また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2004年05月24日(月) 【ほん】 田口ランディ「コンセント」

 この本、うちの相棒が日本から送ってくれた本の中の一冊。昨日の夜、何となく読み始めてしまった。

 感想はけっこう面白い。俺は基本的に「夢判断」に興味がないので、そこはすっ飛ばしてしまったが、なかなかおもしろかった。最後に解説をかいているひとの言葉を借りれば、「あっち側とこっち側を行き来する」感覚なのであろうか。

 彼女の言を借りるまでもなく、今の社会において「あっち側とこっち側を行き来する」事はそんなに珍しくないのではないか。最近俺の気になっている「引きこもり」にも通じるコンセプトかも知れない。

 「コンセント」の中に表現されている主人公の、一見よく社会に適応している様子、その反面にある存在や境界のあいまいさ、不安定さ、そして社会に対する態度(特に葬儀屋や清掃会社のプロフェッショナルな仕事に対する態度。人々は往々にしてこういう「優しさ」を求めるのだろう)、そして確信と強い意思(コミットメント)、そういう要素が細かくちりばめられて、ぱらぱらと静かに降ってくる描写がここちよく、少し安心もする。

 夢判断とあまり要領を得ないカウンセリングには苛々させられるが、ま、これも一時代前のカウンセリングや、いわゆる「精神分析」の残滓を表現したものだろうと理解する。また精神病として「処置入院」させられ、最終的に自殺してしまう女性の描写も、ひとむかし前の精神医療の状態を反映させ、また同時に現在においても同じなのであるという信じがたい事実を、暗に突きつけているようにも思える。

 ともかく、上に書いた苛々させられる二点を除き、最後まで違和感なく読めた。最終的には、自分の考えにとってもいろいろ刺激になる本だったと思う。


2004年05月21日(金) オイスター・カード

 オイスター・カード。直訳すると「かきカード」。かきとはいうまでもなく、海の貝類のかきだ。オイスター・カードというのはヨーロッパのかき出荷業者が共同で開発した贈答用の商品券カードで、、、、って、これは冗談。実はロンドン市交通局が近年導入した磁気式のカードで、東京でいえば「スイカ」、台北でいえば「游悠[上/下]」に相当する。

 ロンドンのカードがなぜオイスターと言う名前なのかは不明。ただこのカードすごく便利、しかもディスカウント付き。方式はプリ・ペイpre pay(先払い)方式で、最大90ポンドまで先払いでカードに残高を補充できる。昨日は30ポンドをいれてもらった。このカードでロンドンの地下鉄、バス、トラム、DLR、そして一部のブリットレイルBrit Rail(British Railの略。旧国鉄)に切符をいちいち買うことなく乗れる。地下鉄では駅の改札口にある黄色く丸いところにカードを当てて「ぴーっ」となると改札が開く。出る時も同様。バス、トラムは乗車時に車内の機械にカードを当てる。

 これ思っていたよりもすぐれ物、どうしてもっと早く使わなかったのか。(ロンドン交通局を信用していないからにほかならないが、、、)。平日でも普通に切符を買うよりは一割程度安くなるのだが、特に驚いたのが休日の運賃。ゾーン1から6まで行くと、普通£3.80かかるが、休日オイスターを使うと£1.80で済む!! 何という破格!! バスも通常1ポンドのところが70ペンス。特にゾーン1ではバス車内で切符を売らなくなったので、オイスターカードがあるとすごく便利。そういえば、昨日ユーストンEustonの駅のバスターミナルで、バスの乗車券販売機にお金だけ吸い込まれて、切符が出てこなかった乗客が怒ってその機械をどついているをみた。よくあるロンドンの景色だ。

 ということで、ロンドンに住んでる皆さん。是非オイスターカードを使いましょう!! このカード、一般的なプリ・ペイ方式以外にも、ウイークリー、マンスリーのトラベルカードとしても利用できる。登録時の保証金は3ポンドでカードを返却する時に帰ってくる。


2004年05月20日(木) 春雨

 昨日一昨日と、夏のようないい陽気でとても気持ち良かった。短パン小僧も復活。Tシャツ一枚で自転車を快適にこいで、汗をかいたところでザブンとプールに入って泳ぐ。

 ところが今日になると何かが違う。みんな今日も同じような良い天気の気持ちいい日になると信じていたのに!!

 起きてみるのちょっと肌寒い。お日さまも出ていない。家に帰ってきたフラットメイトも浮かない顔をしている。

 夕方からはぽつぽつと雨が降り出した。プールからの帰り、はだしにサンダルだと少し寒い。図書館の中はなぜか空調が「冷房」になっているように感じる。寒いよー。

 
 今日わかったこと。どうも俺は平泳ぎをしている時、息継ぎをするために頭を上げる時の角度が高すぎるらしい。長く泳いだ次の日に、決まって首が痛くなるからだ。平泳ぎだけは、ちゃんと習ってないんだよな(笑。

 小学生の時に広島市の屋内プール(市民球場の裏)まで市電に乗って、妹達をつれて水泳教室の通っていたけど、そこの過程は平泳ぎが最後だった。まずクロール、そして背泳ぎ、バタフライ、最後に平泳ぎという順番。クロール背泳ぎをマスターして、最後はバタフライを習っていたけど、ドルフィンキックや、腕の動かし方をやっている時にやめてしまいフォームが完成しなかった。

 おかげで中学校に年の時の臨海学校では、バタフライまで習っていたのに平泳ぎが出来ないばかりに「泳げない人」扱いされ、一番下のクラスに入れられてしまった。自尊心をことのほか傷つけられたのはいうまでもない(笑。

 ということで、やはり平泳ぎちゃんと習いたいなぁ。

 あと、照りつける太陽のした、毎日外の50メートルプールで泳いでいた台湾が懐かしい。毎日よく学びよく運動していた。勉強って物は、やっぱり同時に運動していないと成り立たないって気がする。もし、今から18歳に戻って、日本の大学に入るとすると、体育会に入ってしまう気がする。でも体育会ってけっこう厳しそうだな。無意味に厳しそう(笑。それはそれで形式美なのか知らん?? どこに入ろうかな? やっぱり水泳部? サッカー同好会とか、スノボ同好会とかになってしまうかな。うーん、でもコンパとかは退屈そうだなぁ(笑。 やっぱ体育会で先輩にしごいていただきましょう。


2004年05月15日(土) ダブルデッカー

 最近ロンドンで見た珍しいもの。ラッセル・スクウェアのそばのバス停で、エンコして動かなくなった旧型のダブルデッカーdubbledecker(2階建てバス。旧型は車掌が乗車し乗降のための扉がないので、都心部では信号や渋滞で止まっているバスに自由に乗り降りできて便利。ただ急に動き出すので安全は各自で確保する必要がある)がレッカー移動されていくところ。

 次の日に同じ場所で同様の旧型ダブルデッカーの塗装が違うものを発見。普通はお決まりの赤だが、このバスは銀色。よく見ると25年前の女王即位25周年(silver jubilee)の記念塗装。だから銀色なわけだ。ただ表示が回送になっていたので、何かの貸し切りで運転されたあとだったのかも知れない。ちなみに2年ぐらい前に女王即位50周年の記念行事があって、ハイドパークでバンドや歌手などが出て盛大なイベントがあった。その時はピカデリーの通りが歩行者天国となり、最後はなんとも見事な花火がこの式典のフィナーレを飾った。この時は俺は日本大使館の側から花火を眺めたけれど本当にきれいだった。ちなみにこの50周年記念はgold jubileeといって、金色に塗装したバスがロンドン市内を走った。

 この赤い二階建てのバスはロンドンの象徴的存在だが、たてに長いので急カーブを曲がる時にひっくり返らないのかなと思ったことがある。イギリス人から昔聞いた話によると、横に倒れないかどうかちゃんと実験して造っているらしく、かなり傾けても転倒しないらしい。そういう話をしてくるところがまたイギリス人らしい。(笑

 去年から都心部における「渋滞税congestion charge」が導入され、中心部のバスの運行がだいぶスムーズになった気がする。渋滞税の適用される区域にはいる道路には赤字に白抜きの「C」の表示が出て、この区域にはいるには市内の商店などで渋滞税の支払いをしなければいけない。

 ロンドンのバスは去年あたりから運賃の改定と同時に切符のシステムが変更された。以前は(と言ってもちょくちょく変更されているので詳しくは覚えていないが)ゾーン1内では1ポンド。それ以外では70ペンスだった。(もっと昔はゾーン1とそれ以外のゾーンをまたがって乗車する時、1ポンド20ペンス払っていたような気もするが、、、記憶違いかな)。ナイトバスは1ポンド50ペンスだった。

 去年の9月に台湾から帰ってくると、料金はゾーンに関係なくすべて1ポンドになっていて、ナイトバスまで1ポンドに値下げされていた。驚いたのは、乗降をスムーズにするためにゾーン1内ではバスの中で切符の販売をしなくなったこと。おかげで都心部ではバス停に切符の自動販売機が設置され、バスに乗る人はあらかじめ切符を買って乗ることになった。

 しかし、ここはお決まりのロンドン。お金を入れても切符が出てこないとか、販売機自体が故障していて切符が買えないということに出くわす。しかもこの販売機、紙幣には対応していないので、小銭がない時にはバスに乗れなくなってしまった!!

 こういうトラブルを避けるために、俺はsaver ticket(セイバー・チケット)という回数券を利用している。昔は地下鉄の駅で売っていなかったのだけど、最近は売るようになったらしい。この前ラッセル・スクウェアの駅窓口で買おうとすると「すいません、今売り切れてます、、、。」うーん、いかにもロンドンらしい。

 そういえば、旧式のダブルデッカーを使って「パーティー・バス」とかいって、どんちゃん騒ぎをしているバスを見ることがたまにあったけど、あれはロンドン交通局が運営しているのだろか?


2004年05月14日(金) ロンドンで盲腸の手術をする(5)

 案内された個室はすごくきれいな部屋で、完全看護の一人部屋いう感じ。部屋には専用のバス・トイレがついていて、しかもぴかぴか。窓際には小奇麗な一対の青いソファーに小さなテーブル。なんとも居心地の良い部屋だ。どうしたら良いのか戸惑っていると、看護婦が現れてにこにこしながら話しかけてくる。、

 看 「今夜手術するんですか?」
 俺 「え? いや、まだわからないんですが、、、
    だって診察してもらわないといけないでしょう?」

この間、何人かの看護婦や看護士が入れ替わり様子を見に来る。みんながおんなじような質問をする。

 「手術は今夜? それとも明日?」
 「手術を受けるのは心配ですか?」
 「心配しなくて大丈夫ですよ。すぐ済みますから。」

などなど。基本的にイギリスのシステムを信用していないので、金を取られた上に診察もせずに手術するつもりかと言う気がしてくる。しかし、ここの人達はみんな笑顔がさわやかで、使う英語も上品。しかも文句の付けようがないぐらい親切であたたかい。イギリスで、しかもロンドンでこんな状況があることが異常。それが俺を不安にさせる。

 こちらはあまり状況を把握できず、頭もぼーっとしているので、流れにまかせることにする。いかにイギリスといえども盲腸でない患者に盲腸の手術はしないだろう。

 そうこうするうちに背広を着た怪しい中東系の二人組のおじさんが登場。いきなりの登場に何が起こっているのかぜんぜんわからない。二人組のうち年配な方の一人はやたらと陽気で、いきなり大きな声で片言の日本語を話し出す。

 男 「ハジメマーシテ」
 俺 「・・・?? あ、どうも、、、。」

俺は状況がわからず頭のなかが大混乱となる。この人たちは何者なのだろうか? また別の集金部隊なのか、何かをチェックしにきたのか、すべてが謎。

 俺 「すいませんが、、、。ハッキーム教授はいつ見えるんですか?」
 男 「私がハッキームです」
 俺 「え? あー、あ、そうですか、それは失礼!
    じゃ、これから診察ですか。」
 男 「そういうことです」

 やっと診察が始まる(と言うか「手術の前に診察がある」という)ことに安堵を覚える。教授は一時部屋を出る。残された若い男は研修生といった感じだろうか。

 俺 「彼はなんで日本語をしゃべるの?」
 研 「ああ、あの人は何語でもちょこっとずつ話すからね」
 
 教授が戻ってくる。ベッドに横になり、服を脱いで腹を見せるようにいわれる。何回か腹を手で押してみる教授。うーん、いたい。

 教授 「はい。すぐに手術ですね」
 俺  「ということは、先生の診断も盲腸ということですね」
 教授 「そういうことになりますね」

こうしてやっと診察が下った。にしてもこの先生やたらと陽気。大きな声で、しかもいきなり日本語で

 「だいじょーぶでーす」

と言い出したり、、、。俺も頭がぼーっとしていたので、果たしてその日本語が結果的に俺を安心するように作用したのか、不安にさせたのか、今考えても判断を下しにくい。

 いずれにせよ、今夜手術が行われることになったらしい。


2004年05月07日(金) 台風一過

盲腸の手術後、どうしても気分がぱっとしなかった俺は、
ぎりぎりまで大学の論文に着手しなかった。
今年の課題は全部で4つ。

広東語についての論文を仕上げたあとは、また疲れてしまい、
どうしても残りの論文に手を付けられない。

やっと始めた時にはもう提出期限が切れようかという時だった。
広東語の論文を除き、ほかの論文の提出期限は5月1日。
しかし、今年の5月1日は土曜日で学部の事務所がお休み。
5月3日は「バンクホリデー(イギリスの休日)」で、またお休み。

学校の規定によると、論文は一日遅れるごとに
2パーセントずつ点数が削られるというシステムらしい。
しかも削られるのは「opening days営業日」のみ。
という事で4日に提出(実際は3日遅れ)しても一日分の2パーセントしか引かれない。
気を良くして、始めました!!

「伍子胥(ごししょ)」
「孔孟儒家における『道』の本来の意味」
「近代化に対する葛藤・台湾郷土文学、黄春明の世界」

結局、4日間で3つの論文を仕上げ、5月5日、めでたくすべての論文を提出。


しっかり自信をつけたけれども、くたくたになる。
しかし休むまもなく広東語の口頭試験がある。
いや、これもよく頑張った(笑

試験が終わると、友達と連れ立って昔住んでいたチュジックChiswik
のテムズ川のほとりのパブに。
久しぶりにリラックス。疲れてたせいもあって気分がハイ。
翌朝、気がつくと、台風一過のようにすっきり、
日本からきていた友達も帰ってしまい、ちょっとしょんぼりな朝になった。


倉田三平 |MAILHomePage

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