MD氏と天羽さんとの3人で、鎌倉へ日帰りしてきました。 東京駅から横須賀線でまずは北鎌倉駅へ。 臨時改札口で円覚寺のすぐ前に降ろしてくれたのですが、ワタクシ達は北鎌倉の「駅舎」に用があるとです。 なので、踏切を渡って駅舎正面へ回りました。
ものすごい既視感です。
初めて来た駅なのに、何回も待ち合わせに使った感がビシビシします。白虎の2人とか景時とか、待ち合わせた記憶があるとかないとかあるとか。 で、駅前で写真を撮った後、円覚寺へ。 山門が素晴らしいです。国宝の舎利殿(日本史選択の人はお馴染み)はどちらかというと、かわいい感じ。 これまた国宝の「洪鐘(おおがね)」を見るために階段を上がると、さすが山寺、慢性運動不足の年増の足にはきついです。結構広いですね、円覚寺。 古刹の趣を味わったら、明月院へ。 最明寺入道殿@渡辺謙(笑)のお墓がある紫陽花の寺ですが、当然紫陽花はもうありません。でも、葉っぱだけでも参道はいい感じに写真が撮れます。 リスもいました。 それからバスで鶴岡八幡宮。高校生のとき以来です。懐かしいぞ、この階段! 残念ながら舞殿は修理中で、せめてものという配慮か、工事用シートに舞殿の絵が(笑) これでは九郎も迎えに来てくれません。がっかりです。ワタクシ、境内歩きながら5回ぐらいがっかりがっかり言ったかもしれません。おのれ頼朝。(←八つ当たり) 蓮だらけの源平池には、「スッポン・亀注意」と札がありました。スッポン・・・怨霊? 本殿付近は巫女さんが歩いていて、萌え〜でした。 小町通りの「遊楽」で麦とろのランチ(美味しかったです)をしてから、本日のメイン報国寺へGo。予定ではレンタサイクルを使うはずでしたが、予想外に高かったため鎌倉駅前からのバスに変更。 目指すは「君だね・・・」スポットです。 境内にそれっぽい石段を見つけたので、「そっちじゃありませんよ」と受付のおじさんに言われながら(普通の観光客なら竹の庭しか見ないわな)勇んで写真を撮りましたが、よく考えたら境内です。あの時間帯、開いてるわけありません。景時と神子は無理やり入り込んだものと思われます。 てゆーか、境内に倒れてたらふつーに気付かれます。 入り口まではなだらかな坂(歩道)で、あのでかい景時が倒れられるような平らな道路は見当たらないようです。 まあでもきっとあのへんでしょう、と適当にお茶を濁して、竹の庭です。 これが素晴らしい。 妄想竹もとい孟宗竹の林はなんともいい雰囲気です。お抹茶と落雁を頂きながらのんびり庭を眺めていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。 それから徒歩で頼朝様(ここだけ様付け)のお墓に向かいました。 「墓参り」スポットです。 日本全国の景時スキーを悩ませたあの場所です。 結構距離があって、おねいさんは歩きながら何だか腹が立ちました。こんなとこにまで墓参りに来てんじゃねーよ追っかけさせやがってこの野郎、という気分です。完全に疲れています。 疲れたのでタクシーを拾って源氏山公園に行こうとしたら、運転手さんに「今日は土曜日なので車が入れないんですよ」と言われ、三巨頭会議。 運転手さんいわく、「海蔵寺に萩が咲いてるので、それ見るといいですよ。源氏山は諦めて、英勝寺からぶらぶら散歩しながら駅まで戻ったらどうですか」というアドヴァイスをもらい、「えーとじゃあとりあえず海蔵寺お願いします」と答えたものの、バドミントンスポットを諦める気は全くなかった我々(主に私と天羽さん)は、MD氏の「化粧坂の切り通しを突破すれば源氏山へ行ける」という情報に基づき、海蔵寺の萩を見た後、新田義貞のキモチで化粧坂にトライ。 これ、道か?という疑問を抱きつつ、気合を入れて切り通しをひたすら上ります。きつかったです。えれーきつかったです。 でも上りきったところで目の前に源頼朝像が! やったー着いた! 着いたよ先生! こんなところでバドミントンしてんじゃねーよ神子! 爽やかな達成感を得た後、もう佐助稲荷まで行く時間はないので鎌倉駅に戻りました。 が、源氏山公園から寿福寺墓地方面へ抜ける道がまたきついったら。 下りには下りなのですが、まともな道じゃない。獣道。しかも長い。1人では絶対通れない。 疲労がたまったので、イワタ珈琲店でお茶とケーキ。本当は名物ホットケーキが食べたかったのですが、人気のため生地がなくなってしまったとかで、ケーキセットに。手作り風のさっぱり味で美味しかったです。レトロな店内がいい感じ。でも目の前は31(笑) さて、血糖値を上げておしゃべりしながら休憩していたら、長谷の御霊神社(景時が行ったご先祖様の神社)に着く頃にはとっぷりと日が暮れました。暗い中、どうにかこうにかフラッシュを光らせて建物を撮影。 いろいろありましたが、今回の鎌倉ミッションはほぼ成功と言ってよいでしょう。 平家の双子が出現した教会らしきところも発見しましたし。 青龍コンビ連れて買い物したスーパーは紀ノ○屋でしょうかね?
鎌倉は古い町並みが残ってるし、いろんなお店があって楽しいです。江ノ島方面は今回行けなかったので、それを含めてまた行きたいです。 神子仲間のお2人、お疲れ様でした。 明日は筋肉痛日和です。
2006年09月27日(水) |
「邪魅の雫」(※ネタバレ) |
アホです。今日買って今日(日付変わったけど)の夜中まで読んでました。 ほんとアホです。
登場人物が多すぎて途中で何が何だかわからなくなりましたが、その辺は大雑把のO型。 大体の事情がわかればそれでいいんじゃ!とばかりに読み進めました。 シリーズ中最高に榎木津率が低いような気がしますが、ラストが切ない!! エノさんファンとしては思わず涙ぐんでしまう結末のあの台詞。 そして、京極堂のエノさん想いにも涙。 なんだか、今回のメイン人物は皆、嫌いになれないです。 というよりも、どっかしら自分にも思い当たるフシがある人ばかりだからかも。 関口はなんだか最近シマリスくん化してませんか。
携帯の目覚ましを4回分もかけておいたのに、昼になって起床。 季節の変わり目は体がやたらとだるい上、頭痛もする。 しょーがないので「スイーツドリーム」と「美しい罠」を見ながらブランチ。 侮れない最近の昼ドラ。というか、「ストーリー」という意味では夜のドラマよりもツボを心得ていると思う。それ以外がどうかはご想像にお任せするが。 地元の本屋に「邪魅の雫」を買いに行ったら売り切れだった。 超がっかり。 もっと入れとけ。どうせ売れ残ったら返せるんだから。 雨が激しくてジーンズが濡れて冷たいので、本屋巡りは諦める。
mixiのLUNA SEAコミュで昨年末のRKF MeetingでのRYUの発言が取り上げられていた。 興奮する気持ちはわかるが、私は5年以内とか具体的な目標でもって復活しなくてもいいと思っている。 というか、LUNA SEAという名前で復活しなくてもいいとも思っている。 彼らのリスタートには、別の形と名前がふさわしいと思う。 方法論も違っていていい。 それにしても、ミュージシャンが自分で作った曲のオリジナル(RYU曰く「原盤」)の権利を持っていないというのは、正直驚いた。 ちょっと考えてみればそういう仕掛けになっていることはすぐわかりそうなものだが、音楽業界の仕組みがどうなっているのか実はよく知らない。 「実業家」と「アーティスト」が兼ねられていてもいいはずだし、自分でできない人には専門家が付けばいい。 どっちだっていい、という仕組みにならないのか。 それは架空の話で、今は現状に適応するしかない、というRYUの「諦観」は大人のものだと思う。 どんなに叫んでも、1人では変えられない仕組みがある。 だから、数を集めて変えたのが民主主義ってやつなわけだが。
とりあえず、まとまらないまま終わる。
ド少女漫画版オペラ座の怪人、再演です。 1階席の一番後ろの端の方でしたが、オペラグラスで細部を見ました。 とりあえず、冒頭からファントムが登場(しかも拍手を受ける)してソロで歌い取り巻きと共に踊りまくる場面に軽く衝撃を受けましたが、そうだ、これは宝塚だった!とALW版のことはいったん忘れて虚心に見ることにしました。 虚心に見れば、いい話です。音楽も悪くない。 でも、「オペラ座の怪人」ではない(笑) よくあの原作を読んでこんな全年齢対象無害安全な乙女チック悲恋ものに仕上がったなあ、と感心するやらなにやら。 和央ようかさんのエリックはいかにも王子様というか育ちのいい感じがしたのですが、春野寿美礼さんだとちょっとニヒルさも加わってちょうどいいのかな。 クリスティーヌの桜乃彩音さんは、しょっぱなの「♪メロディメロディ」(タイトルがわかりません)がものすごく不安定で、高い部分は全部ファルセット、音程もなんだかアヤシイ、「だ、大丈夫かこのクリスティーヌで?!」と危ぶみましたが、エリックとデュエットするあたりからは声が出るようになり、「もしかしてエリックのレッスンを受けるまではわざと下手に歌ってたのか?」と思ったのですが、レビューでまた「?」となっていたので単純に不安定なようです。いいんでしょうか、娘役トップ。 カルロッタの出雲綾さんの方が上手かったです。どうなのよそれ。 フィリップは、前回よりも存在感増していたかも。いいヤツでした。 ところで今回エリックの取り巻きの正体が明かされました。 浮浪児をエリックが集めて養っているのだそうです。なんか妙に生活感です。 この話のクリスティーヌって、別に困ってないんですよね。パパが死んで孤独に苛まれているわけでもないし、歌手を志しているのに上手くいかずに悩んでいるわけでもない。彼女自身は別に何も不自由してない。 それをフィリップとかエリックとかがあれこれ親切を焼くわけですね。 イヤ、だからどうってことはないんですけど。 ラスト、息絶えたエリックの仮面を外してキスをしてまた仮面をつける、というシーンは結構切なかったです。まあ、数時間早くそれをしてくれてたら悲劇は起こらなかったんですが(笑) ニヒリストでもなく、むしろ前向きにものを考えようとするエリックはやっぱり私の中では「ファントム」ではないのですが、「オペラ座の怪人」とは別の話だと思えばこれはこれで良い作品です。 でもやっぱり、自分で仮面を外させておいて(しかも満面の笑顔で歌い上げて)走って逃げるのはヒドイです。
2006年09月22日(金) |
「バンドなんて実在しないんだよ」 |
「smart」という雑誌で甲本ヒロト氏が言ってました。 バンドというのは、ステージの上にしか存在しないのだと。 実在しないものをなんとか実在させようとあがいたのが、あの5人だったのかもしれないと思います。 というわけで久しぶりにLUNA SEAの話。
●弟が「生まれ変わったら河村隆一みたいな顔になりたい」と言っていた。 顔で言ったらINOが一番だと思うのだが・・・何故? とりあえずRYUが弟ではおねいさんは困ります。
●SUGIちゃんは今、誰に向かって音楽を作っているのだろうと思います。 最近のイベント形式のライブには行ってないのであくまでも推定ですが、彼は音楽の一番原始的な形を実践しているのかもしれません。 それは神(と呼ばれうるもの)に向けて発信するもので、地上の人間に向けてではありません。 我慢して企画ものをやるくらいなら好きなことをしていて欲しいとは思いますが、正直音源が出ないので寂しいです。 まだ地上には、這いつくばって生きてるヤツがあなたの音を待っているのですが。 たまには、近くも見てくれないかな、と思うとか思わないとか。 まあ、Jさんはず〜っと同じ高さを見てますけども(笑)
J×SUGIのネタはいくつかあるんですが、なかなか書く勢いみたいなものが出ず・・・(汗) いや、でもやりますよ。 つか、なにげにビルダーが欲しくなってきました。
2006年09月20日(水) |
オペラ座の怪人(K・マクマラン) |
ネット書店で買い物していて、つい魔が差してこれを買いました。 その感想です。
ルルーの原作を時系列に沿って(つまりエリックの生い立ちから)配列し直し、エリックの一人称にして、ごちゃごちゃした余計な登場人物は全部削って(笑)スッキリ要約、という感じです。 何しろ小学生高学年向けなので文章がスカスカしてるのはともかくとしても、結構原作に忠実にまとめていると思います。 ただ、お子様向けのためかエリックがさくさく人殺しをするところが削除されており(ブケーも出てこない)、シャンデリア落下で死人は出るものの、クリスチーヌ(になっています)が「あの人が怖い」という理由付けがちょーっと希薄かなと。なんか、えらい現実的な女に見えます。 そんなクリスチーヌがラウルのために嘘をついているのに、「愛されている」と信じてしまうエリックが哀れです。この人、心は幼児のままなんだな、という感じです。 ラスト近く、クリスチーヌにキスをして感激のあまり泣いているエリックに
「エリック、ずいぶんと、つらい思いをしていたのね」
すごい上から目線。 確かにこの関係性では、恋愛は成立しません。 でもラストは、意外と優しい感じです。悪くないです。 いかにも80年代なアニメ絵の挿絵が気にならなければ、一見の価値ありかと。
ちゅーとはんぱ・・・
西川出番少ないし。 最初のとき父親置いてNY行ってもよかったのでは。 まあ、お葬式のときに泣くのは大抵世話をしてなかった人って言いますね。ずっと世話してた人は悔いがないから、泣き叫んだりしないとか。 その意味では、主人公に悔いは残らなかったでしょうけど。 でもねえ・・・28から30の時期でしょ〜(苦笑) 介護してる場合か〜?という気も。 家族の良さよりも、それがいかに個人を繋ぎ止めるものか、ということの方を感じたドラマでした。 ・・・見方間違ってますが(笑) しかし西川の衣装はヤンキーという設定上(推定)ステージ衣装と変わらんかった。竹雄兄ちゃんつーか、西川。 どうでもいいけど、松雄やってた緒方くん(笑)は甲本ヒロト氏の実兄だそうです。 ひょえー。
今日は10代の大半を一緒に過ごした友人の結婚式(の2次会)でした。 彼女とは、一時期すごくよくつるんでました。 2人でサークルもやってたし(笑) イラストやワープロ打ちで、とってもお世話になりました。 その後、私がジャンル変わったり、人生の暗黒期に入って(まだ続いてますが)サークル活動しなくなったりで、会う回数はかなり減りました。 私と違って彼女は付き合いがいいので、大学でも会社でもいつも忙しそうでした。 たぶん、私が考える「普通の人生」って彼女そのものだったんじゃないかな、と最近思います。 全然悪い意味ではないです。 むしろ憧れです。 「普通」というのはあくまでも理念型で、その実態は結構水準高いものだから。 若い頃は結構、「似た者同士」なのかな、と思うこともありました。 でも今、全然違うしね(笑) 時間の積み重ねが人生なのではなくて、してきたことの積み重ねがそれだからなのでしょう。 私は私なりにその都度、いいつもりで選んではきたけれど(自暴自棄になった時期を除けば)、ふと気付けば結構どうしようもないところまで来てしまったようです。
・・・・・・ああ、最近悲観的になってるので愚痴っぽいな。 いけませんな。 つか、久し振りにビールをこくこく(と言ってもグラス1杯空けてない)飲んだら腹が痛くなったんで(笑)その分元気がないのです。 要は、付き合いは長くても結局最後は男にもってかれるんだなあ、というのが本日の感想です(笑)
てのは冗談。 ずっと幸せでいてもらいたいですね。
2006年09月16日(土) |
アメリカにも言われてるけど |
このニュースどうするんだろう。 今まで黙認されているのかと思っていましたが、違うんでしょうか。
1 アメリカ外交筋は靖国問題について「慰霊」としか認識していなかった 2 東アジア外交のなんらかの戦略のため日本に妥協を求めている
どっちなんでしょう。 なんだかややこしいことになってますが、政治・外交担当の皆さん、頑張って下さい。 日本の保守って、ねじれてますよね。 これも吉田ドクトリンのせいかなあ。
森先生作品初の映像化とゆーことで、楽しみにしていたのですが。
誰も死ななかったよ先生・・・orz
私はきっとSUGIちゃんを見るために2時間見たに違いない。 そうに違いない。
いかにもな山奥の村、いかにもな旧家の争い、いかにもな「秘密」、と来たものの、「なかなか人が死なない・・・」と思っているうちにSUGIちゃんが出てきて「はうぁあ!!」とのけぞってたら終わってしまいました。 うーむ、やはり森作品の魅力はあの「語り口」になるのだなあ、と思った次第。 銃を向けてた男が誰だったのか、何故阿部ちゃんを見てたじろいだのか、は明かされませんでした。mixiでやってるWebプロジェクトでフォローされるのかな? それはともかく、全然知らなかったのですげー興奮してしまいましたよ。 SUGIちゃあああん! 明治時代の人に全然見えないけど(笑)相変わらずお美しい。 二階監督だから出たのかな。天才カラクリ師という設定にOKを出したと思われます。 なんかこーいうふうに、「好きなもの」と「好きなもの」がバッティングすると、シンクロニシティ〜って感じでちょっと嬉しいですねえ。
「美しい国へ」の第7章は、なんだかいろいろと「大丈夫かよ」という文章なので、暇つぶしに引用してみましょう。
(※日中米の高校生を対象に行った『高校生の学習意識と生活意識』2004年調査の)なかでも、わたしがいちばん衝撃を受けたのは、「国に対して誇りをもっているか」という問いにたいする、日米の高校生の回答だ。「もっていると答えた者が、日本は50.9%であったのにたいし、アメリカは70.9%(中国79.4%)。自国に誇りをもっている若者が半分しかいないのである。(P207より)
私もこの結果に衝撃を受けた。 日本に50%もいる! 一党独裁体制の中国でさえ、8割スレスレ! 「自虐史観」だの「偏向教育」だのとさんざん批判されてきた「戦後教育」の受け手達でさえ、半分は誇りを持っている(と答えるようになっている)。 一方、中国の高校生はあの政権下でも、2割くらいは「ちょっとなあ」と思っているのである。人間とは結構アマノジャクな生き物である。 そもそも、「誇りをもつ」というメンタリティ自体が文化的にズレているような気もしないでもないのだが、同じ調査を北朝鮮で行ったら恐らく「誇りをもっている者99.9%」になると思う。
マドンナ主演の映画版は見ていたのですが、四季版は初めてです。
<本日のキャスト> エビータ→井上智恵さん チェ→芝清道さん ペロン→下村尊則さん マガルディ→飯野おさみさん
舞台は殆ど客席と同じ地面まで出ていて、最前列の人はすぐ脇にキャストが来ることもある感じですね。オケピないので。 場面はエビータの葬式から始まります。このへん、「エリザベート」も踏襲してますね。 芝さんいきなり上手いです。上手すぎです。 余裕のあるチェでした。 音楽は、映画の時にはあまり感じなかった(英語だから)のですが、日本語で歌ってるとすげー難しいのがわかります。上がったり下がったり。これは力量のあるキャストしか歌えないだろうなあ。 「アルゼンチンよ泣かないで」はダントツにいい曲ですし、他の曲も、なんというのか、覚えやすい訳ではないのですが、聞いていて楽しい(happyとcomfortableの中間)曲ばかりだと思います。 井上さんは、以前クリスティーヌをやっていたように記憶しています。声質がそもそもクリスティーヌ声なんですよね。いわゆるヒロイン声で、優等生っぽい雰囲気なので、あまりエビータの女っぽい野蛮さ(わ、わかります? 動物的な色気ってあるじゃないですか。攻撃的に媚びる、みたいな)がなかったですね。育ちが悪く見えない(笑) その点マドンナはさすがでした(笑) ペロンの下村さんも歌はすごく上手いです。しかし、もーちょい若い方がいーのではないかと(笑) 「自信がないんだ」とか言っていたのにエヴァに乗せられていくあたり、若さを感じますので。 全体として私は映画の方がいいかな、と思いました。場面場面の意味が、映画の方がわかりやすかったです。「オペラ座の怪人」は明らかに舞台向けの作品ですが、「エビータ」みたいなある意味社会派の作品は、映画向きなんじゃないかな。 エヴァの生き方は好き嫌い分かれるところだと思います。個人的には嫌いじゃないですが。 ところで、エヴァのやったことはポピュリズムに近いという意味で、今の日本の政治と重なる部分があります。 「政治家の人気と力は違う」というペロンの言葉は結構重要かも。 ただ、「長期的に見ていい政策」は、その過渡期に人生を送らなければならない人々を痛めつけることを厭わないわけで、特に今の雇用システム、産業構造の変化なんかを考え合わせると、日本の向かっている方向について暗澹たるキモチになってしまったのは私だけでしょうか。
余談。 映画の感想なんかで、「ストーリーがない」とか「脚本がつまんない」というものが結構多いのだが、「ストーリー」とか「脚本」の定義が違っているような気がする。 「感情移入」できないものは全部「ストーリーがない」と表現されているような場合もある。 「脚本」だけに注目するのならノベライズでも読めば十分なわけで、しかし映画のノベライズに「すごく面白いもの」が少ないのはどういうわけか、という問題があるとかないとか(CNC風に)。 っていうか「感情移入」って何ですか? 私は、自分ではしているかしてないかよくわからないことが多い。よっぽど精神状態が悪い時は別だが。
2006年09月07日(木) |
ありがとうとごめんなさい |
どちらも大事な言葉であることは言を待たないし、「最近の子どもは・・・ができない」という文脈で語られる批判オールタイムベスト10に入るのではなかろうかと思う。 ありがとう、と言われれば嬉しい。 ごめんなさい、と言われれば、気持ちはおさまる。
私は、どっちもなかなか言えない人間である。 その意味では「最近の子どもは」と批判される代表格のまま大人になってしまったとも言える。 なるべく是正しようと、心がけている。 ただ、自分は、感謝の言葉とか、何か世話になったときのことをずっと恩に感じることを他人に要求したくない。 するぐらいなら、初めから親切になんかしない。 自分がしたくてしたからには、恩や感謝の問題ではない。 (ただ、こういう心構えでサービス業を行うとただのぶっきらぼうなので、仕事のときはもっとナイーヴな状態になることを発見したが) 他人の人生の窮地を救うような親切をする人、というのがいる。 で、そのあとも相手がずーーっと「自分が今あるのはあなたのおかげだ」とことあるごとに言い続けることを願ってやまない。 寂しい優しさだと思う。 誰にでもできることではないから、それはそれで立派なことだと思うけど、後で「馬鹿を見た」なんて言わなければならないのは、とても寂しい。 世の中には、「ごめんなさい」と簡単に言って言動に全く改善の見られない人がいる。それなら、謝らなくてもいいから改善しようという意志がある方がいい。だから、「謝れ」という言葉も、人になるべく言いたくない。 そんなことを言いながらも、街で人とぶつかったときに相手が無言だとちょっとむっとするのだが(笑)
なんでこんなことを書いたかといえば、MORI LOG ACADEMYの「感謝渇望症候群」(7月)という部分を読んで、考えたから。 私の中にも、確かにそれはあるな、と思う。 だから研究職には向かなかったのだろう。 政治家や研究者は、誰にも感謝されない職業である。 役に立つ、という観点からも、いつかの誰かの未来のため、というひどく曖昧なものでしかない。(自分の満足のため、とか、その分野自体のためとかもあるが) 世襲議員ばかりになるのは望ましいことではないが、仕方がないのかな、とも思う。 奥野健男が太宰について、「弱さを生涯持ち続ける強さを持っていた」と書いていたのを思い出した。 あんまり関係ないか。
チェン・カイコー監督で真田広之でチャン・ドンゴン、ということなので見たかった作品ですが、DVD見終えての感想は・・・「他人には薦めない」(笑) まず、映像美という点では「HERO」の方が上です。いかにもな安っぽいCGでしかも牛と共に走るというギャグの場面はどうにもこうにも・・・。ハリウッド資本で作っていればもっとマシな映像になったんじゃないかと、どうしても思います。ありえないワイヤーアクションとかは嫌いじゃないのですが。 真田広之@光明とニコラス・ツェー@無歓と鬼狼(役者名わかりません/汗)が個人的に印象的でした。公爵素敵〜大将軍色っぽい〜鬼狼かわいそ〜。真田さんはもう、何やっても様になる! 鬼狼は超人揃いの中で唯一心の弱い人間なんですが、そこが良かったです。無歓公爵は、ミッチーというか武田真治にも似てますが、貴公子系悪役がはまってていいですね。扇で戦うのも格闘ゲームみたいで好みです。 話は神話やおとぎばなしの王道を踏まえていて監督の力量を感じるのですが、やっぱりワタクシ真田ファンなので、チャン・ドンゴン@昆崙と傾城が結ばれるハッピーエンドは少々不満だったりします。なんか、「無極」の運命どおり男は全員死んで傾城だけ生き残る、っていう方がよかったな。「マクベス」っぽくて。
ハーバート・ロムの1962年版「オペラ座の怪人」は今のとこ日本版DVDもVHSもないみたいですね。NHKでやってたドラマ版のもないし・・・仕方ないのでダリオ・アルジェントの(これしかレンタルにない)でも今度見てやるか、と(笑) 仮面をつけてない時点で早瀬的にはアウトですが、ま、話の種にでも・・・そのうち。 ところで、「弓」という映画はちょっと「オペラ座の怪人」ぽいストーリーじゃないですか? まだ見てないんですが。
2006年09月03日(日) |
敦―山月記・名人伝― |
萬斎様演出・出演の舞台を見てきました。 前から5列目くらいの近さだった上、今日はたまたまポストトークありの日で、終演後萬斎様のお話と質問コーナーがありました。最近イベント運がいいみたいです。くじ運は悪いですが。←根に持ってるなあ さて、中島敦作品2つを、1幕・山月記、2幕・名人伝という形で、中島敦に扮した萬斎様と他の役者さん(分身敦?)を狂言回しにして上演、三日月形の舞台が分かれたりぐるぐる回ったり、タイポグラフィックなスクリーン演出を使ったり、いろんな工夫が面白かったです。鳥を弓で射ち落とす、という場面では、「鳥」って書いた紙が上から降ってきたりとか。こりゃー演出で賞取るわけだわ、と納得。 「山月記」は高校の国語の教科書に載ってて、新潮文庫版も買いましたが、「名人伝」のストーリーはすっかり忘れてました。 「山月記」はシリアスなんですが、「名人伝」の方は狂言的というか、笑える感じに演出されてて楽しかったです。紀昌はボケたんじゃねえの?と思わず言いたくなる(笑) 中島敦という作家の思想を大枠に2作品を上演するという意図はわかるんですが、んーあんまりよくわからなかったというか(汗)中島敦の死生観みたいなものと、2作品との関係があまり明確ではなかったような。作品1つ1つは面白いんですけど。 あと、狂言とかでは役者の「格」が配役を決めてしまうからかもしれませんが、李徴を万作さん、紀昌を萬斎様がやるより、逆の方がイメージ的にはぴったりだったかなという気がします。自尊心が強くて虎になっちゃう俊才、しかも美少年、なんて萬斎様のイメージだと思うんですけど。それに、李徴の言い訳がましい(笑)性格は青年期特有のものだという気がしますし。 それはそれとしても、「山月記」の漢文調のリズムはとても耳から聞くのに適しているなあ、と思いました。聞いていると、思い出すんですよね。ああ、確かこういう文章あったなあ、と。 ポストトークでは普段着の萬斎様が、再演に当たってのことや、観客からの質問に答えて下さいました。 色白いなあ〜とつくづく思いました。←そんな感想か 「李徴の詩に足りないものって何ですか?」という質問にちょっと困りながらも、最終的には「モーツァルトにあってサリエリにないものです」と答えていました。つまり、「バカ」ってことでしょうか(笑) 今年40になるとは到底思えない萬斎様でした。
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