職業婦人通信
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2004年09月27日(月) 2004年追憶の旅 その2

<前回のお話>
ある休日、デートの行き先も決まらずデニーズで駄弁っていた千代子と相方。
お互いが転校・転居の多い前半生を送ってきたという暗い過去を語り合ううちに、
まったく唐突ではあったが
千代子が3歳〜6歳半までを暮らした町を見に行くという企画が発動。
やけに乗り気な相方に不審を抱きつつも、神奈川の奥地・南足柄市へと旅立ったのである・・・

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千代子の住む町から、3歳の私が住んでいた町までは電車で約2時間。

相方にとっては何の価値も面白味もない田舎町に行くために
2時間も旅させるのはちょっと可哀想かな、と思ったのだが、相方は何やら上機嫌。

他人の生まれ育った町なんて、相方にとっては何の面白味もない企画なのに
やけに乗り気なのはなぜ・・・?

が、相方がケータイで乗換え案内を調べ、
「●●時●●分発のロマンスカーに乗れるって、早く行こうぜー」
と言うのを聞いて疑問は氷解した。

あ・・・ロマンスカーね・・・。
相方(←鉄道大好き君。ただし普段は己の鉄成分を慎重に隠して社会生活を送っている)の
お楽しみは、カノジョの生まれ育った町ではもちろんなく、ロマンスカーであった。

そうか、そういうことね・・・。なんかおかしいと思ったんだよ・・・。

こうして、キオスクでおやつとお茶を買い込み、嬉しげにロマンスカーを満喫する相方とともに、
千代子は小田原駅へ向かった。

しかし旅はここでは終わらない。

小田原駅からは、さらに大雄山線という超ローカル単線鉄道(沿線の方が万一見てたらすみません)に
乗らねばならないのだが、

ここでも相方は大コーフンで
「3両編成だよーシブすぎるー」とか
「信号機の色が2色しかねぇ、すげー」(←だから何なの?)とか
「単線の電車っていうのは昔はさぁ・・・(単線電車の歴史についてひとくさり語る)」とか
鉄知識を中途半端に披露しては嬉しそうに運転席の後ろの窓にへばりついていた。

お前は子供か。

こうして異常に盛り上がる相方とともに、ついに千代子は問題の地に辿り着いた。

ただ、問題は「千代子は住んでた駅の名前しか覚えていない」ということである。

駅名は覚えている。どんな形の家に住んでたのかも覚えている。

が、駅から家までの道はまったく思い出せる自信がない。
もちろん住所なんて覚えちゃいない(住んでた当時6歳だった)。

そんなんで本当に家に行きつけるのか。
そもそも24年前の家は今もあるのか。

すごく不安な気持ちで駅に降り立ったその瞬間、

記憶が奔流のように蘇った。
何かに導かれるように千代子は黙々と道をたどり、

途中にあった用水路、
はじめてのおつかいに行った「近藤商店」、
友達の家、
よくアメをくれたおばあちゃんの家など、
この24年間おそらく1度も思い出すことのなかった風景を一気に思い出しながら、
当時住んでいた家にまっすぐ辿り着くことができたのである。

人間の記憶ってすごい。

そして、失ってた記憶を取り戻す瞬間はとても感動的であった。
記憶喪失の人が記憶を取り戻す瞬間もきっとこんなふうなのかもしれない。
(ちょっとおおげさな表現だけど)

友達と待ち合わせをした目印の木、
よく腰掛けて本を読んだ石塀、
近所のイジメっ子に石を投げられた川原、
幼稚園から帰る途中に冷水を飲ませてもらった井戸、
甘いゆすらうめの生えていた庭先、

現在はなくなっているものが大半だったけど、
そういう記憶はどんどん脳の中に溢れかえり、
私は、しまいには感極まって泣いた。

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と、まぁ、大げさすぎるほど感情的に書いてきたわけだが
その一日は、千代子にとってホントに大きな感動経験であった。

相方は
「いやー泣くほど懐かしいところだったんだねぇ、来てよかったね、オレも嬉しいよー、大雄山線にも乗れたし」
と、お前のホンネはローカル電車だろ!とツッコミたくなるようなことを言っていたが
彼にとっては何の面白味もない土地にわざわざつきあってくれて感謝である。

引っ越した経験のある方、
特に、子供時代に住んでいた土地を離れて久しい方は
ぜひ一度、ノスタルジーをめぐる旅に出てはいかがであろうか。
忘れていたようなところほど感動も大きいことは間違いない。
オススメですよ。

(おしまい)


千代子 |MAIL
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