カンラン
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この場所から見える景色と、そう、そこから見える景色。 おんなじ景色をおんなじように眺めたとしても、感じることはまったく異なっているのだよ。
それがおもしろくもあり、いらだたしくもあるんだけれどね。 なぜだかわかるかい?
今目の前に広がっている景色はただただここにぽつんと存在しているのではなくて、見ている人が日々目にしている数々の景色の上に広がっているからだよ。
大事なのは、そのことを心のどこかに留めておくってことだ。
そうすればきっといつか誰かをほんの少し暖めてあげられる。 ここに立った経験がなければできないことだよ。
階下に住むつちのこ氏の友人宅に、ついに待望の赤ちゃんがやってくるらしい。(待望の、とは言っても、それは親だったり親戚縁者だったりが「まだかまだか」とかなりのプレッシャーを与え続けていたとのこと。しんどい。)
まだまだ安定期にも入っていないので職場には公表を控えているらしいが、「親友の君には」的なメールをつちのこ氏に送ってくるあたりに人知れずじぃんと胸を熱くする。 実際、ちょっと前からつちのこ氏と「ひょっとして・・・」と話したりはしてたんだけどね。 (注:つちのこ氏の友人氏は永遠の少年くんで、話したいことがあるとまず我慢できないタイプ。以前、「来年もし子どもができたら」などと何度か口にしていた。)
おめでとう。 めでたいことは素直に喜ばしいもんだ。私のように直接の友人ではなくても、鼻から胸のあたりにかけて、こうむずむずするのだ。 あたたかい季節がやってきたような(まことに時期はずれ)、もしくは寒い朝にセーターをずぼっと頭からかぶったときのような。そんな風に。
現在の私はぴのきのことでもやもやと悩んでることがあったりするのだけれど、それでもうれしい。 うん、うれしいぞ。
今週末は友だち2名が来広。 初日(の日中)は、ぴのきと離れてちょっくら羽を伸ばしてきます。
「明日までさよならだね」
ベッドの中で毎夜呪文のように唱える。
また明日。
ほうっと息つくような、さみしいような瞬間。
肌のぬくもりを感じられる距離だけれども、それはそれははるかなひとり旅。
いざ。
私たちは結局おんなじ人をとてもとても好きになったんだよね。
ただひとつ大きな違いがあったとしたら、 それは私がおんなであなたがおとこだったということ。
私はこれからもずっとともだちとして永らえていけるけど、 あなたはそういうわけにはいかなかった。
うらやましいだろうね。
私たちはあそこで踏みとどまってお別れすることを選んだんだよ。
私は対岸に手を振ったのだよ。 対岸に立つ君にではなくて。
だって、私にとって、君はもはや君ではないのだから。
私たちは、どこか似ていたね。 それが、少しかなしいね。
念願かなって、岡山にある夢二郷土美術館へ。 ことあるごとに「行きたい美術館があるんだけど」とさりげなくアピールし続けた甲斐あって、ようやく実現。(最後にはポストカード集を持ち出して「こんなの、こんなの。グッド・デザインでしょー?」とガン推しした) おかげさまでほくほくと満喫させてもらいました。
のっぺりとしたおとめの絵がらにほろり酔いしれ、こころにふつふつと静かな気泡がうまれる。 こういうのを心躍る、って言うんだろうなあ。
絵葉書(5枚組)、手ぬぐい、絵葉書入りフレーム、ボールペンをおみやげに購入。(もちろん自分への)
分館や生家にも少し心動いたが、車で40分ほどかかる場所にあるというので、そこは断念。
すぐそばの後楽園を散策。 あしもとに落ちている淡い色合いの花びらを見つけ、上を見上げると、狂い咲きのさくら。春に似た過ごしよい気候になってきているということか。 その場で、たまたま声をかけていただいたボランティアガイドの方としばし立ち話。 特に予定も立てていなかった我々は、すすめられるままに一路倉敷へ。
倉敷へは二、三度訪れたことがあるが、その都度違う表情を見せてくれる。日本とアジア、欧米が混ざり合っているのに不思議と浮かれておらず、なぜか折り目正しくぴしっと落ち着いた感すら漂う街。 きょろきょろと路地をのぞいてみたり、あたりをぶらぶらと流すだけで十分楽しめる。
ぴのきのために、と向かったのは桃太郎からくり博物館。 ぴのきを楽しませる目的で訪れたこの場所がわが家に衝撃を与えることになろうとは。 まず、周辺のみやげもの屋と変わらない博物館らしからぬ店(?)構えにつちのこ氏が軽く後ずさり。「・・・やめとく?」と目で訴える彼を見てみぬふりして入館したところ、チケット売り場の中でにかにかと満面の笑みをたたえてものすごい細やかに手を振るザ・たっち似の人物に凍る。 ぎょっとしてしまったことを悟られまいと毅然とした態度でチケット購入。(したつもり)
たっち館長(たぶんおそらく館員ではないはず)直々の案内で館内のアトラクション(?)をまわる。が、たっち館長は多忙のため(他にお客さんが来た)途中で煙のようにその姿を消し、野放しとなった我々は筆舌に尽くしがたい思いで館内を徘徊した。
最後に、2階から降りてきた我々を待ち構えていたたっち館長。 何かが始まることを予感させるひらりとした身のこなしに一瞬とまどいつつも、そちらの方へ進むと、いきなりちくわ笛をぴよーっと大音量で演奏。桃太郎にドラえもんのヒットパレード。しかも踊りつき。 す、すごい。呆然と立ち尽くす我々。あっけにとられるぴのき(弱冠1歳6ヶ月)。
すべてがふっ飛んだ瞬間。 その流れでたっち館長に手厚く見送られて博物館を出たあと、路上にてしばし放心。桃太郎というより、「注文の多い料理店」から飛び出たのに近いような状態で立ち尽くす。
今日は一体何しに岡山入りしたんだっけ。あれほど熱望していた夢二もなかなか呼び戻せない始末。 とにかく、ただただ強烈。
これから何かつらいことがあったらあそこに戻ろう。 なんかそんな風に思ったよ。
追記:たっち館長は、実はテレビに出てたりなかなかの有名人らしい。
夜。 布団にまっすぐに横たわるのって充電中の携帯に似ていると思う。 一日を終えて消耗した分を取り戻し、次の日に備える。 私は携帯。最新モデルでは、ない。
友だちの間でトイカメラブーム。(なぜ今)
その昔、3、4年勤めた職場のお餞別にいただいた我がロモくんは長いことしまいこまれたまま。 (つい最近カメラ用の首かけストラップを編んだのだけれど、ロモくんではなく使用頻度の高いデジカメの方に取りつけた)
たいせつなものを見つけようとしていた独身の頃、なんてことない日になんてことない場所を歩いてはシャッターをきった。 このふたつの目に見つけられないものがレンズを通してフィルムに焼きつくのではないかと期待して。
たいせつなものが多すぎる今、駆け抜けていくきらめきを見逃さないように、できることといえば目を見開くこと。ときにはそっと手を伸ばし丁寧にすくい上げること。
のほほんとしあわせなようでいて、少しでも無駄にしたくないと必死なようでいて。ふわりふわりと心地よさそうに風に吹かれていながら、二本の足の十本の指はむんずと大地をつかんでいる。 しあわせは花畑ではないのだ。
今は偶然よりも必然を味方につけたい。 攻めよりも守りを。
ロモくんにはまだまだ眠っていてもらうことになりそうだ。 嗚呼、そう言ってる間にも、きらり。
今宵も、充電。
過去に一度でも好きだなあと思ったことのある人が、
私が昔はいていたのとおんなじ靴をはいていたり、 気づけばもう知り合ってから10年経っていたり、 その10年のうちに軽く不思議な家族ぐるみのおつきあいになっていたり、 結婚した相手と生年月日と出身地がおんなじだったり。
そんなこともあるのだなあと。 なにより、今のさくっとした関係がとても心地よく感じる今日この頃。
髪を切りました。 仕事をしているわけでもないので、色もかなり明るめに。 美容師さん曰く、「栗」。(色および髪型)
つちのこ氏が独身時代より集めていたマーガレットクラブ(アンデルセン)のシール。 古いデザインのものが9月いっぱいで無効になるということだったので、数週間前にせっせと整理してみたところ、全部で数千点分もあった。
いかにもアンデルセンらしい北欧デザインの椅子は前々から目をつけていたのだが、それでもまだ余るシール群。 最近はなかなか贅沢パンを買うこともなくなったので、この機会にすべて使い切ってしまおうと、商品カタログとにらめっこの末、鍋敷きと琺瑯のボウル、残りはいちごとブルーベリーのジャムにしようということに落ち着いた。
つちのこ氏が仕事帰りにアンデルセンで手続きをしてくれてから2週間。 一番最初に手元に届いたのは、意外にも椅子だった。
成長に合わせて座面と足置きの高さを変えられるという木製チェアはぴのきのために、と言いたいところだが、ぴのきが椅子慣れしていないこと、それ以前にわが家には椅子が必要な場所がない(致命的)ということで、試行錯誤の結果、たちまちはパソコン台として設置することとなった。
ナチュラルカラーの感じのいい椅子に白いパソコン、本来足置きとなるべき板にはキャンバス地のボックス(ぴのきの雑貨)が鎮座して、その一角だけがなんともヒュッゲな雰囲気となっている(つまり少し浮いている)。 ツチノコ氏と「こいつはなかなかヒュッギーだね」などと言ってみる。
いつかこの椅子を椅子として使えるような部屋に引越したい。
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