某小冊子に載っていた言葉が心に染みたので、 いけないかも知れませんが、ここに記します。
猫の気持ち「波を乗り越えて…。」
「カニさん、生きていくことは悩みが多いね」
「ネコさん、生きて行くには様々な悩みが波のように 押し寄せて来るよ。 でも、つぎつぎと来る波を真剣に受け止めていたら、 ネコさんという「船」は少しも前に進むことは出来ないよ。 上手に「船」の後ろに押し流してね」
今の私に贈られた様な言葉でした。 ありがとう。 少しだけ、がんばってみます。
2003年08月20日(水) |
回想 -199X年の夏- |
199X年、中学生だった私。 あの夏は暑かった。
今、夏の甲子園大会が行われているけれど、 本当に何時の間にか、高校球児たちより、年を取ってしまった 自分がここにいる。
高校野球、というとあの夏、あの年を思い出す。 普段強くない地元の野球名門校がセンバツで準優勝した。 M学園高校。甲子園では、有名。常連。だけど強くない。 けれどあの年は異常だった。 誰もが熱気を帯びていて、テレビ中継に夢中になった。 学校ではラジオを持ち込んで怒られていた男子がいた。 学校のテレビではそっと後ろからみんな覗き込んだ。
あの年、M学園は本当に強かった。 惜しくもセンバツで優勝しそこなってしまったけれど、 (その時の相手は、今年のセンバツ優勝校) 夏こそは、とみんな張り切った。
選手たちも、監督も、観ていた観客の私たちも。
その暑い夏も順当に勝ち進み、ベスト8まで勝ち上がった。 そして、準決勝を賭けたあの試合。 相手は今のヤンキース松井選手が二年生で四番を打っていた、 石川県の星稜高校。
試合は惜しいものだったと記憶している。 M学園は最後まで強かった。 何度も聞いて憶えてしまった校歌は、そこでは聞くことが出来なかった。
−夏が、終わった。 球児と共に、私の夏も其処で潰えた。
その前年から地獄の最中に居た私にとって、彼らは希望だった。
夏が終わった時、号泣した。選手と共に。
夏と言うと、あの、199X年のあの夏を思い出す。
遠い日。 遠い夏。
けれど私は、確かにその夏の風景の一部だった。
薄紫の空の下 涼風に身を委ね 一歩づづ一歩づつ 夏を歩く
短き季節 愛しき季節 大嫌いで でも大好きな季節
空が漆黒に変わる頃 虫たちが合唱を始めると 季節は巡り行く
もう少し後だけど 今はまだ この宵に身を委ねていたい
++++
気付けば8000ht越えてました。 読んで下さっている皆様に御礼申し上げます。
日が暮れかかった夏の夕方、 僕は思い切り夏の呼吸を感じながら、 背中に沈み行く太陽を感じながら、 歩いた。
ただそれだけのことなのに、 色んなことがあって、 泣きたくなっていた僕は、 ほんの一握りの生きる勇気を分け与えられた。
…生き直す。
僕の脳裏にこの単語が浮かんだ。
生き、直すんだ。 一緒に、歩こう?
夜出かける前に とてもとても久し振りにお月様に出逢いました
思わずじっとあなた(お月様)を眺めました 次の月齢23の日には その気まぐれなお顔を出してくださるのでしょうか
あなたの柔らかい光に包まれて 夜道を自転車で走りました
辿り着いた先は あなたをも隠してしまう 賑やかなお祭りネオン街
こんなところには顔を出せないわと きっとあなたは言うのでしょうね
もしもお願いを聞いて下さるのなら あの人に逢わせて欲しいのです
ずっとずっと願い続けてきたのです お願いです お願いです
明日もあなたに逢えます様に
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