カンラン 覧|←過|未→ |
たしかにそれだけのときが流れたのに とてつもなく唐突なような気がして あいさつをしてまわる折 顔を真っ赤にしたり 涙を流してしまう相手の様子に戸惑いを隠しきれなかった それぐらい自分には実感がない 私は真摯に向き合うことをおそれていたのかな
ごろごろと午睡に入るまで あったかな毛布にくるまって 耳をかたむけるは ラジオから流れる穏やかな音声 男の人のやさしい声だ 今日はこんなはなし。 この時期いろんな人の口から溢れる さくら さくら という言葉 言わずと知れた花の名前 ニッポンだとか和だとか そんなイメージが強いものの さくらはもちろん海外にだって存在する けれど日本のさくらとは少しばかり違っていたりするのだそう たとえばヒマラヤに咲くさくらは 日本のもののように満開のあとはらはらと散ることはなく 枝についたままその花を枯らすという ・・・残骸的なさくらの木だなんて想像できないし したくないかも うつらうつらする頭でぼやり考えている・・・ それからこんなはなしも・・・ さくらの「ら」は僕らの「ら」とおんなじなんだ っていう説もあるんだって そしてさくらは 日本の国民性にとてもとてもマッチしているんだとか ひとつひとつの花に大した個性はないけれど 花がたくさんたくさん集まったさくらの木を 離れたところから見上げると それはそれは美しく華やかで 他に類を見ない存在感や ときとして発揮する迫力 一方ではわびさびに通じたはかなさを 周囲に与えることのできる そんな木であり花である ・・・嗚呼,現実世界とさくら色の夢との狭間・・・。
ほんと「旅」と呼ぶにふさわしい感じ。 路面電車ではなく列車に揺られて ごっとんごっとん いくつもの山々の間を抜けて行く。 あと3駅のところまで来てあたりは緑一色に。 一色とは言っても 黄緑,深緑,萌黄色・・・ 言葉が思いつかないくらいたくさんの緑緑緑だけど。 一駅一駅の間隔も大きくなり 急勾配の山は目前にまで迫り 列車のスピードは緩まない。 そんなふうにしてたどりついた場所。 出迎えてくれた人たちは温かく, 空間は心地よい重みを持っていたし, 中でも窓際で剥き出しになったレンガの柱は一目見て私の気に入った。 行きよりもうんと軽くなった気持ちで乗った帰りの列車。 この線路を毎日通うようになれればいいな。 早寝早起き第一で。
ただただ漠然と「浅草に行きたい。」と希望はしていたのですが, これがまたどんなふうにして行けばいいのやら。 しかもこれに同行者が希望するもんじゃの街・月島もからめなきゃならない。 うぅぅん・・・チェック・アウト後のホテルのロビィでしばしの作戦会議。 路線図2つ3つ開いて考える田舎者の図。 傍らにはラテン系(と思しき)外国人の方のいかにも東京慣れした余裕の寛ぎスタイル。 こういう時の私って, 「分からなければ仕方ない。」って とりあえず最寄の駅まで行って誰かに聞くなり, あまりにも困難そうであれば諦めるなり, 地図一枚でかたをつける具合なんだけども。 同行者,かなりやります。 「この地図には載ってない。」 とか何とか言って違う方法をきちんと探す。 載ってるとか載ってないとかそういうのって何が根拠になってるのぉ? すごいなぁと朝から感心。 こうして点と線は繋がった。 営団丸の内線,JR山手線,営団銀座線を乗り継ぎ乗り継ぎ浅草へ。 荷物をからだに巻きつけて ひょこひょこと歩く姿はいつか観た映画の二人みたいだ。 少しずつではあるけれど旅の疲れが節々に顔を覗かせている。 一旦荷物とさよならして地上へ向かう途中の地下道でぴたり歩みが止まる。 そこには大きな海老天ののっかった天丼屋さんの看板・・・。 あぁ時間がたっぷりあるならば。 あぁ胃袋がいくつもあるならば。 ぶつぶつ言いながら通過。 テレビの映像でしか見たことのない浅草の仲見世は とてもとても意外にも大通りが始点になっていた。 もっとややごちゃ,ややひなびた感漂う一角に, 突如ばぁぁぁんっとあるのかと思っていた。 へしゃげた大ちょうちんの下でお約束どおりの写真を撮ってから 押し流されるようにしてずんずんと奥へ奥へ。 さすがに観光地。 宮島と似通った雰囲気ぷんぷん。 浅草寺手前でアイス最中。 あずき味はどういうわけかほんのりもちもちした食感。 お参りしてから辺りを散策。 天丼屋さんの行列の脇にあやしげな雰囲気漂うお店を発見。 ビニール・シートをぴらりして潜入すれば何とも不思議空間。 一枚¥300也(なんて贅沢。)のポスト・カードを熱心に吟味していると 奥から何とも私の心をゆらり掴む店主さんが現れて少しばかり立ち話。 その時教えてもらったきれいな紙屋さんに立ち寄って あーでもないこーでもないと和紙にうずもれていると突然上がる歓声。 おみこしだ。 あぁ,だから大きなちょうちんがへしゃげてたのね,納得。 ちょっと距離もあるけど, 店の中にて物色中の触手を一時停止して多少の熱気も感じることができた。 (↑こういう瞬間て,どうしてなかなか飛び出せないものです・・・。) いろいろ抱きしめてほくほく顔で浅草をあとに。 都営浅草線・大江戸線を乗り継いで,月島へ。 ‘住宅かもんじゃ屋か二つに一つ’な通りを歩いていると,呼び込み多発。 もんじゃの町にはもんじゃ組合(正式名称わすれた・・・。)みたいなものが存在してるようで, どうやら他のお店の前に並んでいるお客さんをもかっさらい可,らしい。 はちまきエプロン姿のお兄ちゃんに連れられて 路地へ路地へと誘導される人たちを何組か見た。 あんまり行ったことないからわかんないけど, もしかしたら地元・広島のお好み村だとか共和国もこんな感じなのか。 もんじゃを二つたいらげて一息ついたら早々に最終目的地・羽田空港へ。 用心深い二人組であることに加えて私があんまりにも 「羽田は広島空港と違って広いから,余裕を持って行っとかんといけんのんよ。」 などと念に念をおしてさらに上から念をまぶしていたため 結果として相当早くに空港着。 お土産買って,同行者のカツサンド買って 手続き済ませてカフェでのんびり。 よぅく考えたらこの旅始まって以来のカフェだ。 広島じゃあんなにひんぱんに夜カフェしてんのにねぇ。 旅先じゃ外の空気をからだいっぱいに行き渡らせたくなる。 室内より屋外。 雨が降らなきゃなおさらなおさら。 雨といえば私たちの飛行機・・・ 飛び立つぎりぎりまで到着地天候調査ではらはらさせられ, 結果として条件付きの出発となったため 到着ぎりぎりまで着陸できるかどうだかはらはらさせられました。 羽田に引き返しやしないかと車輪が出る瞬間まで安心しきれなかったけど, どうにかこうにか無事に広島に戻ることができました。 あぁ,よかった。
宿泊先で港町の風景を見下ろしおさめしながら食べた朝食。 もんのすごかった。 同行者が言っていた意味を理解。 こりゃすごい。 朝食のつもりが結局ブランチに。 その後正午にチェック・アウトしたんだけれど, これまた遊園地の乗り物待ちのよう。 たかが「チェック・アウト」とは思えないぐらいの人々が フロントに何列にもなってぐわぁぁぁっと並ぶのね。 何か楽しいことが起きそうで,わけもなくうきうきしちゃうわ。 昨夜はたどり着いたら「ほたるのひかり」が流れていて 乗れなかった大きな観覧車は, 次回のお楽しみにとっておくことにした。 もう一度来れますように。 東京急行横浜線とやらに揺られて都内へ移動。 以前のあきたびで友達と訪れた街を再び散策する。 前回は東京エキスパァトに 要所要所をピンポイントで連れて歩いてもらっていたためか, 田舎者二人でよたよた歩いてみると 頼りないことに間違いはないけれど, いくつかの点と点が線で結べるようになった。 さんざん歩いた後で「さっきのあのお店にもう一度戻ってみようよ。」と言えば, だいたいの見当をつけてくねくね戻って行ける感じ。 うん,たくましい。 私は今回の旅でとうとう初・自分のための買い物。 ・くしゃくしゃで着たくなるような白いブラウス ・メイドイン南アフリカの麻×柄布のかぶりシャツ (それにしてもこの街の辻に立っているカーブ・ミラーはぴかぴかしててとってもきれいだ。誰か磨いているんだろうか。) この日の宿泊先:新宿 近くにお店がなかったため夜の散歩がてら繁華街を目指す。 噂にきく「カブキチョウ」。 流川が何度増殖を繰り返しても歯のたたないような何とも濃ゆい空気が漂う。 少しでも早く通り抜けたいと歩みを早める私をよそに 同行者は楽しそうにあたりを見物。 中でもホストさんたちの看板に興味津々のご様子。 友達との間で現在ホストネタが熱いらしい。 「さっきの看板のNo.2の人の名前が何だったか思い出せないぃぃぃぃ!」と メール作成画面を握りしめてのたうちまわっている背中に 「○○さんじゃなかった?」と言ってみたら,いたく感謝された。 ご指摘のとおり,私は変なとこで記憶力がいいのか? ・・・あんまり嬉しくない。 ガイド本に載ってたお店はそれほどおいしくなかった。
ばたばたし始める時間帯, 山間の空港にて出発を待つ。 隣には飛行機に乗るのが二度目だという同行者が あれこれ悩んだ末にようやく購入した天むすを膝の上にのっけて あたりをきょろきょろ見回している。 窓際の座席について早々にビニル袋をかさかさいわすものだから 「・・・もしかしてもう食べるの?」 とおそるおそるきいてみると反対に 「・・・ダメなの?」 と訊ね返す同行者。 あぁ,もしかしたらもうちょっと落ち着いてからの方がいいかも。 天むすころころ事件が勃発してしまう。 結局その後2,3回 「もういい?」 「もうちょっと待って。」 なんていうやりとりを繰り返した。 そうとうお腹が減っていたらしい。 お昼ちょっと前に羽田空港に着いてからは今度は私が従う方だ。 東京の街は全くもってようわからん。 ひとまず最初の目的地・横浜まで。 うんと早いスピードの電車に揺られて覗き見る窓の外の光景は 私がいつも乗っている電車のように 家々の間を線路という縫い目をたどるようにして走り抜ける。 私がそう言うと, 同行者は,いやいや,奈良の様子にそっくりなんだよ,と言う。 ちいさなニッポン。 ひとつのものを一緒に見て, それぞれが持つものとの繋がりを感じることができ, 語り合えることの嬉しさよ。 東京の町並みを眺めながら, 私は奈良の町並みを必死に思い出し, ところどころのぼやけた部分を 想像と,目の前に広がる東京の景色で埋めようとする。 そうこうしているうちに手をひかれるようにして あたふたと電車を乗り換え桜木町。 迷いながら地下鉄クーポンもしっかり入手。 カメラを持って一日駆けずりまわった港町は, 一帯が遊園地のような,おもちゃ箱のような, そんな嘘みたいな楽しいものがてんこ盛りの場所だった。 カルチャー・ショック。 見るもの見るものが作りもののよう。 いや,実際ばりばり作りものなんだけどね。 ほんとに首をぐりんぐりんまわしてあたりをずっとずっと見回していたよ。 立ち並ぶ大きなショッピング・センターを通り抜けて 大きな観覧車を見上げて 赤レンガ倉庫。 もう6,7年前になるかな。 ずいぶん昔におみやげに買って帰った 可愛らしい赤い靴のチョコレートも健在のご様子。 海沿いの遊歩道を歩いて大さん橋に向かう途中, 偶然見つけた小さな感じの良いお店は 偶然にも同行者の好きな洋服を売るお店。 明後日の誕生日に一足早いプレゼント。 腹ぺこのお腹を二つ抱えて中華街。 空を支えるようにそびえ立つ宿泊先に帰り着いてから ようやく腰やら足の裏やらの感覚が戻ってきて, たくさんたくさん歩いたことを実感。 都会には歩くべき場所がたくさんあって 都会の人はそれ故たくさんたくさん歩くんだ。 それよりなにより, 窓から見下ろす夜景は夜遅くなってもかわらずきらきらしてる。 それが不思議で何度も何度も窓際に座り込んだ。 世界のどんな金持ちマダムの胸元だってかなわないぞ。
早朝7時の列車に乗ってバスを乗り継ぎ空港に向かうので 早起きしなくちゃいけないのに 用意はなぁんもできちゃいない。 せっかく夕飯は早い目に片づけたというのに 私ときたらこたつに入ってのんびりしてる。 TVから漂うほんの一瞬の沈黙に響く 時計の針の音がやけに気にはなってるというのに。 あぁ,電話が鳴る。 「早く寝なさい。」って言われる。 わかったいるけどやめられない。
唇噛んで我慢我慢。 病み上がりのからだをしっかり元に戻すことに決めたのです。 くぅぅ,それにしても悔しいぞ。
最後の山に初日からきちんと向かうことができる。 午後いち,市のY氏が下げてきた紙袋をさっと確認。 量的には問題なさそう。 体調のことを考えればできるだけ早い目に帰宅したかったのだけれど, 前々から都合を訊かれ出席することになっていた職場の飲み会に参加。 そんな具合で出かけた先でびっくりさせられることに。 これが実は私のお別れ会だった。 月末に向け忙しくなる仕事のことを考えた結果,一足も二足も早いけれど・・・ とかわいらしい花束をいただいた。 切り花があまり好きじゃない私のことを知ってくれてるDさんが作ってくれた花束。 「いかにも」な花は中央に少しだけこじんまりと束ねられただけで, まわりを彩るはぽんぽんと揺れる柔らかな触覚, こぼれんばかりにつやつやひかるつぶつぶの実たち, そして緑豊かな葉っぱ。 ありがとうございます。 大きな窓ごしに眺めた広島の街。 青から徐々に赤く,そしてちいさな灯りがちらちら点る夕景に。 川向こうにそびえ立つは,ひと昔前の高層アパート群。 久しぶりに口にしたお酒のせいか, もしくはいまだ完治せぬ風邪のせいか, ほんの少し,ほんの少しだけ, どこかすうすう流れ込む隙間っ風のようにさびしく感じる。 今まで乗っかってきた流れの延長に過ぎないのにね。 ふあふあした自分が自分の足でたどってる道なのにね。 春になって,もう少し暖かくなったら 眼下の川土手,芝の上を歩きにこよう。 好きな人を誘って。 そうして笑おう。
ビバ・無駄な動き。 こういうの,ある程度元気なときにしかできないなんてなぁ・・・知らなかったよ。 今晩は薄汚れたからだをきれいにして明日からの仕事復帰を実現させませう。 今回の風邪で,水のいらないシャンプゥとやらにはじめてお世話になった。 結構いいにおい。 もちろんきれいさっぱり洗うのが一番気持ちいいけどね。
送り主:私の友人。 皮膚の上に巻きつけた熱のシーツのせいで ふらぁふらぁする頭と体をどうにか立ち上げて開封。 かすかに感知する香り。 香ばしいような・・・けれどもダンボールのにおいのような。 家族以外から受け取る小包って興奮する。 一体何を送ってくれたのか皆目見当もつかないから。 とにもかくにも今日のところは 少々ダンボールとガムテープに気合負け,やられ気味なのが悔しい限り。 箱の中を覗き込めば・・・ パンとくぎ煮。 友人の働くパン屋さんの天然酵母パンは ぎっしり身が詰まっているようでずっしり重たく, 友人の母お手製のいかなごのくぎ煮は手間隙かかってつやつやしてる。 噂に聞いてたパンは同封の手紙にあるとおりに 薄く切ってトーストしてバターをたっぷり塗って食べましょ。 おばちゃんのくぎ煮は 風邪ひきさん用の味気ないお粥を間違いなくとってもおいしくしてくれる。 突然の贈り物をどうもありがとう。
咽喉がからっからに渇き痛むときには 熱い熱いお湯で淹れた飲み物を流し込み 悪い部分を全部焼き落としてしまいたくなる いつもいつもそう思って 猫舌のところ我慢して ぐびっと潔い飲みっぷりを見せるのだけど 実際のところ 熱いのがかぁぁっと尾をひくようにして 胸の方まで駆け下りて行って 結局口の中に新しい痛みが生まれるだけなんだよね ひりひりひりひりとね それでも今日もやってしまったよ 全くもって懲りずにね
毎朝の通勤時,電車を降りてからのことだ。 たばこと地下道とどういう関係があるのかというと, 以前は地上のとある片隅にある‘いつもの場所’でたばこを吸っていたから。 暑い日も寒い日もそこでたばこを吸いながら,しばしぼぅっと朝の光景を眺めるのが日課だった。 そこに集まるのは私を含めて3人。 ‘いつもの場所’の‘いつもの人々’だ。 お互い言葉をかわすことはなかったけれど, そのうちの誰かがしばらく姿を見せなかったり そのうちの誰かの‘いつもの席’を知らない人が陣取っていたりすると なんとなく落ち着かなかったり。 そんな朝を数年間繰り返してた。 たばこをやめたら‘いつもの場所’に立ち寄るどころか, 早い時間に市内中心部にたどり着いておく必要すらなくなった。 なのに私は今までと変わらない時間の電車に乗る。 変わったのは地下に潜るようになったこと。 長いエスカレーターに乗って下へ下へと降りてゆき, 閉じられたシャッターたちに挟まれた地下の冷たい通路を歩いていると思うこと。 地上の景色が見えないここは一体 どの街のどの辺で どんな時間帯なのか 外は晴れているのか曇っているのか そんなことが普通に分からないということだ。 もちろんその気になれば, 頭上の案内表示を見れば, 携帯で時間を確認すれば, 道行く人々が傘を持っているのかいないのかを見れば, だいたいのことはわかるはず。 それなのに真っ直ぐ前だけを見て その不自由さをあえてそのまま受け止めている。 そう。 そしてたとえばこうして地下道を行く私を一枚の写真におさめたとして, それを5年,10年,一昔前の自分に見せてみる。 どういう反応をしめすんだろ,私。 その時々の現在からは思いもつかない(もしくは,知らない)ような仕事をして, かつ自分をなくさないように毎日を過ごせてたらいいな, 未来のことをそんな風にぼんやりとしか考えられなかった私だから なかなかおもしろい反応を見せてくれそうだ。 広島に地下ができるなんて夢にも思ったことなかったから, 他の都市で暮らしていると勘違いするのはまず間違いないかな。 割りと何年か単位ですぱんすぱんとまわりの環境が切り替わる傾向にある人だから, それはそれで驚くこともなくすんなり受け入れそうだし。 ただ毎日をどんな風にして過ごしているかなんてことは,ある意味想像の域を越えてる。 今してる仕事にしても, 今そばにいる人にしても。 随分前にタモさんが「笑っていいとも!」だったかな,何かの番組で, 「俺はね,これがしたいとかこれをしようとか,自分で決めたためしがないんだよ。」 と言ってたのを耳にした。 あれ程毎日毎日テレビに出てる人の言葉とは思えず,衝撃を受けた。 そのテの人は夢とか欲とかごっちゃごちゃでもっとがつがつしてるのかと思ってた。 同じ生き物とは思えないぐらいに。 タモさんも未来の自分を描けなかったクチなのか。 ・・・いや実際,強い信念持って描ける人なんていないのかなぁ。 そんなことを考えて今日は地下道を歩いていた。 昨夜あたりからどうも咽喉の調子がおかしくて いささかぼんやりした頭で考えてるから 自分で何が言いたいのか,何を書いてるのか よくわからなくなってきた。 あぁ,風邪だけはご勘弁。
私自身,電話は苦手な方だから別に携帯所有を推奨するつもりはないけれど, 遠く離れた友達との繋がりに幅ができたことについては躊躇うことなく小躍り,小躍り。 手書きの手紙が一番にしても, どうしても時間がつくれなかったり, 伝えたいことがあっても実際に手紙をしたためる行動に移るまでに鮮度が落ちちゃったり。 そういうことは多々あるわけで。 仕事から帰って食卓の上にお知らせのポスト・カァドを見つけたときの 私の驚きよう,喜びようといったら! 本人に見せたかったわぁ。 というわけで,興奮覚めやらぬ夕食までの時間をフルに使って 記念すべき一番最初のメールを作成ののち送信。 そりゃもう両足開き気味の王子様風立てひざスタイルに携帯かざすは東の方角 ・・・そして親指よ,力強くくるくるボタンを押してしまいなさぁぁぁぁいい!! そんな勢いでした。 初めてメール機能付き携帯を手にしたときだってこんなに熱くはなかっただろうさ。 私の初めてのメール機能付き携帯は,はてどれぐらい前のことだろか。 携帯自体ははっきりと覚えてる。 うすいピンクの折りたたみに,ギャル系商店で購入した小さな花2つのストラップをつけてた。 あぁ,そう言えば私,この花がすごく好きだったのにすぐ分解しちゃうから, おどおどしながら二度ほどそのお店で同じものを購入しました。 しかもどういうわけかいっつも値札がついてなくて, 落ち着かない店内の落ち着かないレジの前で毎回立ちんぼしなくちゃいけなくて。 ・・・話を携帯本体に戻しましょ。 画面大きく重量もそうとうなものでした。 職場で「エスちゃん,あんた弁当じゃないんじゃけぇ。」と言われた経験あり。 (↑注:かなり大袈裟好きな人による発言。) ピンクが剥げてぼっろんぼっろんになるぐらいまで使ったね。 下から妙に所帯じみた地色がのぞいてたよ。 いつものことなんだけど,私は機械系の買い物をすると決まって ざっぷんざっぷん後悔の波に襲われる。 波の強いビーチで膝下めがけて もう倒れそうなぐらいの波が足をすくってくる感じによく似ていると思う。 とめどない後悔の念にかられて しばらくはその元となった購入商品をそのまま箱から出さずにほっとく。 内的ほとぼりが冷めたらばずいずいずいっと引っ張り出してきていじくり始める。 この時点じゃもうのめりこみモォドです。 勉強とか仕事するのとおんなじぐらいのまぢな目で説明書と本体睨みっぱなしの きまじめにいちいち「はじめにお読みください。」から読むぐらいの没頭具合。 そんなに真剣に取り組んでいるのに 肝心な本番(電話やメール機能の利用等の実践編。)は随分おあずけだったような気がします。 「使う機会ないじゃぁぁん。」なんて呟きながら メール・アドレス変更してみたりする日々。 メール送信第1回目,よく覚えてる。 とある大型スーパー内の某ハンバーガー・ショップにて。 京都在住の友達から電話かかってきて, 話のついでにメール・アドレス言ったらその後すぐメールを送ってきてくれた。 で,それに返信したわけです。 すんごい感動したっけ。 ・・・今となってはすっかり当たり前になりましたけどね。 そんなわけで今頃私の友達はぷちぷち携帯いじくってるんじゃないかなぁ。 今日も仕事中に嬉しい着信。 昨日のメールのお返事が届いて,私までうきうきです。 次はどんなことを書こうぅ。
「ひな祭り」に「耳の日」。 それにこれは私,初耳だったんだけれど,「金魚の日」でもあるんだそうです。 前世が「縁日で売られていた金魚」だと言われた私としては無視できませんです。 何でも江戸時代には雛市で雛人形と一緒に金魚が売られていたそうで, うちに持って帰って並べて飾る習慣があったようです。 ・・・どうやら私は雛人形にはなりそこねたようですね。 私は金魚。 金魚は私。 きっとぷくりぷくりと泡を吐き出しながら, 横に佇むきれいな顔したお人形さんを羨ましそうに眺めていたんでしょうねぇ。 生きていることときらきら金色に輝くボデーがせめてもの慰めです。 金魚の金色は,水色のカァネィションと並ぶ人間のエゴの色ー! と信じて疑わなかったエスですが, どうやらこれ,約二千年前の中国には実際に野生の赤いフナが生息してたとのこと。 これが原種で,その後中国から渡来してからというもの 江戸時代中期頃までは非常に高価な観賞魚として扱われていたようです。 まさに金魚ニ歴史アリ。 ところで金魚にひかれない子供っているんだろうか? 縁日の夜店でにぶいライトの下, あやしげに揺れる金魚の姿にエスは何度興奮したことでしょう。 最初はね,スタンダァドな金魚にひかれるんですよ。 割りとちっちゃめで,育て甲斐のありそなやつ。(←ただし貧弱。) それから鯉っぽい模様のやつ。 その後最もあやしげな黒の出目にはしるわけです。 あのゆらりんゆらりん左右に振れる尾びれには, どこか『白鳥の湖』のオディールに似た危険な美しさを感じてしまふのです。 私が「お祭りに行きたい。」と言えば, 即座に「金魚はダメよ。」と釘を刺された記憶があります。 けどね,何度か買ってもらったこともあるんです。 深くて大きな海苔のびんに入れて玄関先の出窓のところで飼ってた。 そこに膝をついて眺めては, 小さく小さくちぎったお麩をぱらぱらと落としてやり, 大きな塊は自分のおくちへ・・・。 昔っからお麩好きな子供だったから。 それ以外に覚えているのは金魚くさい水のにほいぐらい。 そんなだから多分きっとどれも長生きしなかったような気がします。 大人になった今ならもっとうまく飼えるんだろうかと, 今でも縁日の金魚屋さんを見かけると立ち止まってちらりと考えたりします。 でも結局は自信がなくて後ろ髪をひかれるような気持ちで通り過ぎる。 悲哀な雰囲気がつきまとうのは金魚の宿命なのか, それとも自分のいい加減さ故なのか。 わからず終い。
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