また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2004年01月30日(金) 【ほん】だからあなたも生きぬいて

大平光代 著「だから、あなたも生きぬいて」




【紀伊国屋BOOK WEB より】

だから、あなたも生きぬいて
大平 光代【著】
259p 19cm(B6)
講談社 (2000-02-22出版)
ISBN:4062100584
[B6 判] NDC分類:289.1 販売価:\1,400(税別)

著者は、中学2年のとき、いじめを苦にして自殺を図る。
その後、坂道を転げ落ちるように、非行に走る。
16歳で、「極道の妻」になり、6年間、その世界に生きる。
現在の養父・浩三郎さんに出会って、立ち直り、「猛勉強」の末に、29歳で「司法試験」に合格する。
現在、少年犯罪を担当する弁護士となって、4年たつ。
涙もいっぱいでるけど、元気もたくさんでる本です。

第1章 いじめ
第2章 自殺未遂
第3章 下り坂
第4章 どん底
第5章 転機
第6章 再出発
第7章 司法試験に向かって
第8章 難関突破
第9章 後悔


【感想】

 実はこの本、2年前に実家の母が乙武洋匡の「五体不満足」とともにロンドンに送ってきた本。なんでこんな本を2冊も送ってくるのか悪い冗談だとさえ思っていた。というわけで、当時はあまり読む気がせず、読んでもどうもすっきりしない気持ちが強かった。個人的にはこの2年間に俺の中でいろいろな変化があったせいか、今回読み直してみて前回と読み方や感じ方が全然違うのがすごく面白かった。

 さて、この人の半生はとにかく波乱に富んでいる。いじめを受け割腹自殺を図ったり、極道の妻になって背中に入れ墨を入れたり、そして最後には司法試験に受かってしまう。ま、こういう言い方をすると、やはり波乱万丈さが非常に分かりやすくてびっくりしてしまうのだが、今回読み直しての俺の感想は、なんとも微笑ましく「こんなに分かりやすくなければ、やっぱり普通の人」という感じ。宅建、司法書士、そして司法試験と次々に難関を突破していく様は、やはり普通の人とはいえないが、それでも敢えて俺は普通の人といいたい。それはどこかで俺が著者に親近感を感じているからかもしれない。もしくはなんともいえない素朴さを感じるからかもしれない。

 変な話だが、前回読んだときは、読み終えたあと「この人これで本当に幸せなのかな?」などと強く思っていた。今はそういう感覚は全然ない。今回は前回感じたような気持ちをほとんど感じることがなく、逆に感情移入もしなかった。それはすなわち、俺が勝手に著者の気持ちを「判断」をしなくなったということでもあった。単純に面白い読み物としてすらすらと読めた。こういう本について誰かとディスカッションが出来ると面白いと思うけど、それはやはり「何かから立ち直ろうと」「自分で決めた」人同士でやるのが、お互いに違う観点が見えて面白いのかもしれない。

 かなりのベストセラーになった本らしく、現在は文庫版や英訳版、CDブックなども発売されている。 


2004年01月29日(木) 北海道新幹線ーーそんなにしてまでつくりたいか??

 北海道新幹線が本気(?)でつくられようとしているらしい(笑。俺は、実は北海道をこよなく愛するという点から、ずっと建設には反対だ。ただ札幌延伸は財政事情の悪化で、平成45年度(2033年)ということらしいので、あまり心配しなくてもいいかもしれない。はっきり言ってしまうと、俺は北海道の独立性が好きで、本気で北海道は独立していいとすら思ってる。そして北海道が独立した曉には北海道国籍をなんとか取得したい(笑。

 妄想はさておき、今でも飛行機があるし、新幹線をつくったとしても時間的に飛行機には太刀打ちできない。なんか「無駄」という気もするし、やっぱりなんか気持ち悪い。まるで中国の中央政府が西蔵(チベット)自治区の省都である拉薩(ラサ)に鉄道をつなげようとしているのと同じような感じがする。北海道に7年住んで、やっぱり北海道が日本で一番住みやすいと感じる俺は、感情的に「おらが北海道に何をする!!」という感じ(笑。

 ただでさえ道内には無駄な高速道路が建設中であり、もうそういうのはやめましょうという気持ちもある。つい先ほどJR北海道が、線路と道路を両方走れる車両を開発した




というニュースを聞きつけ、検索をかけたら北海道新幹線に関する毎日新聞の記事を発見。北海道教育大函館校の助教授の寄稿記事でなかなか興味深い。

 江差線は本来廃止されてもしょうがない路線であるが、函館・木古内間を第三セクター化するということはおそらく同時に、一部の特急列車(北斗星、スターライト・エクスプレスなど)をのぞき在来線における青森函館間の海峡線の普通列車も廃止するということになるだろう。東北本線や、鹿児島本線の一部区間など、新幹線をつくるために在来線を廃止して第三セクター化するのがはやりだが、どうもなー。東京行くには飛行機があるし、盛岡・仙台と函館間に多くの旅客需要があるとも思えない。

 今となっては青函トンネルも必要だったのかどうか、、、。(明らかに必要なかった!?)もうこれ以上さわらんといて下さい!!(笑


 以下毎日新聞の記事 


「道南に壊滅的打撃」
−−北海道教育大函館校助教授・田村伊知朗氏が警告 /北海道

 ◇「北海道新幹線、新函館駅建設と、それによる北海道の地域社会の衰退」−−本社に論文寄稿

 北海道新幹線の建設問題で、北海道教育大函館校の田村伊知朗助教授(45)=政治学=が論文「北海道新幹線、新函館駅建設と、それによる北海道の地域社会の衰退」を毎日新聞に寄せた。函館市を素通りする新函館駅の位置と在来線の廃止を疑問視。新駅を建設する前に、単線のJR木古内―函館間を複線化し函館を新幹線に結びつけることを提起している。論文(要約)は次の通り。
 道庁と各自治体は新青森駅と新函館駅との同時開業を目指すが、地域社会の発展という観点からは問題だ。新幹線によって道南の地域社会は壊滅的打撃をこうむる。地方自治体が地域社会の衰退を積極的に推進しようとしている。

 ◇函館市「素通り」
 第一の問題が新駅の場所だ。名称は新函館駅だが、予定地は渡島管内大野町。北海道最古の歴史を誇る都市が新幹線網から除外されようとしている。背景には、「札幌と東京をいかに早く新幹線によって結合するか」という思想がある。
 新幹線は全国の主要都市の鉄道網による結合が目的だ。例えば、東海道新幹線は大阪と東京を最短で結ぶなら伝統的都市の京都を経由する必要はない。この例に照らせば、新函館駅を大野町に建設することは、名古屋と大阪を直線で結び、奈良県の生駒山中に新京都駅を建設することに等しい。京都は名前が残るだけで、実質的に新幹線と無関係になる。
 国家財政、道財政の赤字から、新幹線の札幌までの延伸は2033(平成45)年度と言われる。新函館駅は札幌と東京との速達性ではなく、地域社会の均等的発展の観点から議論されるべきである。新函館駅は現在の函館駅周辺に延伸(う回)し、大野駅を経て札幌へ延伸すべきだ。

 ◇在来線存続を
 次の問題は在来線の廃止だ。青函トンネルの出発駅・木古内と函館を結ぶ江差線、函館本線が廃止されようとしている。第三セクター化された鉄道は地域社会の衰退をもたらし、将来は三セク廃止も議論されるだろう(三セクの北海道ちほく高原鉄道は廃止の危機にある)。江差線はJR北海道が維持すべきである。

 ◇江差線を複線に
 この問題を解決するため、新函館駅開業が困難な場合、木古内と函館とを結ぶ江差線の複線化を提言したい。
 木古内と新函館駅を結ぶ費用を、在来線の複線化に転用すると財政負担が軽減、将来の三セクによる衰退にも一定の歯止めができ、将来の新幹線建設にも問題はないであろう。また、新青森駅開業と同時に新幹線を木古内まで延ばしたい。これだと新規の財政負担はほとんどないのだから。(毎日新聞)


2004年01月28日(水) ロンドンは雪化粧

 寒波到来!! ロンドンはここ最近急速に冷え込んで、今日朝方から断続的に雪が降る天気に。夕方にはかなりの量が降って、期せずして街は一面の銀世界に。葉っぱを落とした木々も枯れ木残らず花が咲いて美しい。空気は澄みきっているし、北海道を思いだす。

 積もったぼた雪は地面で半分溶けて凍るという感じで、街中では自動車がスリップしている。ところによっては路面が凍結して、今日自転車で学校に行った俺は、自転車に乗って家に帰らねばならず、はじめて運転する凍結した道は少し怖かった。(だって、自転車を学校に置いておくと絶対とられてしまうから)。

 しかし、雪はいいもんだ。心が洗われるようだ。街の人たちもはしゃいでいて、特にどんよりとして暗〜い冬のロンドンにいい。週一ぐらいで雪が降ってくれるといいんだけど、、、。そして近くにスキー場もあるといいなぁ、、、。

 雪が降って気分がいいせいか、家に帰ると、なぜかお料理モードに。今夜はなんとなく勢いで3品つくってしまう。

 <今夜の献立>
 クリームシチュー
 カボチャの煮付け
 マーボ茄子
 玄米黒米入りご飯

でき上がったときにはくたびれて、食欲が無くなっていた(ありがち)。


2004年01月27日(火) What do you expect in China?

 うちの中国語作文の宋先生が翻訳の授業中にいった。「君たちみんな中国に一年留学したんでしょう? いまさら中国になんのサービスを期待してるんですか?」。これは「中国の税関で引き止められたイギリス人」がいろいろと釈明をするという場面で、中国語の通訳の授業中に出てきた発言。うーん、辛辣な一言。生徒たちも思わず大笑い。返答に困る。

 これ以降、俺自身の中でも何かがはじけた。What are you expecting in Britain?イギリスに何を期待しているのか? 中国にはそんなに期待しない俺が、今更ナイーブに何をイギリスに期待しているのか? よくよく冷静に考えてみればおかしな話である。

 「幻想」というものはなかなか壊れにくい。しかも壊れるときには一定の痛みを伴う。だから我々はたとえどこかで気付いたにせよ、幻想を壊すことをためらう。ま、そうはいっても世の中全てを好き嫌いの話に還元してしまう人もいるようで、「食べ物の趣味がよく変わる」 という程度にすべてのことを好き嫌いで一貫させられるのはお見事というほかない。それぐらいの柔軟性が海外では求められるのかもしれない。

 「いかに幻想を壊すか」ではなく、「いかに作り上げるか」なのかもしれない。アメリカや中国、そしてその国民を代表に世界各国の人々をみているとそういう気がしてくる。


2004年01月26日(月) 古賀議員の学歴詐称疑惑に思う

 福岡選出の民主党古賀議員の、いわゆる「学歴詐称疑惑」の報道を見ていて少し複雑な気持ち。実際、留学中の彼にどういうことがあって、それがどういう意味を持つのか知る由もないことだが、海外留学というのは、華やかな表向きとは反対に、一般的に実は結構暗い部分もあるからだ。

 もちろん今俺が言っていることは古賀議員とはいっさい関係がないが、いろいろ思ってしまう。

 日本人はまだまだ西洋に対する憧憬が強く、どうしてもひいき目に考えがちだ。そう言う国に留学に行く人間は、日本に帰って来て日本人と接触し、コミュニケーションをとる際に、基本的にはその国での生活、人々、文化などなどに対するの批判的な意見(=文句)を言ってはいけないことになっている(笑。

 こういう言い方は、いささか被害妄想的な響きを持ってしまうが、要はあまり歓迎されないということ。西洋に対するネガティブなイメージはみんな欲していないということだろう。それはあたかも「欧米に留学」という文言が、自分の経歴として「使える」のだという事と対をなしているかのようだ。

 もちろん欧米の話に限らず、あまり明るくない話題は話していて楽しいものではない。いわんや、同じ経験をしていない人には当然である。そう言うのもあって、今年の目標にロンドンのいいとこ探しを選んだわけだが、この年頭の抱負、なかなか今の生活の中でよく機能している。


 ただ、やはり思うのは、海外生活というのはどうしても思い掛けないことが起こってしまうのだ。それは常識で考えてどうしても起こりえないことが起こってしまうということでもある。例えば、あなたはイギリスに留学して大学院に入学した、あなたはよく勉強して修士論文を書き上げた。しかし、あなたの担当教授はどうしたわけかあなたの論文を落としてしまう。そして理由は説明されない。ほかの有名大学の先生に見せると問題のない論文だという。ただあなたの担当教授はマークをくれない。

 俺はこういう人に対して「君の努力が足りなかったからだ」とは決していえない。「なんでか?」という問いかけは、この理不尽きわまりない状況のもと、当事者である本人でさえそれを知りえないという事実の前にはなはだむなしく響く。敢えていうとすれば外交的、政治的戦略が不十分であったということか、いや、そんなことはどうでもいい。俺はただ、自分もそういうような状況に遭遇しうるというリアリティーがある。そしてその状態の中にいる時は不可避なことのように思えてしまう。本当にhelplessな感覚、どうしようもない無力さを自分に感じる。しかしその行き止まりを受け入れ、乗り越えていこうとするときにはもう、海外留学で得られるタフさが自分のものになりつつあるかもしれない。

 
 人は海外留学をすれば光り輝けるのではない。有名大学を出ていい企業に入れば光り輝けるのではない。どんな状況であっても、自分の可能性を信じ、自分の中から自然とわいてくる主旋律に耳を傾け、その時その時を自分として生きていくことで光り輝く。俺はこのくすんだ町ロンドンで精いっぱい光り輝いていたい。


2004年01月24日(土) ナチュラル・ハイの神髄

 今日は久しぶりにクラブに行って踊ってきた。むかしはどこに行ってもそれなりにも楽しかったけど、今はやや飽き気味。音楽や雰囲気、客層など、いろいろと自分の好みもはっきりしてくるし、なにより朝まで踊り続けるというのを毎週末やるのはやはり不健康だと思いはじめた。

 もちろん、毎週朝まで踊る必要はないわけで、勉強の息抜きにたまに友達たちと踊るのは楽しいことだ。ただ、ロンドンのクラブにはたいてい明け方になるまで踊り続けている一群がいて、むかしは「よく体力もつよなぁー」などと呑気に思っていたのだけど、こういう人たちはだいたいドラッグをやっているらしい(笑)。

 気分を外的な刺激によって変えてしまうクスリはいちおう非合法ではあるが、身体が合う人にはいい気分転換になるらしい。自分の身体の限度を知らずにとりすぎたり、過度に依存して日常生活に支障を来したりするのは困るが、うまくコントロールしている人たちにとっては一種の嗜好品という感じ。日本のような「おー、覚せい剤」というような感覚はない。ただ俺自身はどうも身体に合わないようなのでいっさいやらないことにしている。

 クラブによっては来ている人の「9割以上がやってるんじゃないの」(もちろん実際やってる人の割合は不明(笑)というところもあって、それはそれで俺はびっくりするのだけど、とくに最近は限りない自己肯定のせいで、そういうところでもドラッグなしでキメまくっている(笑)。そう、ナチュラル・ハイだ!!

 今日いったクラブは観光客も多く、そんなにみんながドラッグやっているとは思わないけど(もちろん実際は不明(笑)、やっているとおぼしき人たちから「すごくキマリまくっているようにみえる」といわれてしまった。というか、そいつら曰く「キマリ過ぎて、いっちゃってる人のように見える」らしい(笑)。そういえば、去年もとあるクラブでそういう経験があって「なんのクスリやってるの」みたいなことを聞かれ「なにもやってないよー」というと「えー、ほんとに?? うそ?」という答えが返って来たことがあった。そういう時は、こういう会話が出来ている自分がすごく好きになれる瞬間でもある。あ、そういえば、海外にでる前にも東京で、とある日本の友達と会ったときにいきなり「三平太君、今日はなにかやってキマってるの」と言われてとまどったこともあるな。うーん、おもしろい。

 そういうふうにいわれる理由は、どうも俺の瞳が大きいせいではないかと思うのだが、どうなのだろう。ま、ナチュラル・ハイは気持ちいい。本当にキマっている瞬間は見える風景も景色も変わって感じる。ただそういう感覚はクスリをやっている人ほどは長続きはしないし、疲れたらちゃんと休まないといけない(ふつうそれが当たり前なのだけど、、、)。

 すごくむかしある友達に「クスリが身体に合う人たちはいいなぁ。面白そうだなぁ」と言ったら「三平太は常にポジティブな気を出しているからやらなくてもいいんだよ」って言われて、すごくうれしかった記憶がある。そういうふうに言ってくれた彼のおかげもあって、今の俺の「無前提な自己肯定=ナチュラル・ハイ」があるわけだ。もしかして多くの人がクスリをやっているところだからこそ、この環境が自己肯定感をためしてみやすいのかもしれない。常にハイ過ぎるのはこまるが、自分がある種の自己肯定感に包まれている時間を、日常生活においてももっと多くもちたいと思っている。こういう風に思うことが出来るのもロンドンで学生をしているからこそだろうか。あと少ない学生生活だけど、この貴重な機会、いろんなものを見て、感じて、それをありのままに受け入れ、そして出来るだけ多くのことを吸収して自分を成長させたいと思っている。 


2004年01月23日(金) 変わりゆくという感覚

 どうも最近自分の感覚に慣れなく感じる。「自分の感覚になれない」というのも変だけど、実は、最近いろいろ取り組んできることの成果が現れてきているのではないかと、すごく喜んでいる。

 例えば、毎日運動することによって、体調が変わり、考え方が変わっていく。ちゃんと自炊することにより、栄養のバランスがとれ、夜にひもじく心細い気分になることもなくなり、からだの調子も良くなる。急激な変化は、やはりよろしくないので、疲れたら多めに休息するようにして、割り切って学校を休んだりすることによって、気持ちの切り替えが早くなる。などなど、基本的にはいいサイクルが形作られようとしている感じで、満足している。

 ただ、やっぱりちょっと慣れないな(笑。 しかも一人で取り組むというのは結構チャレンジでもある。自分の家族がより大事になってくるなと思う瞬間でもある。


2004年01月22日(木) 【映画】カジュアリティーズ  CASUALTIES OF WAR

この映画も、イギリスのテレビで見るの2回目。チャンネル5にて。同時にチャンネル4では同じマイケル・J.フォックス主演の「ドク・ハリウッド」(DOC HOLLYWOOD)をやっていた。この映画も見たことあったなぁ。で、二つの映画を行ったり来たりしていた。




【allcinema ONLINE より】

カジュアリティーズ (1989)
CASUALTIES OF WAR
上映時間 114 分
製作国 アメリカ
公開情報 COLTRI
初公開年月 1990/02
ジャンル ドラマ/戦争

《公開時コピー》ただひとり。 少女を守るため−−−仲間すべてを“敵”にしたアメリカ兵!名匠デ・パルマが挑む!あの戦争が生んだ「衝撃の事件」!

監督: ブライアン・デ・パルマ Brian De Palma
製作: アート・リンソン Art Linson
原作: ダニエル・ラング
脚本: デヴィッド・リーブ
撮影: スティーヴン・H・ブラム Stephen H. Burum
特殊効果: キット・ウェスト Kit West
音楽: エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone
出演: マイケル・J・フォックス Michael J.Fox
ショーン・ペン Sean Penn
ドン・ハーヴェイ Don Harvey
ジョン・C・ライリー John C. Reilly
ジョン・レグイザモ John Leguizamo
テュイ・テュー・リー
エリック・キング Eric King
サム・ロバーズ Sam Robards
デイル・ダイ Dale Dye
ヴィング・レームズ Ving Rhames
ドナル・ギブソン Donal Gibson

 偵察行軍にあたった5人の兵士。彼らはベトナム人少女を誘拐した上で強姦に及ぶが、ただ一人新兵だけが仲間に加わらなかった。交戦の中で少女は殺され、新兵は事の次第を上官に告げるが……。ベトナム戦争当時、実際に起きた事件を映画化したもので一種の秘話物といえるが、それ以上何かを伝えている作品とは言い難い。戦争の悲惨さを訴える、単に良く出来た再現物の域を出ておらず、デ・パルマとしては凡作の部類。軍曹のペンと新兵のフォックスも顔合わせはユニークだが、キャスティングとしてはどちらも適役すぎて面白味に欠ける。


【感想】

 上記の批評はともかくとして、なんか、「何も感じたくない」という感じの映画。ネットで見てはじめてわかったけど、上記の「公開時コピー」は気持ち悪すぎる。

 ま、、内容はさておき、この映画の後半で、意識を失い戦場から救出されたマイケル・J・フォックスは、自分がこのレイプ事件を止められず、最終的に女性を死なせてしまったことで自分を責め、この事件を告発していくことになる。このことにずっとこだわり続ける彼の姿を見ながら、「どうして人はその場にとどまろうとするのか」考えた。考えとか、人のアイデンティティーとかいうものは一体どのように構成されるのだろうか。

 「とどまる必要があるからとどまるのだろうな」などとも言えるのだけど、「とどまらなくていいではないか」という気もしたりして、ま、最終的にはそれは今の自分の気分でしかないのかなと思ったりした。

 つまり、俺は昔ならば、この映画の主人公が後半部でとるような思考の流れや行動、そして感情を、どちらかというと親近感を持ってながめていたと思うのだが、今回はどうも違う。逆に「もうそういうのはやめにしましょう」見たいな気分の方が強くなっているらしい。なんといっても自分はそういう危険な状態に身を置いていないし、逆に、意識的に極力そういう状況を避けているわけだ。そういう今の俺の意志にどこかで対立するのだろうか。あと、最後のシーン、主人公がサンフランシスコの市電から降り、ある女性が車内に忘れたスカーフを渡しにに追いかけて行く場面は、印象的なのだが、俺はその画面に大きく映し出される主人公の顔の中に「そこに立ち止まっていたい感覚」を感じた。なんでだろう? またそのシーンがきれいにまとまリ過ぎているのも気になった。とってつけたような印象。そういう映画だったなぁ。


2004年01月18日(日) 植物くんたち

昨日の土曜日はうちの学校SOASのとなりのIOE(Institute Of Education)の図書館で勉強。うちの学校の図書館は土曜日は5時まで、日曜日は閉館というお粗末さで、高い学費を払っている外国人的にはまったく割に合わない。勉強する権利を保障されていないと強く感じる。となりのIOEは土曜日は8時まで、日曜日も5時まで開いている。しかし、以前SOASに通っていて、今はトルコに行って日本語教師をやっている友達曰く「SOAS貧乏だからなぁ」。彼によるとSOASはほんとに財政的に厳しいらしく、とくに図書館は新刊本が購入できないと司書がぼやいていたらしい。おりしも外国人の学費を多分これ以上値上げできなくなった政府が、イギリス人の学費まで大幅に値上げしようとしている。イラクへの派兵の出費がかさんでいるのかなんなのか知らないが、自国民の学費という聖域にまで踏み込むとは、、、。もし俺がイギリス人だったら、教育にかなりの問題があるこの国の状況をさらに悪くして行きそうなブレア首相を支持しないだろう。

さて、勉強を終えておなかがへったので、何かを食べに。昨日はどうしてもチキンバーガーとフライドポテトが食べたくなって、学校の近くの店に入る。ふつうはバーガーなど食べたくないのだけど、たまにこういう気分になることがある。だけど、やっぱり入ったところはおいしくなく、五分の一ほど残してしまう。最近はやっぱり自分で作る料理が一番うまいと思う。

その後玉子を買いにラッセル・スクウェアのセーフウェーに。今日はなかなかいい植物くんたちの鉢植えが並んでいて、玉子とツナ缶を買った以外はすべて植木という買い物になってしまった。ユッカとばらが二鉢、そしてコニファーにほかの二種類の植物が組み合わされた「コニファーセット」の合計四鉢。部屋に置くとほのかに水を含んだ土の香りがする。

人間はどんなに鬱状態でも、動物と植物の世話をした記憶だけはなくさないという話を聞いたことがある。とくに冬のイギリスでは動物を飼ったり、植物の世話をするのがいいかもしれない。


2004年01月17日(土) ロンドンのいいところ

今年の抱負のひとつはロンドンのいいところを見つけることだ。で、ずっと考えているのだけど、今日地下鉄の車内で乗客達を見回して、ふと思ったこと。それはロンドンというところがなんとも「雑多である」ということだ。その雑多さは人種や民族という単純な枠にはおさまらず、「社会階級」や「文化階層」など、そして最終的にはその人やその家族のもつ習慣に応じてさまざまな多様性を見せる。

断っておくが、実はこのような「多様性」がロンドンのいいところだといいたいわけではない。俺個人としては、どちらかというと、正直、居心地が悪い。しかし、今日思ったのは、これだけの人々がみんな我がちに行動している巨大な国際都市ロンドンでは、常に自分がためされるということだ。日本に帰っていたとき、「社会に流される」という言葉を良く耳にした。もちろん多くの人が否定的な意味あいで使っている。しかし、逆に言うならば日本は社会に流されてしまうことが出来る環境ということだ。

秩序や安定という意味では、日本的な環境とこのカオス的なロンドンとを比べるベくもない。ロンドンでは非常に高いエントロピーを感じる。ではロンドンで流されるとはどういうことなのか、俺個人にとって言うならば、それは「堕落していく」ということだ。日本であれロンドンであれ、社会に流され埋没していくというプロセスには、もちろんある程度の類似点があるに違いないが、俺にとっては日本社会の中で自己主張することには慣れていても、皆が特別意味もなく、当たり前に自己主張している環境の中で、自己を埋没させないようにさせることはけっこうややこしい。自分は何者なのかという問いが常に突きつけられるような感覚がある。だからはっきりとした自分の行動原理が必要になってくる。はっきりとした行動原理とはどういうことか、現実的には「無前提な自己肯定」である(笑。

言うのは簡単だが、これは意外と難しい。ロンドンは無前提に自己肯定できない人であふれている。地下鉄の乗ると一目瞭然だ。天気が悪い日が何日も続くと、この人たちが自分と無関係ではないという気がしてくる。そういうときに、まわりの迷惑を気にせず、エスカレーターの前でたむろして通路を塞ぎ、大声でおしゃべりしているラテン系の観光客が目に入ると、もっと人生楽しく生きるべきか複雑な気持ちになったりもする。そして「ロンドンだなぁー」と思うのだ。

かのスペイン語圏から来た旅行者たちのように無前提に自己を肯定するかどうかはさておき、海外生活5年目、ロンドン生活3年をすぎ、世界の中にある自分という存在の意味を、じわじわと受け入れざるを得なくなってきている。そういうことを考えたり、乗り越えていくにはロンドンというところは素晴らしいところかもしれない。このロンドンで手に入れることになる大きな財産を、将来、きっと懐かしく思い出す日が来るのだろう。


2004年01月16日(金) 【映画】氷の微笑  BASIC INSTINCT

この映画、途中で「昔見たことあるような、、、」と言う気がしてきたにも関わらず、また最後まで見てしまった。んー。って言うか覚えてなかったみたい。最後まで見てやっと思い出したって感じ。んー、また見せられた感じで、何か悔しいなぁ。

【allcinema ONLINE より】

氷の微笑 (1992)
BASIC INSTINCT
上映時間 128 分
製作国 アメリカ
公開情報 パイオニアLDC=ヘラルド提供/ヘラルド
初公開年月 1992/06
ジャンル サスペンス/ミステリー
《公開時コピー》そのとき、女は 美しい凶器。

監督: ポール・ヴァーホーヴェン Paul Verhoeven
製作: アラン・マーシャル Alan Marshall
製作総指揮: マリオ・カサール Mario Kassar
脚本: ジョー・エスターハス Joe Eszterhas
撮影: ヤン・デ・ボン Jan de Bont
特殊メイク: ロブ・ボッティン Rob Bottin
美術: テレンス・マーシュ Terence Marsh
音楽: ジェリー・ゴールドスミス Jerry Goldsmith 
出演: マイケル・ダグラス Michael Douglas
シャロン・ストーン Sharon Stone
ジョージ・ズンザ George Dzundza
ジーン・トリプルホーン Jeanne Tripplehorn
レイラニ・サレル Leilani Sarelle
ドロシー・マローン Dorothy Malone
ウェイン・ナイト Wayne Knight

 アイスピック殺人事件の捜査線上に浮び上がった女性作家。事件を捜査する刑事は次第に、容疑者の妖しい魅力のとりこになっていく。やがて彼自身に殺人容疑がかかってしまうが……。観終わっても犯人がよく判らないとか、シャロン・ストーンのヘアが見えたとか、映画自体の魅力から離れたところで話題を呼んで大ヒットしたエロティック・スリラー。それさえなければどうって事ない作品である。

【感想】

上記の「解説」、解説にしては主観的で「それさえなければどうって事ない作品である。」などと言っているが、そうなのかもしれないなという気がする。何か、はっきり言って「人をだましてないか??この映画」。要は見終わってもどうもすっきりしないのだ。シャロン・ストーンの股間にも、特別興味のない俺にとっては、最後のシーンで、ベッドの下にアイスピックがあるのを見たりすると、本当にすっきりしない。で、俺の最終的結論は「すっきりするはずがない。だってこの映画駄作だから」。何かそれっぽい雰囲気で観客をだましてしまうという手法は、それはそれとして評価できるのかもしれないが、やはりどうってことない作品なのだろう。自分がだまされてしまったのが、ただただ悔しいという映画。そういう意味でも非常につまらない。うーん、なんだ。この気持ちのもって行き場のない感覚は!! 誰かこの映画を面白く解釈できる人いないかな???


2004年01月15日(木) 【映画】オーディション

これは去年の年末に、イギリスのテレビでやっていたもの。イギリスで最近テレビでやる日本映画といえば、「リング」など、この手のモノがよく目につく。ほかのものもやっているのかもしれないが、、、。北野たけしの映画がこっちでは結構受けているせいか、自称「日本映画好き」のイギリス人に「どうして日本映画はこんな暴力的で残酷なものばかりなのか?」と質問された。イギリスでどんな日本映画が多く公開されているかがわかる一言。


【allcinema ONLINE より】

オーディション (2000)
上映時間 115 分
製作国 日本
公開情報 アートポート
初公開年月 2000/03/03
ジャンル サスペンス
《公開時コピー》
キリキリキリ …… 恐いでしょう?
キリキリキリ …… 痛いでしょう?

監督: 三池崇史
製作: 福島聡司
    陶山明美
製作総指揮: 横浜豊行
原作: 村上龍  ぶんか社刊
脚本: 天願大介
撮影: 山本英夫
美術: 尾関龍生
音楽: 遠藤浩二
出演: 石橋凌 Ishibashi Ryo
    椎名英姫
    國村隼
    松田美由紀
    大杉漣

 月刊誌「ペントハウス・ジャパン」に連載された村上龍の原作を、今や日本映画界の救世主的存在である三池崇史が監督したサイコ・スリラー。ビデオ制作会社を経営している青山は7年前に妻を亡くし、一人息子の重彦と寂しい日々を過ごしていた。そんなある日、青山の身の上を案じた友人の吉川は青山にとんでもない提案をする。それは映画制作と称したオーディションを開催し、その中から再婚相手を探せというものだった。そして4000通もの応募の中から選んだ女性、麻美に加速度的に魅了されていく青山。しかし彼女の愛は余りにも真っ直ぐで完全なものだった……。


【感想】

 うーん。痛いねぇ。印象的なのは針を差し込んでいく時に麻美が言う「キリキリキリ」という言葉を「deeper」と英訳しているところ。上記の解説には三上監督をして「日本映画界の救世主」としているが、どうなんでしょうか? 俺的にはただの痛い映画で、脚本的にも新鮮味や面白さはあまり感じなかった。原作は読んでいないのでわからないが、村上龍はこの程度か、、、という感じがした。もちろん「りんぐ」「らせん」の原作を読んだあと映画を見て何も感じなかった経験があるので、ここで村上龍に言及するべきではないのだが、、、。

 やっぱりこういう最近の日本のホラー映画って、どうしても地に足がついてない感じがしてしまう。「りんぐ」「らせん」の原作は、俺は日本の「文学作品」として高く評価している。原作の時点では「地に足がついて」おり、作者の意図が鮮烈に表現されているのに、映画化された時点でどうも「根無し草」になっているような感じを受ける。浅く感じてしまうのだ。映像作家達が何を考えて表現しているのかが見えてこない。映像的なエキセントリックさのみが強調されて、内容のないハリウッド映画同様の印象を受ける。もしかしてそれが彼らの表現なのだろうか? アイデンティティー自体が宙ぶらりんになっているから、彼らによって映像化された作品を見てがっかりしてしまうのか?

 例えば、俺はどちらかというと、昔の角川映画「犬神家の一族」や「八つ墓村」のようなどしっとした「安定感」がほしい。そうじゃなければ見ていて安心できない。ホラー映画を見るのに安心というと変だけど、要は中に引き込まれていかないということだ。「犬神家の一族」が「オーメン」などと同様にぐいぐいと引き込まれていくA級ホラー作品とするなら、「りんぐ」「オーディション」は「湯殿山麓呪い村」同様にB級でつまらない(言い過ぎ??)。B級C級ホラー好きにはたまらないかもしれない。


2004年01月14日(水) 【映画】ボーデロ・オブ・ブラッド/血まみれの売春宿

【オールシネマ・オンラインより】 

ボーデロ・オブ・ブラッド/血まみれの売春宿(1995)
TALES FROM THE CRYPT PRESENTS: BORDELLO OF BLOOD
ボーデロ・オブ・ブラッド/吸血美女の館(JSB)
メディア 映画
上映時間 86 分
製作国 アメリカ
公開情報 劇場未公開・ビデオ発売
ジャンル ホラー

監督: ギルバート・アドラー Gilbert Adler
製作: ギルバート・アドラー Gilbert Adler
製作総指揮: ロバート・ゼメキス Robert Zemeckis
       リチャード・ドナー Richard Donner
       ウォルター・ヒル Walter Hill
       ジョエル・シルヴァー Joel Silver
原案: ボブ・ゲイル Bob Gale
    ロバート・ゼメキス Robert Zemeckis
脚本: ギルバート・アドラー Gilbert Adler
    A・L・カッツ A.L. Katz
撮影: トム・プリーストリー Tom Priestley
出演: デニス・ミラー Dennis Miller
    エリカ・エレニアック Erika Eleniak
    アンジー・エヴァーハート Angie Everhart
    クリス・サランドン Chris Sarandon
    コリー・フェルドマン Corey Feldman
    オーブリー・モリス Aubrey Morris
    フィル・フォンダカーロ Phil Fondacaro
    ウィリアム・サドラー William Sadler
    キアラ・ハンター Ciara Hunter
    レスリー・アン・フィリップス
    ジュリエット・リーグ
    ジョン・カッサー John Kassir
    ロビン・ダグラス Robyn Douglass
カメオ出演: ウーピー・ゴールドバーグ Whoopi Goldberg

 「デーモン・ナイト」に続く、TV「テイルズ・フロム・ザ・クリプト」の劇場版第2弾。今回は現代に甦ったセクシーかつパワフルな女吸血鬼リリスの恐怖を描く。
 行方不明になった不良の弟カレブ(C・フェルルドマン)を探す姉キャサリン(E・エレニアック)は私立探偵レイフ(D・ミラー)に捜査を依頼。レイフはカレブとその悪友が、葬儀屋の地下で営まれている裏の売春宿で消息を絶った事を突き止める。だがその売春宿を経営しているのは、心臓を4つに切り裂かれない限り決して死ぬ事のない女吸血鬼リリス(A・エヴァーハート)だった。売春宿を訪れた客たちは次々と女吸血鬼たちの毒牙にかかっていたのだ。しかもリリスは、キャサリンが務める新興宗教団体とも関係しており、いずれは人間を支配しようと企んでいる。警察に取り合ってもらえないキャサリンとレイフは、葬儀屋の地下に潜入するのだが……。
 スピーディな展開で圧倒的な面白さを見せつけた「デーモン・ナイト」に比べると多少見劣りはするものの、ホラー映画としては及第点をキープ。ヒロインのエレニアック、リリス役のエヴァーハートをはじめ、美女がけっこう目白押しでH度は十二分。


【感想】

なるほどねー。半分以上はお色気で売っているわけですね。道理で俺は何にも感じないはずだ。しかし、今も昔もついつい最後まで見てしまうのが深夜映画。この映画、なんということはない80年代っぽいホラー映画。ただ制作総指揮の人たちの顔触れは有名人ぞろいのよう。俺の大好きな
「オーメン」のリチャード・ドナーとか。こういう映画監督達が資金調達するためにこずかい稼ぎ的にやってるのか、それとも、こういうノリが好きな人たちなのか、、、。まあでも、なんか、エロ好きな人か、映画オタクな人が「うんちく」をたれそうな映画で、俺は特別コメントすることはありません(笑。中学生の時とかに夜更かしして見る感じ。そういう懐かしさを感じるけど、まぁ、そんな映画でした。


2004年01月13日(火) 【映画】交渉人 THE NEGOTIATOR

【オールシネマ・オンラインより】

交渉人 (1998) THE NEGOTIATOR
メディア 映画 
上映時間 139 分
製作国 アメリカ 
公開情報 ワーナー
初公開年月 1999/06 
ジャンル サスペンス

監督: F・ゲイリー・グレイ F. Gary Gray
製作: デヴィッド・ホバーマン David Hoberman
    アーノン・ミルチャン Arnon Milchan
脚本: ジェームズ・デモナコ James DeMonaco
    ケヴィン・フォックス
撮影: ラッセル・カーペンター Russell Carpenter
音楽: グレーム・レヴェル Graeme Revell
 
出演: サミュエル・L・ジャクソン Samuel L. Jackson
    ケヴィン・スペイシー Kevin Spacey
    デヴィッド・モース David Morse
    ロン・リフキン Ron Rifkin
    ジョン・スペンサー John Spencer
    J・T・ウォルシュ J.T. Walsh
    シオバン・ファロン Siobhan Fallon
    レジーナ・テイラー Regina Taylor
    ポール・ジアマッティ Paul Giamatti

 ダニー・ローマンは、シカゴ警察東地区で抜群の腕を持つ人質事件の交渉人。だが年金にからむ汚職と殺人の濡れ衣を着せられたローマンは、内務捜査局のオフィスに乗り込んだ挙句、捜査局員を人質に篭城してしまう。これまでの経験から人質篭城に関してノウハウを知っているローマンは、西地区の凄腕交渉人クリス・セイビアンを窓口役として逆指名する。ローマンの要求はただひとつ、真犯人を探し出せということだった。


【感想】

チャンネル・ファイブでやっていた映画。最近本当にテレビで映画を見ることが最大の娯楽と化している。夕ご飯を食べながら見た。なかなかいい娯楽作品だと思う。クリス・セイビアン役の人はケビン・スペイシーで、この前見た「ペイ・フォワード」で主人公の男の子の先生役をしていた人だった。この人結構有名な俳優なんですね(笑。「LAコンフィデンシャル」や「セブン」にも出ていたらしいが記憶にないなぁ。でも、なかなかいい役者なんじゃないかなと思っている。実はいつも通り途中から見始めたのだけど、そんなに遅くなかったようで、ちょうどダニーが人質をとって立てこもるあたりから見始めた。実際こんなふうにはいかないだろうというアメリカ映画的なつくりで、結構お決まりの結末だったりするけど、嫌いじゃないなぁ。インテリジェント系内部告発モノ。アメリカ的ジャスティス大作。アメリカを襲うテロリスト達もこういう風にかっこよく描いてほしい。


2004年01月12日(月) 【ほん】アダルトチルドレン・シンドローム

アダルトチルドレン・シンドローム
自己発見と回復のためのステップ
[原書名:The ADULT CHILDREN OF ALCOHOLICS SYNDROME : 〈Kritsberg, Wayne〉 ]




【IFF オンライン・ブックサービス 心の本棚より】

著者名:W・クリッツバーグ
斎藤 学監訳
白根伊登恵訳
出版社名:金剛出版
定価(本体): 2000円
出版年:1998年4月30日

「アダルトチルドレン(AC)は回復はできる。ただし、回復とはいちどきに起こる出来事ではなく、今日一日の積み重ねであるプロセスなのだ」−一米国のセラピストでアダルトチルドレンの治療にあたってきたクリッツバーグが、AC本人とその治療者に向けて書いた本書は、ACのリカバリームーブメントの中で、基本的文献のひとつに数えられている。
 本書では、「慢性ショック」や「見捨てられ体験」などをキーワードにACがいかにして育っていくのかを解説し、そのうえでACからの回復のプロセスを明示する。彼が長年の経験から導き出した治療法「家族統合法」(Family lntegration System=FIS)は、治療の進め方を具体的に示したもので、だれにでも実践できるものとなっている。
 12のステップからなるFISは、家系図や家族状況表、自己肯定訓練などを通し、自分の周囲の考察からはじめ、ついで自己へ、自己の中に眠る子どもの部分へと視野を移していく「自己発見」の治療法であり、「自己発見」を経て、順次「回復」が進んでいく。
 AC概念の紹介や解説ばかりに追われている類書が多い中で、本書は一番必要な治療法について具体的に詳述しており、アルコール依存症の家族で育ったアダルトチルドレンだけでなく、機能不全家庭で育ったトラウマ・サバイバーたちにも、本書は間違いなく有効となる。また、治療者にとっても臨床実践の場面で大いに役に立つものであろう。

内容

今日一日
はじめに
■第一部 発見
第一章 アルコール問題家族の四つのタイプ
第二章 アルコール問題家族の四つのルール
第三章 家族の役割
第四章 アルコール問題家族と健康家族
第五章 見拾てられ体験
第六章 アダルトチルドレンの特徴
第七章 慣性ショック

■第二部 回復−−家族統合法
第八章 回復のプロセス
第九章 家族統合法
第十章 日々の記録
第十一章 家系図
第十二章 家族状況表
第十三章 家族の神話
第十四章 生い立ち
第十五章 魔法の子供
第十六章 家族の成員
第十七章 家族以外の重要な人々
第十八章 自己肯定訓練(アフアメーション)
第十九章 神についての考察
第二十章 統合

さいごに
監訳者のあとがき


【俺の感想】

正月二日、東京からロンドンに帰ってくる飛行機の上で読んだ本。斎藤学氏はIFFのホームページ上のインタビューで(http://www.iff.co.jp/frame/ssworld.html ここの一番下のボタンから「インタビュー」へ飛ぶ)この本はハウツー本としてすごくいい本で練習するのにいいから早く訳したと言っている。そして、どうして患者がみんなこの本を使わないのかとも言っているのだが、俺は正直言わせてもらうと、それはやはり、当の患者が「取っつきにくい」からではないかと思う。つまりこの本は、原本がアメリカで出版されており、「アルコール問題家庭」を基本にした書き方がされているため、いくらすべての機能不全家庭出身者がリハビリをしていく為のプロセスとして、非常によい内容を提示していても、斎藤氏が「体質の違いもあって、日本にはアメリカほどアルコール依存は蔓延していない」ため「日本では事情がすこし違う」と言っているように、必ずしもアルコール依存家庭出身でない日本の患者は、この本に対して、やはりどこかで心理的に距離を感じてしまうのではないかと思う。

もちろん内容に関しては、斎藤氏がこれだけ勧めるのだから、行動に移してみようという気にはなる。とくに家系図、家族状況表は非常に面白いし、とくに第14章「生い立ち」中「4、対話」のなかに出て来る、「アダルトチルドレンの空白の時期を埋めるのを手伝う」という記憶を呼び覚ますのに役立つ質問群は強烈。例えば「子供の時によく隠れた場所はどこですか」と言う質問には、俺がよく隠れていた場所が三ヶ所思い出された。しかし、なぜ隠れなければいけなかったのかというのが思い出せない(笑。

体系的によくまとまっていて、非常にいい本。「家族のルール」「家族の役割」「見捨てられ体験」「慢性ショック」などリアリティーを伴って読める。

話は先程のIFFのインタビューのページに戻るが、斎藤氏はここで「感情は勝手に湧いてくるものなので、湧いてきたら湧いてきたままにさせておいて、後は手放すんですね。」といっている。以前に斎藤氏の言として「感情はよだれのようなものなので止めようとしても出来るものではない。垂れ流しておけばよい」という言い方も聞いたことがあって、なかなかの名言だと思っている。


2004年01月11日(日) 【映画】フルーク  FLUKE

家に帰るとたまたまフラットメイトがテレビで見ていた映画。動物好き、と言うかとくにイヌ好きにはたまらないのかなぁ? 


【オールシネマ・オンラインより】

フルーク<未> (1995)
FLUKE
愛犬フルーク/生まれかわったパパ(JSB)
メディア 映画
上映時間 96 分
製作国 アメリカ
公開情報 劇場未公開・ビデオ発売
ジャンル ファミリー/ファンタジー/ドラマ
監督: カルロ・カルレイ Carlo Carlei
製作: ポール・マスランスキー Paul Maslansky
レイタ・ライアン Lata Ryan
製作総指揮: ジョン・タートル Jon Turtle
トム・コールマン Tom Coleman
原作: ジェームズ・ハーバート James Herbert
脚本: カルロ・カルレイ Carlo Carlei
ジェームズ・キャリントン James Carrington
撮影: ラファエル・メルテス Raffaele Mertes
音楽: カルロ・シロット
 
出演: マシュー・モディーン Matthew Modine
エリック・ストルツ Eric Stoltz
ナンシー・トラヴィス Nancy Travis
サミュエル・L・ジャクソン Samuel L. Jackson
マックス・ポメランク Max Pomeranc
ロン・パールマン Ron Perlman
ジョン・ポリト Jon Polito
ビル・コッブス Bill Cobbs
コリン・ウィルコックス・パクストン Collin Wilcox Paxton
フェデリコ・パチフィチ Federico Pacifici

 拾い物の未公開作としてヴィデオ化された際にちょっと話題になった、動物ものファンタジーの変わり種。子犬のフルークは母犬と生き別れとなり、野犬狩りで裏町の路頭に迷ってしまったが、助けてくれたホームレスのおばあさんに可愛がられ、幸福な幼年時代を送る。が、おばあさんもやがて老衰で亡くなり、ひとりぼっちに。再び野犬狩りに遭いさ迷うが、庭に逃げ込んだ家で紆余曲折の後、飼われることになる。実はそこは彼が人間であったときの妻と子供達の家で、そこで彼は次第に、かつては人間(その時の姿がモディーン)で、有能な開発技術者であり企業家だったが自動車事故で死んだ−−という前世の記憶を取り戻していく。妻はいまだに亡き夫を忍び、言い寄る彼の経営パートナー(ストルツ)を頑なに拒んでいるが、それでも次第に心を開きつつあった。フルークは自分を死に追いやった当の本人がパートナーであると信じ、嫉妬も手伝って、二人の仲を裂こうとさまざまの妨害策を試みるが……。
 リインカネーションを素材にした映画の中では、ウエイトは軽いが、過去の記憶と現在の交錯、その断絶を巧みに扱って、見ごたえのあるものとなった。E・ストルツという裏表のある人物を演じることが得意な、と言うより、それがパターン化している役者を意表を突く形で起用し、それが非常に効果を上げている。キャスティングの勝利と言ってもよい作品。


【俺の感想】

途中から見たので、前半がどうなっていたのかよくわからないのだけど、最後に墓の前でネロとパトラッシュのように雪に埋もれていく場面で泣けてしまった。

途中から見ているから何とも言えないけど、なんか脚本が少し強引に感じてしまった。あと、子供を管理しようとする母親の姿勢と子供の関係がくるしく思えてしまった。あと「家族を守った」あと、犬のフルークが最後にまた旅立っていってしまうのが「なんでかなぁ」って思ってしまう。ま、自分がいてもしょうがないって思うんだろうなぁ。「男は旅立つもの」みたいな感じかな? ずっと一緒にいればいいのに。「男」もそういう勇気があっていいんじゃないのかね?

なんか、最近思うのは映画の趣味の合う人ってほとんどいないなってこと。そんなもんなのかな。

参考までにこんなページもありました。
http://www.tdx.co.jp/movie/mpage/html/006/l11.asp
http://rose.zero.ad.jp/~zbm02204/00531.html


2004年01月09日(金) 【ほん】斎藤学 「自分のために生きていけるということ」

斎藤学「『自分のために生きていける』ということ」
寂しくて退屈な人たちへ




【紀伊国屋BOOK WEBより】

自分を認め、許し、愛していくのはあなた自身!私は何がしたいのか?「個性」とは?「ホンネ」とは?いきいきとした感情生活をとりもどし、よりよい人間関係をきずくための一冊。

第1章 「退屈」に耐えられず、何かにすがりつく心
第2章 人はなぜ、自分の「欲望」を見失うのか
第3章 「寂しさ」の裏にひそむ「怒り」をくみ出せ
第4章 あなたの「インナーチャイルド」の声に耳を傾けよう
第5章 パワーゲームを降りて「魂の家族」をつくる
第6章 「一人でいられる能力」が「親密な関係」をきずく

大和書房 (1997-05-15出版)
[B6 判] NDC分類:159 販売価:\1,500(税別) 
254p 19cm(B6)

【感想】

斎藤学のほんは今までに翻訳監修本等を含めてかなり読んできた。斎藤氏はこの本を「ふつうの人」に読んでほしいと言っている。と言うのはこの人は「家族機能研究所」という機関の設立者であり、日本における「嗜癖(しへき)」(=アディクションの邦訳)研究の第一人者であるため、専門的な本も多いのだが、この本は読んでみると確かになるほど万人向けだなという気がした。

この本の裏表紙とびらの著者紹介には「アルコール依存・薬物依存などの依存症の研究の第一人者。過食症、拒食症、児童虐待など、多岐にわたる「現代社会の病」をつきつめていくと、健全に機能していない「家族」のあり方にその要因を見ることができると説く。」とある。この発想は僕にとってはきわめて新鮮だった。台湾に住んでいるときに日本から多くの本を取り寄せて読み、ものすごく影響を受けた。この人のほかの本についても追々紹介できたらと思う。

まだ読んでいる途中だが、この本の中の「あなたの人生の主旋律を見つけ出せ」と言う言葉がすごく気に入った。斎藤氏は今までの経歴上、いろんなことに手を出して、「一体何がやりたいのかわからない」というようなこと周囲にたびたび言われてきたらしい。しかし最後に彼は一貫して「家族」というものに興味を持ってきたということに気がつく。

人はその時その時で興味を持つことが変わってくる。そして、その人が何をやっているのか、どういうテーマをもって行動しているのかはその本人に聞いてみないとわからない。もしかすると聞いてもわからないかもしれない。そして、次から次へと違うメロディーを奏でているように聞こえても、ひとつの曲としてまとまっているはずだ。誰の人生にも、その底を流れる主旋律があるはずだと。

そうだなぁ。それを強引に社会の文脈で説明しなくてもいいんだなと思った。俺もいままでいろんなことをやってきた。やんちゃなこともたくさんやって来た。中学高校時代の友達には「お前は一体何がやりたいんだ?」と言われる。それは今の俺にはまだわからない。ただ。底を流れる主旋律があることに俺は気付いている。その主旋律はなんなのだろう。そう考えると自信が湧いてきた。自分が自分であることに理由やいいわけは必要ない。そんなことを考えたりした。


2004年01月06日(火) ビジネスクラス初体験!!

この前のイギリスへの帰国便ではじめてビジネスクラスに乗った。最近ずっとKLMオランダ航空を愛用しているせいで、マイレージのカードがゴールドになっている。今回はオーバーブッキングがあったらしく、ゴールドカード以上の人が優先的にビジネス格上げとなったらしい。

ビジネスクラス良いですねー。KLMの成田ーアムステルダム便は、機体にボーイング747−400を使っているのだけど、エコノミー席に個別のモニターがついていない。これに比べて、うろ覚えだけども、キャセイ・パシフィック航空やマレーシア航空(南回りは疲れる、、、)はエコノミーでもモニターがあって、映画を見たりゲームをやったりできる。(多分2社とも同型機だったと記憶)。KLMは747−400を他社より早い時期に買ったのか、エコノミーに坐るときは、暇でしょうが無いので、本を読むか、ただひたすら寝るしかない。そういう意味ではKLMは他社と比べて見劣りがするのだけど、俺、KLMの乗務員の対応が好きなんだよね。なんかすごく「国際対応」というか「ニュートラルな異文化対応」を感じるのです。

しかしKLMもビジネスクラスにはひじ掛けからとりだす方式のモニターがついていて、久しぶりに映画を見ることに。(久しぶりと言ってもこの前キャセイを使ったときに「ノッティング・ヒルの恋人」を見たなぁ。結構面白かった。)今回はやっている映画があまり面白くなくてがっかりだったけど、ミスター・ビーンズでおなじみの彼がでている「ジョニー・イングリッシュ」を見た。いまいちだったけど、、、。ま、他にディスカバリー・チャンネルだかナショナル・ジオグラフィックだかで動植物の生態を音声なしで延々見たり、モニターはあるに越したことはない。

それより何より、なんとも快適に寝れるではありませんか!!びっくりだ。リクライニング・シートでかなり深く倒れるし、足は伸ばせるし。気がついたら7時間ぐっすり寝ておりました。ビジネスクラス万歳!!

そう言えば、昔ユーロスターに乗ったとき、往路のロンドン・パリ間で二等車が満席でいくらか追加料金を払って一等車に乗ったことがあったけど、これも良かった。「もう後戻りはできない」ってな感じだった。(なんのこっちゃ。笑) しかも復路は嵐で列車が3時間遅れたせいで全額払い戻しとなり、往路の一等座席追加料金分は完全に戻ってきてなんともラッキー。しかもロンドンに着いたのが夜の12時を越えていたため、ロンドン西部のチュジックまで無料タクシー送迎がついた。こういうところはなんかヨーロッパって結構良いなと思った。日本でもこういう事態になったら、こんな対応がされるのかな?

KLMのマイレージ会員システム「フライイング・ダッチマン」は、一昨年、マイレージシステムのリニューアルを記念して全員をワンランクグレードアップしてくれたため、俺のカードはシルバーからゴールドになっていた。実はこの件に関する手紙が、台湾に住んでいる間にロンドンの登録住所に来ており、そんなことになっているとは知らないまま、キャセイの切符を買ってロンドンに来てしまった。なんともタイミングが悪かった。 おかげで今年はゴールドに残れないだろうなと思ってた矢先、なんともびっくりのサービス。規定マイル数にたらなくても、ある程度以上乗っていればそのままゴールドを維持してくれるという知らせ。いいねー。もう浮気はしません。(笑

ゴールドカードの特典はチェックインの時のキュー・ジャンプ(並ばなくてすぐにチェックインさせてくれる。多客期は30分以上並ぶこともあるから、かなり価値がある)やビジネス・ラウンジ利用、そして荷物の重量制限が10キロアップなど。しかもマイレージは自動的に2倍たまる。エールフランスと経営統合してワンワールドに参加するって言う話もあるけど、是非ともこのサービスの良さを変えないで欲しい。


2004年01月05日(月) 【ほん】 北村稔 「南京事件」の探求

「南京事件」の探究―その実像をもとめて
北村 稔【著】 文芸春秋 (2001-11-20出版)
[新書 判] NDC分類:210.7 販売価:\680(税別)
197p 18cm

【紀伊国屋BOOK WEBより】

1937(昭和12)年12月、中国の南京に入城した日本軍は、以降3カ月にわたる軍事占領の間に、死者最大30万に及ぶ組織的大虐殺を行ったとして、戦後、軍事法廷で断罪された。
この「南京事件」は、中国侵略の象徴として、六十余年を過ぎたいまも、日本に“反省”を迫る切り札となっている。
他方で、虐殺はデッチあげ説、数万人説もあり、それぞれの「歴史認識」と相まって、激しい論争が続いている。
本書は虐殺の有無を性急に論ずるのではなく、大虐殺があったという「認識」がどのように出現したかを、厳密な史料批判と「常識」による論理で跡づけた労作である。

序論(「南京事件」とは何か;「南京事件」の今日的問題性 ほか)
第1部 国民党国際宣伝処と戦時対外戦略(マンチェスター・ガーディアン特派員Timperleyの謎;国民党国際宣伝処の成立 ほか)
第2部 「南京事件」判決の構造とその問題点(「南京事件」判決の成立;戦時対外宣伝には登場しない南京での「大虐殺」報道 ほか)
第3部 証拠史料をめぐる諸問題(日本語訳された英文資料;英文資料作成の背景 ほか)
第4部 「三十万人大虐殺説」の成立(死者の数量について;『スマイス』報告の徹底的検証 ほか)

【感想】

春秋左氏伝や韓非子など、書店で中国の古典についての本を探しているときにたまたま目に付いた本。

とりあえず、この本はすごく良かった。個人的に僕は南京大虐殺についてずっと気になっていたものの、最近はどこかで「もうこの問題にはかかわりたくない」という気持ちが強くなっていた。そういう意味では、この本を読んだことによって、僕の南京事件に対するスタンスというものが自分の中ではっきりすると同時にだいぶすっきりした。


南京事件論争の分類は以下のように分かれる

1、南京、東京の軍事裁判に基づき事件を告発する「虐殺派」、
2、南京、東京の軍事裁判の不当性を主張し、
これら裁判の判決文に記されるような南京での「大虐殺」は
存在しなかったとする「まぼろし派」
3、必ずしも上記二つに分類できない「中間派」

桜井よしこは「中間派」に属するという。ただ北村氏が指摘するように
「中間派」は必ずしも「虐殺派」「まぼろし派」の中間に位置せず、「歴史観」と「政治姿勢」において「まぼろし派」に親近感を持っていることは間違いないという。非常におもしろく、よく理解できる。

北村稔という人は立命館大の教授で、専攻は中国近現代史とある。この人は、日本における南京事件をめぐる論争をふまえたうえで、「南京事件を研究テーマに選ぶさい、『南京事件』研究にまつわる『政治性』から一定の距離を保つことは可能であろうか」と考える。彼の答えは「政治性が付与されざるを得ない」である。その上で「歴史研究の基本」に立ち返るというのが作者の展望だ。

僕的にはこの人の疑問意識が自分のそれと重なるためか、非常に読みやすかった。この本を読んで僕は「日本は中国に戦争で負けたのだ」ということを深く認識した。すべての日本人がこの認識を持つ必要は必ずしもないが、
国際社会において、日本という国のことに対して何がしかの責任をもっていく人間は持っておくべき認識かと思う。そういうことを理解したうえで現代中国、ひいては欧米諸国、東南アジア諸国と付き合っていかなくてはいけない。戦争は極力避けるべきものであるが、関わってしまった場合にはなんとしてでも勝たなくてはならない。


倉田三平 |MAILHomePage

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