カンラン
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お昼休みに
知らないお姉さんが
机の間をするりするりと泳いでいた
大きな泡をぷくんぷくん吐き出しては
すいすいすいすい
私たちの姿が見えていないかのように縦横無尽になめらかな動き
この人はいつ水面に上がって息つぎするんだろう
ちなみに息つぎすること
私にとって苦しいこと,こわいこと
何度教えてもらってもできないので
泳ぐことをやめました
嘘をついて
2002年04月29日(月) |
暦どおりの休日(第1部最終日) |
四つ葉のクローバーが見つからないのをいいことに
三つ葉のクローバーを数え続けていたら
からだ中の血が肩にのしかかってきて
くたくたに疲れた
四つ葉のクローバーにおしっこならひっかけたことがあるであろう翔ちゃんが
早くおうちに帰ろうと
日差しのかげってきた空の下
私の膝の上で
ぶるぶる震えだしたので
とにかく4で割り切れる数まで数えてやめた
2002年04月28日(日) |
暦どおりの休日(第1部2日目) |
関西上映映画のパンフレット。 「みなみ会館」,「朝日会館」・・・。 京大周辺にはあたらしい映画館ができたらしい。
懐かしい気持ちとの相乗効果もあって,映画観たくなった。
どれにしようかな。 気になるのは2つ。
『ランドリー』。 『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』。
どっちにしようかな。 『ランドリー』は原作読んでるし,もいっこの方にしてみようかな。
調べてみると広島でも昨日から上映されてるみたい。
思い立ったらお昼食べてる気分でもなくなってしまったよ。 お母さん,ごめん。
とりあえず出かけて, コンビニで何か買ってから近くの川沿いベンチ行こ。
お出かけしてきました。
島根の三隅町というところに つつじのきれいな公園があります。 行ってみて初めて知ったのですが, ちょうどお祭開催中でした。
初めてです。 一度にあんなたくさんのつつじを見たの。
斜面一面つつじだらけ。 つつじ色です。
まるでどこかの大きな大きな人が 親指とひとさし指を使って 花をひとつひとつ大事そうに山の斜面に埋め込んだような感じです。
私の知ってるつつじは,だいたい太ももぐらいの高さですが, ここでは違う。 ひとつひとつがうんと大きい。 私たちの方がつつじに埋まってる状態。
こっぽりあいた自然のつつじトンネルの中で 赤紫や白やピンクの花越しに見上げた空がとてもきれいだった。
前にも日記に書きましたが・・・ さすがは小学生の頃の私が吸ってたぐらい甘いつつじの蜜, 大きなはちがぶんぶんぶんぶん飛びまわっていて 何度も目が合ったような気がしました。
わくわくするような昼食は神社の前の屋台で。
黒豆とさんしょの葉,桜の花の塩漬けがのった薄桃色のおにぎりと 薄く衣のついた唐辛子がぴりぴりの赤いあげはんみたいなの。 (地元の人にきいたところ,あかうおの練り物だそうです。)
素朴なんだけど何かひとつ刺激的な味がきいてる。
広島からそう遠くない場所なのに, 確かに違う食がここには存在してるんだなぁと ちょっとした旅気分を味わいました。
そう遠くないうちにまた食べたくなりそうです。
りんごあめかじりながら見下ろした駐車場のこんもりしたつつじ。 ついさっき食べたおにぎりの姿にそっくりだった。 ・・・この眺めから生まれたのかな。
ばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばた ばたばたばたばたばたばたばたばたばたばた ばたばたばたばたばたばたばたばた ばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばた
かさかさ かさかさかさかさ かさかさかさかさかさかさかさかさ かさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかささささささ
風の強い日に聞こえる音って,嫌いじゃないです。 いらない音が聞こえなくなるから。
耳の中の音の通り道を まるで映画館の画面で観る雪崩のような勢いで 奥へ奥へとどんどんどんどん流れ込み, お構いなしに 頭の中で嵐に変化する。
くだらない考え事も吹き飛ばす。
嵐が通り過ぎた後の頭の中は 風紋がところどころに残っていて とても静かです。
陽の光があんまり届いてこない日に部屋で聞く 強い強い風の音。
自分が, 自分のねぐらが, この上なくちっぽけでたよりなく感じて 不安がむくむくむくむく大きくなる。
そんなとき, このむくむくむくむく大きくなる不安な気持ちにすっぽり覆われてる自分は この瞬間,ものすごく いきものしてるんじゃないかと思う。
日常の人間的な悩みだとか そんなものから切り離されてる瞬間のような気がする。
日頃うだつのあがらない私でも, そんな静けさの中だと, あ,もう一度あの音を耳にしたい。と 素直に選び取れるのです。
それが果たして もう一度聞ける音かどうかはわかりませんが・・・
2002年04月24日(水) |
雨の日もまわるまわる |
傘持参で出勤はしましたが, お昼休みはもう大丈夫かなぁと思って すたすた職場から出たところ・・・ 数歩歩いた途端に, ぽつっ,ぽつっ,ぽつぽつぽつぽつぽつ・・・と 微妙な小雨が結構降り出して来てしまいました。
あーあ。 もう今更傘取りに戻るのも面倒なので,そのまま近場のお店に逃げ込んだのでした。
午前中にまわって来たパンのおばちゃんを見逃してしまったのが運のつきです。
というわけで今日のお昼はコーヒーとスコーンをいただきました。 席についてほっと一息入れていると, 知らないおじさん方登場。
肩に乗っかった雨のしずくをさささっと落としながら, 「いやぁ,参った。参った。」 なんて,あんまり参ってなさそうに言ってる。
そのままカウンターに直行してスムースに注文。 ・・・かと思えば,彼らの後ろに列ができてる。
お客さんの数はそう多くないんだけど, 何かで手間どってるのかな,と何の気なしに注目してみると,
「髪は薄めなんだけどねぇぇぇ!」
店内に響き渡っていました。
きっとお店のお姉さんがコーヒーの濃い,薄いの好みを尋ねたんでしょう。 それに対するおじさんの答え,というかコメント。
私からは,おじさんの後ろに並んでいるOLさんの不機嫌具合もばっちり見えていたので, 先ほどのコメントから きっとコーヒーは濃いめにしたんだろうことを推測して 目線を自分のテーブルに戻しました。
それにしてもギャグをポンポン言える人って頭の回転,速いんでしょうね。
頭をぱかっと開けさせてもらえたら, きっとそこには私の頭の中とは違う風景が広がってるんでしょう。
私は今話してることだけでいっぱいいっぱいで, そっからぽんっと 響きの似たことばを探し出してジャンプするなんてこと,到底無理です。
そうは言っても 特にギャグ好きではないです。
どっちかと言うと, ギャグに気付かず通り過ぎてしまい,丁寧な補足説明をうける方です。 お向かいから, 「エスちゃん,今の笑うとこ!」 とひそひそ声による指導をうけることもしばしばです。
もっとアンテナのばしとかなきゃなぁ,と思う今日この頃。
とりあえずは,部長さんの帰り際のことば 「けぇる(=カエル)が鳴くけぇ,はよけぇろう(早く帰ろう)やぁ・・・。ぷぷぷっ!」を 聞き逃さないように日々,細心の注意をはらうように心がけています。
夕方になると,人知れずそわそわしてしまう私をきっと誰も知らないんだろうなぁ。
なんとなく不快なまましばらく過ごしていたけれど, 最近ようやく言葉で言い表せるようになってきました。
どうも,まぶしいのです。
毎日ではないけど,特に晴れの日。
ぽかぽかと日差しを浴びながら出勤したら, 午前中ずっとそのまぶしさをひきずっているようなんです。
職場の蛍光灯の明かりさえもまぶしくて 目をしっかり開けておくことがつらい。
おまけとして,この微妙な目の開き加減が眠さを呼ぶのがまたつらい。
目がちかちかしょぼしょぼして, ひどい時は向かいの人の顔までぼんやりとしか見えない。
家の人に話してみたところ, 遠視もしくは乱視なんじゃないか,って言われました。 ちなみに私以外の家族はみんなマイ眼鏡,持ってます。 お父さんと弟が近視で,お母さんが遠視を経てすでに老眼。 どう言うわけか私だけが自前のめんたまで生きてます。
普段のものの見え方には特に問題はないんだけどなぁ。
去年の健康診断でも(右)1.2と(左)1.5を保っていました。 「左の方がいいんですねぇ・・・。」と看護婦さん?保健婦さん?にぼそっと言われたの覚えてる。
一度眼科行ってみようかなぁ・・・。
あの,自己申告っぽい検査って,疲れると言うか,どうも苦手なんです。 なんでかと言うと・・・
「見える」「見えない」を自分の口で報告しますよね。
その場に漂う雰囲気で私,つい嘘ついてしまったりするからです。 おかしな気の使い方をしてしまうのです。
先生に「えっ。見えない?」って言われると, すんごい頑張って身を乗り出すようにしてでも何とか見える方向に持っていき, 「なんだ,見えるじゃない。」と言われると, なんとも今自分が検査してもらっていること自体が申し訳なく感じてきてしまって, どちらかというと見えないです的方向に持っていったり。
無駄です。 変です。 わかってます。
でも,どうしてもこうなってしまう。 そんな私。
眼科に行ってみようと思い立ってから,はや数日が過ぎています。
燃えるようなつつじに目を奪われていた今日この頃ですが, そこから,すすすと目線を落としてみると, 芝生の上,ところどころ小さな花が咲いているのを発見。 黄色いの, 青いの, ピンクなの, どれもちっちゃくて,でもしっかり根をはって 気持ちよさそうに風に揺られています。
大きなつつじは学校帰りによく摘んでは蜜をちゅうちゅう吸ってました。 花びら以外の部分ををちぎりとって, らっぱをくわえるような感じで吸うと ぬるくて甘い蜜が花の匂いと一緒に口に飛び込んでくる。 口だか鼻だか,よくわからないけれど 直接吸い込む花の匂いは強烈で,むせてしまいそうになる程でした。
そんな風にして, 長い長い帰り道をごまかしごまかし歩いて帰っていたのですが・・・
何年生の時だったかな。 突然大人になりきってしまう子っていました。
先週までは一緒に つつじの蜜を吸ったり,ぴーぴー豆を吹き鳴らしてみたりしていたくせに, 突然, 「まだそんな汚いことしてんのぉぉぉぉ?!」 とか言い出すの。 「あんたもこないだまでしとったじゃん。」 っていうこっちの言葉はどうやら耳に入らないらしく, もの凄い勢いで非難するのね。
つつじ見ると思い出す。そんなこと。
つつじの蜜を吸わなくなったのはいつ頃だったんだっけ。
大人な意見に負けて吸わなくなったのか。 他にもっと楽しいことを見つけて吸わなくなったのか。 摘むことに罪の意識が芽生えて吸わなくなったのか。
今となっては思い出せないけど, 近々,久しぶりに実行してみようと思う。 こそっと。
ことば。 ことばって, こんなところにもあんなところにも 至るところに, ほんとに至るところに溢れかえっているけれど,
私のために 誰かが紡いでくれることばって, そんなに多くない。
でもそれは 重みがあって,あたたかくて,ふんわりしていて, こぼさないように ちゃんと受け取るには 両手いっぱいいっぱいを広げないとだめです。
端から見れば 私がそのことばたちを抱きしめているようですが, 実はまったくの逆で。 そのことばたちに私は包まれてる。 生かされてる。 癒やされてる。
軽い気持ちで手を伸ばして ひょいひょい受け止められるほど 簡単なことじゃない。
私の頬に吹きかけられた瞬間の 一瞬のひんやりが気持ちいいな,って思う。
気持ちいいな,って思った 次の瞬間, からだがかぁぁぁぁっと熱くなります。
ほっぺたから のどを通って 胸の方へと どんどん体内に取り込まれていくような感じ。
「殴ってやろうかと思った。」って 初めて言われました。 人から。 びっくりしました。 と同時に, 私がひとりでくよくよめそめそしていた時期に, その人が離れた場所から そんな私のこと 考えていてくれたんだということを知りました。
自分ひとりで何とかしようとすることは 人に迷惑をかけない, 正しいやり方だと思ってたよ。
私の中の映像技師。 いまだに時々いたずらをする。
土曜の朝。 ちょっとだけ目覚めが悪い。
前にも日記に書いたかなぁ,夢について。
筋はどんな風にして決定に至るんだろう。
日常生活にはもう浮かび上がってこないような 昔の人を 昔のことを 引っぱり出してくる。
もしかしたら 自分の中で整理できないままに 記憶の奥深いところに 無理矢理に押し込んでしまってたのかも知れない。
それを私に気づかせて 整理し直させようとしてるのかな。
でも今更どうこうするつもりはないよ。
もいっかいくるっとたたみ直して ほいっとしまい込むことぐらい できるようになった。
完全にインドア派の私が 珍しく柄にもないことすると・・・
絶対何かよくないことが起こるんです。 その後の私のからだに。
去年はバーベキュウに誘われて どうしようか悩んで参加したところ, 手足口病になってしまいました。
たいていは抵抗力の弱い子供がかかる病気だそうですが,見事に命中。 文字通り,手,足,口の中にぽつぽつできものができて,触ると痛い。 結構つらいですよ。 ものを触るのも,歩くのも,そして食べるのも痛みが伴うんだから。
で,先日はよく晴れた日曜日。 山の清掃に出掛けてみたんですね。 清掃活動自体は気持ちよかった。 時折車が走り抜ける道路をゴミ袋抱えて少しずつ歩いていく。 小学生の頃以来かな,あんなにたくさんつくしやふきのとう見たの。
市内に戻って駅前の居酒屋でこじんまりと打ち上げして帰宅したところ・・・ 足が変。 2,3箇所赤いぽつができてて,そのまわりがほんのり赤くて熱い。 あれぇー?と思いながらも疲れすぎて眠ってしまったのです。
月曜日の朝見た私の足。 右足の膝から下だけがものすごい腫れてる。
どうやらブトが何かに刺されたらしい。
テレビでみるサッカー選手の足みたいです。 時間が経つにつれて腫れがひどくなり,歩く時の違和感も大きくなる。
結局,仕事帰りに薬局で薬買って帰りました。 いまいましい気持ちで薬を塗っていて, 4箇所も刺されていたことが判明しました。
なんでもっと早くに気付けなかったかな。 地面に足をつく衝撃で,びびびびびっとはしる痛み。 早く消えて欲しいです。
ついでに目もぼんやり。 人の顔が見えないんです。 職場にいてもまぶしさを感じて,目がちゃんと開けていられない。
多分,あまりの日差しに目がびっくりしたんじゃないかと思う。 緑がものすごくまぶしかったから。
あー。今週は私,あぶなさそうです。 おとなしい生活に戻ります。
いちごにミルクかけて アイスのかたまり どかっとおとして いちごのスプーンで ぐにゅっぐにゅっとつぶす
いちごも とろりとしたミルクも かちんこのアイスも つぶしてつぶしてつぶしてつぶす
ときどきいちごしぶきを受けながら つぶしてつぶしてつぶしてつぶす
あなたがぽんっと いい音させて 「役たたず」の判をついた女は いちごスプーンになりました
これからは おでこのぽつぽつで いちごをつぶして生きていくそうです
2002年04月13日(土) |
わかること,わからないこと。 |
とある人に, 「君はおもしろいことを言うね。」と言われた。
特におもしろいことを言ってたわけでもないんだけど, あれは何の話をしていた時のことだっけ。
どんな子供だった?っていう話だったかな。
私はとにかく物覚えの悪い子供だった。
校歌は歌えない,
漢数字の「四」を覚えられない, (一,二,三は棒を一本ずつ増やしていけばいいから好きでした。)
大きな数字になると数えられない,
などなど。
その流れで,時計が読めなかった,っていう話をしたんだと思う。 デジタルじゃない針の時計。 短い方の針は読める。 針の先っぽに数字が書いてあれば。
けれど問題は長い針の方。
針の先っぽに書いてある数字を読んでも 先生は「違います。」って言う。
立たされたまま,何度も何度も 「もう一回考えてごらん。」って。 やさしい言い方だけど, ひとりだけずっと立たされて,正しい答えを求められるのは とてもつらい。
長い針が1のところだと,「5分」。
長い針が2のところだと,「10分」。
長い針が3のところだと,「15分」。
という風に覚えていかなきゃならない。
なんで「1」のところが「5」なんだ,とか じゃあなぜ最初から「5」とか「10」とか書いといてくれないんだ,とか, ぽこぽこぽこぽこわからないことが浮かんで, そのたびにどんどんどんどんわからなくなる。 なんで「12」が「60」なの?って。
******************************************
人間のつくった人間が生活する上での決まりごと。
たとえば,
60秒が1分。
60分が1時間。
24時間が1日。
7日が1週間。
とかそういうの。
なかなかうまくできてると思う。 今のところ支障ないし。 ちゃんと太陽は昇るし,夜はやってくるし,四季は訪れる。
けど,これって「正解」なのかなぁ? 「正解」っていうのはあるのかなぁ?
なんとなくだけど, 人間にはわからないことがあるし, その不完全さゆえに「生きもの」の一員として 存在させてもらってるような気がする。
なんだかよくわからない, 宇宙の秘密だの何だのっていうのとか 全部理解できた暁にはもう人間じゃないような気がする。
無駄とかなくて何でもかんでもスムースに まるでベルトコンベアにのってるように すーすーすーすーただひたすらに進んでいく。 朝とか夜とか春とか冬とか もう全然関係なくて。
ふと思うのは, たとえば道ばたにまるくなってる石。 そんな存在こそがすべてを知ってるんじゃないかな,って。
どっかの偉い学者が新しい理論を発見したとして, 「世紀の大発見!」なんて世の中を騒がせたとしても,
「人間もなかなかいいとこついとるね。」とか 「あー。その考え方は君らの暮らしには有効かもね。」とか そんな風に思ってたりするかも知れないなぁと。
小さな子を見守る親のように, ほほえましく眺めてるのかな。
落ち葉。 この時期,きれいなのが落ちてます。
家から電停に抜ける小道, 職場の屋外通路を通るたび, ぱっと目に飛び込んできた一枚を拾う。
毎日じゃないけど,日に一枚。 飛び込んできた日だけです。
不勉強な私はその植物の名前を知らないけれど, 枝から離した手は ぷくっといかにも生き物らしいやさしいふくらみをみせたままで, 赤く燃えた葉っぱの表面にはところどころ 燃えきれない緑色が点々と残っている。
生きているものの不完全さにひかれます。
真っ白いからだこそが美しいとされる 翔ちゃんの背中の真っ黒くて大きなぶち。
花になりきれなかったチューリップの花びら。
ふちのぎざぎざがとれたハイビスカスの葉っぱ。
「きれい」の判断基準は完全を目指す人間がつくったものであって それこそまさにいい加減なものじゃないかと思う。
私は好きなものは好きだと言っていこう。
好きなものを好きだと感じる気持ちをなくさないどこう。
ところで, 燃えきらない緑は周りにあわせて燃えたいと願ったんだろうか。
暖かい四月だと思えば, 突然の寒さに不意打ちをくらう。 職場の喚起孔から微妙に流れ込む冷気がうらめしい。
よりによって午後から雨も降り出した。 さあさあと落ちてくる雨粒にジャケットの色も変えられてしまった。
急場しのぎにビニール傘を買おうとうろうろしてみても, 変に立派な傘しか売ってない。 うろうろすればするほど寒さが体の芯まで染みてくる。
暖かな場所に行きたい。
あんまり,ふぅぅぅぅぅーってのではないけど, 気づけばためいきっぽい息の仕方をしてる。 ひとつひとつの息は深いんだけど, 空気に対して失礼な息の仕方のような気がする。
なさけないなぁ。 とんでもない意気地なしだ。
夜,友達と行った焼鳥屋さんで となりに座った女の人に ポットのお湯をかけられた。
事前に「あぶなっかしい人だなぁ。」と思ってた分, まんまと引っかけられた自分がまぬけに思えた。
ひりひりする右手の甲につられて, 心もひりひりする。
2002年04月09日(火) |
「子供がうまれました。」(抜粋) |
私じゃないんですけど・・・。 私がうまれた頃のはなし。
小さい頃のエスは,今のエスの素というかミクロ版だったわけで, それはそれらしく自分の世界で生きてました。
弟は子供らしい好奇心旺盛の子で, 両親の話す‘おとなのはなし’に首を突っ込んでは, 「子供は聞かんでええの!」とよく怒られてた。
そんな痛々しい彼の姿を見て (彼自身は大して気にかけることなく,何度も何度も同じように怒られていたけれど。), きっと自分の世界をますます確立してしまったのかなぁと思います。
そんなエスは,‘誰にも言わないけど密かにご機嫌を損ねている。’状態が多々ありました。
中でもいまだによく覚えている事件。 (※事件と言っても,実際には何も起きてません。)
いとこのお兄ちゃんのおさがりのポロシャツを着て,おさるばりのベリー・ショート。 これがエス。 近所のお姫みたいな女の子に憧れてた。
ちなみに弟は色白でかわいい。
ある時ひょんなことから初めて耳にした「星座」ということば。 なんでも,持ってない人はいない,って言う。 じゃあ私はなんだろうかときいてみた。
それに対するお母さんのこたえ。 「エスはしし座。アール(弟)はおとめ座。」
ひどい。 押入れの前でひとり泣きました。 やっぱりお母さんは,私を男にしたかったんだ。 ししなんて,ものすごい男じゃないか。 そんな妄想はとめどなく頭の中で溢れ返りました。 ここだけのはなし,当時のありったけの気持ちで憎んだような気がします。
なんでかというと,私の頭の中では・・・
眼鏡をかけた知らないおじさん(今思うと,きっと役場の窓口でしょう。)の前で, お母さんが,
「子供がうまれました。しし座でおねがいします。」 と言ってる。
弟がうまれたら, 「子供がうまれました。それでは今度はおとめ座で。」
我ながらものすごい被害妄想です。
星座が親の独断と偏見によってではなく, 誕生日によって決まるということをその後知ったのですが, なにぶん誰に話すでもなく自分の中で勝手に腹を立てていたので, 「なーんだ。そうだったんかぁ。」とひとり納得して終ったわけです。
別に隠していたわけじゃないけど, 先日このことを家族に話したら みんな涙を流していた。
・・・みんな笑いすぎ。
地面がひかりを浴びて 気持ちよさそうに目を細めるたびに ちょこんとへこむえくぼ
ぐるぐると歩き回る私は そのへこみに足をとられ また足をとられ
そんなことを繰り返しているうちに 心地よささえも感じてしまい
抜け出そうとする努力もせず うまくかわそうと頭を働かすこともせず
そのかわり どのようにしたら 自分のからだをうまくえくぼにそうっとそわせることができるかに こころをくだいている
冷たい雨が降ったとしても みずたまりをつくらないように
昨日一日中,本を読んだりして家で過ごしていたので, 今日は朝とも昼ともつかない食事を簡単に摂ってから 電車に乗って街に出た。
大した考えもなく 皮のジャケットを着て来てしまったことを 後悔するほどの陽気。 周りを見渡すと若い子はTシャツ姿だったりする。 「勇気あるなぁ。」と思う。 私はついつい 「夕方寒くなったらどうしよう。」とか考えちゃうから。
白いパラソルが立ち並ぶ,いつもと違う並木通りを南下して, 先日初めて立ち寄ってみたお店に今日もふらふらと行ってみた。 入店するとすぐにお姉さん(私よりも若いのかも。)が 「こないだはありがとう。」って迎えてくれた。 そうそう。 前回,映画館がえりに立ち寄って, 私のリピーター割り引きのチケットあげたんだった。 さっそく次の日に観に行って,楽しんでもらえたみたい。 今度は自分のリピーター割引使って,近々もいっかい行って来るそうだ。 気に入ってもらえてよかった。 しばらくあれこれ話して, 「また遊びに来るね。」と約束して店を出た。
雑貨屋さんで,星がみっつ並んだピアスを買う。 普段めったにアクセサリーを買わない私は, 「今つけてるピアスは一体いつからつけっぱなしになってるんだっけ・・・。」と 淡水パールのついた輪っかのピアスをはずしてから しばらくぼけっと考えこんでしまう。 たしか中学生ぐらいの頃は日替わりだったはずだけど。 アイスカフェラテ飲みながら,付け替えてみる。
空が夕方模様に変わってきたので,そろそろうちに帰ろう。
『初恋』。 私が生まれるよりも前, 1968年を舞台にした中原みすずさんという人の本です。 カバーの装画は浅野忠信氏。
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1968年12月10日, 雨降りの東京の府中というところで 3億円を積んだ現金輸送車が襲われた事件。
もちろん私はかなり大きくなってから見た, 「昭和を振り返る」的テレビの特番や この事件をもとに作られたドラマを通してしか知らない。 たしか数年前にビートたけし氏主演のドラマを見たのが最後だったかな。
ちょうど学生運動が盛んだった頃。 この本の中に登場するジャズ喫茶にたむろす若者達は, 今の私の年齢よりも若いというのにとても大人びている。 それ故にきりきりする切なさが根底に漂っている作品。
自分の中にずっと封じ込めてた記憶を ひとつひとつ丁寧に取り出して告白する作業。
18歳だった「みすず」。
ひとつひとつのかけらは 時間が経ってもなお鋭さを秘めていて 読み進むほどに,痛々しい。
あの黒いセドリックが予定通りの9時16分に 刑務所通りを通過していたら, 「みすず」と初恋の相手「岸」には 一体どんなかたちの未来が待っていたんだろう。
ちらっと聴いた歌が妙に 耳とか頭とかこころとか, どっかにこびりついて離れなくなること ないですか?
先日,とある人から聴かせてもらったCD。 ポルノグラフィティーの『雲をも掴む民』というCDです。 景品として入手されたとのこと。
音楽に疎い私でもあちこちのお店で流れる有線放送や テレビコマーシャルなんかで耳にしたことのある曲も収録されてたのですが, 私にこびりついたのは, 「Aokage」という曲。
自転車で青影トンネルを走り抜けて海を目指す,という内容の 特にキャッチィでもないシンプルな歌なんだけど なんだかとってもぐるぐる頭の中をまわる。
詞もメロディーも完全には覚えていないんだけど 気づいたらでたらめに口ずさんでいたりする。
どっかしら懐かしいメロディーのような気もします。
あんまりこびりついているので もいっかいちゃんと聴かせてもらおうかな,と考えている最中。
郵便局に行く途中, いつもの横断歩道で 今日もまた山盛り郵便物をぶわっさぁぁぁあっとこぼしてしまいました。
誰かあの段差をけずりとってくれはしないか。
今回は衝撃のあまり,特大のダンボール箱(通称 ビッグ・ボックス)2コが車道上で大破, 中の郵便物がわらわらとこぼれ出し,ちょっとした危険な状態でした。
すべての荷物を元通り台車に載せることができなかったので, 私はぼろぼろのビッグ・ボックスと共に 第一便が戻ってくるのをしばらく歩道でぼけっと待っていました。
夕方の陽光は暖かく,人の視線はちょっとばかし冷たい。
・・・今度はひもでもかけるかな。
マシュマロの中
どりどりどりぃーっと入って行って
ひとりでしばらく眠りたい
ふあふあふあふあ
夢なんかもあれこれ見ちゃって
そして
あんまぁい空気につつまれて
うすかわいちまいのところから
外の世界をちらりとのぞいて
また眠る
やわらかなひかりのぼんやりした外の世界は
思いのほかきれいで
いつかそのうすかわいちまい破ってでも
飛び出たくなるかもね
正しいとか 正しくないとか,
無理だとか 無理じゃなさそうだとか,
歪んでるとか 歪んでないとか,
嫌われそうだとか, 嫌われはしないだろうとか,
おかしいとか おかしくないとか,
もしかしたらとか でも結局だとか,
私らしいとか 私らしくないとか,
どうしようとか,
どうなんだろうとか,
どっちにしようとか,
心の中の誰かにお伺いをたててるうちに
四方の壁がどんどんどんどん狭まってきて 身動きがとれなくなって みんなの声も聞こえなくなって
自ら標本になってしまう
人々の記憶の中で標本になるのは もっともっと先でいい
今はまだ説明書を‘。’で括って欲しくないなぁと思う
説明書つくる人を存分に困らせてみたい
広島城と満開のさくらに見下ろされるようにして ボルシチ食べた。
ブーケガルニのかほりに 鼻腔経由でお腹が刺激されて
てっぺんでとろーぅっと溶けるサワークリームに 視覚経由でお腹がぐぅぅぅと鳴いた。
今日はそんな花見。
ビニールシートの上にはさくらの花びらがひらひらひらと舞い降りだして,
みずみずしい黄緑色の葉っぱは私達のあたまの上, 枝の先っぽから顔をのぞかして あたたかな季節とおなべから立ち上る湯気に つやつや耀いていた。
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