カンラン
←過未→


2003年10月30日(木) カーテンをひく





知恵をさぁ

あれもこれもと両手に余るほどの知恵をさぁ

がさがさ集めて固めたから

あったまでっかちになって

向こうにしてみれば

聞き入れがたかったのかもしんないね

もっと簡単なことばで

本人たちに単刀直入に言わせたらよかったのかもしんないね

ありすぎてもなさすぎてもうまくいかない

なんとも微妙なさじ加減








2003年10月28日(火) 渋屋系





日々通う駅に隣接するコンビニ。

「コンビニ」ってあんま呼びたくないコンビニ(←多分一応。)。

だってコンビニだという自覚をしてなさそう。

そして駅にもっとも近い店であることも自覚してなさそう。

いやいや、だから嫌ってわけじゃあないのです。

ただ、ある意味すごいな、って。





郊外は郊外なんですよ、そこ。

でもね、乗降客の数はそうとうなもんです。

歩いて15分のうちなんて近所も大近所。

ここいらの土地は奥深く、

「どこじゃそら?」ってぐらい山々を越えて、

この駅を利用してる人多数なのです。

まぁまぁ通学・通勤時になると

そんだけたくさんの人がうようよしよるわけですけど、

みんなたいがい少し離れた大手コンビニチェーンを利用しているようで、

かのコンビニは、いたってがらぁぁんとしています。





少しおからだ大きめのおばちゃん二人と

朝はバイトさん(女性)がやっておられて、

どうしてなかなか女だらけの・・・的空間であります。





どう見てもとても急ぎ気味のお客さんがいても

いつものペースを崩すことなく、

「となりへどうぞ」のプレートを立てて

ビニール袋設置に勤しんでおられたりします。

「あの時計合うとるんかいね?」と

これまた発車時間の迫ったお客さんが早口でたずねても、

「あー?」で会話は終了したりします。

(ちなみにあの時計は確かに3分ほど進んでいると思う。)





私はというと、狙って行くこと多しです。

途中で自転車止めたりするのが面倒なときとか、

家を出るのにもたついてしまったときなど。

あ、今日はあそこ行こ、という感じで。

困ったことがあったのは、一度だけ。

パンの感想を求められたのですが、

新商品だったため、

お金払った直後の私にはコメントのしようがなくて。





昨今、コンビニ業界はギラギラするほど競争が激化してるように思うのですが、

駅コンビニは安泰なのでしょうか。

はやらなくてもいいんかなぁ。

ときどきちょっと心配。





そういえば、この夏、

自動ドアの脇に陳列されていたハイビスカスの鉢は

今頃どこでどうしているんだろう。








2003年10月27日(月) 魔法の針





去年作った手袋。

甲の部分につけた羊毛がどうも定着しないままシーズン終了。

今年こそはなんとか補修してあげたいな、と思っていたところ、

本屋さんで立ち読みしていたとき偶然発見。

「フェルティングニードル」。

ざくざく刺すだけでおもしろいぐらい絡むらしいです。

えぇ、羊毛が。

これ、欲しい!





・・・というわけで、本日出張終了後手芸屋さんに立ち寄ったのですが、

こっちが説明してるそばから

「あー。うちではやってないの。ごめんね。」

ザ・即答。

・・・そうよね、だって羊毛自体扱ってるとこほとんどないもの。

ううっ。

じゃあ何かい。

今年も冬本番以降、

あの人の甲の上を色とりどりの羊毛がふあふあすんのかい。

調子にのりすぎた甲毛みたいな感じに。

せ、せつなぁ。





そんなことを思いつつ、

とっぷり日の暮れた道を自転車こいで帰りよれば、

ふと思いつき。

あ、そうだ。インターネットしよう。





早速夕食後パソ前占拠。

目論んだとおり、

少々手間取ったけれどメーカーのHPから注文することに成功。

うほほい。

今年こそは完全体。








2003年10月26日(日) 秋の味覚のお値段





前の職場に持ってく和菓子を買いに隣町の駅前まで自転車をこぐ。

途中、さしかかった壊れかけの橋にて

一台の車に追い抜かされたんだけど、

この人(さだかではないが多分女性。)、

その後の信号待ちの間もバックミラーで私を見てる。

何か言ってにこにこしながらもこっちを見てる。

ずっとずっと。

なんだなんだ?と思いつつ、

目をそらせたいのにそらせなくて

どうにもこうにも落ち着かない信号待ちを経験。

誰なんだろ。

知ってる人なんだろか。

それとも私、何か変だった?

あっこまで一人の人と

長々と見つめあって濃ゆいひとときをつくったのって

恋人とさえないんじゃなかろうか。

誰?

運命の人かしらん?

はずかし。





芋菓子を箱に詰めてもらっている間、

期間限定のお菓子を発見。

お店のおばちゃんにすすめられるままにひとつ試食したらば、

これがどうにもこうにもおいしいおいしい。

どら焼きのなかに干し柿が入った具合。

今度これ買お、と心に決めて退散。

その際、手に持っていたビニール袋に

とりあえず使用済みのつまようじを入れて帰ったのだけど、

家に戻ってからビニール袋片付けようとしたときに、

ぶすぅ。

右手親指の付け根。

ぷっくり痛いです。

試食の代償か。

いたたたた。








2003年10月25日(土) どこか懐かしい休日





午前、歯の治療。

先週抜髄した歯の経過は順調。

ただし・・・

一番奥の歯と、地雷のやうに埋め込まれた親不知の間。

そこの掃除がやはりうまくできてないらしい。

深い、深いと聞いていて、

歯ブラシ二本流で気をつけてやっててもだめですか。

っかぁ。ちょっとショック。

歯間ブラシとこども用歯ブラシ二本をもらって帰る。








午後、『リトル・ダンサー』を観る。

大好きな映画。

ひょんなことからバレエと出会った主人公ビリーの

踊りたくてしょうがない

踊ってると鳥のようになれるから

・・・といった気持ちの高ぶりが

とても丁寧にあたたかく描かれていて、

観ていて気持ちいい。

おしつけがましくもなく、

道徳くさくもなく、

いわゆるおとなが描く理想のこども像でもない。

ビリーを軸に家族の変わりゆく姿も印象的。

これほどまでにラストの映像がまぶたに焼きつく作品て

滅多にないです。

おすすめ。








2003年10月24日(金) ソウコウ





木犀のにおいを

鼻の中に

いっぱい吸い込んで

たっぷり溜め込んで

ブロック塀沿いを

駅までダッシュ




人には見えない

しあわせを

抱え込んでる

この事実




冷たい空気が

ほんのり赤くさせる

私の鼻の中には

木犀のにおい




もったいないから

わずかな残り香さえも

出さずに吸った







2003年10月23日(木) しりごみ





どうした、どうした?

夕刻より冬本番な寒さぴゅうぴゅう。

「寒いですよ。気をつけて。」

ということばに笑顔で職場をあとにしたものの、

数歩歩いた時点で玉砕。





それでもブーツ履いた足で駅までの道をずんずん急ぐ。

吹きっさらしのホームでの電車待ちは

予想を裏切らない勢いで体温を奪い、

青色のベンチは腰掛けたのが楽なのか苦なのか

判断に困るほど冷えきっている。





あぁ、これから冬がやってくる。

最近の季節の急激な変化には

からだがついていかないことが多く、

こめかみが少し痛む。

紅葉狩りにでも行けば気も晴れて

新しい季節をいとおしく感じられるだろうか。








2003年10月21日(火) かばんからはなうた





底なしかばんはすごいんだぜ

次から次におもしろいもんが出てくる

営業時間ぎりぎりに乗り込んだ真っ赤な観覧車の半券や

あやうく引き返しそうだった飛行機の半券

ものすごいネーミングのカイロ(1年熟成)

白く結晶した花粉対策飴





ほらと最後に一番何気なく差し出された一枚のMDを

朝も夕も聴いているのだよ

昨日も今日も





川べりを歩きながら一緒に口ずさめたらいいなと

誰もいないホームではなうたしてみたりもするんだけど

はずしたところに限って高らかに響くんだよね

赤面して

うちに帰ってからにしよう・・・

と思ったそばから

懲りずに飛び出すは粗末なはなうた








2003年10月20日(月) 踏みしめた地面から





随分長い間変わり映えのない景色を見ながら

それでもくるくるくるくるまわってきたけど

どこへ向かうのかはわからないけど

反動をつけた私のらせんが少しずつ少しずつ

今までためこんだ長さを見せはじめた

時計は暖かさで息を吹きかえして新たな時を刻み

一筋の光に誘われ手を伸ばすかのようにからだはうずくのです

嗚呼これから何処へ









2003年10月18日(土) 抜髄





おいしい焼肉明け。

いや、正直焼肉食べてるそばからおかしかったんよねぇ。

ついに痛みは確信へ。

以前治療してもらった歯。

重ねて告白すると、

少し前から熱いものや冷たいものを口にしたとき、

果ては風が吹いただけでもきぃぃんっときてたんよねぇ。





そんなわけで土曜朝いち診療所。

打たれ弱くしっぽお股に挟み気味の私に、

局部麻酔がばすばす打たれる。

ちくっ、ちくっ・・・を数えてるうちに、

失われていく感覚のしっぽが

するりと手からすり抜けていくような感じが好きだ。





思いっきり大きな頭のドリルで

ごぉりごぉり重たい音を響かせながら

私の歯が削られていってるのを他人事のように感じながら

(音と振動はこの上なく自分事だが。)、

あぁこの歯は私のものではなくなるんだなぁなどと

がらにもなく少ししんみりした。

神経の通らないちいさなカルシウムとセメントのかたまりだ。

痛まないのは嬉しいけれど。





ぽっかり開いた穴の中を

器具がかけずりまわって私の神経を掃除する。





休みの日は、しばらく診療所通い決定。







2003年10月13日(月) 旅の終わり





昨夜乗った観覧車を下から見上げた。

大阪最終日はあいにくの雨。

なんとなくぶらぶら過ごす。

疲れがにじみ始めたような

名残惜しいような

旅の最終日独特の雰囲気。





昔よくひとりお昼を食べたり

本を読んだチャイスタンドで

ふたり並んでお茶をした。

多分きっとあのころも同じ席に座った記憶がある。

この鏡が実は

今までに写した光景を何枚も何枚もむこう側に隠しもっていたとして、

その中の私は今新しく加わった私の顔を見て

何て思うだろう。

喜ぶか。がっかりするか。そんなもんじゃろうとくすっと笑うか。

変わってないようでいて変わってるもんね。

きっと。





カウンターの中のお姉さんはあいかわらず無愛想で仕事が早い。

あまりの変わらなさに当時の自分の手垢のひとつでも探してしまいそうだ。








2003年10月12日(日) ときはとまらず





朝食をとってだんじり。

メインのないお祭りにすっかり慣れきっていた私は

わくわくとだんじり待ちをする空気がとても新鮮に思えた。

だって昨今、私の中でお祭りと言えば、

「出店」とか「賑わい」とか、頑張って「神社でおまいり」

といったものに直結していた。

何かを見るっていうんじゃなかったよね。

おみこし担いだりお餅拾ったりした

子供のころのお祭りを何十年?十何年?かぶりで思い描いた。

雨降り前のじめじめとあたりの熱気とで

多分今年最後となる汗を首筋がだらだらと流した。





休日お昼の定番?おうちたこ焼き。

おもしろいぐらいころころきれいに焼きあがったたこ焼きを

これまたおもしろいぐらいぱくぱく食べた。

たこ焼きはだいたいお店で12こ入りを買って

みんなでつつくサイドメニュウ的位置づけだったけど、

なるほどこれだとこれこそがイベント性を兼ね備えたお昼なのね。

初めて使ったポン酢にノックアウト。

まさにたこ焼きのようにぷっくり膨れたお腹を落ち着かせて旅後半。

あたたかい岸和田を後にする。

次会うときは赤ちゃん大きくなってるだろうなぁ。





大阪最後の夜は梅田にて。

同行者の友人とその恋人に会うつもりが、

同行者の友人とその奥さんになっていた。

3月には式挙げるんだって。

こないだ広島で会ったときは恋人でもなかったのにねぇ。

もちろん同行者は私以上にびっくらこいていた。








2003年10月11日(土) ついに大阪





満員新幹線に乗って大阪。

10月からのダイヤ改正が災いして広島始発の新幹線が激減、

指定券なしの旅はいよいよ結構つらくなったかも。

ニュースで聞いてる分には、

のぞみの本数が増えただの

ひかり並みの料金でのぞみに乗れるだの

おいしいことばっかりかと思ってたけど。

岡山で目の前の家族連れが下車して

同行者と離れることなく一緒に座れたのは

思ってもみない不幸中の幸い。





知人の結婚式以来の大阪。

とりあえずは今日の移動拠点・なんばに荷物を置いて街へ繰り出す。

それにしてもそれにしても、

学生時代何度となく通ったカフェがなくなってたのは

ものすごいショックだった。

あそこのチャイやらケーキをどれだけ胃袋にしまい込んだだろうか。

嗚呼、どうか今もどこかでひっそりと続いてますように。

そのかわり、偶然にも素敵なベトナム料理のお店を見つけて、

おいしいランチにありつくことができた。

旅先でのおいしい食事は原動力に直結するのです。





午後。

念願かなって同行者うほうほ。

移動には必ずや邪魔になりそうな箱がひとつ荷物に加わった。

私は肌触りのよいセーターを一枚購入。





時間調整のため足をのばしたなんばパークス。

オープンしたてと言うだけあって、

ものすごい人に驚かされた。

とりあえず人の流れに流されてみただけ、といった具合。





いよいよ旅の目的地・岸和田。

誰かの家族に会うという状況になれていない私は、

なんとかもう少し場を踏んでおくことはできなかっただろうか・・・

などといまさらどうしようもないことでいっぱいにした頭に

不安げな顔をはりつけて

暗がりの駅前でお迎えの車を待った。

見知らぬ街を

初めて会う気のよい若夫婦の後ろに乗っけてもらって走り抜ける不思議。

おみやげの交換も

おっぱいのにおいのする赤ちゃんをこの腕に抱いたのも

七人で食べた夕食も

夜のだんじりのあかりも

何もかもがうそのようなほんとの話。





人との繋がりにかなりの思い切りを必要とする私が

何がどうなってここまでやってきたのか

ぐるぐる思いをめぐらしているうちに

ずんと重たくなったからだごと眠りにおちた。








2003年10月06日(月)





その昔、の話。

わりあいと投げやりな日々を過ごしていた当時、

そばにはひとりの人がいた。




そばにいるとちょっとした波立ちでも感じたんであろう、

その人は「どうしたのか?」と私に問うたので、

「これから先のことで悩んでいる。」と

珍しくうそをつかずに答えた。




そうなると人は、話し続けなければならない生き物らしい。

先ほどの簡単なひとことに

的確な質問とお粗末な答えとによって

尾ひれがつき、背びれもつき、

少しずつかたちができたころ。

その人の口にした言葉が忘れられない。

その人はさらっと言った。

「それは悩んでいるんじゃない。ただの不安て言うもんだよ。」




目からウロコ。

あっけにとられた。

そうだろう。

自分なりの考えが幾つか存在していて初めて、人は悩むんだそうだ。

私のように

あーでもないこーでもない、もしも・・・あぁ!

なんて妄想を繰り返しているだけの状態は、不安と呼ばれるらしい。

いや、まさにそのとおりだ。

そうか、そうなんだ。




そんな風に当時の私は

その人の語ることひとつひとつに感心していた。

自分にないもの、

そして正しいとされることをたくさん持ち合わせた人だと思っていた。

それはそれで正しかった。




でも、それから先、

その人の手を離して自分なりに模索して歩いて、

ちょっとひと休みしたところで感じたんだよね。




いちいち感心したかったわけでもないんだよなぁ、って。

賢くなりたいなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったよなぁ、って。

正しいことを教えて欲しいわけでもなかったよなぁ、って。

私がかけて欲しかったのは

そういうたいそうなことばじゃなかったんだよなぁ、って。




そこらへん、自分でも勘違いしてて、

その人はそんな私に応えてくれてたのかも知れない。

それはそれでその人もさぞかしプレッシャーだったろう。




しゃべらないでも

的確なことばを選び取れなくてもどかしくても

じゅうぶんに大人じゃなくても

ふたりがふたり

おたがいがおたがいでいられるような空気の生まれる場所を

私は望んでいただけだった。

多分これは頭で考えることじゃなくって

からだで感じ取ることなんだろう。

簡単なことのようでどうやらなかなか難しいことのようだけど。

ときどきそうしてその人に話しかけてみる。








2003年10月04日(土) 父さん、ラジヲ借りたよ。





今日から知人のラジオが始まった。

以前にお知らせをもらっていたので、

父ラジヲを拝借して放送時間の少し前からきちんと待機。

普段から割りとラジオは聴く方だけど、

緊張したのか(←私が緊張する必要はまったくないんだけど。)

食卓にラジヲをセットして

きちんと腰掛けて聴いた。

小さな機械を通してキッチンに広がる声は

聞き慣れた生声とは少し違っていたけど、

何ともしっかりしていて初めてのものとは思えなかった。

あっという間のひととき。

日課ならぬ週課になりそう。








2003年10月03日(金)





あーああああ。

やったぜ日本新記録。



午後から隣接する市へ出張。

せっせと用意した書類持って、

「手続き早く完了したらそのまま帰っちゃれ。」

と嬉しそうに職場を後にした昼下がり。

それが一転、救いようのない事態に。



最初に行った機関では

これでもかというほど訂正を入れられ、

「○拾○字訂正」と恥ずかしげもなく片隅に明記された。

次に出向いた事務所では

結局受け付けてもらえず、後日郵送で・・・という始末。

しっぽ丸めて帰ったさ。

どちらの受付の方も懇切丁寧に説明してくれたのが唯一の救い。



何か失敗したときに、

うちの母は「やったぁ!」と言うんだけど、

まさにそんな感じだ。

ひとりつぶやく「やったぁ。」。

心なしか道路に張り付いた影ぼうしもうっすら。



まぁいっか。

しかたない。

せっかくの週末を楽しまねば!

もういらんことは考えませんよ。

・・・などと言い聞かせている金曜の夜。







2003年10月02日(木) 点てる






病もうが辛かろうが鬱陶しかろうが

心に澱がたまるのはしようのないこと

手段に過ぎなくても口から飛び出たものでも沈黙を破るだけのものであっても

凝固した心の澱を溶かしてくれるその人の言葉



一人でそのことを思うとき

決まって一言一句たがわず呼び起こせない

自分の記憶の悪さに

忌々しく舌打ちしながらも

深い暖かさに包まれて泣きそうになり

心はまた新しい模様を描く







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