどっこい、そういうわけにもいかないのであった。
ゲストのメイン層となる三十路女は 結婚式に目が肥えているから 手抜きや下手なコストカットはすぐにバレてしまう。 このトシになってやるからには 自己満足のみっともない結婚式はやりたくなかった。
派手でゴージャスな結婚式は望まないが どうせやるなら、やらなきゃいけないなら、 安いからって薄暗くて古くて汚い会場ではやりたくない。 二十代前半の頃よく友達がやってたみたいな、 ハートマークが飛び交うようなメェルヒェンな式はやりたくない。 ゲストに冷えた、不味いメシは食わせたくない。 余興に裸踊りはご勘弁。 入場にタイタニックのテーマは流れてほしくない。
はい、こういう三十路女の結婚式のあり方を 最近では「やるなら婚」などというそうであります。
当時、そんな言葉も知らないうちに 私はそのまんま「やるなら婚」気分になっており 当時の口癖は 「どうせやるなら」 であった。
しかし 先立つものもあまりないので あんまりこだわりすぎると新生活が立ち行かなくなってしまう。
と、いうわけで 1、あまり他人の手垢のついてない場所で (知人が挙式済みのところは値段がバレるから) 2、おいしいものが食べられて 3、「披露宴」っていうよりは「新郎新婦が世話になった人へのおもてなし」にできる
という条件をもとに 式&披露宴会場を探しはじめたのだが どの会場も一長一短、なかなか決まらず 都内を放浪すること数週間。
見た会場を 思いつくまま列挙してみると
【専門式場】 八芳園 目黒雅叙園
【ホテル】 パンパシフィック横浜 横浜ロイヤルパークホテル 赤坂プリンスホテル旧館 ラディソン都ホテル
【ハウス・レストラン・その他】 小笠原伯爵邸 ザ・ハウス白金 高輪プリンツヒェンガルテン 大山ハウス エトゥルスキ ミュージアム1999 ロアラブッシュ 綱町三井倶楽部 ジョージアンクラブ セラン Q.E.Dクラブ ジャルダン・ド・ルセーヌ
実際は他にも行ったのだが もう思い出せない。
とにかく節操なく色々見て 毎週末、朝から晩まで 会場めぐりであった。もうヘトヘトですよ。
そして、私はその時期 「結婚式イヤイヤ闘争」の疲れが一気に出たのか 激しい腰痛に見舞われており
ステキなレストランやホテルへ下見に行っても 常に腰が曲がっていたために 後ろからは単なるババァにしか見えず どう見ても、これから結婚する 幸せカップルには見えなかった。
車の乗り降りにも 「うっ」 と声が出る女。 「傘あるから 杖がわりに使えば?」 と、傘を差し出す男。
もう、単なる老夫婦である。
こうして ヨボヨボのヘボヘボになりながら 会場を回り続けて やっと最後に決めたのが渋谷の一軒家レストランであった。
会場回りの最後のほうは 私はもう腰痛でヨレ果てており 「どこでもいいよ・・・もうこだわらないから めんどくさくなさそうな専門式場かなんかで適当にやろうよ」 と言ったのだが
その時点で なぜか相方は私よりも物凄くやる気に満ち溢れており 結局、こだわりぬいて 会場を決定したのは相方であった。
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この後は 腰痛を抱えながら
☆ドレス決定 ・・・んなもん どれでもいいよと思っていたのだが いざとなると結構悩み、私もまだ女だったんだなぁと実感
☆どうしても着たかった黒引き振袖を決定 ・・・カラードレスは絶対着たくなかったし 着物大好きなので 黒引き振袖を探すも レンタルで数十万と言われる あきらめかけるも4万円で借りられる裏テクを発見し 無事決定
☆招待客の決定 ・・・相方は「上司は課長までしかよびたくない」と言うのだが 私の会社はウェットタイプにつき そういうわけにもいかず 結局役員まで呼ぶハメに →新郎側・新婦側のアンバランスな招待客ラインナップに 相方のお父様がご立腹。す・・・すみません・・・・。
といった、 お定まりの、しかし(本人的には)大変なステップの数々を経て 瞬く間に時が過ぎていったのである・・・。
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