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2010年04月26日(月) ■ |
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名前のある風は少ないけど |
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昭和53年、僕の生まれた年に例えば 東京の桜並木のスイッチを入れたのは彼だ 昨夜の九州地方の大雨、内緒だけども その浴槽の栓を抜いてしまったのもね
子どもたちが生まれて初めていのちがあることを知り 奈落の闇を覗くような不安に泣き始めた夜、つい 大声をだして余計に怖がらせてしまったのも彼だったし そんでもって如雨露ひとつ慌て駆け出し 虹を育ててみせようとしたのも彼だったのだ
こんな広い土地には風車をたくさん立てようよ そいつは景色としてもきっと美しいよ そう言いだしたのも彼当人であったくせに 近所の女学校の生徒さんのスカートばかり ずっと追いかけまわしていたのも彼であった
おとなになってからもよく迷子になってしまうひとたちの 背中を勝手に押しては夕暮れ噴水前広場まで 案内しようとするのは、もう言わずもがな彼であって かえって深夜の森のなかへ奥へと 余計に迷子を増やしてしまうのも、そうなのだったが
そんな格好つかないことばかり、というわけでもない やりきれないことの方が幾らでも多い世界であるのに それでもここは人間の生きているところなんです、と ひたすら旗を振り続けてきた彼なのであって ことほど左様
良きことも悪しきこともくだらなきことまで ありたけおもいつき完遂してきた彼なのだった 勝つこともあったし 負けることはその何倍もあったのであって その大いなる偉業の数々を 果たして世間様には 知られることなくひっそりと死んでいった それでも満足げに息をひきとった わけでもなくて、それなりに不満を ぶつぶつ漏らしながら逝った彼なのであった
その通りすぎ方といえば、それは やはり名前をもたない風のようであったのだが だのにいまだもって僕はうっかりと こんなふうに、彼のことを文章に書いて残して 記録にしようとしてしまう―――――、のです
此処まで読んでくださった方であれば、もしかしてひとりくらいは じゃあ彼のことをずっと覚えててやろうとおもう変わり者も もとい、優しい御方も稀にいるかもしれないけれど 優しいひともいるものだとおもいながらも、ぼくたちは なんとなくね、知ってもいるのだ
記録も記憶も、彼そのものではなくって だから感傷に浸る以外にはあまり役にたたないこと (つまり彼は生きているあいだの彼だったってこと) そんな、彼みたいな名前をもたないどこにでも 吹いてそうな風のほうが、その特有のありきたりさで 安心させてくれるんだってこと
この世界には、さいわいそんなひとたちのほうが ずっとずっと多いんだってこと なんとなくね、知っている
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