職業婦人通信
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2004年06月25日(金) |
「太く短く」、そして |
千代子がピチピチのOL1年生だった頃。
当時、会社にいた宮本部長(仮名・当時55歳)は、 花形部門の部長として誰もが認める、華やかなイメージの仕事人であった。
宮本部長は会社の対外イベントをすべて取り仕切るイベント屋。 うちのようなお堅い会社としては珍しかった クラブイベントを主催したりと、ユニークなイベント屋として 社内外で名を馳せていたのである。
宮本部長はプライベートでもちょっと変わっており、 55歳にしてブレイクダンスの名手(頭で回ることもできた)で、 六本木あたりのクラブやディスコにはたいてい出入りし、 ヒップホップ系の音楽にやたら詳しいという変なオヤジではあったが 公私ともにお祭り男として楽しく生きている模様であった。
そんな彼は、役職定年(部長だと57歳で定年を迎えるシステム)が 導入された瞬間に 「これからも太く短く、楽しく遊んで暮らしていきたい」 との言葉を残してあっさりと会社を去った。
それから数年、去るもの日々に疎し。
宮本部長のことは忘れ去られつつあり、 「太く短く生きているのであろう」と誰もが思っていた 今日のこと。
宮本部長の消息を人づてに聞いた私たちは唖然とすることになったのである。
宮本部長は今、浮気がバレて奥さんに離婚され(当然慰謝料を支払った)、 それまで住んでいた家を追い出されて中野の小さいアパート「××荘」で一人暮しとなり、 まもなく胃がんをわずらって入院したのだという。 無収入のうえに 慰謝料でほとんどの貯金(もともと遊んでばかりで貯金はそれほどなかったらしい)もなくなり、 生活保護を受けながら、相当厳しい闘病生活を送っているらしいのだ。
あんなに女と音楽と踊りをこよなく愛し、天真爛漫に遊びまわっていた宮本部長が 今では見る影もなく痩せ細り、お金もなくひっそりと老後を迎えているという事実は 私たちにとって驚愕のきわみであった・・・。
ある者は 「宮本さんも遊びすぎたツケが回ってきたんだよ、自業自得だね」 と言い、またある者は 「それでも宮本さんは後悔してないんだろうからいいんじゃないの?それも男の生き方さ」 と言った。
太く短く生きようとした宮本部長が 今、どんな気持ちで生きているのかは私たちの想像を超えているし それは本人にしかわからないことだから、 他人が忖度することは無意味だ。しかし、宮本部長は親しい知人に対しても ここ1年は全く連絡を断っているのだという。
そういうことを見る限り、 今の自分を見られたくないのだろうと想像せざるをえない。
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太く短く生きるのは、簡単そうに見えるけれど その幕引きまでも太いままで生きることはきっと、とても難しいことなんだろうなぁ・・・。
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