『偏愛的猫生活』☆muux

◇登場人(猫)物◇=01年6月頃生の純日本猫♀、竹藪に捨てられていた。
ザジ=02年11月頃生 03年1月21日から同居。Mixアヘ〜猫♂9.2kg
ATU/ダンナ=絵描きになりたかった地質調査技師。ウドンは柔らか目。四国・松山出身
わたし=実は雑踏が大好き。道玄坂の奥がふる里 →<about me>

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昔の事など・・・☆☆ 2002年10月31日(木)

このあいだ、2年ほど前にガンで亡くなってしまった、
イラストレーターだった渋谷則夫さんのお墓参りをして来た。
わたしは、それほど直接は親しくなかったけど、
親しい人たちの輪の、視野の中にいつもいる人だった。
カッコ良くて才能に溢れた若々しい姿を憶えている。

一緒に行きたいと言ってくれた人は、仕事上でも仲の良かった人。
彼は渋谷さんの晩年のこともよく知っていて、
わたしの持っているイメージとは、少し違う渋谷さんを知っている。


東京という街は、意外と坂道やお墓の多い街だ。
渋谷さんのお墓も、そんな東京のど真ん中の目黒にある。
いくつもお寺があって紛らわしい角々を歩き回って巡るのも楽しかった。
(つづく



近頃の病気模様−3 2002年10月27日(日)

さっき、10時頃に寝付いたダンナが、
すぐに小さな鼾をかいて寝始めてから
30分もしないうちに
変な叫び声をあげて目を覚ました。

いつも朝が早いので、我が家の就寝時間はかなり早い。
ただ、わたしは勝手にモゾモゾと、よく夜更かしをしているけど・・


ダンナは11月の下旬に手術をする。
下の方の大腸にある憩室に炎症癖がついていて
ずっと抗生物質を飲んでいても、いっこうに良くならなくて、
最近は悪くなるばかりなのだ。このままでいくと、
破れたり穴が開いたりという危険なことも起こりかねないので、
いっそのこと取ってしまう方が予後が良いと先生が言う。

このところ、少し落ち着いてきていたので抗生物質はやめていた。
あとは手術の日まで、体調を整えておけば無事に終わるなという日々。
でも、少し違和感があったのと、
明日に具合悪くなるのがイヤだったのとで
抗生物質の薬を、寝る時に飲んでいたのだそうだ。

「カユイ、カユイ・・・」と大騒ぎしている。
いつも背中掻けとか、足をさすってくれとか言って、
何かと、かまって欲しい方なので、
いつものことだと思いながら、背中を見たけど何もなかった。
「んん、もう情けないなぁ〜」と言いながら
電気を付けて、もう一度体中を見ると
見ている間に、あっちだこっちだとプクプクとした膨らみが出てきた。

あ〜〜、あ〜〜?なんじゃこりゃー??

どうやら蕁麻疹のようで、自分でも変だと思ったのか
夜間診療の病院を探して、いま一人で診察に行っている。
ステロイドの点滴をこれから受けると電話があった。

きょうは奮発して(実は半額だった)フグ鍋をした。
なぜか、あまりダシの出ないフグだったけど・・・
それと、12センチ位の海老を甘辛くサッと煮て、それも食べた。
思い当たる食べ物と言ったら、どれも怪しい。

わたしはと言うと、まったく何ともなっていない。
もともと、花粉症を抜かせば、それ程アレルギー症状は出ない方だ。
でも、ダンナだって、こんなことは初めてだ。
最近はお酒もやめていて、無茶な食べ方もしなくなっているけど、
ずっとクセのあるものも、珍しいものも率先して食べていた方だった。
でも、こんなことはなかった。

体質が変わってきている、ということなのかな?
土台のひとつが、少しずれていくとジワジワと
他にも波及していくということなのだろうか?
薬を飲んだからいけなかったのだろうか?

薬はこれからも、いろいろな種類を
飲んでいかなくてはならないのだろう。

風邪の薬を飲まないでいい、
ということとは様子の違うことだから
こういうことって、スゴク難しくて、
よく分からないことだ。。





都市の面影 2002年10月26日(土)

昼間、赤瀬川源平さん命名の「トマソン」を継承している
飯村昭彦さんの個展に行って来た。


赤瀬川さんは、変容していく都市を記録するという意味だけではなく、
ものを見る時の目の訓練というか、
その目と、それを受け取る時の意識の在り方と言うことに
興味があったのだろうな、と思っている。

街の中にある建造物が作り出す、矛盾や無用の用の片鱗。
それは、天まで昇るかというような階段だけが、
撤去されたビルの跡地に残されているというものであったり、
セメントが詰められた郵便受けであったり、
隣家がなくなった為に剥き出しになってしまった家の横腹であったりする。

わたしは、その飯村さんの写真の前に立ち、
激しい郷愁におそわれていた。

他でもない、そこにある壁や電線のように、
そこで息づいている自分の姿を探していたのだ。


よく驚くほどの誤解を受ける事があるのだけど、
わたしは少なくとも(?)「東京」をこの上なく愛している。
これはとても頑固なことで、いわゆるどこかで誰かが言っている
東京像ではなくて、私がこの目で見て、この肌で感じて愛してきた
「東京」で、他のものであってはゼッタイに駄目なものなのだ。

それは、昔付き合った男Aが忘れられなくて、
その後どんな男も受け入れられないお嬢さんの想いに似ている。

でも、それを聞く方はAとA*がどれほど違うことなのか理解できないから
自分を否定されたように感じて、不愉快になることがあるらしい
そう言う時には「ああ知られないようにしなくてはいけなかったな」と
自分の不手際を悔やむ。

困ったことに、それが「東京」であるものだから、受ける誤解は、
わたしがブランド志向なのかとか、反京都なのかとか、
お高くとまった本物主義なのかとか、いうものなのだけど、
決してそういうことではないのだ。

わたしは、見て肌で感じてきた建物の感触や、
アスファルトから予期せず剥き出しになった土の匂いなどの
「わたしの東京」を他の事物と一緒に相対化するのを
かなり頑固に拒んでいると言うだけなのだ。
わたしたちは、あの場所から帰る場所を持たなかった。
火事があっても、薬が撒かれても、
そこ以外に帰るところはなかった。

多くは都市というのは訪れる場所である。
何をしても清濁織り交ぜて、飲み込んでくれる
揺籃のようなものだということになっている。
そして、何事もなかったような顔で
無傷の郊外の我が家へと帰ることができるのだ。


その汚濁の中で浅く眠る日々の記憶が
遠のいていかないように、
なにもない空中に手を差し出して掻き寄せてみている。

おまけにその形は心許ないほどに不定形だから、時によって、
さっきはあったはずの思惑をすり抜けてしまったりもする。

形のない、記憶の中の空気は、とても希薄なものなのだ。
なので、意識の中で不意にでも相対化してしまっては
失うものが大き過ぎるので、自ずと慎重にならざるを得ないのだ。


いつも人は、田舎から都市へ移り住んだ人の意識を問題にするけれど
(乾ききった都市の路地裏で疲れ切って故郷の川のせせらぎを思う、とか)
都市から田舎へ移り住んだ人の内面までは、言及しない。

幸せでないはずがないからだ。
空気も、水もキレイに越したことはなく、
山を遠くに望みながら車を走らせることは
幸せ以外の何者でもないからだ。

でもわたしは、透明な眩しい光の中に建つ、
郊外の中華ファミリーレストランで、
おそらくチャチなものであろう「北京ダック」の文字をを目にして、
フラッシュバックのように、鮮烈な胸騒ぎを覚える。

子供の頃の渋谷の恋文横町の奥にあった
カウンターだけの中華屋の暗い店先で、ぐるぐると回っていた
汚いダックたちや、湿った地面の匂いをリアルに思い出す。

ダクトから吐き出される排気の匂いや
小さな缶に植えられた梅の木の息づかいが
まぎれもない、わたしの懐かしい故郷。。。


ジミ・ヘンはエンジェル 2002年10月25日(金)

最近パチンコに凝っているダンナがDVDプレヤーを取ってきた。
パソコンには付いていないから初めてのDVD。

ソフトを買うのも慣れていなくて、何を買ったらいいか分からない。
二人ですったもんだ言いながら「スパイダーマン」と1500円の「ウッドストックの記録」を買ってきた。

ダンナはクロスビー・スティルス&ナッシュに聴き入っている。
わたしはジミ・ヘンの指の繊細さに改めて彼の若さを思って観ている。

わたしは、昔からジミ・ヘンが大好きで、
中学生になるかならないかの頃のバーズやハーマンズ・ハーミッツの
すぐ後に、首っ丈になったのは彼だった。
あのノイジーな音の向こう側にある、
彼の澄んだ目のような飛翔感に心打たれていたのだ。

なんて言えばいいのだろう・・・

なので、また後で書くことにします。

そう、彼はエンジェルなのですよ。


もう一つのこと・・ 2002年10月21日(月)

もう一つの機嫌が悪かった原因は、入っているプロバイダのこと。

何年も前に一度インターネットに繋いでから、何があったのかは知らないけど、もうずっと繋げることなく過ごしてきた頑固者の友人が、急に「何処かいいプロバイダないかな?」と訊いてきた。
わたしは、この4年程、かなり人気はあるものの案外地味なプロバイダが気に入って加入している。
周りを見渡すと、そこを使っている人が多いのに気が付いたりしていた。
みんな、そこそこネット経験の長い人やそう若くない人が多い。
コンテンツも派手なものはあまり無く、素っ気ないくらい。
そういうプロバイダだとばかり思って、そこが気に入っていた。

そこを紹介しようと、最近改装になったウェブサイトを隈無く探すのだけど紹介するのにはどういう手続きをしたら良いかという項目が何処にもない。
どこかにあるかな?と画面をあっちだこっちだと見ていると、案外時間がかかってしまう。
結構はまりながらやっていると、だんだんと苛立ってくる。

仕方ないので問い合わせようと思うのだけど、
電話を掛けるのは通じないと何度も掛け直さなければならなくて、
とても手間とエネルギーが必要なので、メールを書くことにした。

内容は、自分の家がyahooしかADSLに入れない地域なのでメールアドレスが違っていますが会員です。と先に書いて、これこれの住所に案内書を送って欲しい、等というもので後で読んでもまあ簡潔に分かり易く書けたなというような感じで、それほど分かり難い表現だったとはおもえないものだった、と思う。

しかし、来た返事はADSLについての返事だった。
もっと悪いことにサイトをさんざん探しても見つけられなかったと書いている顧客に対して、既知のサイトのリンクを羅列してくる。
無いからメールをしたと言っているのだ。
それなのに見方が悪いと言わんばかりではないか!
羅列してあるリンクの数は相当なものだった。

どう考えても文を読む力がないか、ろくに読んでいないかのどちらか。
そして文章を入力する手間さえも惜しもうとしているのか?と思えてくる。
紹介する向こうのことも考えたら、非常に不愉快になってしまって自信がなくなってしまった。
つい、もう少しものの言い方はないのか?と抗議のメールを出した。

返事はすぐに来て、確かに文面は平謝り。でも、心は感じなかった。
おまけに相変わらずADSLについての案内しか書いていない。
いくら謝っていても真意が伝わっていないと、こちらが逆にクレーマーのようになってしまう。これでは何も言えない。
それとも、だんだんと誰も何も言わない世の中になっているのか?

メールというのは不思議なもので、心が入っているかいないかというのが何故かハッキリと見えてしまう。
わたしは今までたくさんのサポートのメールを出したり、返事をもらったりしてきた。
でも、これ程の得も言われぬ不愉快な感じは初めてだ。
実は以前にも、ちょっとした問い合わせをした時にフッと感じた違和感があって、その時は意識しないようにしていたのを思い出した。

そして、こういう何とも言えない理不尽な不愉快さというのは、最近若い人と接した時によく感じる独特のものだ。
とうとう、あれがこういう世界にまで忍び寄ってきたのかな?とイヤな情けない気分でいる。
穿った感じ方なのだけど「マニュアルの通りにちゃんと対応しているのに、何故いけないんだろう?イヤな人!」という心持ちが伝わってくるのだ。
わたしの考え過ぎなのだろうか?
でも、この不愉快さはなんなのだ?

ここは以前は年齢層も、他と比べてかなり高かったはずだ。
その、のんびりしていて風格のある雰囲気は安定と安心感のあるものだった。
しかし、ここ最近それが大分変わってきている。
なにかそういう雰囲気を感じる。

若くさえあれば感じがいいと思うのは、年寄りの幻想だ。
と言うことに気が付いていないのだ、ここは。
自分の肌の美しさに気付けなくて、
やにわに厚化粧始めた女の子みたいだ。

わたしは、もうここには戻らないことにした。
まあ、我が家一件くらいどうということではないだろうけれど
もうたくさんだ!という人が最低一人居る。
ああ、ダンナも含めると二人。。

厳然たる事実である。


機嫌が悪いのは〜 2002年10月17日(木)

このところ機嫌悪くて、気が滅入っている。
その機嫌が悪いのには訳があって、
重要なことではないのだけど、チョット苛立つことなのだ。

ひとつは、連休の間のことで
ずっとレーザーモノクロだった我が家のプリンターを
カラーのに変えたくて、いつも世話になっている量販店に買いに行った。

カラーだとレーザーは高くて無理だから『カラリオ』かなんかがいいねと、
展示品が安かったので、それに決めて持って帰ってきた。
そしたら、箱の中にドライバなどが入っているCDが入ってなかった。
その日は、もう夜遅くなっていたので、次の朝お店に電話を入れたら、
エヘラエヘラしたやつがモゴモゴ言ってて埒があかない。
調べて電話くれ、と言って切ったのに、夕方5時半になっても
何も言ってこないので、こちらから電話した。
わざわざ電話したのに、まだ、はっきりとしていない。

どういうことかだけ、普通に言えばいいことなのに
妙にバツが悪そうで、かえって変に思えるくらい。
「要するにどうするのか?どうなってるのか教えて欲しいだけなのだから、
 隠さずに、はっきり言って欲しい。」と言っても、
おたおたした応対で、随分とガッカリしたのだ。
で、結局CDが見あたらないので、コピーした物を至急送るという。
同時にメーカーからは取り寄せるので、それも近日中に送る。
と言う話になった。

ところが、次の日には届くように手配すると言っていたのに
いっこうに、届かない。その説明の電話もない。
なので今朝電話したら、副店長という人が偶然電話に出て
「品物はあったので、今、1時間以内に届ける。」ということになった。

普段よく世話になっていて、こちらとしては親しみを持っているお店だ。
そういうお店で、コソコソした歯切れの悪い応対をされると二重にイヤな気分になる。

今回はいつもの仲の良い人じゃなかったので、
こういう事になったのかも知れないけど、
他の人が担当すると滅茶苦茶な対応で良いと言うことではないだろう。
なんとかならないものかな?

長くなったので、もう一つの機嫌悪くさせる原因は次回にしよう。




不本意な猫 2002年10月14日(月)

昨日の夜、ケンカして互いに大声を上げていた。
その時、猫は怖がって身を縮めていた。

その後、遅くなっても二人とも気分が直らないままでいた。
知らんぷりしながらも、プリンタをどうとかしなければならないので、
パソコンの電源コードをいじる為に、パソコンデスクの下に潜っていたら、
猫が、急に襲ってきた。
だいたい、普段どんなに甘えていても
この子はわたしが床に座ると必ず襲って来る。
赤ちゃんの頃から、ちっちゃいのに、いつも挑んで来ていた。
何か縄張りのようなものなのかも知れないけど、よく分からない。

典型的な噛み猫で、普段でも寄ると触ると噛む癖がある。

だから、襲ってきたのは珍しいことではない。
でも、さっきのケンカで不安な気持ちと、
凶暴な気分とが渦巻いていたのだろう
いつもより、執拗で荒っぽい襲い方だった。

あまりに非道くて敵意に満ちていて、痛いことこの上ない
わたし自身もさっきのケンカで情けない気分でいっぱいだったので
とうとう、近くにあった雑誌を
猫の足あたりにぶつけて癇癪を起こしてしまった。
「もーー、どいつもこいつも、いいかげんいしろーー!!!」
と別の部屋に駆け込んでドアを閉めた。
猫とでも真剣勝負になってしまう。
ああー、大人げない・・・!

凶暴な割に意気地のない我が家の猫は、ビックリしながら
ニアオ!ニアオ!と、あんなに襲いかかっていたにもかかわらず
ドアの前でしばらく鳴いている。
なんの意味があるのだ?済まないと思っているのか?
怒りが収まらない。。。

私たち3人(?)はその夜、何も口きかず、よそよそしく床についた。
ちなみに猫の寝床は私たちのベッドの横に同じ高さに作ってあるので、
川の字になって寝ている。
そこで彼女は、体重6キロの1歳半になった今でも、
毎晩ピンクのタオルをチュウチュウ吸いながら眠りにつくのだ。

今日の朝になっても「遊ぼう」でも、「ご飯」でもなく寄って来もしない。
少し機嫌とろうと手を出したら、耳を後ろへ引いて
敵対の構えをするので、もうイイヤと、知らぬ振りすることにしたら、
敵も去る者、シカトを決めている。
ダッコしても、フン!撫でてもフン!・・

遠く窓の外を黙って見つめている。
ベランダの植木の横の壁をじっと見ている。
暗い部屋でじっとしている。
見に行くと悲しい目をいっぱいに見開いてこっちを見ている。
何か不本意なのだ。寂しくて、怖いのだ
いつもこの目をする。

手の平に乗せても余るほどにちっちゃな仔猫だった。
もう、その時から彼女は不本意さを感じていて、何か苛立っていた。
何をあげても餌が気に入らなくて、「違う!」と砂掛ける動作をする。
手を出せば、小さな小さな牙で向かってくる。
いつも、何か訴えかけている。。。大きな口を開けて訴えている、ニヤ〜、
ちっさくてクサクサな毛並みで・・
お母さんがいない!何故ここにいるの?とでも言いたげに・・・

夜になると、オーディオの陰に黙って入って一人で寝てしまう。
ちっとも馴染もうとしない、ちっちゃなちっちゃな生き物だった。

やっと話が分かるようになったのは、1歳になった今年の夏頃からで
いまでは、話せば通じる変な猫になっている。

なので感情がもつれると、わたしたちは男女の仲のように
難しい案配になってしまう。
人間に対して以上に、振り回されているわたくし。
軽くいなせれば、猫も楽じゃろうが、
なかなか修行ができていないのであります。

猫は本当に平和的で繊細な生き物で、人間以上に人間的なのだわ、、


近頃の病気模様-2/憩室と啓蟄? 2002年10月13日(日)

きのうダンナは検査をしてきた。

わたしは初めて人の腸の中というものを見た。

ご本人は、身体の中をゴニョゴニョ内視鏡を動かされながら、
自分の腸の中が映し出される映像を見てきたのだから、
何とも奇妙な体験だったのだと思う。
結局、炎症を起こしている場所があるということだけで、
それほど深刻な事ではないらしいので安心したけど、
腸の中にある洞窟は結構な数に及んでいるらしい。

むかし読んだ『地底探検』とか、『地面に穿たれた都市』とか、
そういった本のことを思い出した。
あんまり住みたいと思う場所ではないけどね、

ただ、できたウンコが最終的に通る道というだけにしか認識してなかった器官が、虫さんでも住んでいる小宇宙のように思えてきている。

うごめきながら地上に出てくると啓蟄?
というと、出てきた地上はどこになるんだろー?



昔の事など・・・☆ 2002年10月11日(金)

17歳位の頃からの友人とお茶を飲んできた。


彼はその頃、進学で有名な男子校に中学から通う高校2年生だった。
当時どこもそうであったように学園紛争の盛んな学校でもあった。

彼らの仲間は、制服は誇らしげに着ていはするものの、
髪を伸ばしたり頼りのない髭を蓄えたり、タバコを吹かしては
何をそんなに話すことがあるのかと思うほど
口角泡ふかし議論に明け暮れる生徒たちだった。

父上の影響か美術にもことのほか関心があって
デッサンをしに美術研究所にも通ったりしていた。
彼の仲間には曼陀羅を泥絵のように描く人や、繊細に細密画を志す人、
お金がないので板に描く人などがいて、
それぞれ個性豊かな若者たちが思い思いに生きていた。
でも、不思議なことに今の今まで彼の描いた絵というのを見たことがない、
または見たことがあるのかも知れないけれど、記憶がない。


通っていた美術研究所を出て坂を降りてゆくと、
もう一つの坂が下った合流点に『モンド』という喫茶店があって
わたしたち3、4人のグループは時折そこでお茶を飲んだり、
パフェを食べたりした。

そんなことを思い出しながらとりとめのない話をしていた。

5年前も同じように話をしていたし、10年前も同じように話をしていた。
そして、15年前も20年前も25年前も、
30年前も・・・同じようにお茶を飲んでいたものだなあと
まわりの風景や自分の姿が変わってしまっても、
変わることのない二人の距離と、吸っている時代の空気を思っていた。

お茶を飲んだ場所は、もう今は跡形もなくなってしまった馴染みだった
喫茶店の近くにできた、味気のないチェーン店であった。

もう、そういうものしか残されていなくて
あの大人げな喧噪は願うべくもないな、
と小さな傷に知らぬ振りをするように
わたしたちはとりとめのない話を続けていた。


近頃の病気模様−1 2002年10月09日(水)

夫がこの何ヶ月もの間、お腹が張って苦しいと言っていて、
時には微熱も出たりしているので、
今度の土曜日に内視鏡の検査をすることになった。

内視鏡というのは、いろいろ難しい検査らしいけど、
地域の中では定評のある先生を紹介して頂いたので、
まあ安心していようと思っているところ

ただ、注意として言われていることがあって
小さな未消化物の断片が腸の襞にくっついていると、
判断しにくくなるので、3日くらい前から
食べないで欲しい食品があるという
それはキウイ、若芽、トマト、ひじきなどなど
それらは種や皮が小さく残り易い食品ばかりだ。

わたしは他にも、いけない物はないのか、
考えておかなくてはいけないのだけど
考える時に結果の様子を想像しなくては
食べて良いのかいけないのか判断できないので
それはわたしには、チョット苦しい作業になっている。

食べた物がどんな風に腸壁に残るかを食材ごとに想像するわけで
ということは○んこの様子を想像することに他ならない。
食事の最中でもスーパーの棚の前でも
わたしは即座にそれをイメージしなければならない。
因果なものだが、これも家族の健康のためだから仕方ない。

でも、早く検査終わってくれないかなーと切に願っているのです。









雑踏の中 2002年10月08日(火)

きょう夕方、頼んであった本を取りに隣の隣の駅の本屋に行った。
帰りに切符を買って改札を入ったら、
財布に入れずに鷲づかみにしていたお釣りの50円玉を落とした。

殆ど音がしなかったから買い物袋の中にでも入ったかと、
あきらめて歩き始めたら前から来た女の人が
「ここよ!」と指さして教えてくれた。

振り向いてお礼を言おうとした瞬間、間髪入れずに、
すぐそばを男の人が、その小さな50円玉の落ちている床を
指さしながら足早に通って行った。

ところが、今度は、
その人と交差するように向こうから来た少し年輩の男の人までが
その50円玉のある床を指して、改札を抜けて行った。

すべてが、ほんの10秒に満たない程の出来事だったけど、
それはまるで、その3人の人たちが、
この落ちた小さな50円玉の構成要素だとでも
謂わんばかりの瞬間に思えた。

きっと遠くから、ボケーっと硬貨を落としたのが見えていたのだろう。
チラッと無表情に、不機嫌そうでも上機嫌そうでもなく、
ただその瞬間を通り過ぎただけという感じに
落ちた50円玉を一瞬指さして通り過ぎて行った二人のおじさま。

人混みや雑踏は嫌われることが多いけど、
わたしはこういう事に出会えるのがなにより嬉しくて、
一概に嫌い切るなんてことが出来ないでいる。


毛が抜けた 2002年10月06日(日)

大きな声で言えないのだけど・・・
実はヤンキー、大嫌いっ!!!

近ごろ世の中物騒で、住んでいるマンションでも、痴漢侵入事件や郵便受け火付け事件等があって、他にも車に傷を付けられるなんてことは日常茶飯事になってきている。なので、誰かから要らない反感買うようなことは出来るだけ避けようと思うようになっている。

・・・この喧嘩っ早いわたしが、
そう思うようになっている。。。
イヤな世の中じゃ〜・・・
北海道の西友の返金騒動もなんだか、とてもイヤな話だね。

実は、ヤンキー嫌いだなんて公共の場で言ってはいけないのだよ。

この日本列島、都心以外の周辺地に定着しているヤンキー文化を侮ってはいけない。なにしろヤンキー国勢調査でもしたら、その割合は相当なものになると思うよ。だって、行楽に出掛けたり、地方に用事で出掛けたりすると殆どの人たちがヤンキー的なファッションや文化の中に生きているというのを改めて確認できるから。車はシャコタン多いしね。。
アメリカだって、ニューヨークは特殊で、ほかの土地は皆カントリーミュージックの国、少し都会っぽくしてブルース・スプリングスティーン。
(こちらはそんなに嫌いな音楽じゃないけど・・)
そう、それ以外の人はインテリかマイノリティ。
これは私のスゴイ偏見。でも、隠しておけない本音の偏見。。。


わたしの髪は真っ黒な直毛なので、重いのが気になってつい染めたくなる。その染めていた髪の根元が伸びて色も褪せてくると、チョット年季の入ったヤンママみたいになってくる。
で・・嫌いなわけだから、そうなってきた自分に我慢できなくなって、2、3日前に髪を染め直したわけです。濃い色にしなければ意味がないので、流行の灰緑に、いつもの倍くらいの時間を掛けて染めたのですね。
けっこううまくいって黄色味も取れて落ち着いた色になった。
ところが気に入ったのはいいけど、事件はさっき起こった。

わたしが昼間シャワーを浴びて、洗面所に掛けたままにしてあったバスタオルを、何の気なしにダンナが使ったら、濡れた身体にわたしの抜け毛がいっぱい貼り付いて、驚いて悲鳴を上げた。
切って撒いたほどの量があった。
ホラー映画か???
自分ではそんなに抜けた気はしなかった。けど、実際床に落ちた毛髪を集めると相当量あった。拭いている時にこんなに抜けるって、ちと恐い。。

突然、身体に毛髪が貼り付くというのは、さぞビックリしたと思うけど、抜けたわたしもビックリした。これはもしやと不安になったので、ダンナに頭見てもらったら、そういう部分はないみたいで安心した。
でも、これからは気を付けよう。しばらくは染毛も控えよう。
悲惨な姿が目に浮かぶ・・・




チビコ 2002年10月05日(土)

いま、ひとつだけ読む漫画があります。
『クロ號』という黒猫が主人公の漫画なんだけど、描写がリアルで、なんとも猫好きにはたまらない漫画なのです。
その漫画に先週あたりから登場してきた『チビコ』というちっちゃな仔猫が我が家の『麦』とものすごくよく似ていて嬉しいようなくすぐったい気分。

殊の外小さいくせに凶暴(?)で、怒りっぽい性格でまさに噛み猫というところがそっくり。そして、白地に茶虎の丸が両脇に入っているという、自分ではちょっと珍しいと思っていた柄まで同じ。恐がると後ろ向いて小さな身体を縮めて震えてる姿なんか、もうそっくりで、育てにくかった赤ちゃんの頃のこと思い出して夫婦して胸いっぱいになる有様。

もちろん作者とは知り合いじゃないから、この偶然に感動しつつ、あんまり無いと思っていた事が実はよくあることだった。という事のひとつなのかなと思っている、この頃。

作者の人に今度写真送ってみようかな?


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猫への虐待、許しませんよ!


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