カンラン
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2008年01月28日(月) 破調

お昼ごろより、みぞれ。
こんなん何てことないやと甘く見ていたら、みるみるうちにものすごい勢いで降り出し、そのうち完全に雪に変わり、夕方には窓の外が真っ白になった。テレビを見ていても、ついつい外の様子に目を奪われる。



そんなわけで道路は大渋滞となり、つちのこ氏はへとへとで帰ってきた。
市内に入ってからバスが全然動かなかったらしい。



いつもと違う様子に手順が狂ったのか、夕飯時に作っていたおかずを一品食卓に出すのを忘れてしまった。(冷蔵庫に入れっぱなし)

私はそれに気づかずさっさとご飯を済ませ、ぴのきを寝かしつけている最中にようやく思い出した。

お風呂あがりほやほやのつちのこ氏に
「ごめん。おかずひとつ出すの忘れてた」
と報告したところ、
「なんか食卓がさみしいと思った」
と言われへこむ。
そんなさみしい食卓を見てもなんの疑問も抱かなかった自分が不思議で仕方ない。





『東京タワー』を観る。(昨夜)
樹木希林と内田也哉子親子が好きなので。
親子でひとりの女性を演じているのが、すごく自然であり不思議であり。さらりといきそうになって、「おおっ、今、切り替わったのか」と軽く前のめる。



背筋をのばして、でん、としていたい。でん、と。

私は泣いたり感情の起伏が激しいからなあ、と思っていたら、手持ちの対談集で内田也哉子も自分のことを「熱い」と言っていてちょっと意外に感じた。でも、やはり母上(樹木希林)は、でん、とされているらしい。

『東京タワー』。
こどもを持って観ると二度泣ける作品。
昨日はぴのきの母として涙があふれ、今日は母の子として泣いた。

けれども、全身ピンク(靴下も)とか全身紫コーディネートのオダジョーを思い出して、ちょっとひく。
あれはオダジョーだからなのか?
それともリリーフランキーだから?
と言うよりアートな人のイメージか?

と思っていたら、オダジョーが樹木希林の手をひいて横断歩道を渡るシーンがよみがえり(このときは単色コーデではない)、ふたたび泣く。


2008年01月21日(月) 少し、似ている

用もないのに記憶がやたら騒がしいことがある。

普段は取り出そうと思っても取り出せないぐらいに埋もれてしまっているようなことが、芋づる式にぼこぼこと出てくるのだ。ぼこぼこと出てきた芋(記憶)がそこここに転がっているため、何をするにも足をとられてしまい、大迷惑。

ここ数日が、そんな日々。脱したい。





ぴのきの成長がものすごい。

相変わらず一日中外国語(つちのこ氏には韓国語のように聞こえるらしいが、私には北欧のことばのように聞こえる)のようなものをしゃべり続けているが、日本語のボキャブラリーを確実に増やしている。
そんなに覚えたのかとこちらは驚きを隠せないのだが、まったくのゼロからのスタートというのはこんなものなのかも知れない。
ついつい自分が英語を覚え始めた頃とだぶるのだけれど、(まわりの人間に通じないとは言え)私にはすでに日本語という母国語があったのだ。
それすらもない状態というのは、どれだけもどかしいものだろうか。

ぴのきが今日身につけたことばは、「いっしょ」。
「一緒に」ではなく、「同じ」という意味合いで使っている。





そんなぴのきは1歳9ヶ月になった。

ミクシィなどで同じく子を持つ友人知人の日記を読むと、「かわいい」「すっかり親ばか」「笑顔を見れば疲れも吹っ飛ぶ」などのことばがあまりにも多くて、どちらかと言うと余裕のない私は、人知れず不安になったりしていた。

子どもがいることによって生じる不便だとか時間のロスだとか、そんなものに苛立つことも多いし、解放されることのないのが試練のように感じられた。

それが最近少し変わりつつある。
「かわいいなあ」と思うことが増えたのだ。

もちろん今までもかわいさを感じたことはあったのだが(なければおそらくここまで来れてない)、それらはあまりにも一瞬で、次々とうまれる感情の波に飲み込まれていた。


母に、
「よそのお母さんを見ていて、そのやさしげな様子にショックを受けた」
と打ち明けたら、
「ほかの人はほかの人。自分にしかできない子育てをすればいい」という意味の話をしてくれた。

今更だけど、私はこの人に育ててもらったのだなあ。

結構はちゃめちゃで、どこまでいっても末っ子気質が抜けなくて、根は真面目な母は、幼稚園教諭の免許をとりながらも「どの子どもも皆おんなじように可愛がるなんて私にはできない」と結局その職につくことはなかった。


私とぴのき。
今は以前よりも増した一体感を少し楽しめているかな。(新生児のときの方がむしろ一体となってそうだけど、どういうわけか今そんな感じ)

いつもは日に100回ぐらい「まま」と私を呼ぶぴのきが、にやりと笑いながらつちのこ氏のまねをして「BROOCH(もちろん本当の名前で)さん」と呼べば、それがどこであろうとぎゅうぎゅうに抱きしめて4の字固めのひとつやふたつかけたくなるのさ。(ただし、かけ方を知らない。残念無念)


ほんの少し、恋に似ている。

でもきっと、明日になれば、また格闘。


2008年01月18日(金)

昼。
きなこもちを食べていたところ、突如強烈な思い出し笑いに襲われあやうく悶死しかける。

以前、JAYWALKというグループのボーカルの人がアーミーナイフを不法に所持していたために逮捕されたというニュースをテレビでやっていたのだが、その際、アナウンサーがそのボーカルの人のことを何度も「中村メンバー」と呼んでいた。
多分、敬称をつけると悪いことをした印象が薄れてしまうし、かと言って呼び捨てにするものちょっと・・・ということなんだろう。
しかし、メンバーって。
なんとなく報道サイドの苦悩も見てとれる感じがまたおかしい。

もしもピンで歌をうたっている人が逮捕されたらどういう言い回しになるのか考え込む。
○○シンガー?
○○ボーカル?(でもそれなら中村メンバーも中村ボーカルとなるはず)
○○アーティスト?
どんどん広がりをみせるが、こういうのはやっぱりカタカナ語で曖昧にさせておくに限るな。

隣でもちを欲しがるぴのきにもちを小さくちぎってやりながら、「ああ、君とこの笑いの渦に一緒に飲まれてしまえたら、どんなにか幸せだろう」と思わずにはいられない。

私は昔から思い出し笑いがとても多いのだ。それを分かち合える人の不在がやるせない。





テレビつながりで。
昨日、近所の弱小スーパー(店長ほか従業員が「いらっしゃいませ」とか言わない。昼のお客が多い時間に平気で大規模な売り場の配置換えをしたりする。通路は客ではなく、従業員優先。その他もろもろ)に買い物に出かけたら、とある女性が視界に飛び込んできた。

「ああ、あの人、知ってる。誰だっけ?」と買い物そっちのけでぐるぐるぐるぐる売り場を回り続け、1周するかしないかのあたりで思い出す。

広島でアナウンサー(もう退職されたらしいが)をされている山原玲子さん。夕方のローカル番組で絵てがみを披露されたり、多才な人だ。

にしても、私の記憶というものはわが家とおんなじで片付けがなっていないなあとため息が出る。ぱっと見、片付いているんだけど、とりあえずしまい込んだにすぎない状態で、何がどこに入っているのか後から探すのが困難だ。
そんなわけで、山原さんも近所のおばさん他多数がしまい込まれているのとおんなじ記憶の引き出しから出てきた。失礼。

「お尋ねします。たまごはどこにありますか?」と卵売り場の目の前でスーパー店員に尋ね、「あら」と頬を赤らめる山原さんの声はとてもきれいでしっかりとしていた。


2008年01月16日(水) 星の王子

3日の日に突如実家より姿を消してからかれこれ10日以上もの日々が流れている。その間に重症だったつちのこ氏を筆頭にメンバー全員が健康を取り戻したわが家。

連休前の週は「肉なんてなくてもいいよね」などとつぶやきながらただひたすら胃にやさしい食事(素うどんは卒業)をとり、その反動で3連休はスパゲティーに、ハンバーガーに、お好み焼きに・・・はてはステーキ。そのあとパフェーなるものまで食べにわざわざファミレスまで出かけたりもした。
さすがにど貧民と化していた胃たち(3つ)も疲労し、週が明けてからふたたび健康食にお世話になる始末。
もうそれほど若くはないのだから、ここらでちょいと落ち着こうぜといい加減肝に銘じる。





留守中に突如姿を消した(一応電話で連絡はした)私たちを気にかけて、以来何日かおきに実家の母が連絡をくれていた。

「あんたら、生きとる?」

「つちのこ(ここはもちろん本名で)くんは仕事行けよるの?」

「食料は調達できよるん?」

「うちはぴんぴんしよるけ安心しんさい」(感染してなくて本当によかった)



そんな母との再会が本日ついに実現。長かったなあ。
お互いあれやこれやと近況を報告。

ぴのきには手編みの帽子をプレゼントしてくれた。グリーンに白いラインが1本入ったニット帽で、てっぺんに白い毛糸で編んだ星のかざりが垂れている。
最初被ることをかたくなに拒んでいたぴのきも、行く先々のお店で「あら、かわいい帽子じゃね」などといろんな人に褒められるうち、だんだんとその気になってきて、最後には赤い顔をしてあきらかに暑いだろうに外すことを拒む始末。
右に左に首をかしげて星の飾りが揺れるのを楽しんでいた。

また近いうちに実家に遊びに行きたい。
今日は母(ばば)と別れてもぴのきが大泣きしなかった分、帰りの車の中で私の方がちょっとしんみりしてしまったよ。





くまのぬいぐるみは痛恨のミスで結構な後戻りを強いられた。
(2枚目の腕の長さが所定の長さの半分しかなかった)

がんばれー、私。


2008年01月13日(日) 雨あがる

現代美術館にイリヤ・カバコフ「世界図鑑」展を鑑賞しに行く。

やさしい色あいで描かれた絵本と原画。こんなに上手に絵が描けたら楽しくて仕方ないだろうなあと羨んだり、これほど絵の上手い人でもやはり下絵は念入りに描くのだなあと感心してみたり。

また、ひさしぶりに眺める(悲しいかな「眺める」という表現が的確)ロシア文字には、学生時代にこういう素敵なものに出会っていればもう少しまじめにロシア語を勉強したかもなあと後悔の念をおぼえる。もうだいぶん遅い。
意味はわからなくても読むことはできたのに、それさえも今はかなりあやしくなっている事実をすんなり受け入れる。

ミュージアムショップでマトリョーシカがぽこぽこついたピンとポストカード数枚を買う。





置き文のお相手にふた月ぶりぐらいで手紙を書く。

相変わらず不思議なやりとりではあるが、「今年もまた変わらぬペースでぼちぼちと置き文ができればうれしい」のことばに知らず知らずのうちに饒舌になる。

毎日顔を合わせていた頃より、お互いについてたくさんのことを知っている。つかず離れずの間柄。

そういえば、私の知っている彼は25のままだ。


2008年01月11日(金) ほっこり

体調がよくなれば加速するはずであったくまのぬいぐるみ制作が足踏み状態。

というのも、新たなブームが到来したのである。

ザ・切り絵。

暇さえあれば、紙を折り、図案を描き、ハサミでちょきちょきとやっている。厚く折ったり、複雑な図案になれば、それなりにしんどいのだけれど(ハサミで親指のつけ根あたりを傷めた←はりきりすぎ)、広げた瞬間に目の前にあらわれる労力以上の仕上がりがいとおしくて仕方ない。

気に入りをせっせと家のあちこちにちりばめる。
(この貼り付け作業がちまちましていて思いのほか大変)

なかでも、昨夜取り替えた郵便受けと玄関ドア脇のネームプレートに対するつちのこ氏の反応がおもしろかった。

「BROOCHさん、あれ、いいね。でもお店やさんと間違えて誰か上がってきたらいやだねえ」

・・・その心配はいらないと思う。
しかも私がつちのこ氏をおどろかせようとこっそり取り替えたと思ったようだけど、実は昨日、テレビゲームに没頭するあなたのそばでせっせと作っていたのだよ。外に出て2つの色あせたネームプレートを回収して、できあがったものと取り替えたのだよ。気づかなかった?

これからもぼちぼち増殖予定。





おととい、だったかな?

待ち望んでいた加湿器が届く。
加湿器を買おうだなんてやはり弱ってるなあと思いながら、少し沈んだ気持ちでお支払いを済ませ、とりあえずそのまま玄関先に放置。
夜も更けてから、つちのこ氏(のりのり)と設置する。

性質上、ものすごい効果を実感!というわけにはいかないけれど、なかなかいいような気はする。

図らずも今シーズン購入したパネルヒーターと同メーカー。ヒーター+ミストモードにすると、じんわりとまるいあたたかさ。名コンビだわ、これは。


2008年01月07日(月) 弱り目

今年に入って早くも一週間が過ぎた。
つちのこ氏のノロもどうにかピークを過ぎた模様。晴れて今日から出勤だ。

とは言え、いたって軽症だった私やぴのきでさえ、まだお腹がごろごろいってみたり、完治したのかしていないのかそのあたりを行ったり来たりしている状態なので、油断できない。

それに、去年は教科書通りにノロの直後にマイコプラズマ肺炎に罹った我々。あなおそろしや。
そんなことを思い出した矢先に隣で咳こむつちのこ氏・・・ご勘弁を。

今宵はやんわり七草粥で締めくくる。





昨年末、インフルエンザ他いろいろなウイルス対策等々に悩みに悩んで加湿器を注文した。が、いまだ届かず。
ああ、待ち遠しい、待ち遠しい。

目に見えないものにおびえている今、まさに「たかが加湿器、されど加湿器様」な心理状態。設置すれば、その先に少しはまし(健康)な日々が広がるのではないかと、なんかちょっと普段の自分とは違うやわな部分が顔をのぞかせている。
いかん、いかん。気はたしかに。





くまのぬいぐるみは2枚目の片足が編めて、もう一方の足に取り掛かったところ。時折、何かに背中を押されている感じでものすごいスピードで進んでいる。


2008年01月05日(土) さんざん

新年あけました。

さて、「穏やかな年末年始」にとんと縁のないわが家がこのたびも期待を裏切ることなくやってくれちゃいました。

以下、だいたいの流れ↓

12月末  私が風邪をひき、その流れでつちのこ氏も風邪をひく。

  28日 重症のつちのこ氏、病院で点滴。

  29日 私も念のため受診する。

  30日 体調も良くなったので、島へ渡る。

  31日 大人がばたばたと倒れはじめる。

1月 1日  島より戻る。

   2日  私の実家へ。

   3日  つちのこ氏、ダウン。予定を切り上げわが家へ戻る。遅れて私も軽く体調不良。

   4日  つちのこ氏、仕事を休んで病院へ。再び点滴。

なんだ、これは。
去年の巻き戻し再生かと己の目を疑うよ。(去年は結局どちらの実家にも帰省できぬほどひどかったので、それよりか幾分かはましだが)

31日から、お義兄さん→お義父さん→お義母さん→お義姉さんとドミノのように次々と倒れだしたときには、「はっ!私たちが何かよからぬものを感染させてしまったのでは・・・」とひそかにどきどきしたものの、3日から私たちも同じ症状でダウンしたことによりシロ確定。

つちのこ氏のかかりつけ医によると、まず間違いなくノロウイルスであるとのこと。2年連続だよー。勘弁してくれよー。
それにしても、潜伏期間48時間てのは、どビンゴだなあ。

私としては実家でゆっくりできなかったのが非常に残念。楽しみにしてた会食にありつけぬままの帰宅はまさに後ろ髪をひかれる思いでしたよ。

でも現在、つちのこ氏も回復に向かいつつある。(素うどんしか食べれなかったのが他のものを欲しはじめているし、今は隣でゲームに勤しんでおられる)
それに、私はほんとに軽症で済んだし、ぴのきにいたってはおそらく感染せず。これだけでもよかったとしなければ、な。





そんなこんなな年末年始を過ごし、今朝がたようやく3人で初詣にでかける(ごくごく近所)。

お賽銭のあとでおみくじをひこうとしたら小銭の持ち合わせがなく、やむをえず3人で1枚ひく。(二度あることは三度あるとか、なんとなくやっぱり運命共同体の雰囲気を漂わせているあたりに少し不安をおぼえてみたり)

おみくじは、吉。
どんな一年になるのやら。





午後からは風疹の予防接種を受けに行く(私)。

おとなに風疹の予防接種をしてくれる病院がなかなかなくて困っていたところ、つちのこ氏のかかりつけのお医者さんがワクチンを取り寄せてくれたのだった。(ちょうど私の年代は受けてない人が多いのだけど、妊娠が関係してこない限りそうそう問題にならないので需要があんまりないんだとか)

ぴのきが昼寝したのをいいことに、早く家を出て、病院予約の時間までに世の中で巻き起こっているバーゲン旋風にもちょいと足をつっこむことができた。
こころよく外出させてくれたつちのこ氏に感謝。
これで当分むふむふと過ごすことができそう。





ちなみにくまのぬいぐるみは、現在、顔の部分(下から編んでいるので佳境もいいとこ)。
でも、もう一枚おんなじのを編まなくっちゃなのだよなあ。そうして縫い合わせて綿を詰めるのだよなあ。(遠い目)


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