早瀬の呟き日記

2006年08月31日(木) オペラ座の怪人(四季5回目)

半年振りですね。佐野正幸さんがファントム役に上がったと聞いて、「見たいよね!」と友達と言っていたのですが、何しろキャスト発表が週明けとゆー殿様商売なので、どうしようかと思いつつ毎週のようにキャストをチェックしてたところ、今週は佐野さんということで、席はともかく1回は確実に見たい!と思ってましたら、天羽さんからお誘いが。
2人して急遽、本日のマチネに行ってきました。えへえへ。

<本日のキャスト>
ファントム→佐野さん
クリスティーヌ→沼尾みゆきさん
ラウル→北澤裕輔さん

いやーやっぱり佐野さんのファントムは若い! そして可愛い! 昔のラウルのようにちょっと力が入った感じなのですが、すらっと背が高くて素敵でした。割と表情豊かなので、他のお2人とは結構印象違います。悪い人には見えない(笑)ので、平気で人殺しをするような影の部分との兼ね合いはこれからかな?と。今日見た限りでは佐野ファントムというか、佐野ファントムって感じです(笑)
ラウルのとき、格子をくぐるところとかアクションの時に「ふっ」(と「はっ」の中間)みたいな掛け声が付いてたんですけど、ファントムになってもありました(笑) クリスティーヌを突き放すとこで「ふっ」(と「はっ」の中間)。佐野ファントムは元気いっぱいです(笑)
ラウルでは高い音域が多かったと思うのですが、ファントムの低音も綺麗でした。さすが芸大首席(噂)。
ラストで、高井さんや村さんは感情を押し込めるというか、毅然とした態度を保とうとする表情ですが、佐野さんは目がおっきいせいか(笑)置き去りにされた少年のような顔が可哀想で可哀想で、さらにクリスティーヌの残したベールを抱き締め頬を寄せるとこでもう、ぼろぼろっと泣きました。
うあー可哀想すぎるよ佐野ファントム! だって可愛いんだもん!
ラウルの縄を蝋燭で切った後、燭台の方に倒れ込むように掴まるのですね。「ああ、オレ助けちゃったよ・・・」みたいな(笑) いやーんかわいー(はあと)←きもいから。
沼尾クリスティーヌは、聞くところによると声の状態が日によって違うらしく、私が最初に見たときも前半はちょっと、でしたが、今日は最初から綺麗に出てました。「Think of me」ぐっときました。
今日のクリスティーヌは、ファントムが好きなのかラウルが好きなのか微妙なところでした。ファントムをすごく意識はしているのはわかるけど、ラウルにも結構頼ってるというか、好きではありそう。ファントムを好きだってことに自分でも気付かなくて、気付いたときには手遅れ、という感じでしょうか。
北澤ラウルはいつもにこにこ。可愛いけど、「All I ask of you」であんまりにこにこしてると「お前わかってんのか?」と的な感じも(笑) おっとりした感じは地みたいですね。
というのは、今日たまたまオフステージトークイベントの日で、林和男さんと北澤さん、司会の関与志雄さんでいろいろなオマケ話をしてくれ、後半の質問コーナーではマダム・ジリー役の戸田さん(可愛らしい方でした)、沼尾さん、ピアンジ役半場さんを交えてたのですが、北澤さんの受け答えがとっても天然で微笑ましかったのです。カラオケで歌うのはミスチル、というのも納得。
マニアックなクイズでは1問目が難問で、早瀬あえなく撃沈。1幕「ハンニバル」の男性バレエダンサーはカルロッタの愛人なんだそうです。ピアンジだけじゃなかったのかカルロッタ! 全問正解の人にはメイン3キャストのサイン入りクリアファイルが。う、羨ましい・・・。だって佐野さん・・・。←それか。
バレエダンサーさん付きで北澤クリスティーヌ&林メグというありえない組み合わせで「Angel of music」を歌ってくれました。貴重です。北澤さん可愛すぎです(笑) 本番でもやれるぞ。
そういえばイベントの途中で地震があって、ぐらっと大きく揺れたとき客席から「キャーッ!」という揃った悲鳴が。まるっきりファントムの気配に覚える場面みたいでした。
久し振りに見ると、やっぱり大好きだーと思います。遺伝子のどこかにもう「オペラ座の怪人大好き」と書き込まれているんじゃないかと思います(笑)
来年3月が千秋楽で、寂しいです。会員向け抽選には見事に外れてしまいましたが、終わるまでに数回は見ておきたい。うまく高井さんか佐野さんに当たるといいんですけどね〜。
それにしても、よもや佐野さんで「The point of no return」を見れる日が来るとはなあ・・・(しみじみ)。
あ、そうそう。「支配人のオフィス」で、アンドレさん(林さん)とフィルマンさん(青木さん@久し振り!)が、カルロッタをなだめるところで抱き合って「もうどないしよう」みたいな感じで、笑えました。小林フィルマンと林アンドレだと年が離れてるせいか、こういうのないんですよね。



2006年08月29日(火) オーウェルのパシフィズム批判

パシフィズムちゅーのは「絶対平和主義」とでも訳せましょうか。なんだかリリーナ様のサンクキングダムを思い出しますが。
とある大学の学報に政治学の教授が、このテーマでエッセイを書かれていました。
ちなみにこのK教授は憲法9条改正論者です。
引用されているのはジョージ・オーウェルの

「平和主義者が暴力を『放棄』できるのは、誰か他の人が代りに暴力を行使してくれるからにすぎない。」

という文章。
教授は、こういう現実を認めたがらない戦後日本の平和主義者に不満を抱かれている、ということです。
それは、理解できます。
しかし、これは直接に9条改正を支持する根拠にはならない。何故なら、「汚れ仕事はやりたい奴がやればいい」という確信犯的に「卑劣」な「平和主義者」には痛くも痒くもないからです。
ただ、思考停止した平和主義(教授によれば「実りのない不誠実な態度」)は、こうした批判を受けて「平和主義を耕す」ことが必要なのかな、とは思います。
教授が引用する問いに、こういうのもあります。

「ヒトラー・ドイツと戦うな、というなら、(中略)ユダヤ人問題はどうするのか? 彼らが皆殺しにされるのを座視する覚悟なのか? もしそうでないなら、戦争に訴えることなしに、どうやって彼らを救うつもりなのか」

これはいわゆるヨーロッパの「パシフィズム」が、ナチスの侵攻に対して宥和政策を取った結果に対する批判、という背景があるのですが、私はこの質問の中にも疑問があるように思います。
まず、ドイツに宣戦した連合国は、別にユダヤ人を助けようとして戦ったわけではなく、ユダヤ人(ときには他の有色人種)に対する優生学的な差別、排除意識は当時の欧米の「常識」だったのではないかと思われること。
そして、ドイツでナチスが台頭し、侵略やユダヤ人抹殺を進めていったことの背景に、第1次世界大戦の多額の賠償金で国内経済がかなりダメージを受けたこと、それを他国は放置していたのではないか、ということ。
ヒトラーは確かにアレな人物ですが、何の脈絡もなく突然ユダヤ人を虐殺したり戦争を始めたりしたわけではないので、第1次大戦後の軍縮・平和主義の空気がヒトラー・ドイツの暴挙を生み出したというよりは、それが戦略的(ここでは比喩ですが)に展開されなかったことの方が問題なのではないでしょうか。
あまり詳しくないのでこれ以上に論を進めることができませんが、「遅れてきた帝国主義」日本が結局国際的に孤立する羽目になったことを考えると、「遅れてきた普通の国」日本というのもいかがなものか、と思うのですが・・・。



2006年08月28日(月) 犬猫好き友人には聞かせられない

坂東眞砂子氏の子猫殺しエッセイの話。昔のエッセイによると、子犬も殺したことがある模様。
エッセイ本文を斜め読みしたが、理屈がよくわからない。動物の避妊手術を人間のエゴと否定した上で、自分の飼っている猫が産んだ子どもを痛みや悲しみを感じてまで崖から放り投げる(ことで社会的責任を果たしている、という)理由がさっぱりわからない。
生と死がどうのこうの、と言っているのだが、下手すると「生の充実感を得るために動物を殺している」と解釈できてしまうような。
それじゃサイコパスだが。
子犬の方の話に至っては、「同時期に親子である2匹の雌犬がどっちも産んでしまって取り合いになって、飼い主の自分がおたおたしているうちにどっちの子も死んでしまったので、次は混乱しないよう片方を始末した」というもの。生の充実も何も関係ない。ただ、飼い主として無能なだけだ。
この人が引き受けなければならないのは「痛み」「悲しみ」ではなく、「飼い主という立場であること」だろう。

私自身は子どもの頃動物が嫌いで、今はそうでもないが、根っからの動物好きというわけではないので、正直、動物を飼っている人の、動物一般に対する愛情の深さ、野良動物虐待に対する激しい憤りに完全にシンクロすることはできない。
「自分の」犬が大事なのはわかるが、「野良の犬」までも大事、というのが不思議に感じる。
「ひでーことするな」とは思うが、どちらかというと、弱い対象を傷つけ殺すことで心満たしている人間に対する嫌悪感の方が強い。
とか書くと坂東氏と同類に思われそうでアレなんだが、一方で、「子どもの虐待」ニュースに対してはものすごく腹が立つ。感情的になる。
精神分析のセンセイならちゃんと説明してくれるだろうけど、まあたぶん何かしら心理的にこだわる部分があるんだろう。
それはともかく、「伊勢海老の活き造りは虐待」とか「フォアグラは虐待料理」とか、近年の先進国では生き物全体に対する愛護精神が浸透していて、それを偽善と呼ぶ気持ちもわからないではないが、それだけ豊かな国になったのだなあ、と思えばいいのであり、生の充実感が得られないのも豊かな証拠だ。「何を大事にするか」は社会の合意だから、時代時代で変わってくる。子どもが間引きされてた貧しい時代もあったわけだし。
それに比べたら、いい時代になったなあ、と思う。
もっとも、ナチスのように、動物愛護しながらユダヤ人を虐殺していた国もあるが。

http://www.j-cast.com/2006/08/25002714.html



2006年08月27日(日) 「美しい国へ」は政権公約ではない

と、あとがきで安倍氏が書いていたので安心していたら、政権構想にばっちり教育改革が入っていた。
正直、一番「どうかな〜」と思っていた章である。
教育改革に必要なのは地味な、現場の条件整備である。
なのに、教育改革に意欲的な政治家の多くはロマンチストにすぎるというか、「理想論を言えば教育が良くなる、教育が良くなれば日本全体が良くなる」という単純な認識でいるような気がしてはなはだ危ない。
政治家の皆さんにはもっと大きなことをやって頂いて、できれば教育のことは忘れてくれないものだろうか。
ついでだが、教員養成に関する中教審の改革構想も、矛盾だらけで困ったものである。
このまま安倍氏に首相になってもらうのはちょっと、というのが今の私の考えなのだが、消去法で谷垣氏というのもちょっとアレだし、今の政界は人材が払底しているのだろうか、と思ってしまわないでもない。
しかしこうしてみると、細川政権の小選挙区制導入はかなり重要な業績ということになるのだろうか。小沢一郎氏は、じわじわと自民党が小選挙区制に蝕まれていくのを待っているのだろうか。それまで民主党は大丈夫なのか。



2006年08月18日(金) そういえば違憲

「心の問題」と言われると、なんか釈然としないけどとりあえず「そーかなー」と思ってしまう一般庶民代表のワタシですが、他の人の日記で「そういえばそんな記事が昔あったような」とぼんやりと思い出しました。
首相の靖国参拝は違憲(政教分離に反する)と福岡地裁と大阪高裁で判断されていましたね。
新聞やテレビでこの点にあまり触れられていないのが不思議です。
違憲ちゅーたら違憲なわけですよ。こりゃいけん。(何弁?)
なのに護憲派のはずの新聞でもこれに触れない不思議。

麻生外相の靖国非宗教法人化案をちらっと見ましたが、あれは要するに「国営化」案であり、個人的には賛成しません。
宗教法人でなくなっても「国のために死んだ人」を国会で審議して祀るというのでは、やっぱり政教分離に反するだろうし。
どうしても「国のために死んだ人」を国として特別扱いしないと気が済まないのなら、野球殿堂みたいなのを作ればそれでいいのでは。
靖国神社が宗教法人として存続するのは構わないのですが、なんというか、「特別な神社」でなくなればいろいろスッキリするのにな、と思います。
「特別な意味」があるから、行くの行かないの誰が祀られてるからいかんのという話になるわけで、たとえ「国のために死んだ人」を神社の判断で祀るにしても(勿論勝手にやっちゃあそりゃ信教の自由に反しますが)、「まあそういうところが1つくらいあってもいいかもね」みたいなポジションにならんのか、と思ったりもします。
しかし、総裁候補に「私はクリスチャンなので神社は行きません」といったコメントをする人はいないんですね。「行く行かない」の問題で「信じる信じない」は問われてない。無宗教を常態とする日本人なのに、何故か総裁候補が「人間が死んだら神様になるなんて信じてませんから行きません」と言うことは想像していない様子。
まあ、言うのも命がけかもしれませんが・・・。



2006年08月17日(木) コーエーのイベント姿勢について

先日、私の友人がコーエー主催のイベントのチケットを紛失してしまいました。
ただ、デジポケで購入したので座席番号もわかっており、一応本人であるという証拠は出せる状況にあったため、イベント当日にインフォメーションセンターと掛け合ってみたそうです。
しかし、「どんな理由でもチケットを紛失したら入場できない」の一点張りだったとか。
全く誠意の感じられない対応です。
たとえば、本人確認できるものを要求するとか(友人は持っていったのです)、開演後30分経っても空席であることが確認できればいいとか、上の人に訊いてみるとか、結果はどうなるにしても、客に対して何とかしようとする姿勢が全くないというのは呆れます。
コーエーは、イベントを「開いてやってる」という感覚でいるのでしょうか。今回のチケットは昼の部1万円近くしています。それに見合うサービス姿勢を取ってもいいのではないでしょうか。
一体どういう理由で、一切の検討をしないという方針になっているのか。会社の方で「やってやっている」という意識でいるとしか解釈できません。
あるいは、友人が接触した社員だけの判断なのかもしれませんが、そのへんは確認のしようがありません。
何しろ、イベントに対する意見を受け付けるメールアドレス、電話番号が公式サイトのどこにも見当たらないのです。これにも疑問を感じます。
本来なら私も行く予定でいたイベントだけに、失望しました。
しばらくこの会社に金を払いたくない気分です。
ちなみにお芝居の場合は、チケットを忘れた場合でも対応してくれます。

・・・とか言いながら2&3の地の青龍CDが気になるとかならないとか(CNC風)



2006年08月16日(水) カニとひと

何だか明治時代にタイムスリップしたような昨日今日のニュースあれこれ。
今日のはロシア側領海で停船命令を無視したために銃撃を受けたようですが、しかしなあ・・・カニで殺されちゃ割に合わんというか、外貨獲得の資源とはいえ、カニのためならぶっ殺しても構わないのかよ〜と思うのは、ぬるい日本育ちだからでしょうか。
普通の国(日本以外)は、密漁船が停船命令に従わなかったら銃撃で死人が出ても当方には責任はありません、と主張するものなんですか。そうですか。
まあ、最初からは謝らないのが外交の常識なのかもしれませんが、カニでそこまでするって、ロシアって意外と貧しい国なんだな、と思った次第。



2006年08月15日(火) 大丈夫!日本は安泰であります。

まずはこちらをご覧下さい。

どうですか、「最近の若いモンは損得ばかりを優先して公共のために尽くすという精神が欠けている。これも戦後民主主義教育の弊害が(以下略)」などと年寄りに言われ続けてきた日本の若者のこの立派な回答率。
オトナの皆さん、もう大丈夫。日本は安泰です。何も心配は要りません。
自分の国を誇りに思っているわけではないけど何故か勇敢に戦う若者。
「まず避難する」4割弱の正直な人々を守るために、勇敢に戦う4割強の若者。
心強いですね。
願わくは、後者が前者を非国民呼ばわりなどしないでくれるといいのですが。だって、騎士は弱い者を守るのが使命ですから。
え? 騎士じゃない?
だって、日本には徴兵制はないし、自衛隊志望者がこんなにいるわけはないし、武器だってアメリカのように出回っているわけでもないのに「率先して戦う」と言ったって一体どういう立場で何を持って戦うのかよくわからないので、とりあえず彼らの熱いスピリットを「騎士道精神」と解してみました。

安倍晋三氏の「美しい国へ」(文春新書)を読みました。
大変まともなことを書かれています。
まあそうだろうな、という感じです。
ただ、ところどころ気になるのです。
たとえば「国民がパスポートをもつことによって国家の保護を受けられるということは、裏を返せば、個々人にも、応分の義務が生じるということでもある。たとえば、タックス・ペイヤーとしての義務を果たす。一票の権利を行使する。」(P64)
ここで、「義務」と「権利」とがイコールで結ばれているのがよくわかりません。「権利には義務が伴う」という意味なのかもしれませんが、少々大雑把に過ぎる表現ではないでしょうか。たとえば「黙秘権」は「黙秘の義務」ではありません。
また、「自らが帰属する国が紡いできた歴史や伝統、また文化に誇りを持ちたいと思うのは、だれがなんと言おうと、本来、ごく自然の感情なのである。」(P91)と言う一方で「若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちを持つようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないだろうか。」(P95)というのは、国を愛することや帰属意識というものが要するに自然なのか自然でないのかどっちじゃ、と思わなくもないです。自然ならば別に「はぐくむ」必要はないわけで。
また、「ジェンダー」と「セックス」という用語の違いについても無頓着なご様子が少々不安です。どちらも日本語だと「性差」だから同じだ、というわけではありません。
武田泰淳は「政治家の文章」(岩波新書)の中で、「政治的な用語の肌からは、ある種のぬきがたい無神経さが、脂汗のようににじみ出ている。」(P64)と書いてますが、安倍氏の、政治家としては比較的良心的な印象の文章にも、それは宿命的に出ているように感じます。
「ときにはそれ(注:自分の命)をなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。」(P108)と、他人に対して平然と投げかけてしまえる神経は私には理解できません。それはどのような場合か、ということに一切触れずこう書いた場合には、ヒロイズムと呼ばれても仕方ないのではないでしょうか。
つまり、自分の命を投げ出さなければならないようなどん詰まりに、何故なってしまったのか、という問いがここでは抜け落ちているのです。
そして、何度かこの日記でも書いたかと思いますが、「守る」ことと「攻める」ことは時として全く同じ行為であることがあります。その意味で、確かに「大東亜戦争は自衛の戦争だった」という言にも一理あります。ただ、「自衛」だろうが「侵略」だろうが、「事実」が消えるわけではない。「守るため」なら人はかなり残虐にもなれるものだ、ということは、呟いておきたいと思います。
歴史問題や外交問題に関して私が国民の立場から最もよいと考えるのは、いろんな意見やいろんな事実が多く提出されることです。たくさんの言葉、たくさんの事実が「場」に出されることが、フェアな言論形成というやつではないでしょうか。その点で、「戦争はよくない!」で思考停止に陥りがちな「なんちゃって左翼」(私のことです)よりも右翼(と仮に呼ばせてもらいますが)の人々の方が勉強家で、頭が下がります。
どんな意見を持とうが、自由です。しかし、「黙れ」という言葉だけは、決して言ってはいけない。
それは民主主義から最も遠い言葉です。



2006年08月14日(月) 「競争」は自然なのか?

個人的な話から始めよう。
幼稚園のときの運動会で、私は他の子供と一緒に並ばされた。ある時点で周りのみんなが一斉に走り出し、先生にも追い立てられたので、とりあえず走った。
向こう側まで走ったら旗を持った先生に腕を掴まれ、こっちへ並べと指示された。
なので、並んだ。
「三人で走って三等」と見に来ていた家族が言ったので、後で親戚のおじさんにもそう言ったら笑われた。
意味はわからないが、どうやら不名誉なことらしいと思った。
子供なりに、笑われることに傷ついたのだろう。

幼稚園時代の私は「かけっこ」の意味を理解していなかった。
人は一体いつ、「競う」という概念を見に着けるのだろう。
もう「子供」ではないたいていの人間は、競うことを当たり前だと思っている。特に資本主義社会ではそれが「自然の摂理」だと思われている節がある。「弱肉強食が世のならいだ」とか言う人間も少なくない。
しかし、老人福祉施設で一週間お手伝いを体験して、本当にそうか?と疑問を持った。
「競うこと」はそんなに自然なことだろうか。
むしろ、そちらの方が不自然なのではないか。
お年寄りの個人差は大きい。
車椅子を使う人の割合は他の世代より多く、運動機能の差も大きく、認知症の程度差もかなりある。
従って、すべてのお年寄りを一元的に序列づけることはほとんど不可能であり、他人と比べることには意味がないし必要もない。
これが、人間にとって自然なのではないか?
老化こそ、究極的に自然なのだから。
「人間は皆平等」とか「命の価値は同じ」という主張は左翼的フィクションと思われている(私もそれまではそう思っていた)が、能力差と人間の価値は、それを媒介するシステムがあって関係するだけのことで、人と競うことやそのためのシステムもフィクション(ゲーム)なのだ。
無論、フィクションだから不要とは言わない。これだけの豊かな社会が実現したのは、確かに「競争」の成果である。だが、ある分野の競争にすべての人間が参加しなければならない、というのは、かなり不自然なことだ、と思う。
「誰にでも他人より優位に立ちたいという欲望があるから競うことは自然だ」と言う人もいるかもしれない。
それは正しい。
ある種の競争はそうして生まれている。
しかし、なら「競争で傷つきたくない欲望」や「競争をめんどくさがる怠惰への欲望」の自然さも認めてはどうか。ニートを攻撃する人々に、ルサンチマンを感じるワタクシである。



2006年08月06日(日) なんでそんなに行きたいのか

断っておきますが、単純に疑問です。
どうして靖国だけがそんなに特別なのかなあ、と思うのは、うちの近所に東京大空襲のときの戦没者霊園があるのですが、政治家が来たという話を聞かないのですよね。「戦没者の追悼」という意味でなら靖国だけじゃないじゃん、と思うわけです。
靖国でなければならない理由、というのはどうしたってあるだろうと。
それは確かに「個人の問題」ではありますけどもね。
坂本龍馬も祀ってある靖国神社の基準は、「国のために死んだ人」らしいのですが、そんなら井伊直弼もいるのでしょうか。
というか、神社って追悼する施設でしたっけ?
よく知らないのですが、「冥福を祈る」とかってあまり神道っぽくないような気がするけど…。
まあともかく、「国のために死んだ人」にお参りしたい、というのは個人の自由ではあります。
できれば相楽総裁も入れてあげて下さい(泣)

ところでこちらを拝見して、初めて戦犯の免責規定があったことを知りました。
まあ、岸信介だって元は戦犯でしたしね。
私はてっきり、全部アメリカの都合(冷戦下だったので)で許されたり殺されたりしたもんだと思ってました。
日本史の教科書はこの点完全にスルーしてますからね。
イヤ、誤解のないよう言っておきますが、自虐史観がどうのと言いたいわけではなく、そういう大事なことをなんで書かないんじゃ!と思うのは確かだというだけ。
勿論、何が大事かという情報の選択含めて「歴史」なんですが、東京裁判に関する事項が載るなら、付随して載せるべき事項だと思います。高校生向けの史料集に載ってるサンフランシスコ講和条約も、これについては省略されてるし。
しかし社会党と共産党入れて一致って、今じゃありえないだろうな(笑)

安倍氏も、さすがにこの時期「日本には戦犯はいません」とは公言できないのでしょうか。どうでもいいけど、安倍首相誕生の際には、外相として麻生氏が入閣しそうな気がします。



2006年08月05日(土) 月館の殺人(下)※ネタバレ

完結しました。
綾辻行人×佐々木倫子というコラボは、上巻では非常に上手くいっていたように思いますが、下巻(真相)ではアヤツジテイストが浮いてしまったかな、と。
佐々木倫子の作風に快楽殺人者は合わないなあと思いました。
彼女の作品でなら、ブラックコメディ的な扱いになるんじゃないかなあ。
なので、上巻の方が面白かったです。メイントリックに見事に騙されたし。
しかし、月館であんなに人が死ぬ必要はあったんでしょうか。
オーソドックスに復讐でよかったのでは。
この辺の、キャラクタ捌きが綾辻氏と佐々木氏ではちょっと違うような気がします。もっとソリッドな作風の漫画家ならよかったのかも。人がバタバタ死んでも気にならない絵柄と演出、という意味ですが。
でも伏線の確認と、なんだかんだで佐々木倫子節が楽しいのでぱらぱらと読み返すことが多いです。
空海ちゃんは最終的に誰と結婚するんでしょうねえ。

小ネタの「空海と俺のラブダイヤ」と「小さくなって運転したい」が秀逸(笑)


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琳 [MAIL]