箱の日記
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銀貨
フィクションだけど、 17世紀の太平洋の真ん中あたり、不完全ならせんを描きながら 一枚の銀貨がまっさかさまに海底へ落ちていく。 深みの水のなんと冷たいこと。そして真っ暗。きらきらと揺れていた銀貨は、 いまや石ころと同じ。きらりともせず、それ自身の重みでなんとか底までたどり着こうとする。 突然イカが現れる。帆船と同じくらいの大きさのやつ。それはもちろん 17世紀のイカで、目玉なんていらないからのっぺらぼうな顔をしている。体はとうめい だけれど光がないのだから誰もそのことを確かめることなんてできない。
そいつがそのイカがものすごい素早さのすき通った足で豆粒のように小さな 銀貨をとらえた。あたりには「しゅん」と金属的な音が響き渡る。 僕はやった、と思った。とっくにイカは銀貨を持ちどこか遠くへ消え去ったが、 透明な巨大イカの体の真ん中で、あれは輝くときを待ちながらくるくると回っているのだ。 フィクションだけど、これは本当のはなし。
台風一過
きのうの台風で電話線が切れた。 もちろん、電線も。それから、国道へつながる小道のいくつかは なぎ倒された木々で通れない状況だ、たぶん。 つまり今日からしばらくは仕事がないってこと。 僕が仕事に出掛けられないせいで誰かが困ったとしても、 電話さえかかってこないのだ。これは神様の仕業。
庭ではなにもかもがひっくり返っている。植木鉢やバケツ、そして プラスチック製の滑り台まで。それらは眠ることができなかった夜じゅうの疲れを 朝陽の温度で癒しているかのよう。 僕はすっかり安心して、ソファに深く座った。これでテレビがついたのなら 言うことなしだと思った。いや、テレビさえつかないから安心なのかもしれない。 テーブルの上に先週の新聞が置かれていて、表紙の男がにやりとこちらを向いている。 とても親しげに。彼のことはよく知らないが、 ほんとうに親しい知り合いのような気がしてきた。ねえ、誰だっていいのさ。
本日、ほんとうにほんとうの「離れ小島」だと思ったが、 そこまでの実感はなかった。数時間前まで嵐だったのが嘘に思えるのと同じくらい ここが「離れ小島」であることが信じられなかった。まるで僕がつくったフィクションだ。それに、 鳴りだすはずのない電話のことも。 受話器をあげて、音がしないことを確かめたりする必要はないんだ。 僕が気に留めていなくてはならないことはただひとつ。 この家のどれくらいの部分を修理しなくてはならないか、ということ。
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