カンラン
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2002年10月31日(木) おとしもの,ひろいもの





はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・

今月もやってしまいました。

いつだったかもたしか日記に書きましたね。

末日の通知書送付作業。

郵便局までの道のりで荷崩れを起こしてしまうんですねー。

にっくき車道と歩道のわずかな段差。

おもしろいぐらい見事に台車の車輪がひっかかり雪崩に繋がる。

でも今回は大袈裟にばっさぁぁぁっ とではなく,

ひとつだけぽろっと落としただけで難なく郵便局へ到着。

すごいぞ! と思っていたら,

あらっ,ゆうパックカードがない。

シール10枚集めたやつ。

小包ひとつ無料になるおいしいやつ。

あーあーあーあーあー。

郵便局のおじさんも一緒になって箱の中とか探してみてくれたけど,

私の頭の中にはあの段差での出来事がぷかっと浮かびました。

もしあのとき落っことしてたら私,絶対気付いてない。

だって台車山盛りの他の郵便物に気をとられてたから。

結局ゆうパックカードは見つからず,

送料無料にしてもらうはずだった小包は切手でお支払を済ませて

帰り道ではきょろきょろあたりの地面を目で探しながら職場に戻りました。



戻った途端に隣の係の人が

「あ。落し物したでしょ。」

・・・えっ?

完全犯罪だったはず。

誰にも知られることなく墓場まで持っていくつもりだったのに。

どうやら防災センターから

シールがいっぱい貼ってあるカードの落し物が届いてます と連絡があったらしい。

うわぁ。

世の中,いい人っていますね。

素知らぬ顔で使っちゃえばかなり得するものなのに。

ちょっと感動しました。

ありがとうございました。

この戻ってきたカード,

次回重たい荷物を送るときに大切に使わせていただきます。

職場の名称の印押してなかったら戻って来てなかったね。

不幸中の幸いでした。

来月からまた気をつけよう。








2002年10月30日(水) チョコレェトさん





冷蔵庫を開けたら

すかさず

「ちょっと。あの 高いチョコ 取って。」

特に何も思わず言われるままに取り出した

食べかけのチョコレェト・バー。

お父さんが随分前に美術館で買ってきてくれたおみやげ。

チョコレェト・バー2つとポストカード1枚で¥1,000ぐらいするシロモノ。

・・・うん。私は高いな,と思う。

自分ではまず買わない。

その 高いチョコレェト をお母さんに手渡しながらふと,

笑いがこみあげてきました。

その名称で思いっきり話が通じてしまううちの家族について。

もしかすると,

うち以外でも 高いチョコレェト と呼ばれているかも知れないこのチョコレェトについて。





うん。

どうしてなかなかほほえましくてあったかいじゃないか。

ちなみにこの 高いチョコレェト ,

お母さんの手でぽきっと折られてまた冷蔵庫に戻っていきました。

すんごいおいしい!

ってわけじゃなくても

ついついもったいないような気がしちゃうからね。

というわけで,

今日も冷蔵庫のなかで眠る 高いチョコレェト 。








2002年10月28日(月) 贅沢な月曜日


仕事休んで街へ出る。

いつもよりちょっとだけ遅い電車に乗って

待ち合わせは職場近くの地下書店。



それにしても数本電車を遅らせただけでものすごい世界が違って見えるもんだ。

うちの最寄りの電停,

学生がホームに入りきらずに線路へあふれだしてる。

うわぁぁぁぁ。

そういや近くに男子校と女子高があるんだっけ。

登校ラッシュ。

びっくりだ。

学生の隙間を縫うようにして乗り込んだ電車は意外にのんびりすいていた。



予定では地下書店で情報誌でも読み漁って

行き先を決めようということになってたけど,

結局そんなことはすっかり忘れて

ずらりまだシャッターの閉まった通りを抜けて大きなパン屋さんへ。



人とこんなに早い時間に待ち合わせるのも初めてだけど,

一緒に朝食を食べることから始めるのも初めてだ。

不思議でいて,そのくせ自然な感じ。

あー,こういうのもありだな,って。

クロックマダムセットとフレンチトーストセットをたいらげてから

海に行くことにした。



港行きの電車を待っていると,

待ち構えたように雨がぽつぽつ降り出した。

夏の雨とは違って冷たい。

けれど結局そのまま電車を待つのをやめなかった。



海沿いの道を歩いていると雨脚が強くなってきた。

空を見上げると大きなまだら模様,

えんえん降り続けるつもりはなさそうだ。

晴れた瞬間には浜辺で,水切りしたり,貝殻拾ったり,釣り人観察してみたり。

雨のひどいときには小高い丘の木かげで雨宿りをした。

小さな半島をぐるり一周する頃にはお腹もぺこぺこ。

とは言うものの周りにはご飯を食べれるような場所もないので,

めちゃくちゃラフな格好でホテルのレストランにお邪魔することに。



普通じゃ絶対足を踏み入れるはずもない昼下がりの地上22階。

通された待合室のようなところでいささか落ち着きを無くしていると

さっきまで歩いていた海岸線が真下に見えた。

東京タワー,

牛窓の山のてっぺん,

飛行機の窓,

どこでもそうなんだけど,

さっきまで自分がいた場所を上から見下ろすのって不思議な気持ちになる。

あたり全体を見て,

結構すごいな,っていう気持ちと

ちっぽけだな,っていう気持ちが半分半分。

生きてるな,っていう気持ちと

嘘くさいな,っていう気持ちが半分半分。

興味があるのは・・・

東京タワーなら東京タワー,

この海辺のホテルならこの海辺のホテル,

自分の大きさをゆうに上回る大きな大きな建造物を実際につくった張本人は

上から見下ろす風景に何を感じるんだろう,ということ。

ちっぽけな私には想像もつかない。





ここからならぎゆっとつかみあげられそうな瀬戸内の島。

聞きなれた島の名前。

いつかフェリーに乗って行ってみたいな。







2002年10月25日(金) くぎさされ





お昼休みのコンビニで友達からの電話を受けた。

お昼休み終了間際の職場で友達からのメールを受けた。

「補足」・・・。

どうやら私がとある人と親しくなったために

彼女まわりの人間分布図に思いも寄らないあらたな繋がりができてしまったらしい。

で,彼女は早口と早親指を駆使して私にくぎをさす。

「余計なことは喋らないでね。」と。

その様子から,そうとう気になって仕方ないんだろうなぁ と思い,

「心配しないで。」と伝えてはみるものの,

彼女には周りが見えなくなってしまっているのかも知れない。

私のことば,届くだろうか。

彼女がこぼす職場の愚痴やら恋愛沙汰。

私,そんなに楽しみにしてるように見えるかなぁ。

そりゃ話が始まれば耳を貸すけど,

そういうのを喋って楽しむタイプじゃ決してない。

第一,知らない人たちのことを話してもおもしろくもなんともない。

悪いけど自分たちのことでいっぱいいっぱいだ。

正直なところ,彼女の話に何度か登場する個人名も覚えちゃいない。

その都度,「えーと。誰だっけか。」と頭の中で検索かけてる。

とにかく信用してほしいな。

あんまり何度もこまかく言われると私だってあんまり気分よくないし。

別に悪いことしてなくても,何となくだけど,どんより重たくなってしまう。

躊躇してしまう,っていうか。

人の繋がりって結構いろいろあるんだね。

みんなが繋がっているのが理想的なようであって,

実際には複雑でわずらわしい・・・ってことなのか。

取扱い注意。

きわめて単純な私まわりは相も変わらずいたってシンプル。

それって,喜ばしいことだ。

感謝。








2002年10月23日(水) 流れるけむの先にあるもの



たばこ,やめようかなぁ。



今まで特にやめようと思ったこともなく

たくさんのたばこを吸ってきたわけですが・・・

いま,そんなことを考えています。

「からだによくないよ。」ってよく聞く言葉。

・・・多分。

私もきっと何度か言われたことがあるんだろうけど,

はっきり言って記憶にない。

これこそまさに こっちの耳から入ってあっちの耳へすぅっと抜ける っていう

表現がしっくりくるシチュエーションなわけで。

けど,今,すごい考えてる。

通勤の電車に揺られながら,

「着いたらたばこ買おっかな。一箱だけ。」

と考えたくせに自販機の前を通り過ぎ,

食事に出掛けた先で

「おたばこ吸われますか?」と聞かれれば,

少し悩みながらも「吸わないんです。」と答える私がいる。

私の頭の中で時々,たばこが顔をのぞかせるけど,

今のところどうやら自分で自分に言い聞かせることに成功しているようだ。

で,結局,私はこれを機に禁煙しちゃうんだろうか。

うーん。

最初は徐々に減らしていくぐらいの気持ちでいいやと思ってたのに。

けどなんとなくおいしくないんだ。

吸ったとき煙が妙に軽く感じられる。

白々しいぐらいに。

こんな気持ちになるなんてほんと不思議だ。



・・・「絶対やめてくれ!」って言われたら反抗したと思うんだけどね。

まいった。








2002年10月21日(月) レンジ





ついにパンの焼けるレンジがやってきた。

それはつまり パンが作れるレンジ ではなくて,

普通に トーストできるレンジ って意味。

ひとり暮らししてた頃のマイ・レンジは

もちろん毎朝パンをこんがり焼いてくれてたので,

広島の実家に帰ってきてからしばらくは

もち焼き網でパンを焼くことに多少違和感を感じてた。

もうすっかり慣れたけどね。

そんなわけで焦げ臭さのかわりに電子音が朝の食卓風景の一部になった。



まだ今のところ,

パンを焼くかおかずを温めるかぐらいしか使ってないので,

母は得意のスペア・リブをこの新型機器で作ろうとしたらしい。

けど結局は 油が落ちないから という理由で却下。



で,お父さんはと言うと,

レンジがパンをじっくり焼くのを待てないらしく,

「網の方がええのぅ・・・。」。

それにパンを焼いてすぐの温度が上がったままの状態では

お父さんのミルクのあっためも受け付けてもらえないらしくて不評。



・・・うちには必要のないものだったんでしょうか。

トースター機能つきレンジ。

なんだかせつないです。



せっかく「在庫があと一台しかないらしい!」って張り切って購入したのにね。







2002年10月20日(日) あの喫茶店へ





ずっと前から気になっていた喫茶店に入った。

小さい頃に私が住んでたあたり,線路沿い。

見上げると上の方が手前に迫ってきてずりっと落っこちてきそうな古い外壁。

装飾が施された とは言い難いがっしり格子のはまった窓。

ほの暗い店内。

電車の中から見ていただけのお店に今日,とうとう入ってみる。

広い店内には東西に2台のテレビ。

ひとつはNHKのど自慢で,もうひとつは競馬中継。

ふたつの音声がちょうど混じりあうあたりの窓際に座って

メニュウとにらめっこした末に

黒ごまきなこトーストとアイスレモンティーを頼む。

私の向かいに座った人は,

創業以来50年変わらぬ味のミルク・セーキとカレーライスを頼んでいる。

結構な取り合わせだ と思いながら

ストローから吸ったアイスティーの甘さにびっくりする。

加糖されたアイスティーって懐かしい。

昔はこれぐらい甘いのじゃないと飲めなかったっけ。

暗い店内の薄汚れた大きな窓から眺める外の世界は明るかった。

こんなどんより曇ったお昼でも。



がしゃんがしゃんと鳴り響くレジスターの音が心地よい日曜の午後。







2002年10月19日(土) 週末穴ぼこ




お昼ご飯にたらこスパゲティーを食べる。

小さなぷつぷつが口に残ってたらいやだなぁと

洗面所の鏡の前でにぃぃぃぃっとやってみたのが運のつき。



奥の方の歯間にいれたデンタル・フロスが抜けない。

引っ張るのはこわいので,

ぎこぎこぎこと少しずつ抜き取ろうとしてフロスが切れる。

歯間に感じる繊維残り。

またあらたなフロスでぎこぎこしてみたところ,

からん と響く嫌ぁな音。

歯のちっちゃな詰め物が落ちた音。



落っこちた詰め物と一緒にしばらくしぃんとしてみたものの,

思い切ってお母さんにカミング・アウト。

「歯の詰め物がとれちった。」



あー。

舌に感じる穴ぼこ。

こんなんじゃ気になって何も食べられないよ。



午後いちで出掛けるはずだった銀細工の教室を諦めて治療にむかう。

ながらく歯医者から遠ざかっていた私の歯たちは

意外とまともに生きていてくれたようで,

問題の詰め物がとれた歯以外は特に問題もなく,

あっという間に緊張のひとときは終了。

落ちた詰め物はまた元の位置に戻った。



ほんの少し感じる違和感をやんわりかみ締めながら

ベッドにころがって本を読んでいたら,いつの間にか眠ってしまってた。

てづくりのブック・カバーの手触りが何とも言えずきもちいいんだ。







2002年10月18日(金) 雨が降る





今日は雨が降るそうです。

そんなこと聞いてません。

ここずっと天気よかったし,

家を出る時もそれらしい予感はまったくなかったし。

なのにみんなは

「雨が降るらしい。」

「そうらしい。」

なんて会話をしています。

どこで入手したんだ,その情報?

あ。

でもそういえば今朝ラジオで

「雨が降ってて路面が濡れて滑りやすくなっているので気をつけましょう。」って

言ってたっけ・・・。

そりゃでも東京の話なわけで。



そういえば朝の食卓でお父さんとお母さんはたいがい天気の話をする。

TVをカチャカチャさせながら,新聞開きながら。

傘がいるとか,いらんとか。

洗濯物外に干せるとか,干せんとか。

私だって天気予報の画面を見ているような気もするけど,

それは眺めている と言った方がよさそうだ。

自分の中に取り込んでいないし,その後頭の中で消化もしてない。



今日にしてはじめて気付いた私の習性。

その時興味を感じているものについてはあれこれ調べたりもするけれど,

肝心な日常の情報なんかを自分から集めることに関しては,ぐうたらだ。



大学の時,軽く自覚したことがある。

それまでは学校や寮で常に必要な連絡は

直接誰かから受け取っていたのだけれど,

大学という場所では自分から常々情報収集しておかないと,大変困ったことになる。

科目登録,教科書販売,試験の日程,などなど。

一度困ったことになってからは,こまめに掲示板を見に行くように心がけた。

その部分が卒業後,多分また欠落してしまったのねー。



そんなこんなでどうやら今日は夕方から雨が降る。

たしかに窓の外もあやしい湿気を含んだミルク色だ。

こんな日に限って職場の飲み会なわけで。

昼休みにビニール傘を買っておこうかとちらりと思ってはみたものの・・・

結局コンビニ前を素通り。



いいです。

降るなら降るで。

私は濡れて帰るかも知れないし,

もしかしたらうまく雨雲の間を縫って帰れるかも知れない。

それはその時のこと。



・・・とは言いながらも,できれば降ってほしくないなぁ,と思う昼下がり。







2002年10月16日(水) しぶい




足が地面から離れたと思ったら

手にしっかりオレンジ色の実を握り締めて

その人は戻ってきた



話をしながら歩いているうちに

きれいに磨き上げられてまるでつくりもののような

てかてかひかる柿の実



食べてみて と言われたので

断った途端

その人はがぶりとかじって

ひとこと 甘い と言った



甘いのならばとっくに道行く人によって

食い尽くされているはずだろう



そんなふうに思いながら歩きつづけると

その人は定期的に言う

食べてみて と



結局空が暗くなりはじめた頃に

ベンチに座ってかじってみることになった



口がわからなくなった

自分に口がついてるのかさえわからなくなった

しびれた



腹をたてながらしびれた口で黙っていると

その人は 一瞬だけだけど甘いだろ と言った



黙りついでに思い起こしてみると

こんなことをされたのは今まで一度もなかった

自分がたべて やばい と思ったものを私にすすめてくる人は

今までひとりもいなかった



なので私もはじめてのことをしてやろう と思って

数日後その人に会ったときに

しぶ柿事件について思ったことを全部

きれいさっぱり吐き出してみた

口をしびれさせる柿をぺっ するみたいに



たいていのことをするりと流す私がつぎつぎ吐き出すことばに

そういうこと言うんやなぁ とその人はおどろいていた

そういうことを言った私自身もおどろいていたためか

一緒に転げそうになるぐらい笑って

涙を流した



二度と道端の柿なんて食べたくないけど

笑って流す涙は すっとして気持ちよかった









2002年10月14日(月) 大きななくしもの





人を好きにならないどこうと

呪文のように言い聞かせていたせいか

人を好きになる器官が機能しなくなってきてるのかも知れない

大きな欠陥

人を好きになるってどういうことだろうと

考えてもわからなくて

やけに明るく照らされた夜の電停で困り果てていた








2002年10月13日(日) どっちが高い?




コスモスって,

やわらかくてやさしくて繊細なイメージを持っていた。





花柄は好き。

大地に根を張って生きている花も好き。

けれど切り花のきらいな私は

この季節,花屋さんの前で足をとめることもなかった。






昔,小学校の教科書に

女の子とお母さんとコスモスの話が載っていたのを

うっすらと記憶している。






ふと足を止めた道ばたは立派なコスモスで

濃淡さまざまなピンク色に染まっていた。

まるで水草のように華奢に見えるその茎やその葉は

ちゃんと緑で

地面からまっすぐそのからだをまっすぐに支え

私と同じぐらいの背丈にたくさんたくさんの花をつけていた。






好きな場所がひとつ増えた休日中日。







2002年10月12日(土) 橋のたもとで




夜更かし明けの土曜日は

案外早い目の時間にぱちっと目が覚めたりする。





いつもの川沿いの道をゆっくりと上っていく。

うちの近くに架かる壊れかけの橋から6つ。

その橋のたもとの浅瀬でつくられる

たくさんたくさんの波紋。

私の手首の太さもないような細い細い首を

すっくと立たせた小さな白い水鳥が

今日も飛ぶ練習をしている。

たったひとりで。

ばさばさばさと羽をいっぱいに広げては

ばしゃばしゃばしゃと蹼は水を掴み輪を描き

水鏡に映った私を揺らす。

もう少し。

あと少し。

自由に飛びまわれる日が近いことを

信じている

知っている

そのひたむきな姿はとても美しく力強い。








2002年10月07日(月) 陽の早く昇る場所 4





目が覚めると,TVを見ながら弟がヨーグルトを食べていた。

あれ。なんだか何日か巻き戻ししたみたいだ。

今日は寝不足。

深夜3時に目覚めてからの空白の1時間半が悔やまれて仕方ない。

その後の眠りはどうやら深かったようだけど・・・。





弟はさっさと用意して,

ミュージシャン同士の結婚を伝えるニュースをぎりぎりまで見てから,

8時を少し過ぎた頃に学校へ向け出かけて行った。





私は・・・友達との待ち合わせは新橋というところに10時半。

最初は浅草というところで10時半だったけど,

雨がひどいから,という理由で新橋というところになった。

弟の部屋を10時頃出ればいいとのことだったけれど,

手持ち無沙汰なのと落ち着かないのと心配なのとで

結局9時半には戸締りをしっかりしてそそくさと退散した。

そして駅へと続く坂の途中のコンビニから大きな旅行鞄を送ってもらうことにした。

友達と会うには邪魔っけだ。





案の定,新橋には予定よりかなり早めに着いたので,

ガラス窓から街なみを眺めていたら電話が鳴った。

あー,もう着いたのかぁ?と思って嬉し気に出てみると・・・

どうやらまだこちらへの移動の途中で,

晴れたのでやっぱり浅草から水上バスに乗らないか?,と言う提案。

申し訳ないけど,危険は冒したくないので私は動かずここにいます,と伝えた。

禁煙のスタバで(地元ならまず入ってない。)

アイス・ミルクティーを飲んでしばし待ちのポォズ。

半分ぐらいまでちびちび飲んだところで友達登場。

去年のゴールデン・ウィークぶりだ。





一日周遊券を買って,

二人で海辺を走る電車に揺られながら

喋っては窓の外を眺めてまた喋る,っていうリズムがとてもここちいい。

ぐるりぃっとカーブを描くレールは遊んでるみたいだ。

こういうのって案外いろんな場所にある。

私に近いところだと音戸大橋やおろちループ。

それなりの理由あっての設計だろうけど,

見る人を不思議がらせ,楽しい気持ちにするかたち。





お台場は二度目。

ずっと前に連れて来てもらったときよりも建物が増殖しているような感じを受ける。

ぶらりぶらりと歩いて,

悩んだ末に,赤い水玉コーデュロイのスカートを2,000円で買った。

お昼はちょっとした中華街のようなところで飲茶食べながら,

前回の京都散策の時の写真を交換したり,おみやげを渡したり。

よりにもよって餃子が品切れだったのがいまだに心残り。

いつでもどこでも食べれるけれど,あの時食べたかった!

再びしばらくの散策の後,

私の飛行機の時間を気にしながら,早めにカフェに入った。





少し前までメールでやりとりしていた話を実際に彼女の口から聞いた。

どういうわけか彼女と私に関して言えば,

物事そのものの質は違っても,

何かが起きるタイミングはいつもだいたい同じ頃。

星占いやなんかをまるまる信じるつもりはないけれど,

あながちデタラメでもないような気すらしてしまう。

人間ってもしかしてグループ分けできちゃうのか?

そんなことをちらちら考えながら,彼女の話に耳をかたむけていた。

だって,そうだ。

さみしいようだけれど,

他の人ができることってそんなに大きなことじゃない。

かわりになってあげることも,

彼女が受けたのとおんなじ傷を自分につけるわけにもいかない。





けれど私は聞くことはできる。

いくらでも聞く。

聞きすぎて私の耳がつぅんとすることは,まずないし,

喋りすぎて彼女の口が渇くのなら,またお茶をすればいい。

そして今からのことなら一緒に考え出し合うことだってできる。

束の間の逢瀬でも,

これが彼女にとってちょっとした心の休憩場所になったのならいいな,と思う。

去年,私も彼女におんなじようにして助けてもらったんだ。





心配性の私達はそれから,予定していたより早くカフェを出た。

来た時とおんなじように今度は夕方の海をぐるりぃっとまわり,新橋へ。

ここで別れるんだと思っていたのに,

心配なのでもう少しついて来てくれると言う。

私が迷わないところまで。

嬉しいものの,これにはまいった。

誰かと別れるのは早目がいい。

長引かせるとさみしさが倍増するからだ。





結局彼女とは浜松町のモノレール乗り場,改札のところで別れた。

羽田空港は終点,ここなら反対方向の電車に乗ってしまうこともないから,と

私に向かって笑ってくれた。

嬉しかった。

けど同時にまたしばらく会えなくなるんだね。

なんだかくやしいのでそのままモノレールに乗った。





大きな窓も,荷物置き場も,変な配列の座席も,もうものめずらしくなかった。

ほんの数日の間,東京にいただけなのに。

人間って,こうやってどんどん慣れていくもんなんだよね。

何事に対しても。

自分が抱いた驚きや発見やちっぽけな気持ちでさえも

何かのかたちで残しておきたい。

いつか引っ張り出せるように。





みんなのあったかさにくるまって,そんなふうに思ったのが今回の東京旅行でした。







2002年10月06日(日) 陽の早く昇る場所 3





3日目。天気はこころもちどんより目。

旅立つ前に私が思い描いていたトウキョウ色に近い。

TVでは夕方から雨が降ると伝えている。

それでも時折差し込んで来るのは,すでに高い位置にある太陽の光。





・・・3日目。

私の旅もそろそろ終盤。





今日は友人宅から弟宅への移動が待ち受けてる。

もちろんひとりで,だ。

ルートは二通りあるらしく,

昨日から「どうするの?」と友達に何度か訊かれるも・・・

どうするの?ったって,私にはわからない。

結局弟が教えてくれた方の道で行くことにした。

(友達曰く,こっちのルートの方が近道であるものの,

 断然人が多く,乗り継ぎがやや複雑なのだそうだ。)





弟の住む町に行くまでの間,したこと・・・

・品川へ行く。

 かねてから訪れたかった美術館。見事に閉まってた。がっかり。

・友達宅周辺までとんぼ返り。

 表参道を少し入ったところにあるカフェでランチ。

この日は出鼻を挫かれ,少々力の抜けた一日。

その後,部屋に荷物を取りに帰る。





実家に帰るという友達と一緒に駅まで歩く。

が,突然彼女が忘れ物をしたことが判明して,

簡単にお礼を言った後,

私たちは結局,何てこともない小道の出口で,

何てことなく別れた。

またいつでも会えるような感じで。

昔の頃と同じような感じで。





さて。

ここから先はひとり。

どうしよう。

母から託された首都圏路線図ハンカチではなく,

(母さん,ごめん。)

先日,東京タワーにて入手した小さな路線図を

おしりのポッケから取り出して再度確認。

二駅先の乗り換え駅には難なくたどり着く。





これはひょっとして大きなカバンさえなけりゃ,

私だってちょっとした東京人に見えちゃうかも,なんて

調子にのっていたら・・・

どうも反対方向の電車に乗ってしまったらしく,ひとりパニック。

変な汗をかきながら引き返す。

反対方向に来ちゃったんだから,

今度はまた反対方向に乗らなくちゃ,と簡単なことではあるけども,

頭の中はもういっぱいいっぱいで。

そこから先のことはあんまり覚えてない。

待ってる弟を心配させないようにただただ必死で何度か乗り継いだ。

友達が言ってた‘人が多くて複雑な乗り換え’地点も

知らない間に何とか成し遂げたようだ。

たしかにひとつだけ,

めちゃくちゃ混んでて荷物を肩から下ろせないまま

ぎゅうぎゅう詰めになった電車があったなぁ,とぼんやり思い出せる程度。





怪我をした瞬間,痛みを感じないのと似てる感覚。

その時は緊張やら何やらで感じる機能が一時停止してる。

回路がぷっつり切れたみたいに。





やっとのことで弟の住む町にたどり着いたものの,

長ぁいホームのちょうど真中ら辺で右に行くか左に行くかしばし迷う。

出口はどっちだ。

決して大きくはないであろうこの駅に出口が少なくとも2つある。

しかもホームはとてつもなく長い・・・

そう。

この街の電車はとてつもなく大きく長く,

ものすごいスピードでホームに滑り込んで来るのにも驚いた。

まるで通過してしまうような勢い。

広島でいう電車とはまったく別の乗り物だ。

・・・とりあえず右の方へ進み,連絡を取るべく地上に上がる。

「駅に着いたら電話するね。」と伝えておいたはずの弟は

すでに駅まで来てくれていて,

しばらく動かずに待っていたら何てことない感じで現れた。

(ちなみに私の選んだ出口はどうやら一番遠いところだったらしい。)





私の知らない道をひょうひょうと歩く弟の背中を

軽く叩いてやりたい気もしたけど,

それはやめておいた。

今日は泊めてもらう身だ。





弟にいれてもらった冷たい麦茶で生き返ってから,

大家さんのところにおみやげを持って挨拶に行く。

これは親からしつこく言われていたことだ。

弟と私が似ていないことから,

「変な女が出入りしていた。」と勘違いされないように,と

何度も何度も釘をさされていた件だ。

心配しなくても‘変な女’は多分既に何人か出入りを目撃されているだろう。

・・・と思ったけど,

とりあえずは親の言う通りに

広島空港でちょっとばかし高級げなふりかけ詰め合わせを買って持って来た。





挨拶から帰ってみると狭い部屋で弟と二人。

特にすることもなく,ちょっと早いけどご飯を食べに出掛けることにした。

都市部に出ればいいお店があるのだろうけど,

結局駅前の焼肉店に行くことにした。

店先に出されたメニュウを眺めて弟が,

「結構ジョイな価格設定だけど,あんた大丈夫なん?」と

気遣いのことばをくれた。

憎たらしいような気もしたけれど,

大人になったな,優しくなったな,と思った。

そう大しておいしいというわけでもなかったけど,

炭火に焼かれた鉄板を挟んでふたりでいろいろ話をした。

家族のことや,その他しょうもないこと。





私を待ってる間にお菓子を食べていたという弟は,

思っていたより小食だった。

・・・家族で食べに出掛けると,これでもか!ってぐらい食べるくせに。





部屋に帰ってふたりで『世界ウルルン滞在記』を観ていると,

家から電話がかかる。

弟に代わると,

「・・・うん,うん。焼肉食べさせてもらった。」

なんてことばのやりとりが始まった。





TVと半々の集中力で聞いていると,ふと思い出すことがあった。

数年前,私が(多分,今までで一番)好きだった人のことだ。

と同時に,はなっから私の手の届くはずもない人だった。

時々酔っ払うと口をついて出る,私のと同じような言葉が好きだった。

その人にもお姉ちゃんがいて,

田舎から出て来たときには弟である彼にご馳走してあげたり,

高そうな参考書を買ってあげたりしてたようだ。

そんな話を嬉しそうに話してくれたその人のことを思い出したんだ。

当時まだ子供っぽさの抜けきらない私たち姉弟とはかけ離れた

すごく「いいこと」としてぼんやり憧れたのを覚えている。

たいしたことはしてあげられてないけれど,

私も今,あの頃の彼のお姉さんみたいにお姉さんしてるんだなぁ,と

ふとせつなくなった。





ちょっとだけ目がじわっとした感じがして驚いてTVに没頭しているふりをすると,

ちょうど画面には悲しいシーンが映し出されていたので助かった。





去年のちょうど今頃,

自分のことで流す涙は使い果たしたと信じていたので,

まだまだ泣けるもんだなぁ,なんてひとごとのように思った。





さぁ。

明日はこれまた久しぶりの友達との再会だ。

旅の疲れがないと言えば嘘になるので,

早く休もうと思ってはいたんだけれど・・・

アスファルトを叩く深夜から降りだした大雨と

風に踊る蛸のような洗濯物干しが窓にぶつかる音で

その後,何度も目を覚ましてしまうことになるんだな。







2002年10月05日(土) 陽の早く昇る場所 2





東京2日目の朝。

目が覚めると

友達がTV観ながら昨夜帰りがけに買ったヨーグルトを食べていた。

のびをしてから布団を抜け出し,その傍らに滑り込むようにして並んで朝食をとる。

こういうのって久しぶりだ。

卒業してからも広島で友達を作ったけど,

やっぱり何かが違うんだ。

彼女とはほんの数か月ではあるけれど,同じ部屋で暮らしていたことがある。

だからかな。

それから長い年月を経ていても,ある程度の互いの癖なんかはいまだに覚えてる感じだ。





ほんとはディズニーシーに行ってみようとしていた問題の日。

結局,却下した。

休日,人ごみ,理由はいろいろあるけれど,

何かに二人して集中するよりも,もっとゆるぅい空気の中にいたかったのが一番おっきい。

そんなわけでやはりこの日もぶらぶらした。

歩いては電車に乗り,また歩きつかれたらカフェに入り,

また歩いては電車に乗る・・・。

一体いくつの街並みを歩いただろう。





広島で街と言えば,ただひとつ。

けれどここでは電車を降りるたびごとに街が広がる。

それだけたくさんの人が生活しているということだ。

「街で会おう。」っていうお決まりの文句がここでは通用しない。

もっと言うなら,たとえば「渋谷で。」っていうことばだって通用しなさそうだ。

だって街はおっきい。

そして駅ひとつとってもとても広い。

あぁ,東京。

なんて複雑なんだろう。





手綱をひかれるようにして歩いた街。

友達に見捨てられたら泣いてしまうかも知れない,と

そんな切なくさびしく心細い気持ちと

知らない間にかきたてられるわくわくする気持ちとが常に背中合わせになった街。





この日の昼食は,下北沢という場所でカレーを食べた。

きのこがたくさん入った,「食べる」という表現がしっくりくるルゥ。

お店に入るときに軒先に置いてあったミルクとキャット・フードは,

帰り際にはすっかり空になっていた。





一度部屋に帰ってから,すっかり暗くなった道路でタクシーを拾う。

東京の深い深い深緑に飲み込まれたようにして,

車は一路東京タワーへと向かう。

さっき出歩いてたときにはうすらぼんやりしていた東京タワーが

今はピンクにライト・アップされてはっきりくっきり東京の街に突き刺さっている。

(のちに友達から貰ったメールで,この日のライティングが特別にピンクだったことを知る。

 なんでも乳がん早期発見キャンペーンだったとか・・・。)

道端にはタワーを見上げる人々がところどころで見受けられ,

知らない人たちどうしでタワーを取り囲んでいるようだ。





そうそう。

東京の街で見かける街路樹を囲む柵は,人が座ることを想定してつくられているようだ。

それだけ東京の街は広く,人はたくさんの距離を歩くんだ,きっと。

広島でいう,ガード・レールだなんて呼び名がふさわしくない優しくきれいなつくりだ。





ピンクのタワーから見下ろしたのはTV画面でよく見る東京の街だった。

普段その中で暮らしている友達や,まわりのカップルは,

その眺めを相当楽しんでいたようだけれど,

私はというと,どういうわけか

見下ろす夜景よりもむしろ下から見上げるタワー自体が魅力的に思えた。

もちろん,自分の住む街じゃないからかも知れないけれど,

本来の姿を闇に包み隠され,小さな光の集合体となった無数の人工物よりも,

たったひとつの大きな建造物の方に潔さを感じたんだ。

すごい人がいる。

すごい歴史がある。

そんな風に。





そこから電車とタクシーを乗り継いで,おすすめのもんじゃ屋さんに向かう。

片付けるか片付けまいか悩んだ挙句にそのままになってる扇風機の前,

席が空くのをおもてで椅子に腰掛けて待っていると,

お店の人が一杯お酒をご馳走してくれた。

外で気持ちよく飲むお酒はいつぶりだっけか。

ほんの数歩先を勢いよく流れる車の川も,今夜はそんなに鬱陶しくはない。

旅をしているせいだろうか。

お酒を飲んでるからだろうか。

それとも私も深緑にいっしょくたに飲み込まれてるからだろうか。





東京の坂と階段の多さにやられた足がずしんと重たいようでいて,

どうしてなかなか気持ちいい。







2002年10月04日(金) 陽の早く昇る場所 1




晴れ。

今回の旅は台風のお供なしで。





昨夜遅くまで仕事をしていた友達からも,

「自然に目が覚めたよ。ちゃんと迎えに行くからね。」と

朝イチメールをもらう。

羽田まで来てもらえるようなので,

とりあえず首都圏路線図ハンカチは

大きなバッグのポケットに忍ばせててよさそうだ。





家を出る間際まで着てく服について悩む。

考えてたのを着てみて,ふと思うところがあって違うのを着てみる。

しばらくしてまた元通りに着替えてみたくなる・・・。

ブラック・ホォル。

むこうの気候はどんなんだ。

大して変わらないような気もするし,こっちよりか寒いような気もする。

結局は考えるのが面倒になってTシャツに上着を羽織って出掛けることにした。





広島空港にてあれこれおみやげを買い込んでから荷物を預けたが,

カメラも中にいれてたことに後から気付き,

ちょっとばかし心配になる。

どうかご無事で・・・。





羽田に着く間際,ディズニーランド及びディズニーシーが窓から見えた。

今回の旅ではディズニーシーに行くとかそんな提案が出されていたけど,

生まれてこのかたディズニーと慣れ親しんだ過去を持たない私・・・。

一瞬浮かんだ妄想に不安になり,思わず鳥肌。

ただならぬ違和感。

「エスちゃん,死ぬまでに一度は・・・。」と

つぶやく職場の先輩の顔に平謝り。





羽田に着いたと思ったら,

弱小地方都市広島からの便てば,空港ビルディングからほど遠いところに止まる。

バスに揺られて空港の中をぐるぐるまわる。

橋なんてものまで渡るの。

それから荷物を受け取ったりしてたら,

到着時間前からロビーで待っててくれた友達を長い間待ちぼうけさせてしまった。





5年ぶりだというその友達は(私はそんなに経ってるかなぁと思う。),

私が出てくるなり立ち上がって笑顔でむかえてくれた。

そんなに変わってない。

ちょっと安心。

「あんただけはちっとも変わらんね。」と

いつも言われてばかりの私は,

友達が妙に大人(実際大人なんだけども。)な雰囲気を漂わせていたりしたら

どうしよう・・・と多少心配していたからだ。





彼女の部屋に着くまでの移動の間は,

大きくてきれいな電車内の様子を首をぐるぐるまわして眺めていた。

なるほど。

空港連絡線とだけあって,

荷物を置くスペースがあったり,席が変な配列になってたりする。

いなかものには感心させられる合理的な設計だ。

ていうか,いつの間に電車に乗り込んだのか記憶が微妙なのが一番の驚き。

そのぐらい空港からの電車の乗り継ぎはスムースだった。





その後何度か乗り継いで彼女のお部屋へ。

大通りに面した都会のマンションからは案外緑がたくさん目に飛び込んでくる。

ここに来て,私の東京のイメージは深緑だ。

季節のせいかも知れないけれど,

やわらかな緑や光を通す黄緑ではなく,

深い緑。

強い緑。

都会と共存する力強さゆえ?





そんなことを考えていたら,冷たいお茶を出され,

それと同時に強烈な喉の渇きをおぼえて,めずらしく一気に飲み干した。





思い出話と近況報告の入り口に立ったぐらいのところで部屋を後にする。





少し遅めの昼食を食べる。

街の名前や店の名前は・・・覚えてない。

頭は必死にまわるのだけど,あまりの情報の多さについていかないみたいだ。

メニュウを見て,3種類のデリがメインとなったランチ・セットを頼む。

即座に決めた私を見て,

「エス,それどんなのかわかってて頼んでる?」と心配がるけど,

これぞまさに(多分。)旅人の強みだ。

別名:勢い。





案の定,おいしくたいらげた。





それから古着屋めぐりであちこち連れまわしてもらって,

夜は8時頃,予約してもらってたきれいなお店でご飯食べる。

大通りから少し入ったところの黒が基調のガラス張りのお店だ。

私達のそばでは黒いパンプキンたちがその炎をゆらりゆらり揺らしてて,

お酒の入って気持ちの良くなった頭から記憶を

いもづる方式で手繰り寄せては懐かしむ。





私は意外と人の名前を覚えているようだ。

同じクラスになったことのない人,一度も喋ったことのない人。

「顔はこーでさ,服はこんなで。あの人なんて言う人だっけ?」といった

友達のいい加減な描写でも結構答えられちゃったりしちゃって,

その日私はたくさんの眠っていたものたちを吐き出したような気がする。





次から次へと。








2002年10月03日(木) 夏休み完全消化計画





半分残してた夏休み使って,

明日からちらっと大都市トウキョウの空気吸って来ます。

友達のおみやげつくったりして有意義な午前中を過ごしたものの,

今日になっての旅じたく,

部屋の中も頭の中もぐちゃぐちゃです・・・。

お母さんから託された首都圏路線図ハンカチ(!)お守りに握りしめて

いってきます。

・・・心強いけどこれって恥ずかしくて広げられない。







2002年10月02日(水) つなぎあわせる





朝のベンチに座っていたときのこと。

ふと視線の隅っこにぞろぞろぞろぞろ動くものが映りこみ,

顔を上げてみると思い思いの洋服を着た子たちが

ホテルから続々と出てくるところだった。

あんまり突然であんまり大勢だったのでびっくりした。

中学生か高校生の修学旅行か何かなんだろう。

私はほんとにそこら辺近辺の年齢当てには才能がない。

手品の万国旗のように次から次へと出てくるので,

なんとなぁく眺めているとたくさんの目線が返ってきた。

たしかにむこうからしてみれば

「こんな時間にこの人ここで一体何してるんだろう?」

てなところかも知れない。

けど私の毎朝の日課なので仕方がない。

きっとこれから平和公園を見学するんだろう。

それにしても結構いいホテルに泊まるんだなぁと変なところにも感心。





そういえば私の高校時代の修学研修旅行先は沖縄だった。

昔っからぼんやりと憧れていた南の島への第一歩。

きれいな琉球ガラスに閉じ込められた泡盛を楽しむことなど

もちろんできるはずもなく,

ただひたすらに戦争の傷跡をたどる旅だった。

夕食前のほんのひととき,

グレイの空の下に揺れるグレイの水面を見るべくダッシュしたのを覚えてる。

想像してた海とはほど遠かった。

わさわさと風にあおられ揺れる草木を縫うように

舗装された道路を

大きなバスに乗って移動した時間が意外と一番印象に残っている。

それがあの空気を好きになった瞬間だったような気がする。

その後何度か訪れることになる足がかりになったのは間違いない。





あれからもう8年以上の月日が流れたことに素直な驚いてから

先ほどの子たちの後ろ姿を目で追ってみる。

小さく小さくなっていくのではなく,

ふっとまるで何もなかったかのように物陰に消えてなくなった。

日々ふつふつと生まれ出るあんなことやこんなことも

おんなじように生まれては消え生まれては消える。





それはさみしいようでもあるけれど,ありがたいことでもあるんだ。






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