2003年09月26日(金) |
昇天めされたのよ。わりと。 |
らっららら。 諸事情により,うちのサイトに入れなくなってしまいました。 一応の努力をしたので,その後の展開を待つ。 なむなむ。 とりあえずの処置として, それぞれの日記から暫定ビビエスへのリンクを張っておきます。 もともと日記サイトと化していたから…いいか…。 なむなむ。 合掌。
そうっと。 自分の状態自体はとても悪いので,日記書いては消ししてるの。 消しても,一度は確実にそれを並べてしまった自分ということは覚えておく。 なかったことにしたらいけない。 そうっと。 呼吸のペースをもう少しだけ,ゆっくりに。 そうっと。 全身の力をもうほんの少しだけ,抜く。 そうっと。 そうっと。 そうっとでいいんだ。 そんなに自分に常に「努力が足りない」て責め続けなくても,いい。 ごめんね,もすこしだけ。 もすこしだけ,がんばろうね。 だいじょうぶだよ。 だいじょうぶだよ。
今日(9月27日(土))は休日出勤で仕事でした。 とりあえず,昨日の日記だけ書いておこう。 記録をとる習慣を取り戻そう。
昨日(9月26日(金))の出来事。 ・どろどろとした気配で明け方に目が覚める。地震。 ・僕のとこは震度4でした。北海道の方々無事でしょうか。 ・僕の住む町にも,少しだけ,津波がきましたよ。 ・思い切り不謹慎だけど,津波ってちょっと,遭遇してみたい…。 ・仕事。ママさんのケアを継続。だいぶ視線が合うようになってうれしい。 ・児童の欠席のために少人数学級。これっていいなあ…充実する…。 ・砂遊びやら粘土遊びやら絵本読み聞かせやらなにやら。 ・放課後は久々に,ゆったりと教材作りやらができて嬉しい。 ・おうちに帰ってきてみたら,うちのサイトに入れない。びっくり。 ・とりあえずの対処を相方に任せる。南無。 ・CMOからの引越し先を検討中。有料でもいいんだよなあ。 ・南国少年と馬鹿フラッシュ対決。勝利? ・電話の多い一夜。 ・「もっとがんばらなきゃ」と意味も無くぱにくる。
自分大好き。 呪文。 そうっと。 ゆっくりね。
植物の死について考えていた。
職場の机上の一輪挿しに飾ろうと,裏の駐車場からコスモスをむしってきた。 ピンクのと,白いのと,つぼみがたくさんついたところをつんだのだが。 収穫にほくほくとして歩きながら,ふと。 これって死んでるのかな,生きてるのかな,と思ったのだ。
全体像から見ると,これは切り取られた「部分」だ。 全体を「生」だと定義するのであれば,これは部分に過ぎないので, 生死の判断の範疇から外れているようにも思う。 僕が例えば腕を切り取ったとして,この腕は生か?死か?と聞かれたら。 生死は僕の本体に関わるので, (脳かなあ?あるいは「脳を含むより体積の多い方」かも) それは生死の判断から外れた,切り取られた「部分」なのだ。 一方で,植物は僕の本体にあたる脳をもっていない。 それがなければ生きていかれないというような,致命的な器官もない。 (植物に詳しいわけでないのでよくわからないが, その器官を切り離すとすぐに死んでしまうというような器官はないように思う。 人間で言う,脳やら心臓やらその他の内臓やらなにやら) 程度の差はあるが,切り取っても水に挿しておくと,しばらくはしゃんとしている。 土に植えているよりも生きる時間は短いが,それでもずいぶん生きている。 でもこれは例えば僕の切り離された腕が, 培養液か何かの中で生き続けるということと同じなのだろうか。 (ブラックジャックは大好きだ) 植物も切り落としてそのままにしておくとすぐにしおれてしまう。 適切な処置が,細胞レベルでの生を延長するのだな。
ああ,そうか,細胞か。 人の切り離された部分も,植物のように生きていくのだ。 本体(この言い方が適切はかはよくわからない)としての生と, 細胞レベルでの生と,二つの側面が同時にあるのだな。 なんだか,とーっても当たり前のことを言っているような気がするが。
ではこのときに。 何をもって「これはもうだめだ,死んだ」と判断するんだろう。 人体の切り取られた部分であるならば,医学の面から, 「これがこの数値(反応?)であれば,もう本体にはくっつかない, 戻しても意味がない」 というような基準もあるのかしら。 (ブラックジャックは大好きだ) 植物の場合はどうなるのかしら。
結局は,飾る人の主観,なんだろうなあ。 ちょっとしおれてきたら「あらもう汚くなったわね」と捨てる人もおるのでしょう。 僕はいつまでもしつこく飾っていて,かさかさに干からびるまで見守ったりするのだけど。 つまりは,その死を死であると最終的に決定するのはわたくしなのだ。 あなたはもう死にました。 あなたはもう,わたしにとっては死にました。 心臓がとまるかどうか脳波がとまるかどうかですらないのだ。 細胞のひとつひとつはいつまでも生きていくのかもしれない,とき。 あるいはおしまい,朽ちても乾いても灰になっても,なお。 決めるのはわたくし。 あなたはもう死にました。 あなたはもう,わたしにとっては死にました。 決めるのは,わたくし。
最終的には,生命活動と生死は別の次元の話になってしまった。 グリーフワークを大切にしていかなくてはならないのだと,思う。 ありとあらゆるものの死(決着とも言う)を,きちんと自分で決定すること。 自分で決定したのだと,知ること。 コスモスは結局,しおれずにここで生きてくれている。 つぼみがむっちりとゆるんで,きちんとした手順,花が開こうとしている。 ここは土ではない,ここは僕の机の上,で。 僕の手に,自分から受けてしまったものだ。 途中で飽きて捨てようが,最期まで見届けようが僕が僕の手に受けたものだから。 なんというエゴイズム!
僕は,かなしみとさいわいとうつくしさのことを,考える。
とりあえずブラックジャックが大好きです。 ここしばらく仕事がとても忙しく,泣きたい感じでした。 いつのまにやら学部の研究の責任者に。 連日12時間以上休み時間なし前半肉体労働なのでへばってます。 ええ,そんなの普通ですよな。 前半肉体労働というところが一応ポイントではあるんですが。 でもそんなの普通。 あーあー,どうせ僕はへなちょこな甘ったれな社会人ですよ。けっ。
一応昨日(9月25日(木))の日記。 ・担当の子のおかーさんと語らう。結局カウンセリングなのだな…。 ・欠席の子が多く,珍しくマンツーマン体制になれた。 ・ひとりの子とじっくり遊ぶのも面白いものだ。 ・放課後はまず教材作り。絵の具ぺたぺた。 ・あと土曜日の仕事(休日ナシ(泣))の準備。 ・学部が校内宿泊だったので,いろいろ手伝う。 ・いろんな先生が,ゆうべのつどいで芸を披露していて楽しい。 ・担当したことのある子ばかりだったので,役に立てたみたいで嬉しい。 ・ついでに,晩御飯のカレーをおすそわけしてもらった。わーい。 ・子どもをだっこして花火を見た。寒くてもよいものだ。 ・夜は相方と,地図の話の続き。
地図を描かなくちゃいけないんだ。 迷わないために。
ベランダの金柑に虫がついた。 昨年の誕生日に,父から貰ったものだ。 先月,黒アゲハが卵を産んでいたのは気づいていたのだ。 ああまずいなあとは思ったのだが。 その一生懸命な様子に,何とはなしに放っておいたのだった。 しばらく経ったら,小さないもむしが20匹以上もついていた。 アゲハが一匹成虫になるのに,一つの木を裸にするとの噂を聞いた。 それは誇張だとしても,これだけの量だ。 僕の小さな金柑ははげちょろけになるだろうことは容易に想像できる。 でも。 小さな小さないもむしをつまむのに忍びなくて,また,放っておいた。 その後,僕の状態がよくなかったり仕事や私生活が忙しかったりして, ベランダ農園は放ったままになっていた。 今朝見たら。 金柑の葉はぼろぼろになり,半ば立ち枯れたような状態。 張りがなく垂れ下がった葉に,もっちりと太ったいもむしがたくさん。 たくさん,太って,でもまだ育ち途中なのだ。 でも。 この子たちが全部満足するくらいの葉は提供することができない。 心情的にも,物理的にも。 父が僕に,誕生日に,くれたのだ。 金柑はこれを乗り越えるかも,来年もまた生きるかもしれない。 でもこのいもむしたちは一年も生きず,このただいっときのいのち。 今さきにいくだろうものを,見守ってやるだけの犠牲を。 これを受け入れてもきっと,また,僕は生きていけるのだろう。 今になって排除するならいっそ,始めから寄せ付けなければよかったのだ。 何が偽善だ。 何の偽善だ。 でも。 僕は全部のいもむしをつまんで,ベランダから捨てた。 殺すこともできずに,投げて捨てた。 触れると,いきおいよく触角を突き出して,ささやかに抵抗するいもむし。 全部,全部,指でつまんで捨てた。 つまんだ感じを覚えておこうと思った。 引くと,葉からはがれるときにべりべりと音をたてる。 夜の間に落ちないように,葉に糸を出してしがみついていたのだこの子らは。 上から見下ろすと,一番大きく緑になったのだけ,小さくころがって見えた。 僕が殺さなくても,この木から離れたら,あの子たちは間違いなく死ぬ。 鳥や虫に食われてか,干からびてか,ともかく。 あれだけ傷がついて,金柑は生きてくれるだろうか。 あのまま枯れるのだろうか。 でも。 僕は室内に入り,除菌のできる石鹸で手を洗った。 何度も,洗った。 それから仕事に行った。
今日もよく晴れたから。 少しだけ,祈った。
今日もよく働きましたよ。 このところ研究の話し合いやら資料作成が大変での。 家に帰っての宿題も含めると結構な時間働いているような気がする。 はやく給料日にならないかなあ。 ちゃんと見返りのある仕事なのだと思えて,ほっとするじゃないか。
・担当の子が欠席。 ・かいものごっこ三回目。それぞれの子の発展が見られて楽しい。 ・遠足先の下見に行く。いつのまにやら遠足チーフ。 ・あとは延々と話し合いと資料作成。 ・帰宅して,日記とメールを書いた。続けるつもり。 ・晩御飯はまたコンビニ食しくしく。 ・家を片付けたい。修羅場のときはいつも片づけをしたくてたまらない。
いろいろなことが滞っています。 仕事以外の,交友関係はとても滞っている。 きっともうすぐ楽になるのだろうと思う。 だから頑張れる。 きっともうすぐ,楽になるのだろうと思う。 なのでいろいろもうしばらくお待ちくださいませね。
ちょっとねずみーらんどに行ってきます。 最初で最後の,家族全員での旅行です。 たのしみだー。
「わたしは特別な人間だから理解されない」って。 かっこわるいと思った。 普通とか特別とかかんけいなく。 わたくしはわたくしをだきうけていくの。
宗教をもたない人間になっちゃだめだよ。 自分は無宗教だなんて,誰一人,言えやしないのだから。 宗教が他力本願だと言いたい人は哲学でも勉強して頭を冷やすといい。 世界は愛と信条で満ちて。 満ちているんだ。
(自分の言うのが辞書的な意味でないことに気づきつつ)
ともあれ行ってきます。 帰って来たら日記書いたりなんだりします。
2003年09月05日(金) |
日記について考える5 |
日付と番号が同じだから考えやすくていいなあ。 状態悪いときに日記かくのよくないようにも思う。
例えば。 僕は,ひどく子どもなのだ。 僕が誰かにひっぱたかれたとして。 僕に「君に落ち度があったのだから」と諭してくれるのもよいの,だが。 理由も聞かず,あるいは理性で聞いても感情で聞かず, 「あの子を泣かせたから」と,いきなり相手をぶん殴ってしまうような。 そんな愚かさを求めている時がある。
幼い子どもの保護者は,ときどき,うんと馬鹿でもいいように思う。 ときどきでいいんだ。 子どもが自分を責めて泣いているときだけで,いい。 怒ってみせるポーズだけでも,いい。
取り乱して,僕を,守って。
<9月5日(金)> ・朝っぱらからトイレが詰まる。地獄。 ・担当の子…むー…。 ・プールバンザイ。 ・子どもとままごと遊びをできることはとても高度なしあわせなのだ。 ・放課後は学級の運営について話し合い。 ・トイレのかぽかぽの正式名称は『ラバーカップ』。 ・このたびめでたくかぽかぽユーザーになりました!(血涙) ・スナヲを出迎え,呑みに行く。 ・いろいろと深い話やら広い話やらなにやら。 ・サシミんまです。 ・帰り道,どこからともなく犬がついてくる。 ・果てなくついてきそうだったので,警察に連れて行った。 ・無事におうちからお迎えがきますように。 ・家で,廃墟DVDで萌える。
この街が,わりかし,好きだ。
2003年09月04日(木) |
日記のことを考える4 |
9月1日の分から一気に書いています。 不愉快な気持ちさえメモしているので,読んでもあまり楽しくないやも。
WEB日記ってなんなんだろう。 公開日記ってなんなんだろう。 人に面と向かうでもないが,それなりに大きな声でしゃべっている。 だからと言って「嫌なら読まなきゃいい」とは僕は言えない。 だからと言って「勝手に読んで勝手に傷つくなよ」とは僕は言えない。 かと言って「誰が読んでいるかわからないのだから万人に優しい文章を」などとも言えない。
「人は人を傷つけるものだから」などと開き直るのは,いくない。 それは自分を甘やかすためではなく,自分を許すための言葉だからだ。 許すと甘やかすの区別がつかないのは,いくないのだ。
<9月4日(木)> ・前日に荒れたために睡眠が圧倒的に足りていないが頑張る。 ・担当の子はとうとう欠席。長引きそう。ぐすん。 ・そしてプールだ。プールだ。プールだ。 ・猫なで声ではなく,品のよい発声をする教師になりたい。 ・書類作成。眠い。 ・森山直太郎のトークは痛すぎて愉快。 ・中国の楽器みたいな声だなあ。 ・相方にもたれて眠る夢を見た。
許すと甘やかすの区別を。
2003年09月03日(水) |
日記のことを考える3 |
昨日の分と,おとといの分もさっき書いた。
ろーりんぐすとーんず。 転石苔を生ぜず,は,イギリスと日本で意味が反対なのだそうだ。 (中学あたりの国語でそうしたテキストをやった気がする) 要するに「苔」を「深み」ととるか「古び」ととるかなのだろう。 生き方なんてのは各自のパーソナリティーで選んでいけばいいのだが。 とらえが違うだけで,現象は同じだ。 相手を哂えると思うときの自分が,危険なような気がしている。
人を哂って安心すること。 人を下に見て安心するのは,ああ,人っぽくて好きだけれども。 でも僕のそばにいてほしいかと言うと,さすがにそうでもない。
<9月3日(水)> ・そしてまたプール。夏よ今からでも来い。 ・担当の子の調子がいよいよ崩れ始める。ううー。 ・ひどく噛まれたが,後からその跡をなでてくれた。 自分の書いた詩が嘘でないことに,うすぼんやりと,涙が出た。 ・とうもろこしを茹でて,ねずみたちと半分こして食べた。 ・週末にスナヲが遊びに来ることが決定。 ・シカゴ県警ってすごいと思う。(相方からの伝聞による知識) ・寝る間際,調子を崩す。
好きであることと,そばにいて欲しいかどうかは,相反して自然と思う。 僕はにんげんがとても好きだよ。 僕は,かたいところのない,ぬいぐるみを抱いて眠るのだけれど。
2003年09月02日(火) |
日記のことを考える2 |
昨日の分もさっき書いた。 人に対して「何を偉そうに!」と思う時は。 自分が,相手の上にいたいからなんだなあって。 思った。 自分と並んだりしちゃ,だめなんだ。 下にいてもらわなくちゃ,だめなんだ。
大きな声を出さないで生きていかれたらいいのに。
<9月2日(火)> ・担当の子の調子が微妙に崩れ始めていて緊張する。 ・プールに入れる日常はわりと平穏です。 ・何故だろう。南国少年と共に急激にヤダモンに萌える。 ・中国語での日本文化についての表記が面白くてしょうがない。 ・龍猫=トトロですって! ・某キャスターは本当にヅラだといいと思う。 ・ウォーターボーイズが大好きだ。 ・生徒会長が,うちの下の弟にそっくりだからだ。 ・カッターを全て捨ててしまったことを後悔する。切り絵が作れない。
贈り物をする人間でありたい。 自己愛とか自己中心的とか,理由はなんでもいいのだ。 偽善とかなんでもいいのだ。 相手の本当の気持ちなんかわからないとか,そんなのはどうでもいいのだ。
そんなことは。 僕の生にちっとも関係がないからだ。
2003年09月01日(月) |
日記のことを考える1 |
日記。 これはリハビリなのだと自分に言い聞かせる。 全ての文章は,人のせいにしてはいけないものだ。 「書くこと」も「書かないこと」も「書けること」も「書けないこと」も。 みんなそれぞれに,自己本位で不様だ。
それはとても,うつくしいな。 ああ,うつくしいな。 ぶざまであることは,うつくしいな。 「私は自覚的な人間だ」て言って見せること。 ああ,にんげんってものは,なんてぶざま! うつくしいな。 うつくしいな。
僕は,かなしみとさいわいとうつくしさのことを,考える。
というわけで,溜まった日記をなんとかする。
<9月1日(月)> ・市内のスイミングセンターでの水泳教室。 ・よりにもよって最後まで児童管理をする役目。 ・僕は小学校のせんせになってプール指導なんてできないと思った! ・詩学の寄贈分が届く。余る。どうすべ。 ・動物の飼い方について知識を深め,ココロを痛めたり。 ・子どもの頃の作文を披露しているサイトで爆笑。 ・某国の人々がひどく下品だという偏見を抱きそうになる。
何をやっていたのだか…。
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