また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)
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2003年12月27日(土) |
北海道は雪景色だベさ!! |
日本に帰って来て、早2週間。 今は札幌、今年は比較的温かいようで雪もほとんど消えかけ、、、 だったのだけど、クリスマス前あたりからまたちらほらと降りだし、 きょうは朝起きると外は一面の雪景色でした。
札幌でゆっくり休憩を、、、と思っていたのだけど、 なかなか気が休まらない(笑 で、昨日「アスリート治療院」という、冬期のオリンピック選手も 通ってくるというところを訪れ、整体、ハリ、お灸をやってもらったら その後爆睡。体中が痛い。
「疲れが出た」
ということらしい。
「よっぽど疲れてたんだねぇ」
と言われてしまった。 ここ、学割が効くので明日再度行く予定。
なんか帰国するのを、これだけ待っていたのに、なんか変な気分だ。 夏に台湾を去るときに味わった気分。
「切り替わってしまう」
と言う感覚。
今まで、リアルだった生活が一瞬にしてあいまいな思い出の断片と化し 完全に切り替わった世界の中にはいっていく。
八月末ロンドンにやって来たとき、 もう一つ感じられなかったなにか。 それはもしかしたら自分でいるために、自分を守る反応なのかもしれない。 ただ、僕が暮らしていくところは外国ではないという感覚。 意識がはっきりしないところでは暮らしていきたくない。
どんなに逆カルチャーショックを受けようとも やはり、日本で暮らしたいというのが今の気持ち。
ただ、なんか、諸外国を一人で行ったり来たりというのは やっぱりせつない。
帰国を前にして調子を崩してしまった。 熱こそ出ていないけど、身体がだるい。 と言うことで最終日は学校もお休み。 7時間後には家を出なければいけない。 これから荷造りだ。
ま、一学期が終わってほっとしたのだろう。 よく頑張った(笑 だいぶ慣れてきたなぁ。
英語の本を読むのには慣れないけど。 何を言っているのかわからんけど、その場にいることできる って言う特技は身に付けたな。
ということで、帰国です。 本当はこのまま永久帰国してしまいたいが、 後一年半。
一年半なんてすぐだよー
2003年12月09日(火) |
【映画】34番街の奇跡 MIRACLE ON 34TH STREET |
実は「ペイ・フォワード」を見る前にテレビでやっていた映画を途中から見ていた。 英題は「MIRACLE ON 34TH STREET」。直訳してネットで検索かけたらそのまま出てきた!
「34番街の奇跡」
イギリスもにわかにクリスマスづいてきたせいか、テレビでこの手の番組が増える。 ストーリーは至極簡単で「サンタクロースはいるかいないか」。これを法廷で争う。 どうということもない映画だったのだけど、 出来るだけ見た映画は書き留めておこうということで、書いておりまする。
「ペイ・フォワード」もそうだけど、アメリカという国はなぜかこういうシンプルな映画をよくつくる。 イギリスにいるとこういう単純さが懐かしく感じられてしまう。 ロンドンにいると、俺はやっぱり戦争映画か封建時代の映画などを見ることで気分転換をはかる。
イギリスって言う国の文化がややこしいのか、それともアメリカが単純なのか、、、 あんまり表面的に決めつけてもしょうがないのだが、やっぱり違いは厳然としてある。
ただ最近はあまりアメリカ人嫌いじゃなくなったな(笑 中国人も嫌いじゃない(笑
問題なのは、実際自分が出会う人に対しては「人それぞれ」という考えで 特に何人だからという制約が無くなっているにもかかわらず、 一般論で話すときに「〜〜人はどうのこうの」と言うような物言いが増えていくということ。 それもすごく極端な言い方をする。 でもそれは一種の冗談なんだけど、あんまり通じないなぁ。
例えば、
「一方的に決めつけるようなステレオタイプ化は良くない」
という意見を日本に帰ると(ロンドンでも?)よく言われるのだが、
『こういう言い方(ステレオタイプ化)は日本人がすごく嫌う。』(爆笑
と言うように、俺がふつうに話してしまうということ。 (少し分かりにくいかな、、、今日はレポート提出もあるし、うまく書けないなぁ)
現実的に他文化(日本国内でさえ!!)、他民族とかかわることになると、 強いイメージというのが必要になってくる。 そうでないと付き合えないからだ。 それを「ステレオタイプ化である」とか言って直面することを避け、 そういう物言いをいちいち糾弾していたのでは、 いつまでたっても他民族と対等なつきあいは出来ない。
あれれ、何を書いているのだ?? サンタクロースがいるかどうかという話ではなかったのか??(笑
きょうは「わや」(広島弁?)ですわ。
2003年12月08日(月) |
【映画】ペイ・フォワード PAY IT FORWARD |
なんとなくご飯を食べながらBBCでやっていた映画を見てしまった。 邦題は「ペイ・フォワード」英題は「Pay It Forward」。 設定がなぁ「サバイバー設定」なんだよなぁ。 それでついつい見てしまった。
「サバイバー」というのはsurviveした人と言う意味。 狭義ではレイプされた女性がその経験を「survive=生き延びた」と言う意味で使われる。 おれはもっとひろい使い方をしていて、主観的にどんなものであれ、 その人が「生き延びた」と思う状況、または実感があれば、 それをサバイバーと呼んでいる。もちろん俺は自分自身もサバイバーであると思っている。
そういう「サバイバー」的な状況が設定に反映されている。 たとえば、主人公のトレヴァーの母はアル中で、父は家出中。 父は家に帰ってくると暴力をふるうが、子供には手を出さず、母親だけに手をあげる。 トレヴァーの社会の先生もそういう家庭の出身。 トレヴァーのおばあちゃんは今はホームレスになっているし、 ジェリーというジャンキーの男も出て来る。
何らかのトラウマ的経験が日常化していたり、家庭環境などが安全でなかった人が、 ほとんど習慣化した思考回路や行動パターンを変えるのは非常に難しい。 サバイバーが自身の異常な状態に気付き、意識的にそれを乗り越えていこうとしたときに それをスライバー(thriver)という。
俺は、こういう言葉や考え方は斉藤学という精神科医の本から学んでいる。 この映画は、こういう視点がなければ、 感動しても「浪花節」的なコンテキストに引きずり込まれそうだ。 まそれでも別にいい。 もちろん、こういう話に触発されてpay it forwardを実践してみるのもいいかもしれない。 ただ、主人公の少年トレヴァーが言うように「うまくいかない」確率が高い。(笑
あんまりこういう風に書くとうまく言えなくなってくる。 自分で書いていて「だからなんなんだよ」って思えてくるからだ。
でも、やっぱり面白い映画だったし、 久しぶりに目の掃除が出来てすっきりした。
参考までに関連ページ http://www.watch.impress.co.jp/movie/column5/2001/09/07/
最近中国語学科のクラスメートとよくあそんでいる。 こんな風に自然にイギリス人と交わるのは実ははじめてで、4年目にしてやっと「ふつう」な感じで楽しいイギリスでの大学生活を送っている。
外国人同士で仲よくなったりすることはあっても、イギリス人とふつうに仲良く付き合えるという経験はあまりなかった。 イギリス人と自分との間の、何らかのバリアが強烈にあったのだろう。
ただ今回のイギリスへの「帰国」は今まで通りではなかった。
クラスメートのカリちゃんとジョニーはイギリス人。ふたりとも中国語をけっこうしゃべる。 最近すごく中がいいイギリス人だ。 カリちゃんは公立だけどグラマースクールを出ている。 彼女がこの事に触れたとき
「言っとくけど、上位10パーセントの子しか入れない学校なんだからね」
と言って、少し誇らしげだった。 そのせいか、俺にとっては発音がまだ聞きやすい。 もちろんこの子、ぼそぼそしゃべったりするし、俺が聞き取れなくてよく聞きかえすことも多い。
最初はクラスでカリちゃんが時々話しかけてきて、なんとなく仲よくなった。 この子のフラットメイトは台湾人、中国人が多く、台湾語をきっかけにだいぶ仲よくなったかな。 彼女の中国語は発音がけっこう良くて、彼女に中国語の声調を直されることも多い。 辞書を調べて俺の方が正しいときはイギリス人らしく、ちょっと悔しい顔をする。(笑
もちろん彼女は他の生徒と一緒に北京に一年留学したので、ばりばりの「北京仕込み」の中国語。 転入試験を受けてあとから入ってきた俺の「台湾仕込み」の中国語とは語彙の違いもあっておもしろい。
例えば台湾では
「〜〜なだけだよ」
と言うときに、よく
「〜〜而已(〜〜あーいー)」
と言う。彼女的には北京では聞いたことがなく、
「うーん。すごく古典を読んでいるような感じがして、すごくおもしろい!!」
と言って、俺がよく使うのを面白がっている。
ジョニーはイスラエル系のイギリス人で、生まれも育ちもロンドン。 英語の発音は時々わからないけど、多分東洋人慣れしているのと(というか、東洋好き) 持ち前の人懐っこさですごく気さくな感じ。 この人広東語がけっこうしゃべれるので、目下俺の広東語の先生でもある。 実はこいつ、この前学校の前で再会した日本人の友達、是大夫(これだゆう)の知り合いだったらしく、 以前彼の家のパーティーで会ったりした。 そう言えば、このときジョニーは変な友達を連れてきていたなぁ。 その友達、自分は麻原彰晃(こんな字だったかな??)だと言って、 クンダリニーがどうとかこうとか、、、なんかおかしなやつだった。
ペッテリはフィンランド人で、実は中国語を選んだことをかなり後悔している。 日本語にすべきだったといつも言ってる。(笑 こいつは去年、中国に留学中の冬休みに、日本に船で遊びに行ってとても日本のことが好きになったらしい。 もともとマンガやアニメが好きで、変な日本語ばかり教えてくれと言っている。 最近彼が覚えた日本語はと言えば、例えば
「まずい! トイレに言って吐こうか」 「ばらばらにしてやる」 「僕は変な外人。方向音痴です」 「あの女、変。ぜんぜん駄目だ」
自分でアレンジしている日本語もあるのだけど、だいたい聞いてくる英文が、 こんなのばかりで、同じような意味のことを日本語で言うと、 3日間ぐらいは俺の前にきては同じことを繰り返して覚える。 そのくせに、日本語をしゃべるスイス人のミカエルに
「三平太は変な日本語ばかり教える」
と、いいカッコしている。 俺の逆鱗に触れたのはいうまでもない(爆
このメンツでご飯を食べに行ったり、お茶したり、ビール飲んだりなかなか楽しくやっている。 おかげで勉強ははかどらないけど、もともといい成績をとることが第一の目標ではないので、 こういう風にリラックスできる環境が出来るというのは俺にとっては願ったり叶ったり。
学校が始まって2ヶ月半たって、だいぶうちとけてきたっていう感じかな。 この調子で、後一年半無理なく勉強して卒業できたら、 また新しいものがいろいろ見えてくるだろう。将来のイメージが持てて、幸せを感じるひととき。
そうそう、ぜんぜん話は違うけど、イラクで亡くなった日本人外交官の話。 もと早稲田のラグビー部にいたらしいのだけど、インターネットで日本のテレビニュースを見たときに、彼の後輩が出て
「本当に素晴らしい人を無くして残念だ。彼はいつも『なんでも最後はハートだよ』 って言ってました。」
と言っていた。なんともクサイけど、いいなぁと思った。 こういうことをはっきり言い切れて、後輩にも信頼されるような人はやっぱりすごいと思った。
もう一つ最近俺が感動したこと。 ついに永久帰国してしまったうちのフラットメイトのさばちゃん。 俺が授業の準備がきつくて
「最近は本当に授業についていくのがつらい」
って泣き言を言ったとき、
「そうかぁ。でも、三平太は今すごいことをやってるよね。 これだけのことをやってるんだから、これをやり終えたあとは何でも出来るよね」
と、彼に返された。 なんとも勇気づけられて、徹夜明けで死にそうだったけど、しゃきっとして広東語のクラスにいくことが出来た。 都会の忙しい生活(しかも「ロンドン砂漠ー♪」)で自分を見失いそうになりがちなとき、こういうことって本当に大事だと思う。
今週の金曜日には帰国。 まだ、いくつも提出物があって、日曜日は缶詰めの予定。 いろいろと自然に力が沸いてくる。 自分が今の環境に慣れていくにしたがって、まわりや自分が変化していくのを感じる。
この一学期はいいスタートになったんだなと思った。
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