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みんみん



 土の中から

昨日書き忘れたこと。
富山・金沢と車が多かった。
都内では、GWやお盆、年末年始には車が少なくなっていい感じだったけれど、迎える側は車も増えて当然だ。
そして取り締まり関係の方々も、たいへんよくお見かけした。インターチェンジまでの道で1件、高速道路でも1件、そして金沢の郊外で2件。スピード違反と一旦停止違反を取り締まっていたもよう。キップ切られ中(あえて妙な日本語を使ってみよう)の車も2台。あーあ。



久しぶりにりー実家に行く。
りー父さんとりー母さんと話していると、庭の方から「げこ、げこ」と鳴き声がした。
「あ、うちのかえるが鳴いとる」とりー父さん。
え、「うちのかえる」なんですか? と尋ねると、毎年たぶん同じかえるの一家が冬を越して、池に出てきているのだという。
最初は4匹だったんだけど、いつからか6匹になって一同に並ぶようになって、ああ同じかえるなんだなと思った、とのこと。
庭に廻って池の中を覗き込むと、茶色い小さな目が水中に並んでいた。よく見ないとわからないけれど。
池には金魚。
りー実家の庭は、子供には楽しい場所だ(いや大人にも)。



実家から、わらび・うど・たけのこなどをもらう。
わらび・たけのこは到来物のお裾分け、うどは家で作っているものだ。でも白くはない。緑色である。山に自生しているのと同じだ。
上京してスーパーで初めて白いうどを見た時はびっくりした。漂白しているのかと思った。私にとってのうどは緑色のもので、白いうどなんて初めてだったのだ。日を当てないように囲って育てると白い色になる。栽培されたうどは白い。そもそも私(在郷育ち)には、山菜であるうどを栽培するというのもちょっと不思議な感じがした。
白いうどしか知らなかった町の子りー氏は、元々は緑色だと知ってこれはこれで驚いたようである。
りー氏はうどのみそ漬けが好きなので、白いうども時々スーパーで買ったりする。
やっぱり私は緑のうどの方が好きだな。香りがあるし、やわらかいし。
あんたは?
「こっち(=緑)のほうがちょっとおとなのあじってかんじ」
そうやろそうやろ。

なんか山菜採りに行きたくなったな。

2003年04月29日(火)



 初夏のような日

お茶菓子として到来物のひよこを持参したら、「東京に行ったの?」と聞かれた。やはり、ひよこ=東京みやげ、のイメージは強いようだ。
なので、ひよこはもともと福岡なんですよ、と言ってみた。

「沖縄映画祭」なるチラシを見る。本土復帰記念日である5月15日に、金沢の駅前シネマで行われるようだ。この映画館、ふだん成人映画を上映しているはずだが、学生さんを中心とした自主企画らしい。
作品は2本立て。1本は忘れたけれど、もう1本は「ウンタマギルー」。観に行こうかな。
沖縄といえば、Kさんに教わった張り子作家さんのサイト、とてもいいぞ。欲しい。特に「手乗り犬」。トラの絵が描いてあるTシャツもいいなあ。トラ猫に通ずるし。

若者の服装をまじまじと見る。
金沢にもしばしば行く機会があるが、富山の子の方がおしゃれだと思っていた。しかしその「おしゃれ」というのは、単純にハヤリっぽいことを指しているような気もしてきた。たとえば今ならレイヤーな感じとでもいうか。
それが却ってひとの顔を見えなくしている部分もある。もちろん全ての人がそうであるというわけでもないだろう。



ワープロで印字した文字と、手書きの文字。
丁寧に書かれているならば、手書きの文字の方がずっと頭に入る気がする。なぜだろう。
大学生のころ、青年心理学の授業を取っていた。その方面ではたいへん有名な先生だったし(私も子供の頃にその先生が書かれた本を読んだことがあった)、教員免許取得に必要な単位でもあったので、受講者はかなり多かった。
学期末試験に際してその先生はおっしゃった。「答案は丁寧に書いて下さい」と。
文字のうまいへたは関係なくて、丁寧に書いてあること。先生はいったいどのくらいの答案を採点されたのだろうか。そんなに大きな大学ではなかったから、人気の授業といってもせいぜいが数百人だろうとは思うけれど、大変だろうなあとは思った。
あまりうまくなくても、丁寧に書かれた文字はないがしろにしてはいけない気がして、しっかり読もうという気持になる。
自分のためのメモはぐちゃぐちゃな字であってもいい。丁寧に書くことが、相手に伝えたいと思う気持の表現になるのだろう。

マイクを通した声と、通さない肉声。
マイクを通すと、届くように、という気持と、届いているかな、という不安が、あいまいになってしまうのかも知れない。聞く方も、聞き取ろうとする気持に違いが出るのかも知れない。



某・県西部のショッピングセンターへ。ひとりで行ったのは初めて。
先日りー氏が買ってきていながら食べ損ねていたチーズケーキ(とある私の事情でお使い物に流用されたため)を買う。スティック状になっているものを10本。プレーンとキャラメル味を半々ずつ。
スティック状のケーキって最近よく見かける。はやっているのか。

書店を徘徊していたら楽譜のコーナーがあったので何気なく見る。今はピアノからも遠ざかっているのでまったくご無沙汰な場所であるが、その書店はたいへんに充実していた。
懐かしい全音の、縹色した楽譜も、かなりいろいろな種類のものが出ていた。私が買いに行ったりしていた頃はひと昔前のことだから、当然と言えば当然だ。
中にニーノ・ロータの作品があった。えっ、と思ったが、イタリアの武満徹みたいなものかと思えば不思議ではないか。一柳慧や高橋悠治のピアノ譜だって全音ピアノピースになっている。
久しぶりに楽譜を見たら弾きたくなったけれど、今の家にはピアノがない。もう指は廻らないから、簡単な楽譜であっても初見では弾けない。

水分をたくさん取った。
暖かい、というより暑かったから。

2003年04月28日(月)



 おかえり/いらっしゃい

福岡より祖母が帰宅。約1ヶ月半ぶり。
叔母といとこが富山までついてきてくれた。歓迎すべく、夕方、りー氏とともに実家へ。途中でケーキを買って、それから、毎年恒例りー氏がひろってきたばかりの摘花後のチューリップを手みやげに持って行った。
家を出る時間になってもなかなか帰ってこないと思ったら、はるばる入善町まで花を拾いに行っていたらしい。私の方が先に帰宅して、「ったく帰ってないじゃんよ!!」と思うやいなや電話が鳴り、遅れる旨連絡があったのにはおかしかった。何か通じたのだろうか。

叔母とは既に会ったことがあるけれど、いとこのCちゃんとは初対面なりー氏。叔母・Cちゃん・父・母・祖母・りー氏・私の7人で晩ご飯を食べる。
実家にはかつて最大7人の家族がいた(動物のぞく)。その当時のメンバーは父・母・祖母・叔父(父の弟)・2人の弟・私。下の弟が生まれた頃(私・小2)から、叔父が結婚して家を出るまで(同・小5)までの約3年間である。幼児子供が交じっての7人だから、今日のように大人が並んで食卓を囲むのとはちょっとわけが違うし、いつもフルメンバー揃って食卓についていたかといえば必ずしもそういうわけでもなかったのだけれど、賑やかだったんだろうなあ、と今となっては思う。
ふだんは3人(父・母・祖母)で座っている食卓に、家じゅうから椅子を持ってきて、ぎゅうぎゅうと並ぶようにして囲む。食卓の四辺の、一辺につき平均約2名が着席する割合で。箸も交錯するが、話も交錯する。

とっくに晩ご飯を平らげてしまっているのいは、微妙に緊張しつつ、食卓の上のおすしやお刺身が気になりつつ、付近を行ったり来たりしている。眠くなったら椅子の上でうたた寝したりするけれど、今日はどの椅子も使用中なので、米びつの上で眠りはじめた。
前は炊飯ジャーの上に乗ったり電子レンジの上に乗ったりしていたけれど、身体が大きくなってしまったので乗れなくなってしまった。炊飯ジャーからは完全にずり落ちそうだし、電子レンジは上にある棚との隙間が狭そうだ。

叔母から、ひよこ、ワインゼリー(「ひよこ」の会社で出している)、めんたいこをもらう。りー実家用にもめんたいこをもらう。お気遣いいただきまして。
私が初めて「ひよこ」に出会ったのは、たぶん小学校2年生の時だと思う。祖母と上の弟と一緒に叔母の家に行った(当時は北九州市の小倉北区というところに住んでいた。福岡空港から遠かったことを覚えている)。その近所の商店街にひよこのお店(吉野堂)があった。それ以来、おみやげにしたりもらったりしたことがあるのだろう。私の中では、ひよこ=九州のお菓子というイメージが強固にある。
東京のひよこについては、東京オリンピックの頃、オリンピックみやげとしてひよこを売り出すべく進出したといういきさつがある。私が生まれるより前のことだ。でも東京みやげとしてひよこを買うことは絶対にない。
ワインゼリーは、何年か前に福岡のとあるお宅で出されておいしいと思ったもの。地元の人にとってはたいへんポピュラーな夏のお菓子のようだが、口当たりがやわらかくて印象に残っている。ワインゼリーだけでなくその時のいろいろの思い出を含めた印象なのかも知れない。おいしかった、と叔母に伝えたことを覚えてくれていたらしかった。ワインゼリーは別にひよこのかたちをしているわけではない(念のため)。
ちなみに、福岡限定巨大ひよこというのもある。いちど食べたことがある(いっぺんにではなかったと思うが)。ちょっとかわいそうな気がしつつ。本体が大きい分、中のあんも大きく、味わう際にはちょっと飽きるような。

近所の親戚から手作りの草餅が届いてもいたので、食後に少しいただいた。
子供の頃は、よもぎを摘んで、蒸してすり鉢ですって、搗いたもちに混ぜてよもぎ餅を作っていた。薪で餅米を蒸して、餅つき器でこねて、木の台に受けて。別に煮てあったあんこをまぶしたり、中に入れたり。ちなみに子供の私が担当したのは「よもぎを摘む」と「もちを丸める」。楽しいとこ取り。後は祖母と母がやってくれた。
よもぎ餅を作らなくなってからは、季節になると母方の祖母が毎年たくさんのよもぎ餅を持って来てくれた。地元のおいしいお菓子屋さん(2つあった)に注文しておいたものを、電車を乗り継いで持ってきてくれた。
母方の祖母にもずいぶん会っていない。

会うとちょっかいをかけてばかりなのでどうしてものいにライバル視されてしまうりー氏は、おすしのネタのほんの小さな小さな一切れ(小指の先にもならない大きさ)を持って、眠っているのいを起こしに行った。エサでつっているのか。

2003年04月26日(土)



 絵本から

県立図書館に行ったら、絵本の原画展をやっていました。「かぜのかみとこども」(日本の昔話 おざわとしお 再話・佐藤芙美 絵/『こどものとも』1999年10月号/福音館書店)という本です。絵を描かれた佐藤さんが高岡市@富山県在住というご縁で開かれた小さな展覧会でした。
田舎では絵本の原画にはあまり接する機会がありません。ましてやこんな気軽なシチュエーションでは。人によっては、オザケンの父たる(ということは小澤征爾氏のお兄さんでもあります)小澤俊夫さんへのミーハーな興味関心からのアプローチ、というのもアリでしょう(そういえば、昔住んでいた国立市の公民館で、小澤牧子さん@オザケンの母の講演会が行われたのでオザケンファンの人に教えてあげたらどうも行ってみたようだった、というようなことがありました)。

同じく県内の大島町には町立の絵本美術館があって、原画展などもやっているのですが、いつか長新太展をやらないかなーとひそかに期待しています。長新太さんの絵は、吉祥寺の「トムズボックス」で見たことがあります。
ああ、でも、原画で見るなら、堀内誠一さんの絵が見たい。「ぐるんぱのようちえん」の表紙の愛らしさ、透明感ある色彩の美しさは、何度見てもわくわくします。

展示にちなんで、館で所蔵している「こどものとも傑作選」のうちの何冊かが併せて展示されていました。懐かしい本の数々。
久しぶりにかこさとし(加古里子)さんの作品を見ました。「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。小学校2年生の時のクリスマスプレゼントに、サンタさんから「からすのパンやさん」という絵本をもらいました(他に、マイメロディの下敷きや文房具も)。いろんなパンの絵が楽しくて大好きでした。
かこさんの絵には一種独特の雰囲気があります。どちらかというと恐いタイプの絵ではないかとすら思います。それは絵本にとってはどうなんだろうか。しかし、久しぶりに見た「だるまちゃん〜」は面白かった。だるまちゃんのお父さんが探してくれるうちわ(やぼうしやげた)らしきもの一覧の絵は、からすのパン屋さんが作ったたくさんのパンの絵にも通ずる物づくし的作風です。面白さの糸がつながったようで思わずニヤリとしてしまいました。

絵本好きかと聞かれたら、好きだけど、ものすごーく好きな人の「好きっぷり」にはかなうべくもありません。
はじめ、本を読むときには、言葉を口に出していました。それが声を出さずに読むようになるのはいつのことだったか。保育園の年長組か小学校1年生くらいの頃だったか。初めて声を出さずに自分だけのために読んだとき、なんだか大人っぽいことをしているような気がしました。
絵本のあとで人は(と、というとごたいそうな感じですが)それぞれどんな読書生活に入っていくのか。それも興味ぶかいことです。
ちなみに私はファンタジーとSFとミステリーにはほとんど接することなく大人になってしまいました(それはかわいそうに!という声がどこからか聞こえてきそうです)。翻訳文体が未だに苦手なのはそのせいかなあ。

2003年04月23日(水)



 帰り道

午後、金沢で仕事。
帰りは下道を通って帰る。

県境を越えて山を下りて、田んぼのなかの十字路に、犬が座っていた。辺りに人がいるようでもなかったし(田んぼ仕事しているとか)、何も(一応)国道の脇のあぜのところでなくても、繋いでおくならもっと安全なところがあるだろうに、と思ったけれど、しかしどうも繋いでさえいないようだ。
・・・というような思考を、運転しながらの一瞬に行う。
その風景があまりにも奇異に感じられたので、十字路から数十メートル前進していたけれども、そのままバックして戻ってみた。首輪はしているようだ。でもきっちり止められていない様子。くさりとかひもとかそういうもので繋がれているようではない。
犬。どうしたんだろう。どうなったんだろう。

いつもはR359をまっすぐ行くのだが、今日は思い立って砺波から高岡方面に出てみた。そして、さらに思い立ってとあるお店に行ってみた。田んぼの中の普通の民家の中に、いくつかの雑貨屋さんやらカフェが入っている。人づてに「いいよー」と聞いていたし、紹介記事やらフライヤーやら、いろいろなところで見聞きしてもいたのだが、実際に行ったのは初めてだった。それぞれのお店が異なったテイストを持っていて、なかなか面白い。フライヤーもいろいろ置いてある。
中に、ペットグッズを扱ったお店があった。犬用のものが多かったけれど、かわいいカードなども売っていたので購入。ついでに、のい用のハーネスとリードを買う。これらはもともとは小型犬用らしいけれど、猫でも大丈夫だ(というか、最近はやりの小さなチワワより、のいの方が大きいんじゃないかと思ったりもする)。色はくすんだオレンジで、小花模様が描いてある。フランス製なんだとか。
その他のお店でもちょっと買い物。カフェでお茶も飲みたかったけれど、今日は早じまいだとかで断念。またの機会にしよう。

寄り道のシメとしてニュイカフェへ。久しぶり。
名古屋で買ったおみやげを届け、先ほどの「成果」を披露したり、試作中のバナナタルトを試食したり新メニュー案を見せてもらったりして帰宅。

2003年04月21日(月)



 おみやげ

松阪2日目
お昼に本居宣長弁当というのを食べる。
大人(うし)たる宣長にちなんで、松阪牛のそぼろ、松阪牛の生姜煮、桜や鈴(どちらも宣長が好きだったもの)の形をした麩など。おいしいのだけれど、その甘辛い味が私にはちょっと濃かったかも。おかずの量に比してごはんがもっと要るような。

また近いうちに来よう。



帰り、乗り換えの名古屋で少し時間があったから、デパートでいろいろおみやげを買おうと思い、見当だけはつけておいたのだけれど、後で、と思いながら本屋さんに行っていたらあっという間に時間が無くなってしまっていた。
結局、KIOSKで味噌煮込みうどんとカエルまんじゅうを買う。カエルまんじゅうは色モノっぽく見えるけれど、ういろうの青柳が出しているもので(社長だか誰だかがアヴァンギャルドな趣味らしい。ってカエル=アヴァンギャルドかっていう問題はさておき)、普通においしい。ひよことかぽんぽこのカエル版とでもいうべき、カエルの顔のかたちをしたおまんじゅう。中にはこけももあん。

ホームに行ったら知り合い(松阪での集まりに出席)が一足先に並んでおいでだった。
おみやげを買ったりもたもたしていたら遅くなってしまって、と言うと、「奥さん業もやらなきゃいかんもんねーはっはっはー」と言われる。いやいや単に私はおみやげ買いが好きなだけなのでありまして。
席を確保して、ビールとおつまみを2人ぶん買ってくる。金沢までご一緒する。

駅までりー氏に迎えに来てもらって帰宅。
「はんこ作った」と言ったら、あまりうらやましがらないりー氏がなぜだかとてもうらやましがった。別に高価なものではないよ。
じゃあ今度行った時に作ってきてあげるね。
「かわいい字のやつね」
かわいい字って。。。そうなると高いはんこになるんじゃないのか。

2003年04月20日(日)



 思いがけなく

ここ数年の恒例、春の松阪行き。
家から富山駅までは車で5分ほどなのだが、りー氏に送ってもらう途中で携帯電話を忘れたことに気づき、取りに戻る。「だからーおれこういうの(=直前になってバタバタ)すっごいヤなんにーもー!!(怒)」と言われ、ごめんなさいごめんなさいと言いながら戻る。
ま、私はりー氏が財布を忘れたときにも、決して怒ることなく責めることなくさっと戻ったけど(イヤミ)。

さて、行きは高山経由で向かう予定が、すでに掲示板でも書いたとおり、思いがけない事故があり、再び富山駅に戻ったりなどしつつ、結局米原廻りで名古屋に出て、乗り換えで松阪まで。松阪到着は当初の予定より約3時間遅れ、16時過ぎ。せっかく携帯を取りに戻ったけれど、それどころではなかったわけだ。
トラックが鉄橋にひっかかってしまったとのこと。

以下後日談(時制が合っていない)。事故を起こした運転手は、りー氏の会社の人の同級生であったらしい。結局その路線は土曜日1日上下とも不通になってしまったので、賠償金は億単位ではないかとの噂。ひえー、本当なんだー補償云々って、と思う。
りー氏は会社で話を小耳にはさみつつ、「実はうちのヨメが(私としてはツマと言われることを望むが、慣習的にヨメと呼ばれている)」とはさすがに言えんなと思ったとか。

でもこれだけ遅れたおかげで少なくともその日はいよいよ松阪牛のすきやき目当てみたいだ。
のいに会えたのはよかったか。外まで父が抱いてやってきたのにはびっくりしたけど。



列車の窓から久しぶりに風景をみた気がする。
車の窓からも、もちろん景色は見えるけれど、景色をみるよりも重要視しなくてはならないこと(=安全)があるので、好奇心全開で、あるいはぼんやりと、専ら眺めることを楽しむことはむつかしい。
何度も通ったことはあって、見知らぬ風景でもないのに、なんだか新鮮で面白かった。

伊勢の国はもう田植えが始まっている。
電車に乗りながら、「次は桑名」と言われると、焼きはまぐり、と思ってしまうし、「四日市」と言われると、ぜんそく、と思ってしまう。実際工場の煙突も見えるが、これはいい迷惑な連想だろう。

ストッキングが伝線していたので(幸い、見えないところではあった)、松阪駅前の三交百貨店で買う。リニューアルしてきれいになっていたようだ。
ときどき、ストッキングを合わせるような服装をする時がある。タイツもストッキングもゾッキタイプ(編み目がわかりにくいなめらかなタイプ)のものが好きだ。あまり光沢がなく、はいた時に透明感があって、やわらかくよく伸びる(サポートが強すぎるものは伸びにくい)もの。なんだかまるでファンデーションの好みを言っているようだ。
夏場は蒸れやすいので特にはき心地が気になる。以前掲示板にも書いたことがあるけれど、マイ・ベスト・ストッキングは「summer満足」で、まるで海綿のような編み地がさらっとしていて心地よい。今年初めて松阪で見つけて、2足購入する。後ではきかえたら、やっぱり好きなはき心地だった。また買いだめしておこうと思った。

当初、午後には予定は2つほどあったのだが、まあこれはいいとして、先にホテルにチェックインして、夜の集まりにのみ出ることにする。
会場である老舗の牛鍋屋さんに向かう途中、商店街をふらふら歩いていて、ふと思い立ってはんこ屋さんに入る。認印が欲しかったのだ。
お店の外には三文判が並んだケースが2種類ほどあった。私の姓は伊勢の国ではわりと多いらしく(実際お店などでも見かけたりしたことがある)、普通の姓のはんこは1本ずつ入っていたけれど、私の姓のはんこは2本入っていた。全国的には多い姓なのかどうかよくわからない。でも同姓の友人はいない(同じ学年にいたということもない)。ちなみにりー氏の姓は関西には多いようだ。
しかしふとお店の中をのぞいてみたくなり、なりゆきで楷書体の認印を作ってもらうことにした。「お店に入ったら何も買わずに出ることはできない」という方でもないのだけれど、なぜか。といっても高価な物ではない。旅先でこういう買い物をするのは嫌いではない。物語が与えられることでより大切に出来るような気がして。
はんこは、明日の夕方、帰りしなに取りに来ることにした。

そして松阪牛のすきやきとビール。久しぶりにお会いした人たちと。

2003年04月19日(土)



 春祭り

実家のほうでは今日が春祭りである。
お祭りはしないけど(=人を呼ばない、獅子を呼ばない)、お赤飯を炊いたから好きなだけ持って行っていいよ、と母から電話があったので、実家に取りに行った。

なんかしょっちゅう実家に行ってるな(しかも両親の留守中ばっかり)。のいが行ってから実家に行く回数が飛躍的に増加している。

のいがおなかをみせてごろんごろんしていたので、お、これはへそ見(勝手に名詞化)のチャンス、と思い、腹をまさぐっていたら、奴はケンカをしかけられていると思ったらしく、キックの応酬である。私の手を噛みながらしかも時々なめているのがよくわからない(竹中直人の「笑いながら怒る人」みたい)。
想像以上におなかの毛がふさふさしていたので、これはへそを発見するのも難しくないかもしれないと思ったが、キックがひどいのでやめた。でもチチ1個は確認した。

とかやっているうちに、お囃子の音が聞こえてきた。お獅子がまわってきたのだ。うちの向かいのJAでお獅子を呼ぶらしい。2階の元・自室に上がって見物することにした。
のいにも見せてやろうと思うのだけれど、なぜかついてこない。いつもなら我先に2階へ上がってくるのに、ちょっと上ってすぐ下りていってしまった。のいー、お獅子だよー、と言うのだけれど、聞いたことのないピーヒャラが不審なのか。あるいは遊びが途中で終わったのが不満なのか。視線を感じて振り向くと、階段の、あと1、2段で2階という場所からまっすぐにこちらを見ている。薄暗い中に上半身だけが見える。気にはしているらしい。

お獅子は地元の青年団の皆さんが担当していた。ノリとしてはヤンキー入ってるというか、実際、元ヤンな方の顔も見える(今も十分ヤンキーテイスト)。
お獅子一団には同級生の顔も見えて、口上など述べていた。立派なものだ。
男性は地縁つながりのまま年を重ねていくことが可能だ。途中でとぎれる時間があっても、いつかまた戻る。私の父もそうだ。そうならざるを得ないのが田舎の長男というべきか(りー氏はちょっと違うみたいだけど)。地縁が嫌な人ももちろんあるだろう。でもそういったつながりの中で学校生活にはない役割を果たし、存在感を発揮していく人もいる。
私はけっこうドメスティック好きなので(祭り好きというか珍しいもの好きというかフィールドワークみたいなものかも)、本当は獅子舞の笛を吹いたり、獅子を舞ってみたりしてみたい気もするのだが、そんなことをやっている女性はいない。伝統的な田舎生活で表だった女の居場所はないんだな(舞台裏仕事はありまくり)。

お獅子が終わったので下りていくと、のいの姿が見あたらなくて、しばらく探してしまった。最近、ある種のドアを開けられるようになったので、戸締まりにもいっそう注意を払わなくてはならなくなっている。
のいー、のいー、と呼ぶと、外から熊猫が返事をした。
結局、物置部屋のタンスの上にいた。わずかな引き戸の隙間から入りこんだらしい。

2003年04月17日(木)



 雑誌より

▼『猫の手帖』2003年5月号。
定期購読分。
心なしか、この雑誌を渡される時、係の人の顔が他の雑誌の時よりにこにこしている気がする。気のせいだろうけど。
『広告批評』2003年4月号 特集「女の力」。
涼しげな表紙が印象的だったので手にとってみた。購入の決め手は巻頭の橋本治の連載「ああでもなくこうでもなく」と、特集記事の一「広告界のガールズブラボー」。



橋本治はまたちょっと読みたい気持になっている。何しろ著書の多い人だから、にわかに全部フォローしようとするとちょっと追いつかない。

日本語で話すべき内容を持っていない人が、外国語で豊かな会話が出来るとは思わない。語彙が豊富であることと話題が豊富であることは別だ。
語彙がわからないことと、文章の論旨や背景ががわからないことも別だ。というより、文章はたぶんわからないのが当たり前なのであって、外国語や文語文の場合はわかりにくさが自明なだけだ(日本語の文法研究も、外国語である中国古典や、すでに古語となった言葉で記された古典とのとの距離感から発達してきた)。というわけで、現代の文章だってわからんもんはわからんのだ。

というか、ちょっとさらっただけで「わかった」とはとても怖くて言えない。

だからこそ、わかるように書かなくてはならないし、わかるように書くことは難しい。



そしてもうひとつの、ある種80年代へのオマージュのようなインタビュー記事。>「広告界のガールズブラボー」。
「少女雑貨専門エクボ堂」(♪途中にしてね♪byチロリン)とか、島崎夏美ちゃん(知り合いでもないのにちゃん付け)とか、ものすごーく懐かしい。富山では平日(何曜日だったか忘れたが)の夕方、BBT(当時はまだ富山テレビ)でやっていた。
ガールズブラボー、と言えば、りー氏は岡崎京子が好きで、単行本などは全冊持っているんじゃないかという気がするが(そしてつい数日前も最近発売された2冊を購入していたが)、私はファンというわけではない。ただ、読んでいると「あーわかるわかるー」とは思う。それはファンとかいうのとはちょっと違う心性だ。
「ファン」っていうのは、私にとっては、たとえば「私は岩館真理子のファンです」とかいうような時に使う言葉じゃないかと思っている。

岡崎京子のファンって*文化系*男子が多いような。


「それ取ってよ」とりー氏。
それ、とは、『猫の手帖』。『広告批評』はめくりもしないそぶりなのに。
やっぱり、おっさん、猫が好きだな。

2003年04月16日(水)



 常の心得

夕方。
仕事が早く終わり、駐車場に向かっていくと、向こうから黒い子猫(と、その時は見えた)が歩いてきた。
にゃんこさーん(誰でも「にゃんこさん」かい)、と思いつつ、しゃがんでみると、あっさり近づいてきたので、なでてみる。実家の近所の熊猫といい、黒猫っていうのは人懐っこいのだろうか。のいはこんなじゃなかったぞ(ま、数日で慣れたけど。えさをやったから)。
食べ物をねだるそぶりをしたので、少し考えて、小分けになっているドライフードをやった。これは車の中に常備しているのだが、ニュイカフェにやってくる猫以外にやったのははじめてである。
少し考えて、というのは、こちらの気まぐれでえさをやって、その後猫が徘徊するようになったらどうだろうか、と思ったからだ。みんながみんな猫好きなわけではない。考えた結果、コンスタントにえさをもらえる環境だろうと判断したという次第。
黒猫ががつがつとえさを食べる様子をしゃがんで見ていたら、仕事先の、お顔だけは存じ上げている外国人男性が近づいてきて「ワタシノ猫ミタイデスネ」と言って、“Blacky”と、その猫を呼びつつ、じゃらしていた。黒ちゃんってことだな。
あとでちょっと調べたらこの仕事先には2匹のノラ猫がいるらしく、ちゃんと気にかけているスタッフの方もあるようだった。黒猫はメスだったのだけれど、ちゃんと避妊手術もしてあるらしい。しかも、身体が小さいのでてっきり子猫だとばかり思っていたが、どうも2歳か3歳くらいにはなっているらしい。推定体重はのいの約半分?


その後、生協の共同購入の品物を取りに行って、実家で分けていると、電話がかかってきた。
今日は祖父の命日なので、お寺さんがいらっしゃる日なのだった。いつもなら祖母がいるのだけれど、叔母のところへ行っているので共働きの家には誰もいなくて、のいがいるから鍵がかかっているし(鍵がかかっていなければ中に入ってお経をあげていってもらうこともアリ、というのは田舎ならでは)。お寺さんは、いったん帰ってきたけれどどうしましょうか、とのこと。母は忙しいし、とっさに、「では今から来てください」と言ってみた。
が、お布施はどのくらい包めばいいのか?
とりあえず母に聞いてみようと思って職場に電話したら、母は出かけていて留守だった。携帯もつながらず。たまたま電話に出た知り合いにアドバイスを受けつつ、さー困ったな、と思った。
こういう時はばあちゃんに聞けばよいのだ。福岡の叔母の家に電話をかけ、祖母にかわってもらって問題は解決。仏壇の花を生けかえ、お供えのお菓子とお茶菓子とお茶をバタバタと準備した。
私がバタバタしていたらのいも一緒にバタバタ走っていた。

こういう時に普段の心得が出るんだよな。私は何事も雑でいけない。
それから、りー実家の命日(お寺さんがいらっしゃる日)くらいは聞いておこうと思った。

26日の午後にはばあちゃんが帰ってくるからね。>のい

2003年04月15日(火)



 花の宴

クウネル3号買う。
パンケーキ競争、いいぞ。
でも、プレゼントの応募券はかわいすぎて切り取れないんじゃないか。そういう場合はどうすればいいんだ?

Nさんからのハガキが届いて映画上映会に行って飲み会に行って。
映画は郊外のシネコンにて。JICA北陸の特別上映会である。作品は『運動靴と赤い金魚』。青年海外協力隊その他活動のPRもあった。

週末だし桜の花は満開だし、街中はお祭りのように人がいっぱいいた。こんなこと、富山では珍しいのだ。
松山よりやざさんを交え飲み会。今までは「帰省」だったけれど、この3月でお父様が定年を迎えられたため、富山の家はもうすぐなくなってしまう。また富山にいらっしゃることはありそうだけれど、とりあえず帰省としてはこれが最後、ということで。途中からF氏も参加。
翌日に持ち越さない酒量でたのしむ。生ビール大きめのグラス(ジョッキではないから)に1杯、梅酒ソーダ1杯、お店を移ってジントニック1杯。もうちょっと飲みたい感じなんだけれども止す。もちろん体調にもよる。
りー氏は「ホタルイカの釜揚げ」なるメニューがいたく気に入った様子。醤油のきいたおつゆにアサツキと共に泳いでいるホタルイカ。

2時頃帰宅。

2003年04月11日(金)



 桜満開

ちょうど今がいい感じの富山市近辺であります。

朝イチで仕事(早々に終了)。本屋さんに寄って帰る。
また雑誌を3冊買っちゃったよー。最近の買い方は我ながらよくないと思う。
まあ、面白そうなのもあったのだけれど。

なんか久しぶりに歩いた気がするな。
お天気もいいし、とてもいい気分だ。



帰宅してお礼状1枚書く。

心待ちにしていた桜が咲き、楽しくほがらかな頃となりました。
先日の集まりではたいへんお世話になりありがとうございました。その節に頂戴したカタログより選んだ注文したお品が、昨日早速到着いたしました。カタログにはたくさん掲載されておりましたので、選ぶのにとても迷いました。
届いたばかりの充電式ドリルとドライバーのセットを見てI(注・りー氏の姓)は目を輝かせ、これでたくさん本棚が作れる!と大喜びしております。本当にありがとうございました。
どうか皆様お揃いでお元気にお過ごし下さいませ。ご報告かたがた、まずはお礼申し上げます。

とかなんとか。
本棚ばっかりたくさんあってもー。
じゃあ中身も買えばいい!(瞳キラーン)というのはなしで(そっちは供給過剰)。

増やしたハードの分だけソフトも増えるのがいやなのだ。



午後はお手伝いに行ったり人に会ったり。
そういえば仕事先に映画上映会の案内が貼ってあった。月に1回、木曜日の夕方に上映するらしい(昨年もそういう企画があったが、今年もやるようだ)。おそらくビデオを大きなスクリーンで観るのだろう。
今日の映画は「ナビィの恋」。おばぁ(平良とみ)が全国的にブレイクするきっかけになった作品ではなかったか。最近、映画を観たい気持が盛り上がっているところに、『relax』の今月号(沖縄特集)でも彼女を見たばかりときていたので、行けたら行きたいかも、と思ったけれど、久しぶりの人と会っていたらそんな時間はとっくに超過してしまった。まあ、それはそれでいいのだ。

本日の到来物。

▼K嬢よりおいしいパンとお菓子。
リフレクソロジーを勉強している友人というのは彼女のことだが、先日受験した資格試験に無事合格したと聞く。練習台としても嬉しい。
当分は今の仕事をしながら、休日や時間の取れる時などに、自宅で少しずつそちらの仕事もはじめていきたいと言っていた。

▼ニュイカフェのオーナー夫妻より、オーブンミトン@武蔵小金井の焼菓子。
研修旅行みやげ。ただいまタルトのレシピ探求中のおふたりに、このお店をおすすめしてみたのだった。



夜中に目が覚めた。久しぶりに、のいがお世話になっている西尾先生のサイトを拝見した。コラムが更新されていた。
読んだらなんだかくらあい気持に。よりによって西尾先生のところにそんなこと尋ねてくるかなあ。いや、どこに尋ねるかは問題でないだろう。そういう行動を起こそうとする人がいることは事実だ。
迷惑をかけたりしているのかなー。でもつらいなー。
ほんとうに、どうすればいいのだろう、と私も思う。生半可な自分。

と思いながらまた眠ったら子猫が迷いこんでくる夢を見た。雨の中。
白黒と白茶の2匹。

2003年04月10日(木)



 続・猫のへそ その他

芽吹きの季節。
梅の花は散り、その後には小さな葉が見えている。拙宅縁側のキウイ(メス)も、やわらかいうすみどりの葉を出している。
ところが同じく縁側のブドウはうんともすんともだ。去年、虫がたくさんついてしまったので、りー氏が思い切ってバッサリやったきり。
「切りすぎたかな(涙)」


髪を切って車を点検してもらって定期購読の雑誌を取りに行って(+他の雑誌も買って)久しぶりに猫と犬のいるカフェに行った。
そこで猫のへそを見た。
ついでに猫のチチも見た。オスにもチチがある。人間のオスにもチチはあるが、猫のオスにチチがあると「!」な気持になるのはなぜだろう。

となるとのいのへそとチチも見たいものである。
ただし、へそを見せてくれた猫(ルークという)が人間に換算して70歳ほどの年配であるのに対し、のいは18歳である。とてもまともな状態では見せてくれないだろう。おなかをいっぱいにして、ねむねむな時にでなければとても。

のいのへそが見たい(=よその猫では意味がない)」とりー氏は言っていた。

夜、りー氏が帰宅してから以上の事柄を自慢気に報告した。
1.猫のへそを見たこと。
2.猫のオスにもチチがあること。
である。
1に関しては、「どうやって見たんよ」と言った。
2に関しては、知っとった? と私が興奮気味に言うと、こともなげに「知っとった。6個ついとる」と言われてしまった。
なんで知っとるのよ(しかも個数まで)。
「だって、小さい時からおったもん」
何が。
「のい」
なにあんた、子猫ひっくり返してチチを確認しとったわけ?(しかも数まで)
「ころっころっころっところがしてみた」
何見とるもんやら。

だが、そう言われてみたら私も見たような気がしてきた。
半信半疑だったんだな。

でもへそは見えなかったそうな。

のいの機嫌をみはからって、いよいよおなかを見たくなった。

2003年04月09日(水)



 筆箱の中

妙な時間に目が覚めてしまって日記なんか書いてみたり。

「ペンケース」というより「筆箱」と言ったほうが私の耳にはなじみます。
というわけで(どういうわけよ)新学期特別企画(嘘)。
「化粧ポーチの中身拝見」という企画があったりしますが、今日は私のペンケースの中身を披露します。

▼シャープペンシルとそのなかま
ゼブラエアフィット
メーカー不明(細め)
三菱Hi-uni HB0.5(換え芯)

▼ボールペン
メーカー不明(三菱? 細め 赤)
ボールペン(黒・東京ドームホテルのノベルティグッズ)

▼サインペン類
三菱ユニボール シグノ極細(黒)
三菱ユニボール シグノRT0.38(ブルーブラック)
パイロットハイテックC0.3(ブルー)
同(グリーン)

▼蛍光ペン
ゼブラOPTEX(オレンジ)

▼消すもの
トンボMONO もっとかる〜く消せる消しゴム
セーラー エコノミー修正字消しペンスーパー1.0mm

▼のり
トンボ 消えいろPIT S

▼カッター
オルファ

▼付箋
ニチバン ポイントメモ(15mm×45mm100枚・5冊入り)
住友スリーエム ポストイット(フラッグ フィルムスリム見出し/6mm×44mm180枚・9色)

▼時計(元はりー氏の物。バンドが取れているけれど時間は正確)

▼認印(いつも2種類入っているはずなのに1種類しか入ってない。なぜだ!)
朱肉ホルダー付き

▼小さいお守り2種(何となく)

・ペンケースは布製(中は防水加工)でファスナーのついた大きめのものですが、以上の物が入るともう満員状態。
・普段メモを取ったりする時なんかはサインペン(シグノ極細ばんざい)やボールペンを使うことが多いです。なので消しゴム替わりの修正液が欠かせません。テープタイプの修正液(?)もありますが、あれ、力が入りすぎるのか、あんまり上手に出来ないので(それにかさばるし)、液状のペン状になった物を持ち歩いています。
・今日は入っていませんが、物差しやメジャーが入っていることもあります。
・いやしかし認印1つはどこにいったんだろ。



そういえば日曜日に買った本のリスト(というほどのこともない)から1冊抜けていました。

▼こどものとも012 2003年5月号
長新太「にらめっこしましょ」

長新太好きなので。



日曜日にぱぴさんから頂いたおみやげ(オッジ@目黒のショコラ・デ・ショコラ)がとても美味しい。
羽田でも買えるようになったのは知っていたけれど、食べたのは初めて。スパイス(胡椒とかシナモンが入っている模様)が効いた個性的な味がとても気に入りました。ねっとりとしていてまるで生チョコのようです。今まで食べたガトー・ショコラorチョコレートケーキ類(そんなに食べてはいない)の中でいちばん好きだー。
ちょっとずつ切って食べています。ぱぴさんありがとう(^^)

2003年04月08日(火)



 休日

お昼、りー氏とフェルヴェールへ。
ぱぴさんとなんちゃんさん(以下敬称略でなんちゃんと称す)とお会いする。ようこそ。
金沢方面(正確には東京&広島)からいらしたお2人の方が先に到着されていた。私たちもやや遅れてお店の中に入る。ケーキのショーケースを真剣に吟味する人あり、ひょっとしてなんちゃん?と無根拠に思いつつ、カフェの中にはぱぴさんひとりの後ろ姿が。なんちゃんさんとお会いするのは初めてながら、無根拠な推定は当たっていたようだ。
フェルヴェールは卵屋さんが開いているショップ&カフェレストランである。オムライスやらハッシュドビーフやらカスタードプリンやら卵色したソフトクリームやらがテーブルに並ぶ。
食後はショップでそれぞれにお買い物をした。食事をしたら卵半パックをもらった。

それから氷見へ。
氷見の方はあまり明るくないが、とりあえず道の駅をひやかしてみる。りー氏は話のねたにキティちゃんホタルイカせんべいを買う(知り合いの方の会社で出しているとのこと)ホタルイカが丸ごとプレスされている代物。10枚入り500円。
できるだけ海に近い道を選んで走る。でも注意しないと行き止まりになってしまうのだ。地図を見ているにも関わらず。
それから、この2日間、食べて食べて食べている、というお二人を、更に回転寿司のお店にお連れする。
富山に来て「きときと寿司」に連れて行かれる人は多いようだ。回転寿司のお店で、本店は氷見である。かつて石川に住んでいたことのあるなんちゃんは、石川のきときと寿司に行ったことがあるそうだ。今回も行こうとしたら無くなっていてショックを受けた、とおっしゃっていたので、本店たる氷見の店にお連れする。もっとも、皆ついさっき昼食を食べたばかりなので、さすがに控えめではあった。
富山の名物って、という話をしているうちに、なんちゃんがラーメン好きであることを知る。りー氏ががぜん元気になる。今回はさすがにおなかがいっぱいで無理のようだけれど、次回はぜひラーメン屋にご案内しますよ、と約束する。



お二人と別れて再び富山方面へ。
本屋に行く。雑誌を3点購入。

▼『小説新潮』4月号(新潮社)/特集:山口瞳再入門−−「礼儀作法」の師匠
ちょっと独特の発想をする人だけれど、一時期まとめて読んでいた。国立に住んでいらしたので、地元の文学みたいな意味もあった。
私の中ではりー父さんと重なる人。単純に髪型−−というかなんというか−−が似ているからか?(それだけでもないような。)
▼『en-taxi』創刊号(柳美里 福田和也 坪内祐三 リリー・フランキー/責任編集、扶桑社)
松浦理英子の短編と、小林信彦×野坂昭如の対談読みたさに。
中には、なんかやっぱり好きじゃないかも、と思うものもあったが、それをさておいても全般的には面白い人選と切り口。だけどいかにも廃刊になりそうな。

小説雑誌というのは普段あまり買わないので(追悼号をたまに買うくらい)ちょっと珍しいなあと自分でも思う。

▼季刊『猫びより』春号(日本出版社)
『猫の手帖』に飽きたらず。
難点は、見ていると「のい〜」と思ってしまうことだ。

最近ちっともやる気が出ないのに、読みたいものは買って、どうするよー。
と思いつつ猫の写真を眺める。

りー氏がどんな本を買ってきたかは知らないけれど、上の2冊はページを開こうともしていないけれど、猫本は「だらだ」と言いつつやはり見ていたことをここに報告します。



久しぶりにそば屋でそばを食べた。初めて行ったお店。そば湯も美味しくて満足。最初にそば茶が出てきたのもよかった(煎茶とかじゃなくて)。
またそば屋で飲みたいな。



あんまりなタイトルだけど、今日はお休みの日っぽかったなあと思ったので。>休日

2003年04月06日(日)



 鳥のような花・猫のへそ

木蓮の花。気がついたら咲いていた。
まだ開いていない白い花が垂直方向についている。なんだか白い鳥がたくさん木に止まっているように見える。
鳥みたい、って、どこかで誰かも言っていた気がするのだけれど、それがどこで誰の話だったか思い出せない。
「母親は『ハンカチみたいだ』って言っとったけど」

今度国立に行ったらぜひ立ち寄ってみたいTeteというギャラリー+カフェで、「猫の手紙」という写真展をやっているらしい。会期は4日から9日までと短いのがとても残念(すごく長かったら行かれたかも知れないけれど)。
国立の桜の時期にあわせたのかな。

そういえばこの間実家に行ったとき、のいを体重計に乗せてみたら5kgあった。
オスの成猫としてはさほどめずらしくもない重さなのかもしれないが、獣医さんには「頭の大きさから言って4kgが目標」と言われているので、重い。真上から真後ろから見てもすらりとはしていない。たっぷり。
「のうみそ小さいからな」
と言うりー氏に、そりゃ最初に餌付けした人に似るんじゃないの、と言ったら、
「猫のへそってどこだろう」
と言い出した。面白い疑問だが、なぜそういうことを思いついたのか、それはりー氏にしかわからない回路があるらしい。

2003年04月05日(土)



 

桜の開花宣言。
市立図書館に入ろうとしたのだけれど、テレビ局の中継車やら、隣りの城趾公園で始まったチンドンコンクール目当ての車やらで駐車場が満車で入れず。
ということは明日も明後日もだめってことか。

朝、母からの電話で目が覚める。
(春は眠い。)
用件は、のいが−−最近母からの電話というと、猫の話ばかりだ−−昨日、後ろ足の裏にうんこをくっつけていて帰ってきてみたらちょっと大変だったのだが、今朝もどうも踏んづけてしまってくっつけてしまったようだ、しかし今朝は早く出勤しなくてはならないので世話をしている暇がない、ついてはなるべく早く様子を見に来てくれないだろうか、という用件。
下痢をしているわけではないのね? と確かめる。
「自分でなめてきれいにするかねえ。でももしついていたら、お風呂場で洗ってやって」
幸い、今日、特に予定は入っていない。りー氏を送り出してから支度をし、実家へ向かった。

足の裏を見てみたけれど、そして部屋のにおいもくんくん嗅いでみたけれど、けしからぬものはなかった。
四月一日、と書いて「わたぬき」と読む姓の人があるそうだが、のいも衣替えの最中だ。綿を抜いて衣替え。ただしわたぬきさんの4月は旧暦だろうから、今でいう6月頃の感じになる。動物の夏は早いのか。撫でたら撫でただけ毛が抜ける。
ダイニングの床に座ると、のばした足の上に乗りながら、私の顔を一所懸命なめる。その舌は足の裏をきれいにしたのと同じ舌、とか、いろいろ考えるのはよそう。
ごはんを食べた直後になめられると肉っぽいにおいがする。

こないだしーちゃんに会った時、「猫写真のある日にしるしをつけておいてくれるとありがたい」というようなことを言われた。実は私も時々そんなことを思う。

それにしても今日は本当に眠かった。



昔撮った写真を久しぶりに見る。今から2〜3年くらい前の写真のいろいろ。もちろん結婚する前のこと。
りー氏がやせている。今より5kgくらい細い。
ぱぴさんが「宮藤官九郎に似ている」と言っていたけど、と言ったら、「よく言われる」とのこと。昔の雰囲気だと確かに骨格的に似ているかも知れない。あちら様は歯並びが悪くて、こちらは歯が出ている。そして、あちら様は少年のようだけれど、こちらはオヤジを自認。
その中に珍しく2人で写っている写真が。撮影はYさんかKさんか。



1999年10月中旬の写真。
りー氏は「歯が出ているからいやだ」と言うけれど、もともと出ているんだからしょうがないじゃないか。私の方も歯茎が出ているからおあいこだ。
これまた珍しく2人とも笑っている。この時点ではまだ、隣りの人と結婚することを知りません(お互いに)。

2003年04月04日(金)



 人ごととは思えない

私はけっこうばかばかしいものが好きです。
もういい大人なので、さすがに持ち物も大人らしいものを選ぶようにしていますが(なるべく)、しかしそれでも、時々ちょっと(だけ)買ってしまいます。

このあいだ、サンエックス(「たれぱんだ」や「にゃんこレストラン」で有名)のサイトを見ていたら、リラックマというキャラクターを発見しました。
感ずるところがあり、今日、文房具店に行った時、メモ帳をゲットしてきました。

どういうクマかというと、かなりだらだらしているクマです。
常に寝ているような。
ときどき、「だらだらしてないもん」と、しゃきーん(でも無理っぽい)としてみたりするような。でも気がつけば背中の縫い目がほどけているような。

どうせ「だらだ」と言われるだろうと思ったけれど、りー氏にも見せてあげました。
やっぱり「だらだ」と言われたけれど、でも、「人ごととは思えない」とも言っていました。そうだろうそうだそう。だらだら夫婦。

じつは「にゃんこレストラン」とかも気になるんですが(猫好きだし)、どの程度キャラクターものを日常生活にしのばせるかは頭を悩ませるところです。
日常使いのものについては模様が入っていない方が好きだったりもします。なおかつ物は増やしたくない。でもキャラクターものは処分するに忍びない。買うならせいぜい消耗品に限られるだろうか、と思ってはいるのですが。メモ帳やレターセット(!)を買ってみるくらいです。

矛盾の多い人間であることよ(こんなオチのはずでは)。

2003年04月02日(水)
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