今回も誰一人幸せでない回でした。 泣いちゃったよ。 茜ちゃんは、もっと強ければ、その愛情で風太郎を救える可能性はあったと思うのですが、ちょっとね、さすがに「頑張れ」とは言えないわあれは。 なーんか緑さんてダメなんだよなあ私。 ちらちらと傲慢さが見えるのが苦手。いや、あれくらい普通なのかもしれないけど、ダメだわ。「正しいことを食いすぎて反吐が出ない人間は、生まれつき虫が好かない」と小林秀雄が言ってましたが、そんな感じです。
暗いなあ(笑) 2話ぶんくらい見忘れてしまったのですが、やっぱりこうなったか。 そっくりさん多すぎじゃね?は言わないお約束ですかそうですか。 でも泣いちゃった。 松ケンの迫真の演技に泣いちゃった。 改めて主題歌「さよなら」を聴くとこれまた泣ける。 風太郎が堕ちてゆけばゆくほど、母親との日々が限りなく美しく輝く。それが歌にオーバーラップしてほんと泣けます。 茜ちゃん可哀相だなあ・・・でもあれは、愛なんだろうか? 状況が切なすぎてよくわかりませんワタクシ。
2009年02月22日(日) |
ウチダセンセイのブログより |
“「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、それは「かけがえのなさ」uniquenesse 「代替不可能性」irreplaceablity という「いのち」の定義に悖る。
言葉にすることができないものが、私たちひとりひとりの「命」soul をかたちづくっている。”
語りえぬものについては人は沈黙せねばならない、という有名な結句を思い出す。
語りえぬもの、共有されないもの、理解されないもの。
どうしようもないほどにそれが自分であると感じることがある。 語られること、理解できることの中に、ふと引っかかり「でも」とつぶやくときに立ち上がるもの。 その「でも」が人を救いえることを知っている。
私が何故その選択をしたのか。 言葉を尽くすことはできても、すべての人を納得させることは恐らくできない。 私だって、100%迷いがないわけじゃない。でも。 それが、「語れない」ということ。
2009年02月12日(木) |
クラウザーさんG座降臨 |
DVD発売を控え、地下鉄駅構内にクラウザーさんのポスターが並べて貼ってあった。なんと全部コピーが違う。 「本当の貯金の崩し方を教えてやる」 「貴様に俺が購入できるかな?」 「今日は特別だ。DVDをぶち込んでやるわい」 きゃあああクラウザーさん!(内心で) とりあえず2枚写メった。 オサレな大人の町ザギンでそんなことしてる通行人は私だけだった。
2009年02月07日(土) |
ヤッターマン面白そうなんですけど |
深キョンドロンジョの予想以上のかわいさにノックアウトされました。 これキャストいいわー やばい、観たいぞ。 ていうかヤッターマン誰だっけ?(笑)
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