カンラン 覧|←過|未→ |
ほんの少しの質問に答えるだけで天国から手紙。 すごい世の中だよぉぉぉぉぉ。 悪ふざけはそのぐらいにして。 それによると・・・ どうやら私,2054年に78歳で死ぬようです。 結構生きますね。 あと50年はこの世にいるということです。 今ちょうど人生の3分の1の場所にいることになります。 死因などのこまかな情報はあいにくいただけませんでしたが, なんとなく老衰のような雰囲気が漂ってました。 そして2007年の冬に私は北海道は富良野のラベンダー畑へとむかい, そこで人生観を変えるような出来事に遭遇するらしいです。 これはこころに留めておくようにと言われました。 私が5年後,テレビでしか見たことのない富良野に? しかも冬・・・。 とてつもなく寒そうです。 しっかり防寒して行こうと思います。 そしてラベンダーたちにはちゃんと出会えるのでしょうか? どうなるんでしょう? 何が起こるんでしょう? 気になるけども, きっと私のことだから5年後には, 天国から手紙を受け取ったことさえ忘れてるでしょう。 なのでここにちょっとおぼえがきしときます。
これは「テレビなんか見ないで外に出掛けなさい。」ってことなんだろうか。 画面に映るのは,人と人との衝突やうっぷん晴らしばっかり。 パンダ・メイクに賛否両論(‘賛’については本人のみっぽかったけど。), レンタル・ビデオの約款に無茶な噛み付き方をする主婦・・・。 「日本をこんな国にしたのは誰だ?」とか立派なサブ・タイトルが 画面に大きく踊るけれど, こういう番組って答えになってるのか? だとしたらそれこそほんと「こんな国」だわ。 そして私たちは「こんな国民」。
当時は同居していたこともあって, それはもう連日ものすごい可愛がりぶりだったらしい。 おじいちゃんが噛み砕いて一度‘ぺっ’したものを食べさせてもらい, お風呂では亀の子たわしのようなもので丁寧に洗ってもらい, クリスマスにはまだまだ頼りなさげな髪に花飾りをくくりつけておめかししてもらった。 その後別居するようになったものの, 小学校を出るぐらいまで私と弟は毎週末おじいちゃんの家で過ごしていた。 大きなからだのおじいちゃん。 先日の敬老の日のこと。 大陸で生まれ育ったおじいちゃんの大好きな中華料理を食べに出掛けた。 なんだか立派な掛け軸を背にまぁるい机を囲むと昔のことを思い出すらしく, 自分の小さかったころのこと, 家族のこと, 広島にたいへんな爆弾が落ちたという知らせを受けたときのこと, その後引き上げてきたときのこと。 物語でも読んでいるかのように ほとんど一言一句変わらない流れを3回繰り返す。 1回目も3回目も,もちろん2回目も,少し目を潤ませたおんなじ笑顔。 そしてどういうわけか私は原爆投下直後の広島で3回生まれた。 お母さんは「どっちもそんだけ強烈な出来事だったんじゃろう。」と言うのだけれど, おじいちゃんの頭の中では月日なんて超えてしまった繋がりがあるんだろうと私は思う。 私が生まれたという町内放送をお盆最中のお墓で聞いたというのだから, それはもしかしたらお墓が関係しているのかも知れないし, 暑い夏で繋がっているのかも知れない。 それはおじいちゃんにだってきっとわからないこと。 おじいちゃんはぼけてはいないものの,時々頭の中が混乱するから。 そして3回目の思い出話を終えたあと,おじいちゃんは言った。 「みんなを一度中国に連れて行く。」 きっぱりとした口調で。 あんまりにも突然なことに一瞬家族はみんなしぃんとしてしまいました。 飛行機が墜ちて一家全滅してしまわないように ひとりひとりが別々の飛行機に乗るのだという計画もあたためていたようです。 結局私達は誰ひとり「長旅は無理だよ。」のひとことを言うことができませんでした。 なさけないことに私はというと, とにかく雲のようにいつまでも漂ってしまいそうなしぃんを 何とかかき消そうと食器をかちゃかちゃいわせて 円卓に残った中華料理をたいらげることに必死になっていました。 そんなに遠く離れた場所で暮らしているわけでもないのだけれど, 私や弟は小学校卒業後それぞれ寮に入ったりしたものだから それ以来めっきりおじいちゃんの家から遠ざかってしまったのだ。 週末が突然さみしく静かなものに変わったに違いない。 大きくなってからは年に何度会うだろう。 お正月,お盆,ちょっとした連休。そんなもんだ。 私が大学卒業する年にはちょっとした事件が起きたこともあって, おじいちゃんを避けてきたわけではないにしても, そのことが私の中に一切残っていないと言えば嘘になる。 今年のお盆,私は休みを取らずに出勤していた。 お墓参りには私を除く家族5人が出掛けて行った。 おじいちゃんを助手席に乗せて。 その後誕生日祝いにと手渡された手紙には, 「お墓参り,行けなくさせてごめんなさい。」 からはじまる一節がありました。 5人しか乗れない車に自分が乗ってしまったから 私が行けなくなったのだと考えていたようです。 「おじいちゃんはからだがしんどいので,来年からはおじいちゃんが留守番します。」 そんなの考えもしなかったことです。 お座敷に敷かれた布団の上でどれだけの時間, こんなことを考えて過ごしていたのかと思うとせつなくなりました。 大きかったおじいちゃん。 今はそんなに大きくありません。 おじいちゃんごめんなさい。
近頃のたいていの人は11桁の数字を携帯しています。 街ゆくそこの人も。 あの人なんて電車の中,ライブで遠くの誰かの11桁と繋がっちゃってます。 昔の私がこの風景を見上げたらどう思うんだろ? 電話は家にあるもの。 絶対そうだと信じ込んでましたもん。 線で繋がってない小さな電話を持ち歩く時代。 メール打ってる姿なんて,新型のゲーム機が発明されたのかと思うかも知れません。 そんなこんなでみんなに11桁の数字の羅列とアルファベットの羅列。 人と知り合うとその羅列たちが交換されたりされなかったり。 される場合には多分, お互いが共有する「これから」や「次」があり得るということで。 されないなら・・・はい,それまでよ,ということで。 本人同士が接して決めることですよね。 あくまでも仕事関係や迷惑関係除いた話ですけど。 だから普通は知らない人から電話かかってきたりしません。 ちなみにわたしの場合,そうそう電話使わない人なので, つまりはほとんど機能してない状態です。 着信履歴も発信履歴も「さて,これはいつのことだっけか?」って具合。 免許証と一緒ですね。 使わなくても持ってるにこしたことはない。 ・・・脱線しました。 知らない人からの電話。 もしくは予期してもなかった相手からの電話。 思い起こしてみるといままでで2回ぐらいあります。 ひとつめは大学生の頃,下宿にかかってきた電話です。 あとから聞いた話では,共通の友達から私の番号が渡ったみたいで。 びっくりしましたが, その後しばらくその人と付き合うことになった私もかなりびっくりです。 で,そそくさとふたつめ。 これは割と最近,携帯番号が知らないうちにある人に渡っていた件です。 うちの親から渡ってました。 渡っていたことすら知らなかった私は, 「あ。かかってきた?」とのんきなことを言った親に 多分,生まれて初めてくってかかりました。 かかってきて喜ぶような相手じゃなかったことは親も知っていたはずだからです。 そんなこともありながら今に至るわけですが・・・ みっつめは未遂。 昨夜友達からメールが届きました。 「こないだ会ったひとにエスちゃんの電話教えてもいい?」 うーん・・・。 頭に瞬時に浮かんだこたえは 「いやです。」 けど,そっから考えていくとぐわんぐわんに収集つかなくなって なんともややこしくめんどくさくなって, そのまま携帯をほったらかしにしてお風呂に入りました。 先日会った本人に思うこと。 間に入った友達に思うこと。 それぞれへの気配り・・・になるかどうかわからないけど,そのようなもの。 うあー。 浴室にたちこめる湯気につられて私の頭の中ももわもわしてしまう。 「あの時直接電話番号のやりとりをするかどうか話すればよかったんじゃん!」 と,誰かと喧嘩したあとの反省や後悔,けれどふつふつ残る腹立たしさ, そんな子供のころ何度か経験したような やり場のないお風呂タイムを味わうことになってしまいました。 気分は隅っこで体育座りです。 結局,お風呂上りにあたま拭きながら返信しました。 最初に浮かんだこたえをそのまま。 それだけじゃ申し訳ないのであれこれ添えました。 友達にむけて。 その後すぐに友達から 「わかってたから勝手に断っとこうと思ったりもしたんだけどねー。」との返信。 ほぅっとしました。 ちょっとこころが軽くなりました。 友達100人できるかなーって歌がありました。 友達が多いのはいいことです。 誇れることです。 きっと。 知ってる人,友達,親友,決して多くない私。 でもしあわせです。 ものさしやはかりでどの部分をはかるか。 同じものはかるにしてもこたえは何通りにでもなる。 今日もまたとりとめのない日記だ。 何が言いたかったのかと言うと, 自分で決めます,ってこと。 めずらしくずばりとひとこと。 そしてそうさせてくれたヒ○さん,ありがとう。 ・・・これに懲りずまたお茶しよね。 眠りにつく間際, お風呂場に響いていた 湯気をすっかり吸い取り吐き出した換気扇のスイッチを消す。 ばっちん。
きっかけは上着をはおらなくてもすむ暖かな季節が来たからだった? よりよい気分転換のため? ようやく持ち上げた重たい腰をあと戻りさせないように努めた? 「職場が嫌いなんよ。だからいつも一旦うちに帰る。」 とさらり言ったあの人のことばもちらり耳によみがえる。 今でもお昼に自転車飛ばしてるんだろうか。 まぁいいや。 どんな理由だろうと, いろんな理由が重なっていようと, 私は外に出ていくようにしている。 ある時はカフェも飲めないくせにカフェで過ごし, 時にはひょいひょいとナンを焼くインド人のお店にむかい, そして週に一度は必ず大好きなベーグルを食べる。 ときどき「アレ最近食べました?」と声かけてくれる子と 並んで階段を降りては2日連続ベーグルが決定したりする。 彼はどうやら私の一日遅れでベーグル気分が訪れるらしいことを発見。 けれどそんなことをいちいち計算に入れていては 自分の素直な欲求が色褪せてしまいそうなので, そして相手の動きを待っているっぽい状態も嫌なので, 気のむくまま,足のむくまま,職場をあとにしている。 一時間のお昼やすみ。 一時間というのは長いのか短いのか。 仕事を始めてからやや消化不良気味なのは動かしがたい事実。 それでも一体いつ休憩がとれるのかわからなかった前の仕事に比べると天国。 現在私のお昼は決まって12時から13時の一時間だ。 そして街に買い物,その他もろもろの用事で出て来ている 一般の人たちのお昼も決まって12時ぐらい。 これまた自然の欲求のなせるわざ。 時間に制限がある人もそうでない人も どういうわけかみんなお昼になるとお腹がすくんだ。 おばちゃん集団の割り込み攻撃によろけて腹を立てたりしながらも ふと「おんなじ生き物なんだなぁ。」なんて人ごとのように思う。 それにしても学生してた頃, 午後の授業がはじまるのをなぁんとなくぼけっと待ってたのよりかは 時計の針の歩みが速くなったような気がしてならない。 時計の針が成長して歩幅が大きくなっていってるみたいだ。 職場のチャイムとパソの時計表示がどんどんずれていっているのがその証拠。 私だけが知ってて,騙されてるふりしてるの。 「いつも昼休みとかって,なにしてるんですか?」のこたえ。 食事をとる以外にこんなことしてます。 考えてます。 ・・・って,ここに書いてもこたえたことにはなってないけどねー。 あぁ,おしゃべりしすぎた気分。
ちっちゃな蜘蛛と暮らしています。 この蜘蛛に双子の兄弟がいたとして 私の小指の爪の上で仲良くおしゃべりできそうなぐらいの ちっちゃな蜘蛛 気付けば 「蜘蛛は殺してはいけません。」 といういいつけをいまだにきちんと実行しているようで けれどもそれは 「蜘蛛は悪させんから。」 という理由からなのか はたまたいつだったかのテレビで見た 「蜘蛛は古くなった家屋をその巣でもって守ってくれるのです。」 という外国の人の話を聞いたからなのか 私にはわからないけど 現在蜘蛛と同居 ちっちゃな部屋のつやをなくした床がいたくお気に召したようで ベッドから降りてスリッパ履こうとするとき 一日のはじめに顔を合わせ続けている おしろいの粉 革のはぎれからこぼれ落ちたくず あかりとりから差し込む午前中のひかり お行儀悪く端っこが捲れあがったマット 窓から流れ込む風に乗っかって漂うベビィパウダァの匂い そういうものが好きでこの小さな部屋に居座ってるの? おんなじ趣味してんね 次にいいとこ見つかるまでいてもいいよ 床からわずかに数センチ ぶらさがったコットンのふくろに しがみついたままの蜘蛛に いってきます
お元気ですか? 季節の変わり目や環境の節目に届くお便り, ちゃんと受け取ってます。 あれからもう一年。 やっと一年経ったんだから 返事を出すべきなのかも知れませんが, 書き出しを考えようとすると頭の中に ひどい曇り空のようなうずが瞬く間にあらわれ, そして私の手は一向に動かないのです。 あなたが気にしてた私の近況。 私らしい,と言って歯をのぞかせて笑う姿が浮かぶようですが, あれからこれと言って変化はありません。 こまかなことだと・・・ ・しばらくして日記をつけ始めました。 (三日坊主の私にしては,なかなか続いているのですよ。) ・南の島に出掛けられるようになりました。 (島は違うけれど,あなたから南の島便りをもらってすぐのことでした。) ・食事中に話すようになりました。 (まだテレビの音がないと多少しぃんとしてしまうけれど。) ・電車の中から見える川沿いのベンチがひとつの風景として映るようになりました。 ささいな変化です。 最後の私の姿に上塗りしてもらえば 楽になるかも知れないのに 私と来たら ほんの数メートル先を揺れるあなたの背中を 夏のお祭りでにぎわう通りで見たとき からだの自由がききませんでした。 ちらりと見えた笑った横顔が唯一の救いでした。 笑えるようになったね。 そのときに ぴんと張っていた糸にようやくはさみをあてる決心をしたように思います。 正しいだけじゃたどりつけないところに 私たちはむかうものなのかも知れないですね。 あれから一年が経ちます。 私の足はまだちゃんと地面をつかんでるよ。
あなたの動きに目も耳も動かして 気持ちくみとって ことばかけて 笑いあったり眉ひそめあったり そんなことができたらと思って 身をのりだしてはみたものの おしり,後方にしりぞけます。 どこ吹く風どうしのただ一度きりの会話。 おやすみなさい。
左方向,時計と反対まわりです。 左側にあるべきウエストのリボンを手探り。 ない,ない,ない・・・。 背中の方でやっと見つけてくるりとまわす。 これを何度くりかえしたでしょう。 自分の動きと時間の感覚で どの辺までまわってしまったかわかるようにもなってきた。 これは一日終わるまで気が抜けません。
「ちょっと,ちょっと。夏休み,まだ随分残ってるようだけど・・・!」 という上司の声。 たしかに毎年ちびちび使いしてます。 自覚してます。 けど,今回は, 来月の東京行きのために残してあるんです。 10月。 「遅めの夏休みをガバッともらいます。」と答えると, 「えぇ。ガバッと取ってくださいね。ガバッと。」と いささか勢いづいて夏休み消化の約束を固く交わしたものの・・・ 数えてみると, 東京行っても余ってしまう。 余分に1日多く取る計算でも余ってしまう。 うぅぅぅん。 ちびっと休むか。 というわけで,今日は休んでみました。 請求が少なかったからこそ休めた,月も半ばのこの時期。 普通なら月初めにしか休めないのです。 熟睡明けのはれぼったい目を何とかごまかしながら 平日の街に足をのばして来ました。 人ごみを避けてあてもなくうろうろうろうろしていると, ついついおんなじところをぐるぐるぐるぐるまわっています。 季節も随分過ごしやすくなってきたようで, 木陰木陰を渡り歩けばとてもここちいい。 小さい頃のかげふみを思い出して, 人影のないところで少し遠めのかげまで飛んでみたりも。 かげや道路の白いペイント,廊下のピータイルの継ぎ目。 とびはねたりするのは永遠の遊び。 新しくできたカフェには入り口からの道の途中に 小さな池があって気持ち飛び石風。 ハイヒールじゃなくて,ぺたんこの靴が似合います。 ふと足を止めた歩道脇にあった小さなお店。 小物,靴,洋服。 あれこれ眺めているとお姉さんから声がかかり, しばらく話し込んでしまいました。 で,おすすめのジーンズを見せてもらってるうちに 試着をしてみることになりました。 脱力服中心の私には結構気合がいるアイテムです。 鏡の前でその後また話しこんで・・・ 結局,旅行に持ってってもいいなと腹を決めてお買い上げ。 それはそうと, 「ジーンズ買った。」って言います? すんなり言えます? 私ときどき, 「ジー・・・。」ってなります。 あとに「ンズ」をつけるか はたまた「パン」をつけるかちょっととまどい気味。 「デニムのパンツ」がめんどくさいけど,一番しっくりくるかな。 「ジーパン」ってジーンズのパンツ。 けど日本語ではGパン。 ジーはG。 ごもっとも。 けど本来のジーンズはJなわけで。 そんなことを考え出したら, 頭にポンッとワイシャツまで飛び出してきて。 「ワイシャツ」ってホワイトのシャツ。 けど日本語ではYシャツ。 ワイはY。 ごもっとも。 けど本来のホワイトはWなわけで。 ちなみにワイシャツって何色でもオゥケィなわけで。 うーん・・・。 単純なようでいて複雑です。 帰り道の私は眉間に皺寄せて考え事。 「今日は一体何の考え事?」 って口にするお母さんの呆れた顔が浮かぶうすらくらがり。
ちょっと違う世界じゃないです? 私は昔から結構1対1でじっくりの人なので, あんまりもりだくさんで集ったりしたことなかったんです。 最近気づいたことなんですが。 広島帰って来てからですね, 知ってる人と言えば家族とその他古い友人2人 (ひとりは小学生時代の塾の友達。 もうひとりは地球の反対っ側で奇跡的に知り合った広島人。) しかいなかったものですから, ちょっとした開拓時代を過ごすことになったわけです。 バーベキュウに飲み会に 自分をごまかしながら誘われるままに出かけてみたり。 結局疲れて長続きしませんでしたが・・・。 そんなこんなで友達のそのまた友達の・・・って うすぅい関係の人なんかと出会う機会が増えたわけですが, 私と友達はどこか共通するところがあるからこそ 仕事以外の場所でも会ったりするようになったわけで, その子とその友達にもどこか共通するところがあるんだろうから, 間接的ではあるものの, 私とその人にもどこか共通するところがあるんじゃないだろうか・・・ と触覚のばして接触してみると。 ときどき全く異質なタイプに出くわしたりします。 好きとか嫌いとか, 気が合う合わないの問題ではなく, ただただ衝撃的。 テレビで知らない人がばばばばばっと話しているのを眺めているような感じで こういう人もいるんだぁ・・・って圧倒されていると, 「あなた不思議ね。」とか 気ぃ抜いてる間にキャラクター確立してもらってたり。 人は人から刺激を受け,また刺激を与えるものなんですね。 あらためて実感。 そういえば今年,友達の結婚式でも, 新婦以外に知ってる人がいなかった私。 見ず知らずでありながらも, 同じ空間で同じようにおいわいの気持ちを抱いてるんだよなぁ, って不思議な気持ちでまわりを見回していると ふと目の合った隣の女の子。 その子も大学時代からの新婦の友達で, ひとりで乗り込んで来たとのことで 静かに,けれど妙に二人で盛り上がりました。 新婦はそんな私達の共通点を見つけて 取りはからってくれてたんですね。 にくい演出。 さすが私の友達。 ちなみにその子とは今もときどきメールしてます。 いろんな人間。 これからどこでどんな人と繋がっていくんでしょうか。 こわいようでいて楽しみ。
軽い言語障害。 あとに残るはやり場のないいらいら。
チャン・イーモウ監督の『菊豆』。 後継ぎを産むという目的だけのために お金で買われてきた若くてきれいな菊豆と 暴力亭主・金山が甥っことして育ててきた天青が 愛し合ったことからはじまる あまりにも残酷で悲しい物語。 全体に漂う暗いトーンの中で 中庭にひらひらと舞う 赤や黄色,若草色の織物だけが まぶしいぐらいに色鮮やか。 愛も憎悪も無邪気さゆえの残酷さもいっしょくたに混ざり合う。 愛し合ったふたりの間に生まれてきたこどもだけは すくすくとしあわせに育つものだと こころのどこかで信じたいという気持ちは 笑わない,喋らない 天白の姿を目のあたりにすることによって裏切られる。 ちいさな天白が唯一声高らかに笑うシーンでは, こどもという生き物に初めて不気味さを感じて鳥肌がたった。 **************************************** 不快と感じる隙も与えられることなく はじめからおわりまで画面に見入ってしまいました。 人間てやっぱりきれいなものじゃない。 平気で人を傷つける考えや きたないものをたくさん抱え込んでる。 だからこそ強さも優しさも兼ね備えているんじゃないかと。 きたないだけのきたなさ, やさしいだけのやさしさなんて存在しない。 この人のつくった作品を観ているとそんなことを感じます。 「あなたは感受性が強すぎるところがあります。」と危惧されて, アンテナを折りたたむ練習をしていたこと。 折りたたまなきゃよかった,なんて後悔しています。 一度流したものは戻ってこないのだから。 受信しなかったものや 受信しても外へと飛ばすことができずにお腹の中で腐敗していった思いが 今の私をつくっているのも事実だけど。
日頃から「ライブに行きたい。」っていう欲望のあんまり湧かない性質です。 音楽をかけるのは,部屋で過ごす時間をここちよくするため。 私はそんな人です。 さて今回は, 以前私の唯一持ってるエゴのアルバムを貸してあげた友達が いたくその音に惚れ込み, お誘いをかけてくれたから出掛けてみました。 ちいさな箱に知らない人たちと一緒に詰め込まれて 未知の世界だぁ・・・と思っていると, そうだ。 一度神戸でフィッシュマンズのライブにも行ったことがあったんだっけ。 なんてことを思い出してみたりもしました。 密な空間でたくさんの人たちの中に立っていても 気分が悪くなってしまわなかった自分をちょっと頼もしく感じながら 私の知ってる曲や好きな曲を間近で楽しめました。 けど,正直言って足腰痛かった。 きっとこういうのを‘やわ’って言うんだわ。 ライブもたまにはいいけど, 私はやっぱり好きなときに好きな音楽をゆったりと聴きたい わがままな性格。 長らく足の遠ざかっていたCDショップに出掛けてみようかな。
きれいな朝焼けや夕焼け空を何度も肩を並べて眺めていたとして きもちのいい空気の流れにしあわせそうに目を細めていたとして 旅の終わりは少しふくらんだ彼女のお腹と冷めた愛情 地球がほんの少し重たくなったような気がした ふたりの旅がまぼろしだったとして ほんとは最初から何にもなかったんだとして おたがいを知るよしもない別の世界の人たちだったとして ちいさないのちの終わりは 地球がほんの少し軽くなってしまったような気がした 世の中には 絶えず たくさんのいのちが生まれ たくさんのいのちが消えていっているというのに そんなふうに感じてしまうのはひとりよがりでしょうか
ここから遠く離れたところで暮らしていた頃のはなし。 エバは私より3つ年上だった。 あの頃の3つ・・・その開きは結構大きくて, 他の同い年の子のようにおもしろいことをやって気に入られようとか, そんなところのなかった私に なぜだかよくしてくれたひと。 エバはいつも黒い服を好んで身にまとっていたので, どう頑張っても,紺・白・黒の3色, あとは古ぼけたデニムの青ぐらいしか私に思い浮かばせない。 寒い季節が来たら網タイツにスエードのロング・ブーツを履いていたり, 真っ黒くてパーマのかかった長い髪の毛をいつも無造作におろしていたり, そんな女の人をそばで実際に見たことのなかった私はどきどきした。 どうでもいいことだけど, ここであえて説明として付け足すとすれば, 酪農,農業,そういった類のイメージの強い あの片田舎の町にはそぐわない存在だったように思う。 学校主催のダンス・パーティでは我を忘れてうねうね踊るし, 私が唯一‘ひざかっくん’ていたずらをしたひとでもある。 「ひゃぁっ!」とかそんな声をあげてくねくねと地面にしりもちついていた。 私がふと口にした言葉がつぼに入ったときなど, 涙を流しながら苦しそうにずっとずっと笑っていて, こっちの方が「もういいでしょエバったら。」って 止めに入らなくてはいけないこともしばしばあった。 そんな彼女が一度だけ泣いていたのを見てしまったことがある。 夕涼みがたまらなくここちよく感じる季節のさくらの木が見えるベンチで 何人かで話し込んでいたときのこと。 ふと気付くと隣で笑っていたはずのエバが泣いていた。 そのとき私は一体何をしていたんだろう。 どれだけの時間,エバから目を離していたんだろう。 すごくすごく悲しそうに泣いていて, 隣には困り顔でなぐさめている男の人がいた。 私はと言えば, 何も出来ないままさくらの木を眺めているふりをしていた。 泣きながらぼそぼそと喋る言葉が聞こえていたはずなのに, 聞いてはいけないような気がして つとめて頭の中を白く塗りたくりながらさくらの木を見ていた。 その後のエバは普段と何ひとつ変わらない様子だったので, 結局その時のことは未だに私の中に謎として残っている。 私が学校を去る少し前,エバの部屋に行ったときのこと。 脱いだら脱ぎっぱなしの散らかったベッドの隅っこに座らせてもらって, 少し話をした。 ○○のようになりたい,とか言ったことのない私が 「エバの髪みたいに,私の髪の毛,長くのばせるかなぁ。」 と言ったら, びっくりした顔をして, 「のびるよ。当たり前じゃん。」 って言って目を細くして笑ってくれた。 あれから10年。 結局私はそこまで髪をのばすことはなく, 今までで一番長くしていた髪も去年の冬に あっさりばっさり切ってしまい, 今はぼさぼさのショートだ。 そんないい加減な私をエバは知ってくれてるような気がしてしょうがない。 あのときだって, のばすつもりのない私を分かった上で笑っていたような気さえする。 そばにはいないけど,忘れられないひと。 そんな存在がこころの中にいることをしあわせに思う。 イヤー・ブックにやたら太くてでかいマジックの文字。 ‘妹君へ!!!’というふにゃふにゃの書き出し。 あんなサイズの文字ではとうてい1ページに入りきるはずもなく, 関係ない人の顔にまで文字があふれていました。 しかも最後は無理な締めくくりで, はみ出してしまったマジックのインクがページの隅っこににじんでるよ。 私のまたいつか会いたいひと。
職場旅行の目的地をどこにするかで盛り上がっているようです。 昔っから集団生活苦手な私はちょっと違った意味で 事のすすみ具合にアンテナをのばしていたりします。 ちなみに私,突然蒸発・・・とかそんな集団を乱すようなタイプではなく, とりあえずその場はきちんと決められたとおりに行動するんですが, 旅の途中で次第に力つき, 移動の車中ぐったり動かなくなることが増え, 私のそんな写真が後々いろんな場所から発掘される。 そんな感じです。 今のところ,とりあえず向こう半年間ぐらいの予定と, 熱い要望があればお聞かせください,程度のアンケートがまわって来た状態。 どこになるんでしょう? 一昨年は,明石〜淡路〜うずしお。 そんなルートだったように記憶。 去年は,下関及び九州は原鶴温泉・・・だったかな。 職場によっては海外へ旅立つケースもあるようですが, 近場をバスでまわるというのが無難で親しみよいコース。 うちの職場,小耳に挟んだ話によると, 沖縄旅行説も急浮上してるらしい。 沖縄・・・ たしかに好きな場所ではありますが, 1泊2日の職場旅行で行くとなると話は別で。 職場(もしくは広島駅かどこか)で集合してから広島空港に行くまでの時間が 日程のうちのかなり大きな割合を占めてしまうことでしょう。 もったいなぁい。 沖縄料理食べにちらっと沖縄行って来ます, いっそのことそんなふうに割り切ってしまえばいいのでしょうか。 その他考えられるところといえば・・・ 山陰? ちょっとしたドライブ気分で。 関西? 個人的に友達訪ね歩きしたい。 九州? 距離的にやはり福岡あたりか? 四国? 使うのはやっぱりしまなみか? ・・・近場だとやはり行き尽くした感がともなうのは否めませんです。 課内30人も集えば, 「そこ先週家族で行ってきたばかりです。」とか, 「実は地元なんすよ。」とか, 「しばらく住んでた。」とか, そんな話も出てくるもんです。 目新しさを求めて,いさぎよく飛びますか? けどここだけの話・・・ 旅行に参加しなかった場合にたんまりいただくお土産ものと 積み立て金のバックがかなり魅力的でもあります。 これからの幹事さん方の動向が気になります。
使いかたがきっと荒いんだろうと思う。 なかなか気に入ったものがないこともあって なかなか買い換えないもんだから, みすぼらしさは倍増するばかり。 で,自分でつくることにしたのです。 少々の荒業にも耐えるよう,皮製のものを。 そんなわけで縫い合わせるときの針穴をあけるために かなづちを引っ張りだしてきたわけです。 こんなこともあろうかと某大型店で買っていた ¥980のやわらかぁい皮のはぎれがとうとう役に立ちます。 内側にはおきにいりの花柄の布を張ってしまおう。 とんてんかん,とんてんかん・・・と ときに物音をたてながら, 暑さで溶け出したろうにまみれた指先で一針一針縫いながら, なんとかかたちになりました。 んー・・・ぶさいく。 けど,私の好きなぶさいく加減です。 あとは開閉部分をどうするか。 これはも少しじっくり考えてみたいと思います。 今のところ,アンティーク調のホックをつけちゃうか, 金具なしでかわいいでかボタンでもつけちゃうか。 そんなところで迷っています。 さて,時計を見ると日曜お昼過ぎ。 もうひとつぐらい何かつくってしまおうと部屋をぐるりと眺めていると・・・ (注・物置あらためエスの部屋はびっくりするほどちっちゃいです。) 以前撮ったカーネーションの写真が目についたので, そのぼんやりやわらかいピンク色に似合うフレームをつくることにしました。 ぶあつい皮2枚重ねの部分に穴を開けるときは 思いっきりかなづちを振れるように時折庭に出て作業してみたり 気分もかえたりしながら楽しめました。 暑かったけどね。 そんなわけでずっと皮を縫ったりしてたもんだから 指先がちょっとおかしい。 今度は来月泊まりに行く東京の友達への手みやげをつくろうと考えています。 とは言うものの,スロウな私は早めに取り掛からなきゃ嘘になります。 どうしようかなぁ。 ブック・カバーかフォト・フレーム(ちょこんと置けるかたちの。)。 しばらく仕事中なんかもあれこれ考えごとしてそうです・・・。
じっくり落ち着いてじゃないと眠りにつくことのできない私の 電車で運良く座れた場合の睡眠率が過去最高に・・・。 どういうわけか寸前のところで はっと目覚め 宮島口まで運ばれることはなかったものの・・・ スリリング過ぎます。 居眠りに慣れてない私は, 「はっ」の瞬間に 文字通り「はっ」と声を出してしまったり, おしりが飛び上がってしまったり, そんな具合でまわりの人も巻き込んでしまう かなり困った人になってしまっています。 これはいけません。 こんな日々にさよならすべく 旅疲れを一掃するためにたっぷり眠ってしまおうと目論んでいた週末・・・。 実際そんなに眠れるものじゃないですね。 朝それなりの時間になれば目が覚めるし, 翔ちゃんはなかなかダイナミックに飛び乗って来るし, 窓から差し込む光はもったいない気分を盛り上げてくれちゃうし, 少しずつ上がる気温は妙に私を焦らすし。 そんなこんなでこころを決めて起き上がるわけです。 「今落ち着いたとこなんだけど・・・。」 と不満げな翔ちゃんにも声かけてのそのそ階下へ。 強烈な光射す庭には 今年植えたブーゲンビリアがまたぽつぽつ花を咲かせてる。 うちでついた花の色は 店先で揺れていたやわらかなオレンジ色ではなく, 少々重たげな濃いオレンジ。 どうしてだろ? 肥料与えすぎたかな? 徐々に回転し出した頭でからだを動かして つぼからとろーっとはちみつすくってヨーグルトの中へ。 この‘とろりーん’を見てると毎朝時間が止まってしまう。 毎朝5:55に起きていると言うと,たいがい, 「えー!?なんでそんなに早く起きる必要があるの?」 とびっくりされるんだけど, なんでかは私にもわからない。 けど,いつも出掛ける間際には 泣きそうになりながら階段を駆け下りて 家を飛び出している。 ・・・もしかしたら,はちみつを眺めている時間が長いのかも知れない。 今度誰かに聞かれたら,そう答えてみよう。 脱線。 どこまで書いたんだっけ。 そうそう,ヨーグルトの中にとろりしたところまで。 それからあとはパン焼いて紅茶淹れて朝食タイム。 翔ちゃんも最近いたくヨーグルトがお気に入りなようで, 食べ終わった器から指ですくって鼻先に持っていくと しあわせそうに目をつむってぺろぺろなめる。 さて,どこにも出掛ける予定のない週末1日目・土曜日。 一応身支度だけは整えて・・・ 裏口からかなづち片手に自分の部屋に向かおうとすると, お母さんをびっくりさせてしまった。 「今日はなにをはじめるんね,あんたは・・・。」 (結局週末2日間を費やす作業になったので,明日の日記に続く・・・。)
残暑を追っかけまわすかのように躍起になった蚊に刺されました。 私も血の通った人間ですから, そりゃ,刺されることもありましょう。 まったく刺されない年というのはないでしょう。 問題は,どこを刺されるか,ということです。 刺すなら普通に腕や脚にしてください。 かゆければ簡単に掻けますし, 薬だって簡単に塗れます。 そう気になりません。 一番やめて欲しいのは顔。 特に目まわりです。 私自身,経験はないのですが, まぶた周辺を刺された人を見て, あれだけはイヤだなぁ・・・と思ったことがあります。 で,今回私は一体どこを刺されたのかというと, おしりに2ヶ所,左の薬指の関節に1ヶ所。 おしり,なかなかぼりぼり掻くわけにいきません。 指の関節,しわのより方に無理があります。 気分悪いです。 刺された状況もまたこにくたらしい。 それは昨夜トイレに入ったときのことでした。 突如おしりにかゆみをおぼえて 「あれ?」 と思い,左手でおしり周辺をさすってから手を戻したところ・・・ 薬指の第二関節が見る見るうちに,ぷくぅ。 からだをめいっぱいひねっておしりを見るとぷくぷくぅ。 2ヶ所刺されて,しかもひょうたん型につながってる。 つまりその蚊は,ほとんど動かずして3ヶ所もの血をごちそうになったわけです。 なんともくやしい。 そもそも人の血を吸うということは, 「人にたたきつぶされても構わない!」 という覚悟を背負って行うものじゃないでしょうか? ちょっと大袈裟だけども。 それなのにこの蚊ときたら! けど・・・たしかにいい手です。 かしこいです。 人目につかない場所を刺し, そこを掻こうとのびてきた手を刺す・・・。 夏が去りつつある季節の晩年めいた蚊にとって 体力温存の点でこれにまさるテクニックがあるでしょうか。 私ももし蚊になるようなことがあれば, ぜひとも覚えておきたいテクニック。 そんなことを考えながら,昨夜はながながとお風呂に入ってました。 あ,言い忘れましたが 結局あのしましまの蚊,たたきつぶしました。 ・・・やっぱり蚊にはなりたくないですね。
お兄ちゃん? お姉ちゃん? 弟? 妹? 私には弟がひとり。 ちっちゃい頃は,たたかいごっこだとかお人形遊びだとか 何でもかんでも一緒にしてたんですが, おっきくなると自然と違う遊びをするようになりますね。 それぞれ友達関係なんかもできたりして。 たまーにゲームの相手として借り出されたこともありましたが, 私はすぐに死ぬのでかえって足手まといになってしまうし。 強烈ではないですが, 姉妹に対する憧れは今も昔も変わらずこころのどっかに潜んでます。 もちろん,仲がいい姉妹,悪い姉妹,いろいろあるんでしょうけど・・・。 そんな私の一番身近な姉妹。 うちのお母さんにはお姉ちゃんがいて, 見てるとなかなかおもしろい。 お姉ちゃんは妹にすんごい優しくて, 遠い距離を自転車きこきここいでやって来てくれちゃったりする。 私が小学生の頃, 通学路で自転車に乗ったおばちゃんとすれ違うことが何度かあって, もの凄いびっくりしたものです。 こんなに早い時間になんでここら辺にいるの?って。 子供ながらにおばちゃんちと私の家は 自動車でしか行き来できない距離だと思ってたんですねー。 (・・・実際不可能ではないんですが,私は電車に乗りたいと思います。) そんなお姉さんを,私のお母さんは末っ子らしく 「あんたぁ,何しに来たんねー!?」 って迎えるわけです。 そんな姉妹。 このふたりにまつわるエピソードはなかなか笑えるものが多い。 おばちゃんが高校生でうちのお母さんが中学生の頃, おばちゃんはオトメ系キャラでありながらも 岩国放送(米軍の基地があるのでいわゆるホットなナンバーがばんばんかかってたらしい。) 聴いたりしてて, 洋楽にそうとうはまっていたらしい。 もうあのコスチュームだとか,髪型がたまらない!!って ビートルズのポール・マッカートニーにお熱。 テレビにポールが映るというその日, お母さんはお姉ちゃんに呼ばれるままにブラウン管のまんまえに座っていたそうです。 で,ビートルズ登場。 「ぽぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」 お姉ちゃん絶叫。 失神寸前。 何が何だかわからないお母さんはとりあえずかたく三角座りしてたんだけど, 突如, 「早く!早く!ライトォォォォォォ!!」 と最高に興奮した様子でそばに用意してあった電気スタンドを お母さんに持たせてテレビ画面を照らすように指示。 とまどうお母さんをよそに感動の涙を流しながら パチパチ何枚もポールの写真撮影を行ったそうです。 蛍光灯の白い光の帯が上部に映りこんだそのモノクロ写真は 今でもおばちゃんちの納屋にしまってあるという話。 それをいつか絶対見てみたいと思うエスです。 姉妹って,いいなぁ。
今日のお昼前の飛行機に乗って帰ります。 民宿近くの民芸村なるところをちら見してから, ばしゃ山村という総合レジャー施設の海岸 (波もほとんどなく,昨日ここで海水浴しればよかったと少々後悔。) で,ばしゃばしゃ水遊びしてからおみやげ選び。 海を見ながら懐かしい感じのする棒アイスを食べました。 本物のパッション・フルーツを食べてるような濃厚なお味。 空港までの道のりをゆっくり時間をかけて遠回りしたのに 思い起こしてみるとあっという間に時間が過ぎた。 旅行の終わりって,いっつもさみしくなる。 これから飛行機乗って鹿児島に向かいます。 ************************************ 乗り継ぎの4時間弱を使って空港近くの新川渓谷温泉郷に立ち寄る。 川沿いに並ぶ温泉の中で一番濃いお湯を目指す。 100%源泉だというお湯は熱い,熱い。 長くは浸かっておれずにふぅふぅ言いながら,入ったり出たりの繰り返し。 一緒になった地元のおばちゃん達と話していたら 空港に向かう道すがらのおいしいおそば屋さんを教えてもらえた。 「あら〜,もう行くの?飛行機乗り遅れたらまた戻っておいでね〜。」と 笑いながら手を振ったおばちゃん達は, (私が言うのも変な話だけど)とてもかわいらしかった。 おいしいおそばを堪能してから, 広島じゃお目にかかれない大きな苔玉のような山々の間を縫って空港へ。 実はこの先,ちょっとしたずるをしたんだけど, この話はほとぼりがさめた頃にまた・・・。 そんなこんなで出発までばたばたばたばたした旅だったけど, すっきり晴れた夕方の空をぐんぐん進んで無事広島に戻ってきました。 心配してた台風16号よりも一足お先に旅は終了。 奄美,鹿児島で見てきたものの上に最後に焼きついたのは,地元・瀬戸内の海。 普段地上からしか眺めることのない瀬戸の夕景は, 旅の思い出を薄めてしまうことなく, ほんとにほんとにきれいで, あの海沿いの小さな広島西飛行場がすごくいい場所に思えた。
昨夜の居酒屋で一緒に飲んだ人たちが, 仕事で抜けられない友達のかわりに島を案内してくれると言ってくれたので・・・ 小さな小さな車に4人乗りこんで島めぐり。 まずは楽しみにしてたマングローブ原生林へと向かう。 カヌーに挑戦。 楽しさよりも安心を優先して2人乗りに乗ったら, これがなかなか操縦が難しくてあっちに座礁,こっちに座礁・・・ という具合にまわりの方々に迷惑かけまくり。 「普通ならここら辺まで来れば慣れてくるんだけどね〜。」と 案内のおじさんに苦笑されながら,えっちらおっちら最後尾を行く。 なかなかみなさんに追いつくことができず, ガイド氏の貴重な説明も聞こえない。 届かない。 もったいなぁい。 けど! おかげでいいこともあり。 私達4人の後ろにはだぁれもいないので, 撮ってもらった写真の背景はぐんぐん広がるマングローブの林。 Uターンしてあともうちょっとでカヌー乗り場到着,というところで ものすごいざざ降りのスコール。 カヌーから落ちはしなかったものの,結構濡れてしまいました。 次に向かったのはハブセンター。 高台にある普通のビルが,実はあの猛毒蛇ハブをたんまり抱え込む施設。 展示室内の「もしもハブにやられたら・・・」パネル集がめちゃくちゃこわかった。 あと,100円入れないと見れないとっておきのコーナーもあります。 一応,5分間見れます,と書いてあったけど,あれはどう考えても1分ぐらい。 訪れる機会があればぜひ何人かですばやく見てみてください。 見るべきかどうかは私の口からは何とも言えないですけど, かなり興味をそそるせつなさ漂うコーナーです。 せっかくですから一度,ゼヒ・・・。 独特かつマイペース極まりない口上でこころを掴まれる ハブとマングースのショウも見てから北部へ戻る。 遅い昼食は地元名物・鶏飯。 不勉強な私はてっきり炊き込みご飯系だと思い込んでいたのですが, 実はお茶漬けや雑炊みたいな食べ物でした。 おひつから各々が好きなだけご飯をよそって, 鶏肉,錦糸玉子,パパイヤのお漬物,紅しょうが,みかんの皮などなどの具材をのっけて あつあつのスープをひたひたにかけて食べます。 だいたい2度,3度にわけて食べるそうです。 案内してくれた2人組はその後生卵を飲んでましたが, お腹がはちきれそうな私は結局卵までは食べれなかった。 その後は漁港で解散して友達と二人で土盛海岸へ。 念願かなって泳ぎました。 波がざばざばで泳ぐ,というかほとんど流されてる状態でしたけど, 大好きな珊瑚や貝殻も拾い集めることができて 今回の旅も少し重くなった荷物を持って帰れそう。 海から上がって,大浜海浜公園まで足をのばす。 夕景がきれいで有名なところなんだけど, 残念ながら日没には間に合わず, たくさんの星と暗闇を眺めつつしばし波の音を時を過ごす。 友達の家でお庭バーベキュウをご馳走になり, 庭風呂(!)にも入らせてもらって過ごす奄美最後の夜。 仕事あがり,疲れてたのにありがとう。 民宿にたどり着いて見上げると 今まで見たこともないような数の星が見えました。 上から星模様を描いた幕を覆い被されたような まさに満天の星。 天の川って,七夕じゃなくても見れるんでしょうか? 生まれて初めて,らしきものを見ました。 絶対忘れないどこうと首が痛くなるまでずっと見上げた。 穴が開くぐらい。
私が小さかった頃はここが広島の空の玄関口だったのに, 山間部・本郷町への拡大移転後は 何本かの小さな直行便のみが行き来する空港になった。 (市内だし,場所的には絶対的にこっちの方が便利なんだけど。) 多少は覚悟してたものの・・・息がつまりそうなぐらいちっちゃい。 もとのターミナルの半分のみが飛行場として使われているようで, ちょっとしたビジネスホテルのロビーぐらいの広さしかない。 そんな空間で発券して, 一度すぐ横の搭乗口まで数歩歩いて手荷物検査を受けたら, キンコン警告音を発するあの機械をくぐらずに荷物受け取ってUターン。 そのまままた搭乗手続きカウンターに数歩歩いて戻る。 手続きと手荷物預けが終ったら, 搭乗時刻までの微妙な時間をロビーで過ごして もう一回あらためて搭乗口をくぐるという流れ。 あー,なんか悲しくなってしまいました。 昔は「それなり」だったんですけどねぇ。 広島みやげもロビーの柱のところに もみじまんじゅうのサンプルが置いてあって, 「おみやげにどうぞ。」の文字が書いてあるのみで。 前日に買っといてよかったぁとこころから思いました。 ぶるぶるまわるプロペラに頑張ってもらって, 一路経由地・鹿児島へ。 いまどの辺だろうと窓の外をのぞいて見ればおっきな陸地。 しばらくすると海のすぐそばに滑走路が現れ, そばには‘OITA'の白い文字。 飛行機って,ほんとにひとっ飛びなんだ。 鹿児島空港での待ち時間を利用して, 豚角ののった鹿児島ラーメンで腹ごしらえしてから 奄美行きの飛行機に乗る。 台風のおかげで心配だらけだった目的地に これでようやくたどり着けそう。 空港からお迎えバスに揺られてまずは民宿へ。 荷物を置いてひと息ついてから, レンタカーを借りて奄美の友達の待つ手広海岸へ。 ・・・とは言うものの, 道がわからずさとうきび畑の間の道をあちこちぐるぐるまわってしまい, 友達のそのまた友達に助けに来てもらったりしながら 夕方の海岸にたどり着くことができた。 波乗りをしていた奄美の友達は色の黒いはっきりした顔立ちをしていた。 私はもちろん初対面で, 同行の友達は以前共通の友達の結婚式で一度だけ会ったことがあるのだという, なんとも非常に薄い繋がり。 そんな状態で広島からやって来た私たちを 暗くなるまで親切に連れてまわってくれた。 さくら貝がいっぱい散らばっている海岸。 ハブ採り名人の店(この日のハブ・ショーは残念ながら終わってた。)。 ソテツのジャングル。 あやまる岬の夕焼け。 がじゅまるの木。 アダンの木。 ブーゲンビリア。 ハイビスカス。 私が消化できたのはこれぐらいだけど, たくさん教えてもらった。 奄美の人は植物の名前をよく知ってる。 それだけ慣れ親しんでいるんだろうなぁ。 私も広島でよく見かける木や花の名前ぐらいは勉強しとかなきゃ。 あたりがすっかり暗くなった後, 奄美の友達のおうちにおじゃまする。 ちょうど知り合いの子の誕生会があるということで, 居酒屋で地元の人びとと合流させてもらい, 思いがけずおいしいお料理をご馳走になってしまった 奄美のことばの渦の中。 民宿の部屋で絵はがきを書く。 旅先での私の大好きな時間のひとつ。 そして,ひとつだけメールを送る。
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