酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2005年09月30日(金) 『禅定の弓 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学教室の大学院生・伊月崇は、高槻市内で連続する小動物殺害事件に憤っていた。幼馴染で刑事の筧と共に拾った猫をししゃもと名づけ、可愛がっている崇は小さな命を慈しむ優しさがある。そこへ解剖が入り、焼死体と思われていた老人の遺体が死んでから火災に遭ったことに気づく。全く関係のないと思われていたふたつの事件がクロスした時、見えてきた真相とは・・・

 さてさて“今の段階で”出ている鬼籍通覧シリーズはここまでです。噂では年内に鬼籍通覧を出せと担当さんから椹野道流さんは言われているとか、いないとか(笑)。これって1年以上前に出たんですものねぇ。果たして年に一度のインターバルを守れるか、否かっ!? 早く出して欲しいのはファンの心でありますが、生み出す苦しみは大きそうなので、あまり言えないかしらん。でも読みたい(本音)v
 この『禅定の弓』を初読みした時に、肩透かしだった記憶があります。今回鬼籍通覧シリーズを通して読んで、その勝手な肩透かしの訳がわかりました。ひとつには鬼籍通覧にオカルトものを求めすぎていたこと。最初がそちら路線だったのでインパクトが強かったための思い込みでした。もうひとつは伏野ミチル姉さんが脇すぎて、伊月崇と筧が全面過ぎると感じたこと。これは本当に私がミチル姉さんを主軸に捉えすぎていたせいでした。はじめからこのシリーズの主は崇なんですよね。間をあけて読むと自分の勝手なイメージ膨らませすぎてだめだわ〜。反省。
 今回の物語にも人間の抱えている闇が浮き彫りにされています。犯人たちの姿や動機が見えてきたとき、やっぱりなんとも胸に苦しいしこりが残りました。崇や筧のような心優しき人間ばかりじゃないからなぁ・・・。
 前作に続き、ダイスキな都筑教授はタイトルの意味を崇に教えています。都筑教授とミチル姉さんと龍村さんに鍛えられて崇は本当に幸せものだわー。

「そういうこっちゃ。智恵言うても勉強だけとは限らん。人間は生きていくうちに、色んな経験をして、その人なりの『慧の矢』を手に入れるんやろう。けど、今の世の中、その智恵を正しゅう生かすための『禅定の弓』を手に入れるんが、ホンマに難しいんかもしれへんな」

『禅定の弓 鬼籍通覧』 2004.7.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月29日(木) 『隻手の声 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学教室の大学院生・伊月崇は、幼馴染の筧の部屋でAWというネットゲームにはまってしまう。ゲームで知り合ったブルーズというプレイヤーのことが気にかかって仕方ない。リアルでは、都筑教授とミチル姉さんの可愛い子には旅をさせよ(?)的考えで崇は週に一度兵庫県監察医務室・龍村泰彦のもとに修行に出されることとなる。迫力満点の龍村の元で負けん気だけは強い崇が見つけてしまった赤ん坊の死因とは・・・

 鬼籍通覧の4作目です。司法解剖だけでなく、行政解剖もこなせた方が崇のためだと都筑教授とミチル姉さんは崇を龍村のもとへ修行に行かせることにします。崇は龍村のことがトッテモ苦手(笑)。龍村にもまれて崇は成長していくのでしょうね。またこれでスムーズに龍村さんが登場しやすくなるってもんですねーv 都筑教授と龍村さんというタイプは違えど“いい男”から色々学べてうらやましいぞ>崇v がんばれ(笑)>崇
 今回もタイトルが示す「隻手の声」の主のことがわかった時に、切なくなってしまいました。心の目で見て心の耳で聞く・・・。前三作ではタイトルの示す言葉を都筑教授がミチル姉さんに話してくださっていましたが、今回は崇に向って。ここが方向転換だったのかなぁ・・・。

「せや。相手の姿を心の目で見て、相手の声を心の耳で聞こうとせなアカンの違うか。僕にはま、ようわからん話ではあるけど、あんまり焦ったらことをし損じるで」

『隻手の声 鬼籍通覧』 2002.9.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月28日(水) 『壺中の天 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学室に伊月崇がへろへろになって現れた。昨日、幼馴染で刑事の筧とゲーセンのDDR(ダンス・ダンス・レボリューション)で奮闘しすぎたらしい。その昼に都筑教授とミチルと崇が昼食に出かけ、そのゲーセンを通りかかると事件に遭遇。奇しくもDDRの台の上に若い女性が失血多量で倒れていた。昼食から戻ったら解剖か、とため息混じりに教室に戻った彼らに届いた知らせは「ホトケが消えた」と言うものだった・・・

 都筑教授とミチルさんと崇が見て死を確認したはずのホトケさんが、極楽袋から消えた。世にも奇妙な現象から彼らが辿りつく事件のあらましは、なんとも言えず不思議で身につまされるものでした。タイトルの壺中の天の意味するところがなんともねぇ。やるせなくって。この回から兵庫県監察医の我らが龍村泰彦が登場v ミチルさんと同期のお友達。奇談シリーズとのリンクも楽しめます。龍村さんって素敵なバイプレイヤーだわ〜。あと筧と崇が面倒を見ることになる猫のししゃもも出てきます。ししゃもってネーミングにはやっぱり笑えてしまう。
 この鬼籍通覧シリーズは(巻末で椹野道流さんが述べられていますが)、なかなか難産の末に生まれる作品のようです。書かれている文章を読ませていただいていると、作家さん自身が少し見えてくる気がします。椹野道流さんの場合、サラッと書いているようでずいぶんと考えながら書かれているんだなってことがしっかりと伝わってきます。なんて言うんだろう。言葉に対する責任感を教えてくださるんですよね。だから登場するキャラたちも決して軽くない。文は人なりってこういうことなのだろうなぁ。

「ええもんやなあ・・・・・・。あんな事件のあった墓場で、新しい命を拾うて来るとは。何や、命は巡るっちゅう説を、信じたくなるわな」

『壺中の天 鬼籍通覧』 2001.6.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月27日(火) 『無明の闇 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学室にミチルの法則がというものがある。今回は「同じ種類の解剖は続く」という法則が当たってしまい、赤ん坊の解剖が続いてしまう。そしていつもはクールで優しいミチルの様子がおかしいことに崇は気づき、自分の国家試験合格発表結果は友達に知らせてもらうように頼み、解剖に戻る。ミチルの様子がおかしい原因は、ミチルが子どもの頃に発生したひき逃げ事故にあったのだが・・・

 伊月崇の姉さん格のミチルさんの様子がおかしい。その原因となる過去の事件が今回恐ろしいことと共に解明されます。こういう人間の闇と恐怖との絡め方が本当に絶妙だなぁと思います。これってシリーズで映像化の話がないのかしら。ミチルさんや崇やダイスキな都筑教授を映像で見てみたいなぁ(願望)v キャラクターがいいから、素敵だと思うのだけど。
 人間は誰しも心に闇を抱えていると思うのです。その内なる闇を育てないように心を正して生きなきゃなぁなーんて思いました。このシリーズは本当にどれもスキなのですケレドモ、これが一番スキかもしれない。今のところ。

「うん。たとえば、僕がここで君に、小さな嘘をつくとするやん。そんなんで、法は僕を罰されへんやろ? せやけど、もしその嘘で君を傷つけたら、そのことで僕はきっと密かに苦しむことになるやろうな。そういうのも確かな罰やと、僕は思うねん。・・・・・そういう良心の裁き、っちゅうんは、どんな奴にでもあるん違うかな」

『無明の闇 鬼籍通覧』 2000.3.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月26日(月) 『暁天の星 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市にあるO医科大学の法医学室は、都筑教授、助手・伏野ミチル、技師長・清田、技術員・森陽一郎、秘書・住岡峯子という少数精鋭スタッフ。そこに大学院生として伊月崇が入ってきた。崇は、遺体解剖の場で刑事となった幼馴染・筧兼継と偶然に再会。彼らは続けて共通点のある遺体を解剖することになり、彼女達の接点を辿るうちに昔に起こった悲惨な事件が全貌をあらわし・・・

 鬼籍通覧シリーズを知り合いから教えてもらい、ハジメテこの『暁天の星』を読んだ時にゾゾゾと鳥肌が立ったことを覚えています。もともとミステリーを読む、とかジャンル分けして読むタイプではないのですが、こういう“落とし”をされるとは全く予想出来なかったですね。ゾクゾクさせる展開と見事な恐怖落ちにはノックアウトされました。本当にいろんな意味でこの物語は怖かった・・・。でも、内容の落ちて行く場所の怖さと反対に登場人物たちがほんわか温かくて、うまいなぁと思うのであります。温かい中に落とされる一点の墨汁の染みのような怖さ、これって難しいことですもん。新刊を待ち望む大好きなシリーズのひとつなのでありますv ちなみに都筑教授が大好き(ポ)w

「解剖すれば何でもわかる、そう思うことこそ傲慢と違うかな。人間いうんは、そんな簡単なもんやろか? 解剖しても、心はどこにあるかなんてわからへんやんか」

『暁天の星 鬼籍通覧』 1999.6.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月25日(日) 『埋み火』 日明恩

 売り言葉に買い言葉で消防士になった雄大。消防士はお金を稼ぐ仕事と割り切りつつ、実は熱血でさまざまなことに首をつっこむ。不審な老人世帯連続火災の真相に雄大が辿り着くのだが・・・

 雄大くんは恵まれた青年で、だからこそ彼の表面はクールなところに反感を持つ人が登場します。あぁ、なるほどねぇ、と思いました。雄大にしてみれば、望むと望まざるに関わらず、生まれつき手にしていた資質。それを妬まれたってねぇ。でも望んでも手に入らなかった者にしてみれば嫉妬の対象となりうるんだ。生きてくって大変だー。
 老人達の相次ぐ失火による火災の真相は、なんとも心にイタイものでありました。自分の生を生きるということを考えさせられました。ものすごく。雄大くんは死にたきゃ死ね(関係各位の承諾を得られれば)と言う言葉には納得できないケレドモ。言いたいことも言っていることもわかるけど・・・そういうふうに自殺について書いて欲しくはなかったの。なんだかね、哀しすぎて。

 想像力がないってホント、困る。

『埋み火』 2005.8.20. 日明恩 講談社



2005年09月23日(金) 漫画『隣人13号』 井上三太 ※思いっきりネタバレあります!

裁くは天にあらず、
罰するは我なり!
他人(ひと)は何もやってくれない、
だったらオレが殺(や)って復讐(や)る!
 
 漫画の3巻の背表紙に↑この言葉載っています。要するに子どもの頃にいじめられた村崎十三という青年が、いじめっこだった赤井トールに復讐をすると言う物語。十三は、いたっておとなしく温厚な好青年なのに、赤井トールたちにいじめられた怨みや怒りから13号という別人格が生まれ、13号が暴走をしていき、十三は13号に振り回されてしまう。自分から生まれた感情の化け物が暴走し、自分の一部を制御できず、乗っ取られてしまう。うーん、漫画でもう少し十三と13号の心情を描いて欲しいと言うのが無理なのかしら。
 これは映画化された『隣人13号』で狂気の13号を中村獅童さんが演じられ、それを観たかった!という思いが、漫画に走らせました。漫画のラストをどう判断すればいいのか?と言う疑問と共にアチコチ彷徨ってみましたが、漫画も映画も賛否両論で、ラストもずいぶん違うらしいですねぇ。なんとか映画を観なければ。
 こういう復讐もののバイオレンスを面白いと言ってしまうには語弊があると言うか、問題なのだろうなと思います。ただ、いじめられた側の怨みツラミが増大し、復讐するは我にあり、と言う展開はわからないではないです。子どもの頃のいじめっ子だった赤井が、十三が子どもの頃にいじめていた男で、それが自分への復讐原因だと知った時に「何年前の話だよ 一体・・・・・・」とゾォ〜っとする場面があります。問題はコレなんですよね。この想像力のなさ。この赤井トールはやりたい放題でやってきて今は幸せな家庭を築き、家族をオレが守る!とか言ってるケレドモ、自分がガキ(失礼)だった頃には、いじめられる側のことを想像も出来ない馬鹿だった。まぁ、漫画のラストでは十三に詫びて、妙なエンディングを迎える訳ですが。
 なんだかなぁ。いじめられる方も悪いナンテこともよく聞きます。それってどうなんでしょう。弱いものや憎い(もしくは羨ましい)ものを虐げるって人間の本能に組み込まれている気がして。みなさん御一緒に仲良く楽しくやりましょう、なんてことが絶対的に不可能であることだけは生きてきた年月でわかってしまった。だから私は弱きものに強くなれと言いたいです。強靭になり、いじめに屈するな、と。身と心を守れるだけのものを身につけなさい。法律や常識から逸脱しない範囲で己の身は己で守らなければ。誰も守ってくれやしないから。
 復讐を認めることはしないケレドモ、復讐したいほどの怒りや怨みが存在する事は痛いほどによくワカルから。
 ・・・なに書いてるのかよくわからなくなってきた。
 とにかくすごい漫画だった。オススメはしない。

『隣人13号』� 銑� 井上三太 幻冬舎コミックス



2005年09月22日(木) 『女王様と私』 歌野晶午

 僕・真藤数馬は親に寄生しているオタクなロリ男。ロリロリフィギュアの絵夢は僕の愛しい妹。これからブレイクする極秘スポット日暮里で絵夢とデート中に《女王様》に捕獲される。僕の性格(性癖)を見抜き、奴隷のように扱う《女王様》は12歳のかわいい女の子だった・・・

 いやぁ〜、驚きましたv 歌野晶午さんに入れ込んでない程度のファンでヨカッタ。だからこそ驚きつつもトッテモ楽しめました。これっていろんな意味で問題作でしょうし、賛否両論の嵐でしょうねぇ。しかたない、この物語では。
 数馬の年齢が明らかにされた時が一番驚きましたネ。あとは真ん中あたりから仕掛けの持っていき方に想像がつきました。それでもここまでひっくり返されるとは思ってなかった。だからやっぱりやられちゃったし、面白かったなと思います。
 ただイマドキの小学六年生の女の子達の実態が本当にこういう子たちが存在するならば・・・怖すぎる。「女王の教室」で真矢に鍛え直してもらうべきです(笑)v 女の子の早熟さってホント危険だよなぁ。

『女王様と私』 2005.8.31. 歌野晶午 角川書店



2005年09月21日(水) 『NO.6 #4』 あさのあつこ

 紫苑は、幼馴染の沙布が捕らえられたNO.6内の矯正施設へ救出に行くべく画策。ネズミとイヌカシと力河の助けを借り、お忍びでNO.6から西ブロックへ抜け出てくる高官・富良を罠に嵌め、情報を得ようとする。拷問で口を割らせようとするネズミに対し、紫苑は優しさで富良から貴重な情報を得る。イヌカシはその流れを見てまるで「北風と太陽」だと揶揄する。紫苑が太陽であることを確信犯的に利用した北風のネズミは、NO.6で育った超エリートで天然の紫苑のことななら、なんでも知り抜いた気でいたのだが、紫苑の中に潜む何か異質なものに気づき・・・

 や〜、やっと出ました。今年の頭に#1〜#3まで一気読みをして、#4の出る日の長かったこと。待ちくたびれちゃった。待ちくたびれちゃったけど、また展開がえらいゆるい(大笑)! ゆるゆると新刊を待ち、妄想たくましく楽しむほかないようでありまする。
 しかし、これって児童書の部類に入るのですよね? ・・・いいのかなぁ。舞台が近未来サスペンスでハラハラどきどきものだから、なんとなく読み流す事も出来そうだけど・・・でも紫苑ってば思いっきり告白してますもん。まるっきりボブ(ボーイズラブ)じゃーん。まぁ、読み手としてはますます妄想を逞しくできて楽しいですけど。うふふ。
 
 何という直截な、あからさまな、愚かな告白であることか。己の愚かさを、女々しさを、脆弱さを、さらけ出してしまう過ちを紫苑は、今、犯しているのだ。しかし、ネズミはそれを嘲笑うことも軽蔑することもできなかった。まっすぐさに心を打たれたからではない。告白の甘さに心を動かされたからでもない。
 こいつは・・・・・・いったい・・・・・・誰だ?

『NO.6 #4』 2005.8.22. あさのあつこ 講談社



2005年09月20日(火) 『おまけのこ』 畠中恵

 廻船問屋長崎屋の若だんなは今日も元気に病人生活(笑)。周りから舐めるように大事にされている。大妖の血を受け継ぐ若だんなはいつも妖怪がらみの事件に巻き込まれてしまう。今回はナント若だんなが吉原デビューを果たし・・・!?

 微笑ましい病弱な若だんなと愉快な妖怪たちの物語。5つの物語の中で心に刺さったのは「ありんすこく」でした。若だんなが吉原にデビューしたことも驚きでしたケレドモ(笑)、なにが一番怖いかと言うことをまたしても思い知らされた気がして。こうして若だんなも病弱で世間知らずなりに成長していくのですねぇ。しみじみ・・・。

 人の思いは不可思議だ。若だんなに分からぬ時もある。だが時として胸の内が騒ぐ。日々と共に忘れてゆくその心を、留めたくなる。何かが苦しいほどに、気持ちを揺らすからだ。

『おまけのこ』 2005.8.20. 畠中恵 新潮社



2005年09月15日(木) 『日暮し 上下』 宮部みゆき

 湊屋総右衛門の妻おふじから逃れた葵は、《子盗り鬼》が出るという屋敷に住んでいた。他人を寄せ付けず、訳ありのお六母娘を住み込み手伝いをさせ、ひっそりと暮らす葵。その葵が殺された。下手人は遠い昔に葵が捨てた息子・佐吉!? 佐吉を慕っている弓之助は平四郎とともに真相を探り始めるのだが・・・

 『ぼんくら』で湊屋総右衛門から道化の役を振られた佐吉。それは全て湊屋総右衛門が愛する葵(佐吉の母)を守るためだった・・・とは言え、母親に捨てられたと思い込んで生きてきた佐吉が哀れ。平四郎が言うように全ては湊屋総右衛門とおふじ夫婦に問題があると思うんだけどなぁ。おふじVS葵にしたって、湊屋総右衛門は葵を逃がさずに真っ向から闘わせればよかったのに。葵はそんなにヤワな女じゃなくってよ。空回りするおふじが誰より哀れだったのかもしれない。
 『日暮し』は『ぼんくら』よりずいぶんとダーク。そのぶん弓之助もおでこちゃんも傷つき悩みながら成長していく。救いはそこだわ。きっとこれから先もふたりで助け合って事件を解決していくのでしょう。ふたりの新しい物語を早く読みたいものです。

 それにしてもいい気分だ。釣り台に乗るのは癖になる。寝っ転がって、青空を仰いで、どこでもぶらぶらと運んでもらえるのだから。
 みんな、毎日をこんなふうに暮らせたらいいのになぁ。
 でも、そうはいかねえんだよなぁ。
 一日、一日、積み上げるように。
 てめえで進んでいかないと。おまんまをいただいてさ。
 みんなそうやって日暮しだ。

『日暮し 上下』 2005.1.1. 宮部みゆき 講談社



2005年09月14日(水) 『ぼんくら』 宮部みゆき

 深川北町にある鉄瓶長屋。築地の湊屋総右衛門という前身がハッキリしない男が地主。その日暮しの鉄瓶長屋の住人たちの周りで次々と異変が起こりはじめる。殺し屋が店子を殺し、名物差配人・九兵衛の出奔・降って沸いた壺信仰・・・そして長屋からひとり、またひとりと住人たちが消えていく。同心・井筒平四郎は、養子にしようと考えている美少年・弓之助と共に仲間たちの手を借りながら事件の核心に迫っていくのだがっ!?

 『日暮し』を読み始めて思い立ち、『ぼんくら』を再読。うーん、宮部みゆきはやはりいいっ。グッジョブ★GJ! こういう人情モノを描かせたら右にも左にも出る人はいないのではないのでしょうか。ただただ人がいいと言うわけでなく、人間の汚さ・いやらしさもキッチリ出てくるし。どうにもならないこともあるとさらりと言い放つようなところがたまらず好きですネェ。
 登場人物の魅力は言うに及ばず。ぼんくらな平四郎。美形で頭のいい奥方。渋い差配人に悩める若い差配人・佐吉。隠密の黒豆に驚異の記憶力を持つおでこ。人間誰をも転がしてしまう美少年・弓之助。苦労人のお徳さん・・・キリがにない。
 その中でも私が興味を持ったのはふたりの女。ひとりは春を売る女・おくめ。ニッポンの母・お徳さんと出会えてよかったね〜と思えた女性。人生なんて辛いものと飄々と生きてる風情に惹かれます。もうひとりは佐吉の母・葵。思わせぶりなんだけど正体のない感じが想像力を刺激する。この女いったいなにをどう考えて生きてんだ?と。そしてその思いを晴らしてくれるのか(まだわからないけど)『日暮し』に続く模様。まったくもって宮部はんはソツがない。

「あら、あたし嫌われてるんですか。どうりで、家移りするって言ったらみんな愛想がよくなったわけだわ」
 ケロケロと笑っている。

『ぼんくら』 2000.4.20. 宮部みゆき 講談社



2005年09月13日(火) 『容疑者Xの献身』 東野圭吾

 石神は天才と言われた数学者だが、今は高校教師として生活している。アパートの隣に住む靖子の弁当屋に通う事が唯一の楽しみ。その靖子が犯した事件を石神は庇おうと動き始める・・・

 文藝春秋さんのサイトを見ていたら《担当編集者も連載中最後まで、石神がどういうトリックを仕掛けたか予想すら出来ませんでした》とあり、「ウッソー!」と声が出てしまいました。えっと不肖ワタクシめ、石神の毎日の描写シーンで想像ついちゃったんです。えへん。そんなもんだったので「東野さん今回はいまいち」って思っていたら、周りの反響もすこぶるよいようで・・・。うーん、やっぱりこればっかりはわからないもんだなぁとビックリしたのことでした。はい。

『容疑者Xの献身』 2005.8.30. 東野圭吾 文藝春秋



2005年09月12日(月) 『ホームタウン』 小路幸也

 柾人は北海道の老舗百貨店<三国屋>の顧客管理部特別室に勤務する27歳。部長である。仕事の内容は・・・デパートの探偵。両親が起こした事件が心の傷となり、妹・木実とも離れて暮らしている。その木実から結婚を決意したと手紙が届き、事件発生。三国屋社員の木実の婚約者と木実が相次いで失踪したのだ。柾人はふたりを探すべく行動を起こすのだが・・・。

 小路幸也さんは、今トッテモ好きな作家さんのおひとり。読むたびにどんどん好きになる昇り龍的存在。登場人物の痛みや温かさとタイトルがキッチリ合っていて泣かされてしまうんですよね。今回の登場人物も好きな人だらけ。柾人さんが下宿している家のおばあさんナンテ最高にカッコいい。そんなふうに年を重ねられたら幸せだろうなぁ。柾人と木実の両親の事件が物語の根底に流れていて、そこは悲しく、人は脆くて弱いものだなぁとしんみりさせられた。それさえも最後にひっくり返す当たり、うまい。綺麗事過ぎると言う感想を時々目にするケレドモ、いいじゃない。こんな世の中だからこそ、こんな暖かい人たちの物語で。オススメですv

「その間に、溜まっているものは、少しずつでもいいから吐き出しておきなさい。ぜーんぶ私が墓まで持っていってあげるから」

『ホームタウン』 2005.8.25. 小路幸也 幻冬舎



2005年09月11日(日) 『四月になれば彼女は』 川上健一

 野球で生きていこうと思っていた少年が、肩を壊し夢にやぶれる。そしてそのまま何をしていいのか、何をしたいのかわからないままに高校卒業の時期に。親友や喧嘩相手や初恋の少女と触れ合いながら、少年は少年から一歩大人になろうとする・・・

 東北を舞台にしたアメリカン・グラフティですね。大好きな映画のひとつのアメリカン・グラフティ。大人になる前の日まで少年は少年で。なんだかいいんですよね、心にぐっとくるv 今はもそのすごく幼い時期に大人になってしまう子が多いけれど、生き急ぐことはないのに、と思うのです。高校生くらいまで悩んで馬鹿やって、そして青春の日々に別れを告げればいい。それが若者の特権なんだからさ。

『四月になれば彼女は』 2005.7.25. 川上健一 実業之日本社



2005年09月10日(土) 『その日のまえに』 重松清

 「その日」、自分がこの世を去る「その日」、大切な人がこの世から消える「その日」。自分が愛する人が大切な人が思いがけず早くこの世界から去ってしまう。それは決して特定の誰かに起こることでなく、誰にも起こりうる哀しいこと。「その日」をどう迎えるか、「その日」のあとにどう生きるか。そういうことを切々と教えてくれます。
 私が一番好きだなって思ったのは「ヒア・カムズ・ザ・サン」。母がまだまだ頼りない息子を残して先に逝かなければならなくなった物語。先に逝く人も苦しいけれど、頼りにしていた母親を失うことに呆然とする息子の動揺や成長が微笑ましい。人は誰かが死のうとも、残された者は生きていかなければならないのだから。

 やはり恋旦那を若い時期に亡くした人間としては、こういう物語は激しく心に響きます。でも私も「その日のあとで」いろんな成長をした気がします。生きるということは死と隣り合わせ。自分の死が訪れる「その日」まで、周りに死が訪れようとも自分の「その日」を早めちゃいけない。生きるということはそういうこと。そんなふうに思って生きています。

 泣くなよ、と自分に言い聞かせた。こんなところで泣くのは、迷子になった子どもだけだ。俺はもう子どもじゃない。わんわん泣いておとなに助けてもらうなんて、できない。大事な人とはぐれてしまったら、自分の足で探しに行くしかないのだ。

『その日のまえに』 2005.8.10. 重松清 文藝春秋



2005年09月09日(金) 『ロマンティスト狂い咲き』 小川勝己

 望月は、喫茶店で編集者・内海と打ち合わせ。自信のあったプロットを却下され意気消沈で妄想の世界へ逃げ込む。望月はここのウエイトレスが気に入っていて彼女にあれこれ奉仕させるための物語を考えたりする。そんな妄想を壊す内海の言葉、そのウエイトレスを「うちのカミさんに似ている」・・・と。そう内海の妻であり、他社の編集者である伏見裕子こそ、望月の本当の妄想の相手だった。

 勝手な感覚なのですが、タイトルが『ロマンティスト狂い咲き』より『ロマンティック狂い咲き』の方がよかったな。まぁ、単語の使用法がどうこう言われるとマズイのでしょうけど、なんかその方がますます内容に合った狂いっぷりのような気がして。(どうも歌のタイトルらしいのですが、残念ながらその歌を知らない)
 主人公の売れない作家が妄想の挙句、トンデモナイ行動に出てしまう破滅型ストーリー。こういう自分で自分を窮地に追い込んでしまう人間の物語って意外と多いですよね。破滅願望ってあるのかもしれないなぁ。

『ロマンティスト狂い咲き』 2005.7.31. 小川勝己 早川書房



2005年09月08日(木) 『1303号室』 大石圭

 13階建てのマンション最上階にある2DKの1303号室。駅から近く、1階にはコンビニがある。海が見える最高のロケーションなのに、この部屋の家賃は格安。次々と喜んで入居する若い女たち。しかし、彼女達は数日のうちにベランダから落ちてぐちゃぐちゃになって死んでいくのだった・・・

 この本はなにが怖いかと言うと、表紙の写真が怖すぎです(苦笑)。これって呪怨のアノ女優さんかしら? この表紙を見て「読もうっ!」と手にした兵さんたちに乾杯v
 入居すると飛び降り自殺をする部屋とその隣の部屋の人形のような美少女。この組み合わせはいいです。もう少し美少女についても語って欲しかったかもしれない。それくらい美少女の存在が大きかった。
 内容としては、いかがなものでしょうか。部屋にとりつく女の怨念と言う当たり、名作『呪怨』と同じ設定であるような気も。特定の人間への怨みではなく、たまたまそこへ入居した人間へのとばっちりってところも同じだし。
 ただ、3パターンの母と娘の関係には考えさせられました。娘の稼ぎに依存する母、美しい娘を自分の人形として扱う母、性格がそりあわず娘を厭う母。母親と娘という関係の複雑さ、そこから生まれる悲劇ってカタチはうまかったかもしれません。
 しかし、それだけ店の前に飛び降り死者が落ちてきて、ぐちゃぐちゃに潰れちゃうことが続出すると、1階のコンビにって閉めないものかしら? そこが一番謎と言うか、ホラーだと感じたのでありました。そんなコンビニで買い物なんてできないー。

『1303号室』 2005.8.20. 大石圭 河出書房新書



2005年09月07日(水) 『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイル�掘戞)命更�

 式直男の『仮想民俗学序説』と言う異端の論文の出所《式家文書》を巡り、那智や三國が巻き込まれた殺人事件。式直男の正体と殺人事件の背後に浮かび上がる二人の偉大な・・・

 蓮丈那智フィールドファイルも�靴砲覆蠅泙靴拭�今回のフィールドワークは4つ。どのタイトルもシンプルで興味深いものですが、やはりタイトルともなった「写楽・考」がピカ一でした。冬狐堂もスペシャルゲストですしv 
 歴史というシロモノは、後付想像の産物でしかないのですよね。だから時の権力者によって改竄されている可能性も大きい。ただ歴史として認知しているものが絶対正解ではないのだよなぁ・・・と最近とくに思うのであります。今回の那智が関わったフィールドワークのラストもうまかったですね。「あっ」と言う感じ。タイトルは確かに(どうやら北森鴻さん自身もおっしゃっているようだケレドモ)ストレート過ぎると言うか、ネタバレ過ぎる気もしないではありませんが・・・。

「年寄りの戯言など放っておくがいいさ。どうせ彼らの命数など先が見えている」

『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイル�掘戞�2005.8.20. 北森鴻 新潮社



2005年09月06日(火) 『スイッチを押すとき』 山田悠介

 若年齢層の自殺者が跡を絶たず、政府は青少年自殺抑制プロジェクトを立ち上げた。青少年の深層心理解明のため、無作為に選ばれた子供を高ストレス環境に置き、その精神構造を解明する目的として。選ばれた子供達は赤いスイッチを渡される。苦しまず一瞬にして死ぬ事ができるスイッチ。子供達はいったいどういう精神状態でスイッチを押すのか・・・

 設定はすごくいいのに、軽く読み流せてしまうのは何故なのかしら。展開や落ちも早い時点で想像がついてしまうし、なんだかもったいないなぁ。素材を活かしきれていない感じとでも申しましょうか。
 ただ、内容はヘビィであるケレドモ、意外にさらっと読めると言う点が逆に受けていると言えるのかも知れませんね。あ、やはりゲーム的な感じを受けます。血や肉がついてきたら、この作家さんスゴイかもしれない。

『スイッチを押すとき』 2005.8.15. 山田悠介 文芸社



2005年09月04日(日) 『鳴釜奇談』 椹野道流

 森と敏生のもとに父トーマスからと思われる「十牛図」の第二図が舞い込んできた。森には辛く哀しい過去を思い出させる図に導かれ、二人は岡山県へ赴く事になる。二人が手掛かりとした粋呑(すいとん)という岡山の妖怪をモチーフにした木彫りに秘められていた哀しい物語とは・・・

 森さんと敏生が岡山にやって来た! この嬉しい事実を幸運にも椹野道流さんとお目にかかり、知ることが出来、感動していた6月。そしてなんと言う幸運の流れか、椹野道流さんから登場人物の岡山弁変換を手伝って欲しいという御申し出をいただいたのです。もうファン冥利に尽きますウルウルと喜んで御手伝いさせていただきました。
 椹野道流さんからいただいたのは抜き出した岡山の人間の台詞でした。それを岡山弁に変換しながら、森さんや敏生はどんな岡山の旅をしているのだろうと想像し、なんとも贅沢で幸せな時間を体験させていただいたのですよ。あとがきでは椹野道流さんから謝辞をいただいていて恐縮しきりにございます。こちらこそ貴重な体験をさせていただいてありがとうございました。
 さてさて不気味なパパ・トーマスですが(笑)、私はトッテモ好きな方です。大好きな河合さんと対照的でいいのですよね。森さんと敏生のふたりであれば、パパ・トーマスに立ち向かう事が出来ますねっv

『鳴釜奇談』 2005.9.5. 椹野道流 講談社X文庫



2005年09月01日(木) 『福音の少年』 あさのあつこ

 永見秋帆は図書館で北畠藍子にキスをした。性的な興奮ではない奇妙な感情に支配されそうになった瞬間、確信犯的に闖入してきた傍観者、柏木陽。藍子の幼馴染だった。独特の美しい声を持つ陽に秋帆は惹かれていた。秋帆と藍子と陽。三人の奇妙なバランスは、藍子が死んでしまったことから大きく変わっていく・・・

 ・・・むずかしいなぁ。こんな↑ことじゃないのですよ。この妖しい物語は。高校生の男の子ふたりがメインのようであって、実は藍子が本当の主人公だった気がします。ふたりの少年は藍子に振り回されていただけじゃないかしら。
 高校生くらいの女の子は、既に大人顔負けの子もいると思います。表面は爽やかで可愛らしい女子高生でありながら、裏の顔を持つ・・・昔も今もそういうことは変わらないか〜。
 物語は意外な展開を見せますし、けっこう新鮮に驚きながら読ませていただきました。あさのあつこさんってこういうものも書かれるのかーと感嘆しつつ。しかしよっぽど少年ズキさんなのだなぁ(笑)v

 頭では理解できても、心が赦さない。心の赦さない罪はやっかいだ。

『福音の少年』 2005.7.25. あさのあつこ 角川書店



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