Q:どうしてぎんこうまどぐちのおんなのひとはせいふくをきてるんですか? これってじょせいさべつでは?
A:そんなことはありません。銀行のおじさん達も制服を着ていますよ。背広というのは大人の制服です。おじさん達は自前なので、束縛だと思っていないだけです。女性だけが束縛されている訳ではありません。 そもそも、束縛されていない人間というのは大変危険な生き物なので、社会は様々な「社則」を作ります。沢山の「社則」(モラルとか法律とか呼ばれるものが代表です)を受け入れ束縛されればされるほどその人は「人間らしい」と思われます。おじさん達は機能不明なネクタイというものまでしています。布で首まで締め付けられている私はこんなに人間らしいのですよ、というアピールです。十二単衣の平安女性やミイラ男など「人間らしさ」のお手本です。度が過ぎると「ボンデージ」という変態さんになりますが、これは何事も極端を嫌う人間社会の原理なので仕方ありません。 あなたは、具合が悪くて行った病院の医者がカエルの着ぐるみを着ていたらどうしますか? 人間は、社会で生きていくために束縛を受け入れなくてはならないのです。要は、どの程度受け入れるかの問題です。ちなみに「社則」は、国や時代によりいろいろです。全部同じにしようとして崩壊した国もありますね。まだ残っている国もあります。 そうそう、これは銀行の待ち時間が長すぎてうさ晴らしに書いているのではありませんよ。
2005年03月28日(月) |
「不機嫌なジーン」最終回 |
・・・・・・はあっ?! というのが視聴後第一声。 なんつーのかな〜本筋に関係ない小ネタ(神宮寺含む)と内野聖陽で面白さを確保してるドラマだとは思ってたんで、ストーリーはないに等しくてもまあいいかと思ってたのになんか途中からいろいろ出てきて、これだったら前半だらだらしすぎだろとか健一君いらねえだろとかオダジョもっと早く出せやコラって感じでそれでも毎週見てたけど(苦笑)このオチ・・・。 なんですか、仕事好きな女は自己完結して生きるしかないんですか。教授の熱烈ラブコールは徒労に終わったと、そういうことでよろしいのか。全編通して仁子は意地張ってるだけじゃないですか。 要するに「不器用なジーン」ってことなんだろうし、そういう生き方もアリですよ〜と言いたいのかもしれんが、たとえ主人公に共感できる部分があったにしても「気持ちの問題」でドラマ作られると、見る側はイライラするだけなんだよね。もしこのオチにするつもりなら、冒頭に第一線で活躍する仁子の充実した日常を持ってきて、回想する形で恋愛話を展開すりゃよかったんだよ。題材というか扱ってるテーマが作品中で消化できてないと思う。某新聞で「リーチは出るけどいつまで経っても当たりの来ないパチンコ台」と評されていたが、どうもこの台、最初から「当たり」の設定がされていなかったようだ。
2005年03月27日(日) |
「デモクラシー」とハッピーエンド |
ル・テアトル銀座に見に行ってきました。西ドイツ首相ブラントの秘書が東ドイツのスパイだったという実話に基づいた芝居で、男優のみの政治裏模様は永田町Juneが好きな人やスーツ好きな人にはオイシイ作品でしょう。 えー・・・面白かったか面白くなかったかと言われると困るんですが(汗)鹿賀さん&市村さんを見れただけでもいいやっつーか、いかにも野中●務なヘルベルトとか上様こと今井朋彦氏の美声とかは良かったです。・・・が、イギリスの芝居はシェイクスピアの伝統があるせいか台詞が長い! とにかく長い! 個人的にはもっと台詞減らしてテンホ゜を早めてくれ〜と思いながら見てました。なんてのかな、ストーリーとドラマって違うよなあ、と自戒もこめて考えたり。 ・・・ま、正直前半は退屈です(笑) 寝てる人もちらほら。休憩入ったとき「まだあんのかよ・・・」と思ったし(笑) あと、台詞命の芝居であまり声の抜けが良くない俳優使うのはどーかと思う。もしかしたらもっと小さい劇場の方がいいんじゃなかろうか。 うーむ、ネタ的には好きなんだけどもうちょっとどーにかならんのか、つーのが正直なとこです。
ところで、「ハッピーエンド」とは何でしょう? 現在BLにおいては「ハッピーエンドでなければならない」という規定があります。「君を愛してるよ」「僕もだよ」でエッチでもしてりゃ「ハッピーエンド」なんでしょうか。両想いでも結末が遠距離恋愛の場合はどうでしょう? 心中も考えようによってはハッピーエンドでは? 思うに「ハッピーエンドでなければならない」とは、必然的に一定のストーリー展開を要求しているのです。そして「形式が内容を決定する」という小説の本質に従うなら、そのストーリー展開に合わせ文章レベルもまた規定されます。例えば、後藤明生の文章でハーレクインロマンスが書けるか?大西巨人の文章でセカチュー書けるか?ということですね。 そうそう、私が考案した「エンタメ作家適性検査」を紹介しましょう。 ■どのシリーズでもいいので「水戸黄門」1話分のプロットを書きましょう。条件は ●メンバー全員に見せ場を作ること ●印籠で事態を最終解決すること ●人死には出さないこと これを簡単にこなせる人は、かなりエンタメ作家の適性があるでしょう。
注:本気にしないで下さい。
さ、寂しい…。 トリックしょぼいとかツジツマ合わなすぎとかいろいろ思ってたし、そんなに真剣に見てた訳でもないのにこの寂しさは何?! 布引さんに会えないからかしら。やっぱりそれかしら。 つか、ネット検索かけて布引×美和子派が結構いることに「よっしゃ!」と思ったり、久々にオフラインでもとか考えてるあたりダメダメな感じだけどきっとこれは気の迷い。そう、今ココロを満たすものがないが故の気の迷い。 決して転んでなどおりません。←この口調がダメっぽい 「新選組!」DVDを諸事情により自分へのお仕置きとして購入延期したので、その皺寄せで物寂しいのさ。別に、人気のなさそうな方へ方へと引かれる性質のせいじゃないさ。 でもやっぱり布引さんは美和子好きに見えるよね〜(オイ) 他の人が反感だらけのせいで布引さんの偏見のなさが余計に好意的に見えるってのもあるけど、少なくとも西島(とうとう呼び捨てに)より全然好意的でカッコいい。美和子ちゃん、布さんの不器用な純情に気付いてあげて下さいよ(泣)←でも気付くのに時間がかかってこその純愛だよね。 個人的には大谷×美和子で傷付いた美和子ちゃんに布引さんが優しくしてあげる展開希望。大谷さんに脱獄してもらうか(笑) つか、また三角関係だよ(笑)←それ以前に脱獄してもらってどうする気か。書くのか俺(苦悩) そーいや、撮影を近所でやってたこともあったみたい。見に行きたかったよ〜メルマガも登録しときゃよかったよ〜。でも決してハマってる訳じゃありませ〜ん。 あ、「龍笛の巻」出たからあっちも更新せんとなー。
2005年03月23日(水) |
「やさしくしないで!」(松山花子/竹書房) |
これはケッサク。この人はBL畑出身(ハーレクインを愛読するキャリアウーマンの部長が出てくるあたりそれっぽい)なのだが、JUNEの地下水脈を通ってきたんじゃないかという気がする。コミュニケーションの難しさを上手く突いてるなあ、と思うのだ。 優しさが空回り(どころか逆にダメージを与えている)する優一君を笑いながらも、「あーわかるわかる」と思ってしまう私である。たとえば、ロールシャッハテストの絵を見せられて「この場合、何に見えた方がいいんでしょう?」と意味不明な気の遣い方をしてしまうところ。そして「自然体で答えて下さい」と医者に言われ「左右対称のインクのしみ」とどーしよーもない見たまんまの答え方をするとこと。わかる、わかるぞ優一君(笑) 素直に答えたのに「もっと素直になれ」と言われたり、正直であろうとすると「そんなバカ正直じゃダメだ」と言われたりして、そんじゃ一体どーすりゃいーのよ!?と思った経験はありませんか? そういうとき、とりあえず「気を遣う」「相手に合わせる」ことで切り抜けてきませんでしたか? 優一君の悲劇は、私には他人事とは思えません(笑) 「誰かにとって良いことが 他の誰かに最悪なことがある。」というラストの一句はまさに卓見。そう、やさしさだけじゃ人は愛せないのです、まさに。 ドラマ化したら優一君は稲垣吾郎だろうな(笑)
さて、実は布引×美和子を書いてしまいました。そのうち消すかと思いますが・・・。 ↓のURLの***に、焼畑署刑事課捜査係の別名「●●組」の●●の部分(漢字2文字・ふりがな4文字)を半角アルファベット8文字で入れて飛んで下さい。クイズ形式にしたのは特に意味はなく、やってみたかっただけです。悪しからず。答えはこの日記にて既出です。
http://izayoido.fc2web.com/********.htm
2005年03月17日(木) |
バレーボールワールドと富豪刑事最終回 |
「バレーボールワールド」は書店で売っていないマニアックなバレー誌である。(HPはこちら) コアな読者を対象としているせいか、5W1Hのいくつかが抜け落ちていたり記事に登場する選手の基本プロフィールがばっさり落ちていたりで、私などは「これ誰?」となることもあるのだが、まあそれは「チームの顔」で調べればよろしいとして、他の専門誌に比べるとライターと選手(取材対象)との距離が近く、いい意味で「同人誌か!(笑)」と突っ込みたくなるような部分がある。 例えばVol.2の中垣内監督インタビューなど、「なりチャじゃねえのか?!」と思うほど見事にライターとの漫才になっている。「ああ?」なんていう訊き返しはヤクザかJさんしかしませんよ、ガイチ監督・・・。 ときとして、ライターの主観が露骨に書かれすぎ鬱陶しいこともある(神さんの文章を読むときの鬱陶しさと似ている)が、バレーに対する愛着と他誌に足りない理論的視座、ミーハー心を忘れないコーナーなど、私のような見る専のファンにとっては、とても興味深い。田中ジャパンの「罪」について最も容赦なく書いていたのは、この雑誌のライターであった。 Vol.2では、NECのリベロ大森陽祐についての記事(というより殆どエッセイだったが)が一番面白かった。もし私が男バレもの書くとしたら、絶対にこういうキャラを入れようと決意した(笑) 「おおきく振りかぶって」は「新しさ」と「競技への愛着」(作品のリアリティはここから生まれる)という、優れたスポーツ漫画の特徴を両方備えているために大変面白いわけで、これらを満たす男バレものが出てこないものかといつも思う。セッターとアタッカーの信頼関係とか、めちゃくちゃ上手いのに性格のお陰で評価されないプレイヤー(大森だ)とか、繋ぎまくるチームメイトと身長はないがやたら勝負強いエースとか、逆に身長があるのにダメダメなエースとか(誰とは言わんが)小学校終わったらイタリアに渡る奴とか(若林源三か)色々ネタは転がっているではないか。 編集部に企画出そうって漫画家誰かおらんのか。私の考えでは、既にスポーツものでヒット作を出したことのある漫画家ではダメだ。男バレ版「おお振り」はいつ生まれるのだろうか。
さて、「富豪刑事」最終回である。後半になってやっと刑事達のキャラが活き始めたのに、もったいないことである。特に鶴岡さんのやばい英語は爆笑もの。今回の「うおぉたぁぁ!」は最高であった。 ミッチーはやはり「白い巨塔」の弁護士のような、エリートの悪役がよく似合う。民俗学者は貧乏くさくていかん。 第1話から思わせぶりな登場をしておきながら、結局瀬崎様は存在すら忘れられていたというこのオチ・・・。途中からお笑いキャラ扱いになったので絶対下らない因縁だろう(弁当を間違って食ったとか)とは思っていたが、ここまで一方的な逆恨みだったとは(笑) 今日も布引さんはいい人だったが、美和子を助けるのは西島じゃなく布引さんがよかったなああああ(切望) ああいう場面で飛び込みそうなのは絶対、西島より布引さんだと思う。それにしても「天使のような」美和子ちゃんにああいうお金の使い方をさせるのはいかがなものか。あるいは手下が群がるのは計算に入れてなかったのか? 個人的には2を望むが、その際には誰かブレーンを入れて、トリックの強化を図るように。つか、「火村&アリスシリーズ」ってドラマ化向きだと思うんだがどうだろう。短編は1話完結か前後編、長編はスペシャル2時間で1クールもちます。キャストは特に希望はないが、保坂尚輝あたり火村にどうだ。
2005年03月16日(水) |
優しさだけじゃ人は愛せないから |
新聞なんかで「生きる意味を見失った若者」という表現に出会う度に違和感を覚えるんだが、「見失う」というのは「今まで見えていたものがどこかへ消えて見えなくなる」という意味で、それじゃ「生きる意味」ってのは最初はあるものなのか。 赤ん坊にはそんな高度な自覚はあるまい。母乳よこせ、おしめが不愉快だ、眠い、ということを遠慮なく主張しているだけである。なら幼児ならあるのか。ある訳がない。小学校高学年あたりからそろそろ複雑な年頃になるが、複雑になるのは行動パターンだけで結局は赤ん坊と同じ、「不愉快から逃れて快楽を得る」ことを追求しているのだ。大人になっても同じである。ただ、大人になると「折り合いをつける」ことが上手くなるので(それが上手い人を大人と言うので)「不愉快だけどやる」とか「あえて快楽を遠ざける」という芸当ができるようになる。時には、「不愉快なんだか愉快なんだかよくわからんがどうでもよろしい」という神仙のごとき高度な境地に達することもある。ついでに、「快楽」の内容がどんどん不純なものになる一方で「不愉快」の内容がどんどん高品質になる。 「生きる意味」なんてもんは最初からない。逆に、1人1人に「生きる意味」があらかじめ用意されている社会の方が窮屈で不気味だろう。「生きる意味がない」というのは贅沢で幸せなことだと私は思う。 どっちかというと「俺って生きてる意味ねえなあ」と感じるのは、個人的で具体的な問題があるときじゃないだろうか。それはもう、当人と周辺関係者の問題であるから、マスコミがあれこれ言うことではない。 ネット心中も同じだ。「死んではいかん」というメッセージは当人の周辺関係者が言うべき台詞であって、第三者が説教するようなものではない。特に、「死ぬ気があれば何でもできる」は愚の骨頂である。(猪木が似たようなことを言っていたような) 第三者とは無力なものであり、「そりゃ―無理もない。遠慮せず死になさい」と慰めるくらいがせいぜいである。もし周辺関係者の誰にも「お前が生きてる方がありがたい」と言われないのであれば、それはそれで悲惨なので十分死ぬ理由になるのでは。 ちなみに題名はブルーハーツの「人にやさしく」より。けだし名言である。
近所には野良猫が多く、水を入れたペットボトルには何の効果もないとさんざんテレビで検証しているにもかかわらず近隣家屋にはまだ何本も置いてある。 こうなるともはやおまじないである。 そんな折、猫のナンパを目撃した。 黒猫と茶猫が見詰め合っている。睨み合っていたのかもしれない。茶猫は明らかに黒猫を狙っていた。ちょいちょいとちょっかいを出したがる。 「お嬢ちゃん、つれなくすんなよ」(推測)という感じ。 黒猫はその前足をよける。脈なしかな?と思ったそのとき、前足出すこと三回目にして茶猫は早業で黒猫に近づき、背中に乗って首筋を啄み始めたではないか! 黒猫は拒まない。これはまさにボーイズラブ。 「捕まえたぜお嬢ちゃん」(推測) しかしもっと瞠目すべきは、その茶猫の尻のあたりを狙っているもう1匹の茶猫である。あんた、ケツ狙われてますから!残念! どれも性別は不明である。 この後黒と茶は交尾でもして生殖に勤しむのであろうか。あるいは茶その2の存在が2匹の関係を危うくするのか。 てゆーかお前らほんとに性別どっちなんだ。 猫が増えないためにはこの種のナンパ行動を邪魔すればよいのではないかと思い至ったのは、いつまでも観察していると変な人に思われてイヤだなあ、とその場を離れてのことだった。 でも猫のナンパを邪魔する大人の姿というのもちょっとアレな感じである。
雑誌なんかでときどき見かける「自分にご褒美」。そんなら「自分にお仕置き」ってのがあってもよさそうなものだが。 ちゅーかどうせ金出すの自分なのに「ご褒美」ってのもな〜などと思ってましたが、最近は「自分にご褒美」とゆー言い方は大人の特権かもな〜と思う。金を出す「自分」とご褒美を受け取る「自分」がちゃんと切り離されていることが「成熟」なのかもしれない。
それはともかく、「富豪刑事」が来週で最終回。まあミステリーとしてはあまりにもズサンではありましたが、しょーもない笑いの数々が私は割と好きでした。金持ちに対する庶民のヒガミをギャグに仕立てるのは結構健全な精神だと思うし。「たった三億円ぽっちのために」とか言ってみたいよねえ(笑) それにそれに、寺島氏が毎週見れてたんだも〜ん! 本日、美和子のピンチに現れてチンピラやっつけるとこなんか、痺れましたわ。あたしも手つないで連れて帰ってくれーー!!ヤクザの女でも構わないわ!!と思ったのは私だけではない・・・と思う。カッコいい(はあと) 美和子ちゃん、西島さんじゃなく布引さんにしなさい(笑) 私は勝手に、布引さんは美和子ちゃんが好きなんじゃなかろうかと思っていて(笑)布引×美和子書きてえなあ、などと思っている次第。といっても濃厚なラブでは全然なくて、恋愛感情になるかならないかぐらいの微妙な感じ。ロマンです。世界の中心で叫ぶ愛も結構ですが、心の片隅でひっそりと呟く愛の方が萌えます。公式HPの鎌倉組コーナーまで見てしまった(結構笑えた)がしかし、別に布引さんは美和子ちゃんを好きではないらしいと知ってちょいショック。いやいや、同人屋はこんなことではめげないのだ。 来週はミッチーが出るので楽しみです。
おまけ。 「完全パンクマニュアル」は超面白いっす。キッズ必読。
2005年03月06日(日) |
Vリーグ女子ファイナルラウンド |
一度書いた文章を間違って消してしまいショックの早瀬です。あんなに書いたのに(泣) 東京体育館に見に行ってきました。第1試合はパイオニア対NEC。レッドウイングスとレッドロケッツで応援席は真っ赤です。赤すぎです。何国でしょうかここは。 既に決勝戦進出を決めているパイオニアとこの一戦にかけるNECの集中力の差と、手控え(セリンジャーならありうる)もあったのかオープン攻撃に終始した感のあるパイオニアは珍しく(だよね?)トモさんがミスをしたりで3―1でNECの勝ち。決勝戦は赤対赤に弐決定です。 NECはユウやスギちゃん川村めぐみと、センター攻撃が多彩。シンの好レシーブも手伝ってブロードが決まる決まる。うーん、メグが出てしまったのもわかるような。この布陣だとメグのポジションがないんじゃないですかね。そして赤青共通のアニソンくさいテーマソングを思わず口ずさむ私。♪ろ〜け〜っろ〜け〜っ でもトモさんにV2達成して欲しいゾ。 第2試合はJT対デンソー。失礼ながらまさか4強入りするとは思っていなかったデンソーですが、3―1で負けたとはいえJTと接戦を繰り広げた面白いチームでした。外国人選手がおらず平均身長が小さい分レシーブつなぎまくります。そして小柄(でも177)なレフトエースの岡野が、勢いのあるスパイクで印象的でした。少年漫画だと主人公のチームになりそうな感じ(笑) JTはセンター攻撃が強烈で、チカさんもバックアタックを見せてくれたり。ただ、チカさんがサーブカットする場面が多かったような気がするのはやはりデンソーのスパイク封じ作戦でしょうか。 応援席で流れる応援ソングや、チアリーダーの演技に予算の差をみてしまうVリーグなのでした(笑) 男子は東レとNECのようですね。んー見に行きたい気もちょっとする(笑) 本日A新聞の東レ決勝進出を報じる写真が、柴田が打つ瞬間を激写していたのですが、その手前、ブロックに飛んで上を抜かれている松下の選手の背中には「YAMAMOTO」の文字が。ゴメン、笑っちゃった。
2005年03月05日(土) |
何故、リーマンBLはハッピーエンドなのか? |
「(略)出世の可能性を見切って、将来にわたっても男性と同じ立場に立つことはないと確信しているOLのみが、上司に取り入る男性の卑屈な態度を笑うことができる。仕事の評価を気にしない女性のみが、無責任な行動を取って男性をいらいらさせることができる。OLの抵抗の行為の前には、制度への協調と服従がある。OLの抵抗は『協調的抵抗』なのだ。」
――『OLたちの<レジスタンス> サラリーマンとOLのパワーゲーム』(小笠原祐子/中公新書/1998)
ここで言う「OL」とは一般職女性のことである。(本書では対象から外されている総合職女性や、技術職・準総合職などの中間的な職階の女性についての研究も重要だと思われるが、申し訳ない、まだ読んでいないことをお断りしておく) 著者は、企業内における「女の子」の扱いが総合職男性のキャリア・評価にとっていかに重要な要素となっているか、そして、それを逆手に取ったOLの「抵抗」行為をインタビューとフィールドワークでの実感から描き出している。期待されていないからしたくない仕事はしない、評価されないから意地悪もできる、という具合である。競争から下りた者のみが、競争に参加している者の足を、失うものなく引っ張ることができる。こうした行為はしかし、「下りる」ことのできない(するつもりのない)女性にとっては、苦々しいものでしかない。彼女らの行為によって「女は感情的」「女は使えない」という偏見が強化されてしまうからである。 早い話、妊娠・出産・育児・家事の全てを負わない人間=「専業主婦に支えられた男性」を基本単位にして産業が成り立っている以上、女性は何らかの形でハンディを負わざるを得ないのであって、言ってみれば「女やめますか、それとも一人前の社会人やめますか」という二者択一なのだ。両方ともこなせるパワフルで有能な女性もいるが、そういう「パーフェクト・ガール」像を私は他人に押しつけたくないし、自分に押しつけられるのもごめんである。無理だし。それをやるなら、「魅力的な男性にして有能な社会人、そして良き夫であり良き父親」という「パーフェクト・マン」を男性の規範にしてもらいたい。ちなみに、この「パーフェクト・マン」は言うまでもなくボーイズラブ(特に学園ものとリーマンもの)における攻の典型である。(「父親」の部分だけが除外されているのは、BLが「永遠のカップルロマンス」だからであるが、「金持ち」というのは「いい父親」の一条件であるような気もする) ボーイズラブにおいて、学園ものと並ぶ人気ジャンルであるリーマンもの(周知のごとく学校と企業は近代の二大訓練装置であり、本質的に同じものと言ってよい)には、共通点がある。攻はエリート(役員、外国育ち、東大卒など)で、受はエリートかそうでないかに関わらず、真面目に勤務しており、決して不良社員ではないことだ。初期JUNEからの伝統としてボーイズラブ作品には女性が登場することは滅多にないが、それは、形式的には業績(成績)で一元的に価値付けしながらもインフォーマルな生活空間では男女の性差を消し去ることのない(むしろ固定さえする。生徒会長が女子で副会長が男子という学校は今でもそう多くない筈である)学校・企業という場所への意識的・無意識的な「協調的抵抗」の眼差しである。(「男が構成の基本単位なら、恋愛で選別の視線を受けるのも男でいいんじゃないの?」という訳だ) 例外を除き、これらの作品に女性キャラが登場する場合にはその扱われ方はかなり冷淡で、殆ど作品内ハラスメントの様相を呈している。もしも書き手が男性であったらフェミニスト達の攻撃は免れないであろう。私が読んだ限りにおいて、リーマンものにおける女性キャラの描かれ方は ●外見を飾ること、男をゲットすることに熱心 ●仕事をしている様子がない、あるいは無能か無責任 というものであり、これは、<レジスタンス>をする一般職OLの姿と酷似していないだろうか。彼女らは、ストーリー上攻や受にアプローチをしてくることがあるが、結局は破れる運命にある。リーマンものという「協調的抵抗」と、OLたちの<レジスタンス>はその担い手間の分断を推測させる。 何故、リーマンもののBLが大抵ハッピーエンドなのか。 それは、「協調的抵抗」が結局は「抵抗的協調」にすぎないことと無縁ではないだろう。「不良社員Aと不良社員Bが恋に落ち、2人で会社を爆破する計画を立てる」物語は、恐らく「リーマンものBL」の範疇には入らない。(上手く書けば受け入れられる可能性はあるが)まして片方が非業の死を遂げ片方が孤独のまま残されて終わり、では尚更である。 受と攻は、あくまでも会社というシステムの中で幸せにならなければならないのだ。 もっとも、「お約束」がマンネリとなるのはエンターテインメントの宿命であり、そこからの脱出策として「専門職業もの」というジャンルが存在する訳だが、それにしても何故そこまで「職業」が重要なのか、と思う。それも「イメージとしての職業」が。 要するにBL含めたやおいというジャンルそのものが、「抵抗的協調」であるということなのかもしれない。
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