昨日の晩に起こった断水は、おかげさまで日記を書き終えてから45分後に終了しました。とはいっても4時間近くいきなり断水は厳しい。6時半にお出かけしようと思ったけど、身支度が整ったのが夜の10時半になってからだから。昨日、本当は同じ授業を取ってる人たちとお出かけする予定だったんだけど、電話もかかってこなかったからムースは1人で過ごしたの。っていっても別につまらなかったってことはなかったけどね。だって、一昨日の晩、飲み過ぎちゃって指だってざっくり切ってるし。指を切ったというよりは包丁を指に差しちゃったって感じかもしれないけど。そんなんだったから、昨日の晩はちょっと反省を兼ねて家でゆっくりするのもいいかなぁって思ってたし。問題児のバイトする畑の中の飲み屋さんへ行ってもよかったけど、何となく行く気がなかったからやめちゃった。それに昨日は飲みたいって感じでもなかったから。自分でも信じられないくらい早々とベッドへ行っちゃったんだ。ってことは、今日は朝早くに起きれるかと思ったんだけど、それはまた別の話って感じ。1度朝早くに目が覚めたことは事実なんだけど、2度寝をしてたし、ちゃんと起きたのはお昼近くになってからだから。週末だけにかなりグータラしちゃってるかな。
今日こそ宿題をやろうと思ってお昼からノートを見始めたんだけど、今のムースにとってあれほど効果の高い睡眠導入剤はないってくらいの効果。あっという間に睡魔に襲われました。で、気がついたら2時間もお昼寝しちゃってたの。お昼近くになってから起きたのに、お昼寝してるなんてすごいって思う。でも、昼寝は今1つ寝が浅かったかも。っていうのは、今日もまた夢を見てる途中で目を覚ましたから。先日も夢を見てる途中で目を覚ましたんだけど、ここんとこどうも夢を見ていることが多いみたい。いつもだと夢なんて見たって覚えてないんだけどね。先日見た夢はちょっとムースにとってはよくないもので目覚めが悪かったんだけど、今日のはちょっと不可思議なの。
場所はどこか知らないんだけど、周りはとっても暗かったの。雰囲気的にはクラブのような感じの暗さかな。ムースはなぜかそこにいたんだけど、そこでムースに手紙が来ているからっていわれて誰かから手紙を手渡されるの。手紙の送り主はムースの知っている人で、普段からいいなぁって思ってる人。封筒は何だかとっても変で、封筒の外側に鍵がくっついてたの。これって何の鍵だろうって思ったけど、そんなことも気にせず、開封。で、中に入っていたのは手紙と錠前。錠前のことはそのときあまり気にならなかったんだけど、中に入っていた手紙が気になっちゃって。何て書いてあるんだろうって思ったの。手紙っていっても1枚の小さな紙だったんだけど、そこにひと言、「お付き合いしてください」だか「いつまでも大切に思って下さい」だかって書いてあったの。ここに何が書いてあったのか、なぜかよく覚えていないんだよねぇ。でもって、錠前が気になったんだけど、その錠前、2つ繋がった状態で入ってたの。そのときに封筒にくっついていた鍵がこの錠前のものであるって思ったんだけど、1つはどこに置いたか覚えていたんだけど、もう1つはどこかへ行っちゃってたの。これが実は笑っちゃうんだけど、金色と銀色の鍵なの。金色の鍵はすぐに見つかったんだけど、銀色のが見つからなくってねぇ。必死に探してたんだ。この鍵を見つけないと、錠前がはずせないって思ったのか、何を思ったのかわからないんだけど。必死になって暗い中を探したら、銀の鍵は床の木と木の間に挟まってたの。で、やっと見つけたぁ〜、よかったぁ〜って思った瞬間、目が覚めちゃったんだ。この先がどうなるか知りたかったんだけどね。きっと夢の中でムースは幸せに暮らしたとさってことになると思うんだけど…。とりあえず、今日の夢はハッピーエンドになりそうな夢だったからそれでよかったんだけどねぇ。ただ1つ引っかかるのが鍵が出てきたことかな。ムースの夢に鍵が出てくることなんてまずないから。
夢から目が覚めたあとは宿題。って一応学生なので宿題をやらないといけないからねぇ。これが難しいかと思っていたら、そうでもないらしく、さらにはネットに答えが転がっていたのでそれを拝借。っていつものことだけど。これだとタイプする手間も省けるし。だからといってそのままは提出しないけどね。ちゃんと理解をしようと試みてから提出だから。今日やっていたものは、比較的簡単だったみたいだから、あとでゆっくりと見直すけどね。
ところで、今日ふと考えたがあったの。それはある方の日記を読んでいたとき、そこに「自分の存在意義をどのへんに置いたらいいのか」ってことについて書かれていたから。実は自分の存在意義とか存在価値ってムースにとっては永遠のテーマなの。だってそのとき、そのときで状況が違うし、いつも同じところに位置づけされていないから。ただ、みんな同じようなことについて考えるんだなぁって思って。まだ何も書いてないんだけど、実は「自分の居場所」についてムースの意見を書いてっていうリクエストも受けてるの。っていうか、自分の居場所もそうだけど、どこに位置づけるかって本当に難しいよね。ムースは自分の居場所っていうのは、自分の居心地のいいところが自分の居場所だって思うけど、それはどこ?って聞かれると、これを説明するのが難しい。何てったって、ここ北の国に来る前までは自分の居場所ってよくわからなかったから。どこにいても居心地がよくなかったから。今はどうかというと、ここ北の国でのほほ〜んとしてるし、かなり居心地がいいし、ここが自分の居場所だって感じになってるけどね。自分の居場所が段々わかってくると自分の存在価値とか存在意義も出てくるのかなって思う。ムースの場合は逆だったかな。最初に自分の存在価値を認めてあげたから。
この日記によく書いてることだけど、子供のころにほめられたことのないムースは自己評価ってとっても低いんだよね。今では思わないけど、昔思っていたのは、どうして生きてるんだろうとか、生きていて誰のためになるんだろうとか、自分がこの世からいなくなっても何1つ変わらないんじゃないかとか、その他いろいろと自分自身を否定することに対しては事欠かなかったと思う。それくらい自己評価が低いし、というか低かったし、いつも生きることに意義も価値も楽しさも何も見出せなかったの。まぁ、学校へ行ったところで、学年で下から数えて1番のムースだったから授業はつまらなし、遊んでいても何となくつまらなかったし。遊びっていってもトコトン遊ぶ訳じゃなく、いつも中途半端だし、何か不完全燃焼のモヤモヤとしたものがあったんだろうね。でも中には遊びまくっちゃってる同級生もいたの。それが出来ない自分はいつもうらやましがるだけで、妬いてばかりいたかな。今でこそその兆候はないけど、ずーっと「隣りの芝は青い」症候群だったから。自分だっていろんなことに挑戦していたんだけど、それをするだけの勇気もなく、いつもあの人はこんなことをやっていていいなぁっていってばかり。自分で自分をずーっと縛っていたかも。自分にはこれが出来ないからって感じで。イギリスでホームスティした先のパパさんに指摘されなければ、もしかしたら今でも「隣りの芝は青い」症候群だったかも。指摘されたせいもあって、このこらから少し少し自分が変わっていったのかもしれない。もしかしたら、その前にスペインにいたときに自分の存在価値だけはちょっとだけ認めてあげられるようになっていたのかな。このころは自分の存在価値について考えたことがなかったから、よくわからないけど。だって友達と飲んで歩くことで忙しかったもん。それに誰かから何かをしようって誘われることなんて全然なかったのに、よく誘われてたから。それがとっても居心地よかったかな。ムースの人生で、1度だけチヤホヤされた時期だから。もう2度と起こらないような気がするけど。こんなくだらないきっかけだったけど、ムースにとってみれば大きな出来事。だって生きていることが楽しく思えるようになってたんだもん。
その後、日本に戻って来たけど、自分が都会の雑踏に紛れたとき、ムースの自己評価はまた元に戻っちゃったけどね。だってお仕事をしなきゃいけないのにどこにも雇ってもらえなかったんだもん。あのときは辛かったなぁ。それが故に仕事が決まってからというものはお仕事に励んだけどねぇ。本当に安月給なのによく働いたなぁ。だって毎朝7時15分ころに家を出て、お仕事から帰ってくるのは夜中過ぎの12時45分ころだったもん。今だったら飲んで帰りが遅くなったんでしょうっていわれそうだけど、あのときはずーっとお仕事でそれだけ遅かったからね。でも、それだけお仕事があったし、ムースはかなり上機嫌だったかな。それまでお勤めした会社では仕事がないのが普通で、毎日ヒマとの戦いだったから。きっと忙しいことで自分の存在意義を感じてたんだと思う。お仕事って出来る人のところに集まるから。ただこれは職場でのことだけなんだけどね。私生活はまったく別物だったし。この存在意義もすぐに終わりを迎えるときが来たし、と同時に恋も1つ終わったし。あのときは人生のどん底って感じだったかな。ただこのときには自分と向き合っていたし、等身大の自分を受け入れようと努力していたときだったから、自分の内面がどんどん変わっていたかな。そうやってたら職場での存在価値なんてどうでもよくなってきちゃったけど、生きていく上での自分の存在価値は少しだけ高くなったかな。これって自己評価の高さに比例してるような気がするの。多分、等身大の自分を見つけて、受け入れてあげたことで、自分の本当の大きさがわかった気もするし、と同時にいいところを褒めてあげようって思ったからだと思う。友達とかを見ていると自分に自信がない人が多いんだけど、そういう人にはその人のいいところを見つけて褒めてあげるようにしてる。だってみんなたくさんいい部分をもっているのに、魅力的な部分を持っているのに、口から出る言葉は否定的なことが多いんだもん。それがもったいないなぁって思うし。よくいわれるけど、ダイアモンドだって原石じゃただの石だけど、磨けば美しくなるって。人も一緒で、自分というダイヤモンドを、こんなのは屑石だっていって磨かなかったらずーっとそのままだけど、信じて磨けば必ず輝くときがあるからね。
自分のいいところを見つけて褒めてあげれば、自分はこれが出来ないっていうより、自分はこれが出来るっていう風に変わっていくような気がするんだ。自分を否定的に見ていると、いつもこれが出来ない、あれが出来ないっていう見方になっちゃうけど、これが出来る、あれが出来るってわかっていれば、とりあえずは出来ることから始めると思うし。先日、友達宛のメールに書いたんだけど、「身動きを取れなくしてるのは自分自身であることが多いよねぇ」って。実際はどうだかわからないけど、ムースはこう思ってるの。自分自身であれが出来ないからこれも出来ないっていう風に自分の出来るものの範囲を狭めていっちゃってるんじゃないのかなって。
いつものように、だんだん話がちぐはぐになっていってるから、そろそろやめにしないと。とにかく、自分を信じてください。必ず思いを遂げることは出来るってムースは思ってます。って随分偉そうに書いちゃった。
ところで何でこの「存在価値」ってことをふと考えたかというと、ちょっとあるメールを読んでいたときに、その中で自分の存在価値について書いていたことがあったの。永遠のテーマっていうくらい、今でもよくわからないところがあるし。ってなことで、ちょっと気になっちゃったんだ。
今日の日記はちょっと長すぎた。 |