早瀬の呟き日記

2012年01月31日(火) シキED

シキのEDは3種類あるんですが、スタッフロールで流れる曲からすると、最初に見たのがGood、残り2つはBADと思われます。
え、でもBADの方が好みなんですけど(汗)
ていうかGoodがGoodじゃなくね?
まあ、どう考えてもこの2人ではラブラブにはならないだろうと思ってたんで仕方ないかもですが・・・
シキは結構好きなので、彼が楽しそうなEDの方がいいなーと。



2012年01月30日(月) 源泉ED

らぶくて和みました。オッサンええのう。
「墓まで連れてく」っていうプロポーズがぐっとくるじゃないですか!
アキラがほかのルートに比べて子供っぽいというか、でもそのぶん幸せそうに見えていいEDでした。
後味の良さでは今のとこ一番かもしれない。
っていうか、残ったキャラではこんなにらぶくならない気がする(笑)
ところで、なんでアルビトロ様は源泉を殺さなかったんでしょ?



2012年01月29日(日) グンジED、リンGoodED

これを見たいがためにPSP版ではなく18禁版を買ったわけです(笑)
グンジEDはBADで、しかも短かったんですけどね・・・
もっと延々とアキラたん嬲ってくれてもいいのよ!
あああでも杉崎さんの攻ボイスいいわー

リンを攻略しないとシキルートが開かないとのことなので、リン行きました。
率直に言うと「うまいけどツボじゃない」声優さんだったのですが、すいませんでした。
喘ぎ声やばい。
「あ、これ行っちゃったよね?」って聞いててわかるもんなー
しかし、成長したリンの容姿からすると、今度はアキラたんが受になるんだろうなきっと。
リンルートだと、主役がリンでアキラは脇役みたいな感じです。
で、シキに行こうかと思ったんですが、一条さんの声が好きなので源水さんにしました。
一条さん、乙女ゲームやCDにもっといっぱい出てくれないかなー。添い寝CDとか出たら買っちゃうんだけど。

あ、ケイスケのBADも見てみました。
BADの一つはスチルが結構グロいのでダメな人はダメかもですね。



2012年01月28日(土) 咎狗の血ケイスケGoodED

PC版買いましたー。
話はアニメとほとんど同じ、てかアニメが忠実なのか。
アニメでは説明不足だったことがちょこちょこわかって、よかったです。
選択肢が少ないので、ゲームというよりはノベルですが。
そして、BLというより、JUNEですね。
荒廃した近未来。
淡白な主人公。
人とつながる方法としての愛。
若干文章がくどいかな、という気がしますが、アキラの喘ぎ声で全部許します(爆)
ひょおおおいい声で鳴くのおおおお
高級スピーカー搭載のPC買ってよかったわあああ(そんな理由?)
アキラの中の人、うまいですね。
泰衡もセシルも淡々としゃべるのであまり気づかなかったのですが、「浮雲亭」でちょっと軽いキャラやったときに、「この人すげーうまいんじゃね?」と思い、咎狗でも、ケイスケと体の関係ができた後、話し方がちょっと優しくなってるあたり、うまいなーと思いましたね。
声優陣がほんと豪華なので、よくアニメ化できたなーと思います。
きしょーさん、あ、違った、杉崎さん(笑)の演技がちょっと若いですね。やっぱりここ数年ですごくうまくなったんだなあという印象。
まずは、カップリングでは一番好きなケイスケ×アキラでGoodED見ました。
幸せになって欲しいなーと素直に思うカップルです。
ヘタレワンコ×勝気猫。
穏やかなラブラブの日々、いいですね。欲を言えば、最後にもっかいHシーンが欲しかったですね!←

いえ、決して原稿が進まないが故の現実逃避なんかでは・・・
当初の構想って何故使えなくなる運命にあるのか・・・とほほ



2012年01月16日(月) 死者との対話

自分の心のありようが変わるほど近しい人の死に接したのは初めてだったのだと思います。
それまでも葬儀の経験はありますが、どちらかといえば自分にとって遠い人、その死が私の心のありようを大きく変容させることのない人たちでした。

祖父が亡くなった時、私は誰の目にもわかりやすく悲しむことができませんでした。

私なりにひどい痛みを抱えていたのですが、おそらく、傍目には薄情に映ったかもしれません。
それでいいと思いました。
人にわかってもらうために悲しむのではないから。

それからしばらくの間、街で高齢の男性が自転車に乗っているのを見かけるたびに、祖父に見えました。
もう晩年には自転車に乗ることはできなかったのに、です。

さすがにそれは時間とともになくなって、正月に墓参りをして、やっと、終わったと思いました。
祖父の墓前で私が感じたことは、死者の論理と生者の論理は違うのだ、ということでした。
これは本当に直観なので、理解は求めません。

私はそれまで、死者との対話とは、生者の都合の良い捏造だと思っていました。
しかし、そうではないなと今は思っています。
先日、朝起きてきた父親を、一瞬祖父と誤認しました。
そんなはずはないのに、意識は一瞬、まだ祖父が自分で歩けて、居間に顔を出した時のことを再生したのです。

死者とともに、生者は生きている。

「深呼吸する惑星」が私に突き刺さったのは、そういう経験があったからかもしれません。
「ごあいさつ」の中で鴻上さんが書いていた、「死者との会話なんてただの思い出ではないか」と疑問を持つ人は、「死んだ人と本当に会話をしたことがないんだと僕は思います」。
私と祖父は大して会話をするような関係ではなかったけれど、かげろうのように「そこにいる」のだと思います。
いや、生者の言葉では「いる」とは言えないのかもしれない。
とても、言葉にするのは難しいです。
ああでも本当に素敵なお芝居だった。DVD予約しました。



2012年01月15日(日) 「深呼吸する惑星」ライブビューイング

福岡千秋楽の中継を見てきました。
泣きました。
本当に最後だからなのか、疲れているからか(笑)、それとも、一人で行ったからかはわかりませんが、何の涙かもよくわからないけど溢れてくる。
そんな感じでした。
この作品はきっとDVD買うと思います。
この年になっても心がぐちゃぐちゃにされるような作品には、そう何度も会えるものではないから。

いろいろ考えたけど、結局ちゃんと言葉にできそうなのは二つくらいかな。
まずは、鴻上さんの戯曲は、役者あってのものなんだなあということ。
「誰がやっても同じ」にはならない。
もちろん、すべての舞台作品はそうなんですが、特に鴻上さんの場合、役者の私生活とかそういうものまで含めてキャラにしている部分がある気がします。
「天使は瞳を閉じて」なんかは、割合誰でもできるので高校演劇の定番になってますが、この「深呼吸する惑星」は別の人がやるならセリフとか変わってきそうです。
これは、長所でもあり欠点でもあると思います。
あと、これは初回にも思ったことなんですが、BLですよね(笑)
いや、JUNEかな。
首相がギンガに告白するシーンが唐突で、なんでここでホモ?と思ったんですが、これは最後の伏線なのかなと思いました。
つまり、「ずっと好きな人がいるでしょう?」の答えが、タチバナだということ。
マキではないです。
だって、カンザキの幻覚に、マキは一度も出ていないからです。
そうでなければ、マキと再会した時にあの反応にはならない。
彼はずっと、タチバナの幻覚だけを見ていた。
彼の心の中にいるのは、タチバナだけなのです。
それは、恋愛ではないのかもしれないし、同性愛でもないのかもしれない。
けど、問いかけに対して彼は「6年間名前を忘れていました」とだけ言って、肯定している。
そして、幻覚のタチバナに許され抱きしめられて、前に進んでいったわけですから、ひどく独善的といえばそれまでではありますが、彼の愛した人はタチバナなわけです。
(ところで、あの交際申込みの場面で福岡会場では笑いが起きていたんですが、笑うシーンじゃないと思うんですが・・・)
あ、一つだけ、物足りないと思ったことがあります。
アルティアと地球の関係は日米関係を模していると思われますが、とするならば、20代よりももっと下の若い層は、おそらくキリアスに賛同すると思います。
ただし、ネット上で。
そして、現実には、テレビ番組とか自分にとって不利益のない対象に対して文句を言うだけでしょう。
そういう「世代」の存在が、この作品にはない。
それだけが物足りなかったですが、ないものねだりですね。

失ってきた、生きてきてしまった。
そういう年代に突き刺さる作品です。
たぶん、10代の私が見ても泣きはしなかった。

遠くへ来た。

ただこういう作品に触れると、なかなか日常感覚に戻れなくて困ります。
今も若干足が地についてないのですが、仕事(の準備)をしなきゃなりません。
あと、久しぶりのじぇーすぎ原稿も。



2012年01月08日(日) 深呼吸する惑星

第三舞台の解散公演に行ってきました。
そして、福岡大千秋楽のライブビューイングもチケット取りました。

私にとって思春期への影響がとても大きかった劇団・・・というより、鴻上さんが、でしょうか。
封印公演「ファントム・ペイン」からの10年は、私にとっては一番辛い時期でもありました。
それをなんとか乗り越えて、やっと、自分の思春期に別れを告げるときが来たんじゃないか、という気がします。
遅いんですけどね。

実に鴻上さんらしい、そして、第三舞台らしい作品でした。
大人になった今なら、DVDも戯曲も買えますが、あの頃は図書館や古本屋を中心に、鴻上さんの本を読み漁っていました。

最初に興味を持ったのは、ぴあの読者感想コーナーに「第三舞台の作品は難しい」と書かれていたからです。
その頃、小ざかしい優等生だった私は「難しい? そんな演劇あるの?」という、まああれですよ、思春期によくあるアレ、今なら中二病と呼ばれるアレですな、うん、てなわけで戯曲を手に取りました。

難しい、の意味が理解できました。

でも、面白かったんですよね。

「今の自分には理解できないもの」が「面白い」ものであるということ。

これを教えてくれたことは、大きかったと思います。

鴻上さんもパンフの中で言っていますが、「わかりやすいもの」がよいもので、「難解なもの」は悪いもの、とされる風潮がここ10年くらいでできてきた気がします。
それって「お客様マインド」だと思うのです。
でも、我々は「お客様」としてだけ生きているわけではない。
ときには、「わたし」を越える何かに出会って、「少し変わったわたし」になる。
それは、変わる前の「わたし」には予見などできるものではない。

人間の心は、毎日の、目の前の出来事だけではなくて、もっと遠い未来にまで想いを飛ばすことだってできる。
陳腐な言い方をすれば、「哲学」でしょうか。
「また、宇宙のどこかで会いましょう」
笑ってそういえるハートって、結構人間にとって大事なんじゃないかと思うのです。
「生存戦略」という言葉が去年はやりましたが。
即物的ですよね。
切実なのはわかる。わかるけれども。

その言葉は、心を空に飛ばしてはくれない。

それがいいか悪いかはわからないし、昭和生まれの悪い癖なのかもしれないけど、人間の可能性を信じることをやめたら、ヒトは何か別のものになってしまうんじゃないでしょうか。

たまには、こういう抽象的なことを考えるのもいい。
心の風通しがよくなります。
大人になればなるほど、今の自分の立場からしかものが見れなくなり、感じられなくなり、嫌なものが増えていきます。
残念ながら、日常の中ではそこから離れることは難しい。

ものすごく勤勉な人には頭が下がりますが、ふと、遠視気味に自分と世界を見つめる時間は大事なんじゃないかな、なんて思うわけです。

http://www.daisanbutai.com/top.html



2012年01月05日(木) 幻想水滸伝とか

年の始まりにいきなりパソコンが壊れました。
どうも、早瀬です。
喪中のときってネット上での「あけおめ」とかも控えるべきなのか悩んでおります。
初詣とかの公式行事やら西川の正月武道館やら終わり、年始イベント一段落。
残るは部屋の片付け・・・(まだ終わってない)

なのに年末に中古で買った幻想水滸伝を始めてしまいました。あああ
ティアクライスはレベルアップすると全回復する親切設計でしたが、これは回復しないので厳しいですね(汗)
しかも主要メンバーだと思ってたらいきなり死亡して装備持ち逃げされたり、強制パーティー組まされて「育ててないよ!」ってなったり(しかもキャラの成長率が厳しい。初期が低レベルだとパーティー入れておいても追いつかない)、問答無用で戦争イベント始まるので「おい!」ってなったり。
魔法の使い方が今ひとつよくわからない。
2とのセットだしなんか長くなりそうだなあ(笑)

そんなわけで今年もよろしくお願いします。
しばらくサイトの更新ができないなあ・・・どうしようかなあ。
この期に引っ越ししようか。


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琳 [MAIL]