『偏愛的猫生活』☆muux

◇登場人(猫)物◇=01年6月頃生の純日本猫♀、竹藪に捨てられていた。
ザジ=02年11月頃生 03年1月21日から同居。Mixアヘ〜猫♂9.2kg
ATU/ダンナ=絵描きになりたかった地質調査技師。ウドンは柔らか目。四国・松山出身
わたし=実は雑踏が大好き。道玄坂の奥がふる里 →<about me>

《back← INDEX  →next》     MAIL 

初めての全身麻酔 2002年11月19日(火)

**


明日は手術〜 2002年11月18日(月)

いよいよ明日は手術。

手術の準備に腸のお掃除をする液体を2リットルと下剤を飲む。
水をたくさん飲まなくてはいけないので周りはペットボトルだらけだ。

入院の日数が経ってくると、一見味も素っ気もない病院の食事でさえも
楽しみになるみたいで、その有無にとてもこだわるようになってきている。
お昼に寄ってみたら、昼食がないのが淋しいらしくて、
ミネラルウォーターを飲んではブツブツ言っている。
気持ちは切り替わっていても、なお複雑なのだ。
とにかく今はできるだけ出してしまわなくてはならない。

このお水も夜からは禁物になる。
院内が暖房で乾燥していて喉が渇くから大変だ。
枕元のタオル掛けに濡れたタオルを掛けておくことにした。


夕方、家に戻らずに6時頃行ったら
ナースステーションの前のロビーでボーっと座っていた。
ちょうど夕食の時間で、食事の匂いが辛いみたい。

言葉もなく壁やテレビを見ながらの食事時間でも、みんな楽しそうだ。
カチャカチャと食器の触れる音と汁をすする音に、
ささやかな楽しみ伝わってくる。
同室は何かしらの消化器官の手術をした人ばかり、
食べるということの大切さを身に沁みて知っているのだ。

「昨日の夜食べたハーゲンダッツのアイスクリームが最後の好物になるかもなー。」
「手術は簡単でも、どんな事故があるか解らないから、いろんな悪いことを考えてシミュレーションしておく」のだそうだ。
「もう、先生を信頼するしかないね。」と言って二人とも黙ってしまう。
私の方も「そんなことないよー」と、力づけるのも空々しい気分でいる。

隣のベッドのTさんが慰めてくれる。
「なに、癌なんて切っちゃえばケロッとしたものだよ。みんな回復するから心配しなくて大丈夫だよ。手術って言うのも慣れだから。。」
と、よく解らないけど力強い励ましをしてくれる。
Tさんは、大腸癌で大腸を切って、一応治ったものの肺炎の熱が引かなくて再入院している。

・・・んんん〜癌じゃないって言えないよね〜

「N先生は手術スゴク上手なんだよー。ボクもN先生。
予後も良かったよ。いい先生だよ。
えー?穴開けて切るの〜?
あの先生、腹腔鏡は、あんまりやったことないんじゃないか〜?
切ってもらった方がいいよー、癒着してる可能性あるなら余計そうだよー」

「・・・・・え〜〜〜〜、、、
    あああ、そ、そうなんですかーああぁぁ〜???」


夜の楽しみ 2002年11月17日(日)

未だ誰も見舞いに来てくれていない。
手術も近くなってきて、どうなるか不安なのと今は暇だからと言うわけか「見舞いに来るなら今来てくれ〜」と叫んでいる。

二人とも、少し周りを見る余裕が出てきた。
部屋は普通の6人の大部屋。寝て右隣は大腸癌で今回は肺炎のTさん。
左のベッドは空いていて、向かいのドア側はたぶん癌で誰とも話さない人。
向かいは昨日来て手術後でうなっている年輩の人。奥さんはよくしゃべる。
向かいの窓際のオジサンは、腸閉塞でもう1ヶ月入院している。
「あの人が主任さん」とか「足をこうすると楽だよ」とか教えてくれる。

腸閉塞の治療は胃カメラで、ペチャンコになってくっついている腸を広げて、膨らませて、詰まった食べ物をゆっくり送るのだそうだ。
そして、今は鼻から胃を経由した風船を腸に落として、広がる癖を付けていると言っていた。

このオジサン「夜中にガリガリという変な音させて何かしている」とATUが気味悪がっていた。
フッフッフ・・・わたしは見たんですね〜。。
オジサンが売店でお煎餅の大袋抱えているのを、
五分粥でおかず無し、の治療食のオジサンが毎晩お煎餅食べてるんですねー

夕方、一度帰った時に会社の前を通ったら人が居たので、
後輩の人に「淋しがっているから顔見に行ってやって」と頼んだ。
日頃はボケだとかドンだとか言っているのに、来てもらえたら仕事の話を色々と聞きだして、やっぱり嬉しそうだった。




忙中閑? 2002年11月16日(土)

土曜日。

休みの日だから、朝から来ていてと言われて、ずっと病院にいた。
じきに食べられなくなる、という切迫感からか売店でワッフルや菓子パンをあれやこれやと買ってきて、ボソボソと食べている。
調子悪いから入院しているのに、普段食べない物まで食べて
どうすると心配になる。わたしにも食えと言う。
さすがに、なんだか胸がいっぱいで食べる気になれない。

売店と言えば、そこで売っている雑誌。
旅行だとか温泉だとか蕎麦だとかを特集してある新中年(?)向けの雑誌がこんなに多く発刊されているとは知らなかった。
ATUは退屈紛れに、これも買いまくって皆読んでしまっている。
わたしも病室にいて、やることもないのでずっと読んでいた。
・・・ああ、温泉行きたい☆・・・旨いもん食いたい〜☆

出張も多く、チョットした休暇もとりにくく、絶対的に朝早い仕事。
見たいテレビも見ず、読みたい本もユックリ読むこともなく
毎晩10時前には床につく。いつも緊張した毎日を送っていた。

いくら自分の選んだ仕事だと言え、
もう少しやりようがあるのではないかと、
見ているこっちもウンザリしかけていたところだった。
日曜日だけの休みさえも出掛けて行くことがままあって、
心の疲れも身体の疲れも満足に癒すことができないまま、
軽いはずの病気もこうやって拗れてきてしまったのだ。

本人には災難な今回の入院は、わたしにしてみれば目の届く範囲に帰って来たような感じがして、すべて悪いという感じがしていない。
こうやって身体の信号に気付いたら、いくらかこれからの仕事や自分を考え直す機会になってくれないかな?と願っているのだけど。。どうかなー?

病室に置いてあるテレビはプリペイドになっていて900分1000円。
一口に900分は長く思えるけど、みな淋しいからか一日中それぞれのテレビが着けたままになっている。
ところが、これが馬鹿にならない出費であることに気が付いた。
スゴイ商売があるものだ!
100人から毎日1000円取れたらいくらになる?
毎日寝てる以外ついつい着けてしまうテレビ。24引く9は900分だ。
毎日1000円、テレビに掛かる?
わたしはATUに30分観たら10分消すように頼むことにした。
少しでも節約しようとラジオを買って持っていったけど、
やっぱりテレビの存在感には負けてしまう。


午後、外出許可をもらって散髪に行った。
外で改めて姿を見ると、未だ何日も経たないのに、
すっかり病人の様になってしまっている。
入れたままの点滴用のチューブが痛々しい。

入った床屋さんは、妙に静かなお店。
優雅にコーヒーを点ててくれる床屋さんで、若い理容師さんが、ひざまづいて顔剃りやマッサージをしている。なんか異空間に来てしまったような時の流れだ。床屋さんって美容院よりお客さん思いなのだろうか?

ATUがユッタリ散髪してもらってる間に、わたしは床屋さんのすぐ近所にある、いかにも趣味でやってるという感じの蕎麦屋で遅いお昼を食べた。
一人で外食するのは随分と久しぶりな感じがして、いつもより心細い。
少し細堅いしっかりしたお蕎麦で一茶庵のみたいだった。
でも、やっぱりお蕎麦は東京だったら、昔の江戸周辺がいいなと思う。
鴨せいろを食べたので、そば湯飲むのに「蕎麦猪口を別に下さい」
と言ったら、お給仕をしているお店の奥さんが、伏し目がちながら
「我が意を得たり」な表情をしたのが嬉しかった。

先生への謝礼の件は、わたしの中でも未だ解決していない。
散髪屋のご主人の奥さんが子宮癌で手術して同じ病院に入院したという。
姑から病院によって違うから、誰か知っていそうな人が居たら尋ねてご覧なさい。と言われていたので、早速ご主人に訊いてみた。
床屋さんは3万円包んだと教えてくれた。

受け取らせない病院もあるらしいけど、(ホントかな?)
受け取るという事は確認できた。
そして、その金額は大層なものではなかった。
そうか、この金額なら気持ちとしてお渡ししても不自然ではない。
・・・でも、この金額なら、まったくお渡ししなくても構わない額でもある。。

?・・・やっぱり、悩みは消えなかった。

勿論お金をもらって嬉しくない人は居ない。ということで世の中を見てはいけない、と言う考え方もある。
実は、わたしは一時期、西伊豆の温泉ホテルや赤坂のしゃぶしゃぶ料亭で仲居さんをしていたことがある。家業が料理屋だったので、自分で納得したくて首を突っ込んでみたのだ。もちろん、そういう世界と医療の世界を一緒にすることができないのは承知なのだけど、チップを貰うと、それなりに嬉しかったのを思い出す。
仕事としてのサービスは、貰っても貰わなくても違うことはなかった。というか、忙しいので、それ程大きな違いを着けられないと言うことの方が近い、だから逆に自分の仕事を喜んでもらえたのだと思えて嬉しかった。

・・・先生も自分の仕事を受け止めてくれた、と喜んでくれるだろうか?


最大の疑問 2002年11月15日(金)

きょう夕方、今回の手術について主治医からの説明があった。

先生は、30代後半?で割と大柄な憎めない感じのする熊さんのような方。
ATUが親しみ込めて先生の話をするので、どんな方かな?と思っていた。
会ってみると、どっちかというと熊ではプーさんというよりもポストペットのモモに近い感じ。色白のモモ。動作もコミカルで面白い。

少しオーバーなアクションを交えて解りやすく詳細に説明してくれる。
あまり詳しいので、思っていたよりも大変な手術のように聞こえてくる。
聞いていて血の気が引いた。

体質で憩室が10も20もある。
これからも悪くなりそうな怪しい部分も取るので、
結果30センチ強切ることになるという。
大腸が足りなくなるので向かって右の角の部分を剥がして
小腸の前に襷掛けのように配置する事になるのだそうだ。
それを全部、腹腔鏡手術でやるという。
そんなに大がかりなことを、お腹開けずにできるのだろうか?
腸と腸を縫い合わせるのに、見なくてもできるのだろうか?

改めて話を聞くと逃げ出したい気分で、やっと思い止まった。
夫婦とも血の出る話は、とても苦手なのだ。


で、宜しくお願いします。と言って部屋を出る時に
一瞬、妙な気配が漂った・・・・ような気がした。

自慢ではないけれど私は本当に世間知らずで、
世の慣習というのにとても疎い。
ここで開き直ってどーするという感じだけど、
何か引っかかるので帰ってから松山の姑に電話をしてみた。
先生に心付けをお渡しした方がいいのか、必要ないのか分からないのだ。

姑は舅は警察官だったったから
「長く入院した時もそういうことをしたことがない」と言う。
でも、姑自身は糖尿病なので時折、食事の調整に入院していて
「その時は先生に1万円くらいの商品券をお渡ししてくる」と言う。

今度は姉に電話してみる。
「付け届けは私たちが可能な3万、5万の単位じゃないから
20万も100万も出せないのだから、出さなくていい」と言う。
「5万円お渡ししても、他に霞むだけで、なんの効果もない、
現金ではなく、お酒なんかで気持ちを表わせばいい」とも言う。
・・・んんん〜〜、かえって分からなくなってきてしまったぞー。。

仕方ないのでネットで調べたら、いろいろ恐い話が出てくる。
額が少ないと助手にやらせるとか、、、
地獄の沙汰も金次第。。。
さーー、どうしたらいいのだ。。。

ジョーーーダンジャナイゾ〜〜〜!!!


いずれにしろ説明の時にお渡しするという機会は逃してしまった。
手術は火曜日。するなら今日明日のうち。
でも、我が家は5万円も出せないだろう。。。

看護婦さんにも5000円もチップ渡すんだなんて
私は考えも及ばなかった。
お茶菓子をいつ持って行くか、
くらいしか考えていなかった。

ああもう、なんで変なことにこだわっているのだ、わたしは・・・。
不安なので、できるだけ障害を取り除きたいのだろう。
人間の本能みたいなものだ。。。
・・・できたら、こんな大きな手術しないで欲しい。

今は元気なんだから・・・・と思える。。
なんだか、病気になりに入院してるような気がしてきている。




近頃の病気模様−4 2002年11月14日(木)

とうとうATUの入院の日が来た。

腸のどこを切るかを決める為に、もう一度内視鏡の検査があるので、
昨夜の食事はツマ無しの刺身とネギ無しのやっこ、ジャガイモのおみそ汁。

この前の検査は、内視鏡の技術や衛生面では定評のある先生だった。
なので苦痛もなく、安心して受けることができた。
今度は大きな病院だから、細かなことにどれだけ気配りできるのか心配。
できるだけ苦痛を避けたいから、極力傷害になりそうなものは避けた。

この検査は肝炎になり易いということでも有名な検査だし、
間違えば腸に穴が開く。
手術が大きくなくても心配なことは山ほどある。

朝9時頃、小さい方のわたしの車で出掛けた。
病院の駐車場は第6まであるのに、既にいっぱいだった。
約束した時間に間に合わなくなってしまうので、ATUだけ降ろして
駅の近くに通勤用に借りている駐車場に車を入れに行った。


病院の中は、どこもかしこも人人人。。人だらけ
空気も悪くて、居るだけで病気になりそう気分になる。

病院に戻って、教えてもらった病室へ行く。
こう言ってはいけないのだけど、第一印象は「収容所みたい」だ。

一人部屋、二人部屋もあるようだけど、それ程雰囲気が違うわけでもない。
いかんせん狭くて不自由な感じがする。
病院というのは、皆そういうものなのだろう・・・
今はまだ元気だからいいけど、手術して具合悪い時に
こんなに窮屈なのはかわいそうな気がしてくる。

検査がまだなようなので、一度家に戻ることにする。
洗面器やバスケットを100円ショップで間に合わせて、
他に買いそびれていた物をホームセンターに買いに行く。

4時頃戻って少し待っていると、
看護婦さんに車椅子を押してもらって
検査を終えたATUが帰ってきた。
点滴をしている。
点滴のチューブが赤くなっているので
「何で血が入っているの?」と言ったら
「あんまり痛かったのでギューッと手を握りしめたら血が逆流したみたい」
げっ、そんなにヘタだったんだろうか?むちゃくちゃは勘弁だ。
「だめだよ、いつもなんにでも力入れちゃダメって、言ってるでしょ〜」
だいたいATUは、何にでも力を入れてしまう質で、
以前、店頭に置いてあった体脂肪計を壊してしまったことがある。
力入れなくてもいいのに、握りしめて壊してしまったのだった。

腸には入れ墨を入れたのだそうだ。
クリップで留めてもあるけど、それだけだと
はずれてしまうことがあるので、マーキングしたのだという。

空気をいっぱい入れたので、苦しい苦しいと言って
点滴のスタンドを付けたままトイレに何度も通う。
「いくらなんでも、相部屋でブビブビできないもんなー」
だんだん見てる間に慣れてきていた。

人に「大腸切る」と話すとガンだと暗に思われて同情される。
憩室炎という馴染みのない病気だから仕方ない。
一応、今のところは、あくまで「ガンではなくて憩室炎だ」


アナログな仕事 2002年11月12日(火)

最近、ちょっとしたパートを始めた。
結婚式の写真アルバムを手作業で仕上げる仕事。
ATUの入院する病院に近くて、時給がいい。
一応、デザイン事務所。
内容は大分違うけど、使っているソフトなどが自分の勉強に近いので、
いくらかは抵抗なくできる。

仕事の内容は、紙をカッターや手で組み合わせて
台紙の上にその組み合わせた紙を貼り、写真をはめ込んでいく。
まだ、全行程が見えていないけど、仕上げまでやっているみたい。
本来は台湾でやっていた仕事だそうだ。

来ている人たちは、皆40代、50代。
新聞記者だった人、挿絵描きだった人、
製版屋さんだった人、写植屋さんだった人などなど・・
時代に置いて行かれた仕事をしていた人たちだ。
それらの仕事がコンピュータ化されなければ
今でも立派に現役か、指導者の立場で居られた人たち。
リストラにあったり、独立の準備をしていたらアッという間に
技術が変わってしまい、動けなくなってしまった人たちだ。

わたしも出版社にいた頃は、写植を切ったり貼ったりの作業を
相当数やったものだ。原稿写すのもみんなすべて手作業だったから、
そういう手仕事が好きな人というのもけっこう居たものだ。
手仕事が好きと言うだけでも
立派な動機になれたこともあったわけだ。

社長の奥さんは30代後半くらいの台湾の人で、ものすごい働き者。
質素な面立ちで、一心不乱に働いている感じ。
日本語はあまりできないけど、いつも早口で指示出している。

夕方、紙の裁断機を動かす人が出勤してきてラジオをつける。
日が暮れて、もうすぐ5時になる頃、ニール・ヤングの
「ハート・オブ・ゴールド」が流れてきた。
みんななんとなくシンミリ聴いている感じが漂っていた。
すると意外にも彼女が一緒に歌い始めた。
ずーっと、ずっと曲が終わるまで、
作業しながら低い小さな声で歌っていた。





おでん 2002年11月09日(土)

親が渋谷の道玄坂で日本料理屋をやっていたので、
お店に魚を買いに行くというのは、ほとんどなかった。
言うと可笑しいけど、珍しいものも(トラフグの皮のポン酢なんか最高☆)おかずになっていて、逆に世間知らずだった。
それに、板前さんは皆プライドを持っているので、その影響か
自然に、東京の築地が一番だ、という考え方が身に付いてしまっていた。

ところが、全国各地(?)の食生活に触れて、いろんなことを知ると
そういう、わたしにとっての根拠のないプライドは霧散してしまった。
ずっとずっと、このずっとが三乗するくらいに千差万別で豊かな世界に、とっても感動したのだ。

ダンナのATUは四国・松山の出身。
結婚歴が長くないので、まだよく知らない事が多いのだけど、
この四国という島は、ある日神様が、海の幸山の幸をスッと掬って、
水気を逃してギュッと中高に盛ったような、なんでも凝縮していて
ホッコリとした「気」のようなものを放っている感じする島だ。
そう、良い温泉に入った後のような感じがするのだ。

で、そんなところで育ったATUが
庶民の味「おでん」をあまり知らなかったという。
関西の「関東炊き」というのも身近になくて、
「おでん」というと、コンニャクとジャガイモと、
牛筋くらいだったそうだ。
海に近くても、蒲鉾とかジャコ天などをそのまま食べる方が主らしい。
食材が豊富で温暖だから、あまり手を掛けなくても充分なのだろう。


とすると「おでん」は、やっぱり冬寒くなる土地のものなのだろうな。
早々と暗くなった頃、空っ風に吹かれながら
電気の灯った揚げ物屋さんというか練り物屋さんというかの店先に並んで、揚げ立てのおでん種を買うのは、今思うと風物詩だった。

油抜きに熱湯をかけて、昆布を敷いた安い大きいだけのお鍋に
ぽんぽん放り込む。大根も忘れてはいけないし、ジャガイモも玉子も、、

わたしは東京の「おでん」が大好きだ。
もんじゃ焼きも江戸前の天ぷらも苦手だけど、
「おでん」は東京に限る、と思う。
タコも牛筋も入ってないのがいい。
ロールキャベツもなくていい。

バクダン、スジ、竹輪麩は必須!・・
子供の頃、チリンチリンでやってきたオジサンの「おでん」がいい。

何処のと似ているか知りたいと思う。
関西の「おでん」は辛くてダメ。

意外と優しい自然な味だった。
なんでも質素で、醤油臭い東京の食べ物にしては、珍しい?



落ち込みついでに・・・ 2002年11月06日(水)

何が辛いかって・・?いうと

さも、居ないかのように扱われるのが
いちばん、辛い。。


なにをしたのか?
なにをしていないのか?
知ることはできないし

償うことも
贖うことも、できない。。。

ただ、沈黙だけが、、、ここにある。。。

この沈黙の世界、、、
わたしという人間は共に居ることが
認められていない

影でさえない

ここにいるのに・・・・





涙が出てならぬ・・・ 2002年11月04日(月)

来週、ダンナが大腸を30センチ切る手術で入院する。

我が家はボロマンションのローンに追われていて貯金がない。
おまけに、いま、わたしは失業中だ。

あれはイヤこれはイヤで、いい年をして、なんにもやりたくない。
なので、自分でできればいいかと
昔少しやっていた印刷系の仕事しようと
DTPの学校に行き始めていた。

それと、すぐには仕事できるようにはならないので
Word、Excelいくらできるつもりでも
ほんとにどれだけ出来るものか疑問なので
なにかパソコンの資格でもあれば、つなぎの仕事も自信出るかと
その学校も通い始めたばかりだった。

気もそぞろで勉強手に着かないし、予定も立たなくて
けっこうつらい状況。。。

もう少し経っていれば、余裕もできてきたのに・・
あと半年後ならどれだけ楽だったか・・と思う。

実は入院の保証人もいない。。。
親は両方とも80だし・・・
姉妹は皆そんなこと言える状態じゃないし。。

自分とこの会社なのに、虫の息だから
ない袖は振れぬらしいし。。。

なんなんだ?、、この状況は!!!!!!・・・・
人徳がないと言ったら、本当にそうだ。。。。情けないね

・・・・・・涙が出てならぬ。。。

ダンナよ、、病気になったのはかわいそうだけど
なんとかならんのかね。。。男だろーーーー・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・





西部劇の前は・・・ 2002年11月03日(日)

名前は忘れたけど、時々アメリカの開拓物の映画をやっている時がある。
それを観ていて、全部観ることができた例がない。

わたしは子供の頃からヨーロッパの中世の時代が怖い。

アイルランドもイングランドもフランスもドイツもみな怖い。
音楽や絵画や衣服はとても美しい。
でも、家や建物が怖くて仕方ない。

夢にも見るくらいに怖いので、
あの中世の時代の格好の人々が、未開のアメリカ大陸に上陸して、
自分たちも飢えや病気あえぎながら
原住民と闘って開拓していく様は、ほんとうに恐怖を覚える。
ヨーロッパからの移民の中には、女の人たちもいて、
いつインデアンが襲ってくるかも分からない中で
住むところも生活も何もない状態で暮らし始める。

そういう血生臭いことって、
子供の頃観た西部劇では、出てこなかったし思いつきもしなかった。

でも、よく思い出してみると
「頭の皮を剥ぐ」とか「インデアンに捕まって火あぶりになる」とか
言うのはよく出てきていたから、結構血生臭い話だったんだ。

アメリカを目指したというのは、ペストの流行と関係あったんだっけ?
厳しい環境の中で生き抜いてきた民族を思うと
アジア人で本当によかったと思う。
木や竹に囲まれた家に住み、
陽の光の溢れる中で植物と共に生きるイメージに安堵する。


「あんなに危険な状態なのに、
 なんで女の人がいるのだろう?」
と言ったらダンナが
「移民や侵略というのは、子孫が繁栄して
 はじめて成功になるんじゃないの?」
と言っていた。
ふ〜〜〜ん、意外と分かってるんじゃん・・

魔女狩りなんかと比べたら、
百姓一揆とか、お犬様なんか可愛いモンだ。




遠藤賢治さんの歌 2002年11月01日(金)

「麦ちゃ〜〜ん、、、」
 おとうしゃん、お腹切るのよ〜〜〜。。。」

病院から帰ってきたダンナが、
ミョーーーに心細そうな甲高い猫撫で声で、麦に話掛けている。

横目で見ながら、なるべく触れないよーに知らん顔することにした。

切るとか、ビョーキとか、血とかにことのほか弱い。
わたしだってヤだけど
男の人ってみんなそうなのだろうか?
歯医者の前で見張ってたら、何度も前を往復して
いっこうに入らないから捕まえて入った。
と言うような話ってよく聞く。

粟粒のようなデキモノが目の縁にできた時、メス入れただけなのに
手術した〜〜、と大騒ぎしたくらいだから
お腹切るなんて、卒倒ものなのだ。 

少しは自分でも闘ってもらわないと困るので
こういう時は、あんまり関わらない方がいいかなーと思って、
なるべく冷たくしている。

そのうち窓の方から、哀れっぽい
変な声で歌うのが聞こえてきた。

「ダレ〜カガ、トントン〜〜 キッチャッ〜ァタッテ〜
 フーーーン、ンンンンーーー〜〜〜〜〜〜〜」

「オナ〜カヲーー♪トーッテモ、イタイダロウニネーーー・・・・」

「キッチャッ〜ァタッテ〜 フーーーン、
 トーッテモ、イタイダロウニネーーー・・・・
 ンンンンーーー〜〜〜〜〜〜〜」

「ダレ〜カガ、オナ〜カヲーー、ダレ〜カガ、オナ〜カヲーー、
 キッチャッ〜ァタッテ〜、フーーーン♪
 トーッテモ、イタイダロウニネーーー・・・・」

「ンンンンーーー♪カレ〜〜ライスゥ〜〜〜〜〜〜〜♪♪」

・・・・とひつこい。

「ねえ、ねえ、この歌なんだっけ、遠藤賢治の歌だよね。
 コワイ歌作るよねーー、切っちゃった切っちゃったってサー」

シリアスなのか呑気なのか、
さっぱり分からない人だダンナは・・・

あのね、こわいのはアナタの方でございますよーー

彼女が慣れない台所に立っていて、のんびりカレーができるのを待ってる
幸せでほのぼのとした歌を「日常に潜む恐怖・スプラッターソング」
にしてしまったのは、アナタですわ☆
もっとも、この歌の頃はそんな時代じゃなかったけど
今なら何があってもおかしくないから、よっぽどその方がコワイか・・・?

お腹を切ったのは、三島由紀夫で
そのニュースを寝ころんでTVで観ながら
若き遠藤賢治さんはカレーができるのを待ってたんですねー
「んんん〜、とっても痛いだろうにね〜」て歌いながら


 



《back← INDEX  →next》     MAIL 

 

リンク、引用の際は
必ずご連絡下さい。



 


猫への虐待、許しませんよ!


マイエンピツに追加