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2010年10月28日(木)
毎朝いつも通り









彼は毎朝通り、いつも通りの時刻にネクタイを締めて
玄関で靴を履いた。
花瓶に一度視線をやってからすぐに戻し、いつも通りの口調で私に
いってきますと言う。
いつも通り毎朝通りのその通り。

その毎朝通りぶりが私にとっては、今朝
いつも通り過ぎたのかもしれない。きっと。
扉が閉まるまでの彼の姿を見送りながら
これっきり彼が、もうこの家には戻ってこない気がして
それで私だけが玄関に立ち尽くしてしまった。
彼は団地を出たあと
いつも通りという大通りを一目散に走り去りながら
ネクタイを脱ぎ、靴を投げ捨て
着慣れたシャツも
ズボンもほっぽって
いつもとは違う路地を曲がると
いつもなら乗ることのない電車に乗って
いままで聞いたこともない小さな駅で降りると
見覚えのない川と谷を渡りそれからそれから
丘と山と岳と峰と頂を越えて降りて
知らない人たちしか住んでない街を通り
旅人たち専用のエキゾチックな港に停泊中の
貨物船に潜りこみ遠くの遠くの遠くまで
不思議な響きの名を持つ外国へ密航することを計画。すぐさま敢行。
(財布は脱ぎ捨てたズボンに入れっぱなしだったという大失態)
長く窮屈な航海を経てすわ到着というそのときに
悪の団員でもある船員に見つかって追っかけられて
海に飛び込んで腹うち、ばちゃばちゃ泳いで銃弾をよけ
からくも深い森へと逃れて
猟師の罠にかかっていたかわいそうなきつねを助け
そこからはそのきつねといっしょ。
励ましあいながら彼は旅を続けることだろう。
けれどもお腹が空いてしまうだろう。
裸のまま寒いのに、服を買うお金すらないんだもの。
せっかくの海外なのに
ひと気のないシーズンオフの寂しい海岸をとぼとぼと歩く彼。
ぴょんぴょんと跳ねるきつね。
彼はこんなにしてまで一体、どこに向かって歩き続けていくのだろうか。
お金も会社も通勤電車もない国だろうか。
きっとなんの責任も心配もローンもリストラの心配もいらない国。
不安もなく彼の肩があんなに凝ったりしない国。
水虫まで治りそうな国。
もしかしたら若い女の子たちがみんな彼に夢中になる国。
ブリジットフォンテーヌがどこかのアパルトマンで彼のために歌を披露してくれる国。
彼だけの知る目的地へ。
そんな土地がホントにあるのかも分からぬまま
そこまで行くのが果たして、しあわせなことなのかも知らぬまま
何も言わず
歩いていく。
疲れたからだで。
好物のエビフライも我慢して。
かわいそうな彼。
あときつね。
ふたりで肩を寄せ合うだろうか。
夜空に星はきらりとでているだろうか。

扉があいた。
彼は戻ってきた。
財布を忘れた!と珍しく
慌ただしげに。