また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2004年07月28日(水) 「ニュートラル」でいるといいことが起こる

今日は宮島に知り合いのお寺さんを訪ね、
車で島の裏側にある腰細浦(こしほそうら)という浜辺に連れて行ってもらいました。
包が浦からさらに奥に行ったところで、
包が浦から先は、かなり険しいアップアンドダウンが連続する山道。

台風が接近しているというニュースを聞いて、
行けるときに行っておかなければと、突然電話したのだけど、
そのお寺さんも時間を取ってくださり、
車で連れて行ってもらいました。
いや、けっこう遠かったですねー。
宮島は「浦は七浦、回れば七里」と言って、
七つの浜辺があり、周囲は約30キロということらしいです。
次回以降は自転車で行くことも可能だけど、
けっこう気合い入れていかないと、途中でばててしまいそうですが、
木々の切れ間から、所々見える瀬戸内海の大パノラマもすばらしく
途中でばてても、休んで自然を楽しめます(笑


さてさて、先日終わったNLP(神経言語プログラミング)の実習は
アシスタントとして参加したのですが、
この実習、「ニュートラル・トレーニング」とも言われていました。

「ニュートラル」であることがどういうことなのかについては、
体の感覚ではわかっていても、なかなか簡単に言葉で表せません。
一言で言うと、相手の言うことを判断しないということです。
この感覚が俺にとって非常に重要であるということ、
そのことを今日一日実感しました。
そういう意味で、今日は言っておきたい。

「ニュートラル」でいるといいことが起こる。

どうやら俺がニュートラルでいると、
欲しいものの方から、自分の方にやって来てくれるようです。
本当ですよ(笑

今日はさらに東京と台湾から誕生日を祝ってくれるメッセージが届きました。
ニュートラルであることがスポンテイニアス(spontanious)な感じをもたらすのです。
この単語「スポンテイニアス」なのですが、日本語に訳すのに苦労してます。
辞書では「自発的」と訳されてますが、ちょっと違う。
「アイデア、ひらめき、感覚や感情が自然に出てくる」感じでしょうか。

そうそう、さっきトイレの中でイメージしたこと。
今年9月から、俺は大学4年生になるのですが、
「必ずしも『論理的でない』」自分が見えて、いい感じです。
これも忘れないように書いておきたい。
おやすみなさい!


2004年07月27日(火) 自分の人生における使命

NLP(神経言語プログラム)のカウンセリング技法の研修合宿に
アシスタントとして参加してきました。
この合宿へ参加し一般受講生への貢献をもって
「NLPプラクティショナー」の資格を手にすることができました。
海外にいたために、足掛け2年かかってしまいましたが、
すごくいい経験であり、ある意味で自分の出発点にもなる体験となりました。

特に今回の参加では、俺が30年来ずっと疑問に思い続け
悩み続けてきたことにたいする
ひとつの「こたえ」が手に入ったように思います。
そういう意味でけっこうすっきりしている
そんな感じです。

そろそろ後ろを見るだけでなく、前を見て、
俺にとっての人生の使命というのはなんなのかということ、
俺に本当に重要ものは何なのか
何が欲しいのか、何がやりたいのか
自分が本当にこの人生の中で得たいものはなんなのか
そういうことを考える時期になった気がします。

どんな場所、どんな状況であっても、
俺自身が、自分にとって安心で安全な場をつくり出していける
そして、自分の大事な人たちとその場を共有することができる
そう確信した今こそが、俺にとって、
自分で人生に責任を持って、自分で決断し実行していく
そんな新しい人生の幕開けとなる気がしています。

今日は33回目の誕生日。
今いる広島で、友人たちに誕生日を祝ってもらい、
名古屋から、札幌から。オーストラリアからフィンランドから
多くの人々からにメッセージを受け取り
なんとも、不思議な気持ちなのです。
今夜はいい夢を見て、スピリチュアルに自分の可能性を追求します。


2004年07月15日(木) 将来の自分像

斉藤学講演集「グリーフワークの進め方」を読んでいる。
第4巻「回想と悲嘆の仕事(2)」
NLP(Neuro-Linguistic Programme=神経言語プログラム)の会合で
八本松まで行く途中、電車の中でこれを読む。
最後に出てくる虐待され、施設に預けられていた女性の回想に涙する。

安全という感覚(もしくはそれを感じ取ること)がいかに大切か。
安心できる空間(もしくはそれを感じ取れる能力)がいかに必要か。
NLPの会合(ピース・バード・カフェといいます)はものすごくよかった。
自分的にはきゅうにいくつものステップを飛び越えて、
自分の求めるものが何なのかを目の前にしてしまって、びっくり。
次から次に繰り出される質問に、本人が自分で答えているだけ。
いやぁ、やっぱNLPはすごいわ、と思った。

というかんじで、斉藤さんの本では次の巻に「将来の自分」というのが出てくる。
将来の俺が、たくましく、強いイメージとなって俺を導くだろう。
っていうことで、天気がよければ明日の朝も宮島に泳ぎにいこう!
自分がずっと健康だということに気づいたし、
やっぱり余っている体力はちゃんと使って、体を鍛えないと。


2004年07月14日(水) せつない夏

毎日、朝早起きして泳ぎにいこうかな、、、と考えている。
宮島まで泳ぎにいくとなると、電車と船で宮島桟橋につくまで40分。
包が浦で泳ぐとすると、桟橋から自転車で約15分ぐらいか。
ということは、宮島に「置き自転車」をしておかないといけない。

朝早起きして、午前中は毎日水泳。
こういう夏もあっていいかなと。
なんというか、一人水泳部ってかんじかな。
そして来年はライフセーバーの資格を取る。

きのうは包が浦から桟橋に歩いて帰る途中に、
杉の浦付近で山に入っていく里道を発見。
気のおもむくまま入っていくとカキの養殖に独占された浜辺を発見。
ここが「杉の浦」なのかな?

ここから浜の西側まで行き、道なき道を山側に戻る、
あとで考えてわかったのだけど、こういうところは当てずっぽうに行っても、
森の中で迷ってしまうということ。
入り江と入り江の間の狭いところなはずだったが、
だんだんと道もケモノ道然と狭くなってくるし、
人が通ったであろう道もクモの巣が多くて、人があまり通ってないなと思ったりで、
結局、何分さまよったのか、元のカキ養殖の浜に戻り、
もと来た道を確認すると全く違う方向。
好奇心おう盛な子供の頃の「探検」な気分で、ちょっとした冒険だった。




2004年07月13日(火) 硬直化した劣等感の発見とその受け入れ

夢を見た。

失いたくないもの。
失っているもの。
初めからないもの。

欠損感に対する猛烈な感情。
「ないもの」と「あるもの」。
「ないひと」と「あるひと」。

「おいていかないで」という声。
はなれたくない。

1、「数学は出来ない」
そして「彼」は「数学が出来る」とする。(そう「俺」が思っている)
この堪え難い感覚。(硬直した無前提)。
自分は数学が出来ず、机の上には課題のページが開きっぱなしになっている。
「彼」は「数学は苦手だ」と言いつつも、いつの間にかそれをこなしている。
俺は「出来ない」。「この課題に取り組むことが出来ない」。

毎回このたぐいの夢に出てくる「彼」は違う特定の人だけど、
結局こういうことにに気づかせるメッセージを発する「彼」は
「X(エックス)」として表すことが出来るかもしれない。

2、「頭がいい」
「『彼』は頭がいい。」という無前提の思いこみ。
こういうへんなものに俺は無意識で支配されている。
どこかで自分が不明で暗愚だとどこかで思っている。
それは、自分が子供のとき、親に育てられたときに、
親から何らかの形で引き継いだ観念なのか。

3、運動能力、もしくは視力?
運動やスポーツが出来ないという強い思いこみ。
車の運転など、自分の視力では、現代社会で認められないこと。
サッカーや野球。特に球技。
目が悪いから、やはり野球より、球が大きいサッカーがいい。
スノーボードも「『危険なこと』は出来ない。」
もっともっと安全な状況を確保した上での「冒険」を強化したい。
健康に「リスクを冒す」ということ。

3、「空間が切れる」こと
ドラえもんの初期の映画で「のび太の宇宙開拓使」というのがある。
この映画を子供のときに見て泣いたのを覚えている。
何らかの偶然で「つながった」、のび太とロップル君。
地球とあまりに遠く離れた二つの星が、畳の下でつながった。
でも、ある日突然にこの空間は途切れてしまう。
「なんで?」

NHKのアニメ「子鹿物語」では、
主人公スターリングの幼なじみの男の子ホダウィングが突然死ぬ。
最後には、子鹿のフラッグを自分で殺してしまう。
そんな理不尽な話があるか!

唐十朗のむかし見たテレビドラマ。
田中裕子が出ていた。
小学生とか老人とか、行き場のない人たちが出会い、
そして一緒に生活することになった。
なんという安心。なんといういしあわせ。
でもそれは、本来のそれぞれの「家族」によって引き裂かれ、
みんなばらばらになっていく。

「家族なんて信じない」
と、俺はどこかで思っている。
「しあわせは長続きしない」「しあわせは引き裂かれる」
とどこかで思っている。


最近読んでいる本
「グリーフワークの進め方」全6巻(斎藤学講演録)

 1)トラウマと停滞、癒しと成長
 2)「安全な場」の確保をめぐって
 3)回想と悲嘆の仕事(1)
 4)回想と悲嘆の仕事(2)
 5)回想と悲嘆の仕事(3)
 6)人間関係の再構築

ヘルスワーク協会連続講演会記録(1995年6月7日)
著者名(講師): 斎藤 学
出版社名:ヘルスワーク協会
定価(税込): 3150円
出版年: 1997年

http://www.iff.co.jp/frame/booksales.html
検索に「グリーフワークの進め方」と入力すると該当書籍を表示。


きのうは宮島に一人で泳ぎにいった。
からっとしたいいお天気だった。
あんな沖まで泳いでいったのは初めて。
世界が広がっていくのを感じる。


2004年07月12日(月) 新しい習慣を築き上げる努力

最近読んだ本、今読んでいる本。

〈一冊目〉
"Is It Love or Is It Addiction?" Brenda Schaeffer
邦訳が出ているかは調べたけれどわからなかった。
実はこの本、俺が英語で読み終える「初めての本」となる。

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/booksea.cgi?ISBN=1568381409

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1568381409/qid=1089689252/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl14/002-5605469-3766413?v=glance&s=books&n=507846


〈2冊目〉

「嗜癖する人間関係-親密になるのが怖い」
アン・ウィルソン・シェフ著 高畠克子訳 誠信書房

帯に書いてある言葉は「親密になることから逃げていませんか?」。
「偽りの人間関係を演じることからの回復を目指す」。

翻訳があまり自然でなく読みにくいのが難。
読み始めたばかりだが内容は画期的だと思う。
「現代社会そのものが『嗜癖する社会』である」と断じ
「『セックス』『ロマンス』『人間関係』の3つの嗜癖は別物である」と強調する。
あまりに納得できる視点で、びっくりした。影響を受けそうだ。


久しぶりに聞いたFolder(フォルダー)の「パラシューター」

♪大事なときどうして
 Careless Careless Careless 間違える
 カッコ悪い 僕さえ 
 Someday Someday Someday 素敵と言って

 見つめられて Doki Doki
 必ずパスするから
 どんなテストも平気 One More Chance
 
 夢見るだけじゃ続かない
 宝物にしてみせるさ 世界で 一番好きな君の笑顔
 時間になんか 負けないで
 パラシューター 追いかけていこう ふたりだけの国へ

 愛されながら 愛したい
 今宵こそ So シュールなポーズで 君の屋根におりていくよ
 運命的な 瞬間さ
 パラシューター 手と手をつないで 真夏のパレードへ


倉田三平 |MAILHomePage

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