また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)
DiaryINDEX
|past
|will
今週は、なんかめちゃくちゃ忙しい、っていうか、パニクってる。 イギリスっていう国は、「パニクり文化」があるって気がする。 ま、それについてはまた今度書くとして、 今日は授業が終わったあと、図書館で勉強して、 その後夕方に気分転換を兼ねて泳ぎに行った。
ふつうに泳ぐこと20分ぐらい。 なんか様子が変だ。みんなプールから出ている。 しかも変な音が「ぴーっ」と鳴っている。 『ファイヤー・アラーム(火災報知器)』かなーと思う。
この国、火災報知器の誤作動が多い。
ふつうは、火災警報が出ても、30秒ぐらいで止んでしまう。 だから、みんなのろのろと、警報が解除になるのを待ちながら避難する。 でも、今日は消えなかった。
銀色のシートのようなものを渡され、身体に巻く。 一応防寒対策だろう。 気がつけば6、7人が急いで着替えをしている。 どうせ火事はないし、巻き込まれても風邪を引いたり、 時間をロスするだけ、と言うことが分かっているかのような迅速な行動。 イギリス人なら、かくありたい。
外に出された。 俺達が外に出るときは、すでに消防士が到着し、出火箇所を調べている。 外には消防車が回転燈をまわして停まっている。
向かいの建物(なんの建物なのか不明)の中に導き入れられる。 無為に30分経過。
そこで知りあったイギリス人、彼女が日本人だという。 こんな状況だったら、日本ではお茶の一杯も出て来るよと言うと、
「そりゃいいねぇ。日本茶でも紅茶でもどっちでもいいや。」
ごもっとも。
やっと消防車が消えた。 外を見ると、その建物(ULU=ロンドン大学生協)の前に行列が!! この建物は、ジム、プールをはじめ、学生パブや旅行会社、文房具屋、 などいろいろ入っている。 一度外に出された人々が、もう一度整列させられているのだろうか? それとも何かのイベントがあるのか?
とにかく、はだしに競泳パンツ1枚。ぎんぎらのシートをまとい 颯爽と駆け抜ける我々を、多くのギャラリーが待ち受けているかのよう。
不測の事態も日常的に起こる。 やっぱり変な国、ペースを狂わす国。 とっても、ロンドン的な一日だったなぁ。
2003年10月27日(月) |
【映画】オーメン(The Omen) + 自転車を買いました。 |
土曜の夜はマーティンの家に遊びに行った。 断っておくが、マーティンというのは日本人だ。で、時々DJとかをやっている。 家に着くと、マーティンはテレビで『恐怖の瞬間ベスト100』を見ている。 さてさて、今日は前半のみで、後半は日曜夜の放送らしい。 ハロウィーンが近いこともあって、怖いもの特集目白押しらしい。 で、その番組が終わって、少ししてから『オーメン』を見ることに。
俺の記憶ではシリーズは4作。と思って検索かけたら3作のみ?
『オーメン』(1976) 『オーメン2 ダミアン』(1978) 『オーメン 最後の闘争』(1981)
と思ったら、4作目があった。
『オーメン4』(1991)
更に
『オーメン18 エンジェル』(1997)
と言うのもあって、これはオーメンシリーズの同じ脚本家の作品らしい。
でも待てよー。『オーメン4』なんて見たかな? 見たような見てないような、、、。 やっぱり見たような、、、。 ま、いいや。ともかく、『オーメン』は俺のもっとも好きなホラー映画のひとつ。 何と言ってもこの不条理がたまらない。でも本当に不条理なのは、どちらかというと ダミアンが成長して葛藤をはじめる2作目。 2作目は、やはりこのシリーズ中で一番良く出来ている。
この前に見た一作目は、実は何とロンドンが舞台だったんですね(笑。 知らなかった。 しかもお父さん訳は『ローマの休日』のグレゴリー・ベックだったんだねー。 実は、俺、俳優の名前とか顔とか、特に外人はぜんぜん気にしてないので、 オーソン・ウェルズとかチャップリンのように覚えやすい顔をしているか、 シルベスター・スタローン、クリント・イーストウッド、 もしくはマイケル・J・フォックスぐらいしか分からない。 女優に到っては更にひどく、オードリー・ヘップバーンぐらいしか、 顔と名前が一致する人いないんじゃないだろうか、、、。
さて、本題にもどると、やっぱり『オーメン』はすばらしい。 血みどろどばーんではなく、あっさりと軽快にショッキングな死に方をして行く。
エルサレムでカメラマンが死ぬ場面など、そのシーンを見て 昔見た時の鮮烈な衝撃を思い出しながらも
"Fucking Jeasus Christ!!"
と何度もつぶやいてしまった。(笑 ぜひ来週末はシリーズ最高傑作『オーメン2』を連続放送して欲しいものだ。 ちなみに3作目『オーメン 最後の闘争』は、かなりの駄作。 特に見せ場もなく「善と悪の戦い」と言う、アメリカ的なもっとも悪いところが 出た映画だったと記憶している。
結局、彼の家に泊めてもらうことに。
今晩のテレビ番組表は面白い。午前1時代の番組が2回書いてある。 午前2時にもう一度午前1時になる。 そう、夏時間が終わったのだ。 これでイギリスの時間はGMT(グリニッジ標準時)に戻り、 日本との時差は9時間に。今週末は1時間得した気分になる。
マーティンは自分で「1時間遅くなるんだよ」と言ったくせに、 夏時間になっている時計を標準時に直しながら、
「今3時半」
と俺に言うので、
「え?1時半だよ」
と俺は言い返す。マーティンはにやっと笑って、
「酔っぱらってるんだから、しょうがないの!」
そっか。それもそうか。(笑
あさ8時。寝坊した!! マーティンの目覚ましが鳴る。俺の携帯のアラームは鳴らなかった。 俺がブリック・レーンに行くことを知ってたから、だまって セットしておいてくれたのか?考えすぎ? それとも、あの家では毎日8時に目覚ましが鳴っているのか、、、、
48番のバスでブリックレーン・マーケット泥棒市に向かう。 意外と簡単に自転車エリアを発見。
小遣い稼ぎに、どこからか盗ってきたのか、若い子らがたくさん自転車を 売っている。こいつら、みんな見かけのいい自転車ばかりとってきている。
俺の自転車はどいつにやられたんだろう? (実はそこにいる時、そんなこと思いもしなかったが書いてみた)
あまりきれいなものを買ってはいけないので、ボロそうなのを探す。 35ポンドのシマノを発見。ボロい。30ポンドに値切って購入。
しかし、買ったあと乗ってみると前輪はゆがんでいるわ、力をかけて ペダルを踏み込むと空回転するわ、ブレーキは急に利かなくなるわ、 思った以上のボロさ。というか「ごみ」。 これだったら、100ポンド出して、近くの黒人の子が売っていた銀色の 別のシマノの方が良かったとか思うけど、 良いものを買っては、また近くの中華料理屋のおばさん達に笑われる。(笑
と言うことで、自転車屋で部品総入れ替えだ。 このほうが新品を買うよりも高くつくかもしれないことは重々承知。
ただ、もう盗られるのは面倒なのだ。
前輪のホイールを替えて、後輪のタイヤを変えて、ブレーキのワイヤーも新しいのにしないと。 あと、変速のギアが、どうもチェーンとかみ合う「山」の部分が摩耗して 引っ掛かりが悪くなっている。これも当然全部取り換え。
またチェーン(鍵)を買わないといけない。憂うつだなー♪ 今度はひとつがワイヤー錠、もう一つはU字の筒型ロックにしよう。
あ、そうそう、ブロードバンドにはまだつながってない。予想通り。
2003年10月26日(日) |
【映画】American Werewolf in London |
実はこの映画、以前にもテレビでちらっと観たことがある。 イギリスでは良く放映されているのかな。 っていうか、映画なのか?? タイトルを日本語に訳すと
「ロンドンのアメリカ人狼男」
短編映画なのだろうか? ただ、ロンドンの地下鉄がやたら古い。 トッテナム・コート・ロードの駅に颯爽と走りこんでくる電車は 2年前に全車新車置き換えとなったノーザンラインの古い型の電車。 それがきらきらとした銀色の車体を光らせて走っている。
この狼男の出現のため、ピカデリー・サーカスの前で、 車が大衝突を起こすアクション場面がひとつの見せ場になっている。
トラファルガー広場で警官に詰め寄って 「きのう六人を殺したのは俺だ。つかまえてくれ」と言い、 相手にされないと 「お前らは、みんなどうかしてる」 と言ったりするのは、果たしてイギリス人に向けられた「しゃれ」なのか、 それとも、イギリス人が撮った映画なのか、、、。
ロンドンが舞台なのでついつい見てしまった。 実はただの「観光映画」なのか? 誰か知ってる人いますか?
うちのフラットのまわりは木が多い。「緑のフラット」なのだ。 でも、これは、どうやら夏の間だけの話らしい。 ロンドンというところはあまり常緑針葉樹を見かけない。 他聞に漏れず、うちのそばの木々も、2週間ぐらい前から一部の木が 落葉をはじめ、窓から見た全体的なトーンもだんだん茶色くなってきた。
「住んでいるところに植物を多く置いて、 緑を絶やさぬようにすると開運する」
と言うようなこと言われたことがあるが、 もともと自然の緑が好きだし、緑は目にもいい色らしい。 と言うことは、これからの季節、環境的に「運気が下がる」ことになる。
植物の鉢植えを買ってこなければ。 この国のスーパーで売っている鉢植えは、大概もう飽きてしまった。 ベンジャミンを3鉢ぐらい買おうかしらん。
うちのフラットは、冬になると「緑のフラット」から一変して 「はげ山フラット」になってしまうらしい。 早く対策を練っておかねば、、、。 うししし。
実はさっき日記を書いていた。
消えてしまった、、、、
何度体験しても、このやり切れない気持ちだけは、、、!!!
さて、気を取り直してもう一度。 今日は水曜日だ。水曜日になると、だいぶリラックスしてくる。 何と言っても月曜日のプレッシャーがでかすぎる。
いきなり朝9時から「明代文学」の授業。 「水滸伝」を原文で読んで、英訳する。 それが11時に終わったら、1時まで休憩して、その後 「英文中国語翻訳」の授業。 困るのは、翻訳の問題文の中の英語の意味がわからないとき。 これが、本当に分からない。 俺の英語って、、、って思うけど、ま、いくらうちの学校が国際的とは言え、 基本的にはネイティブ対象だからしょうがないか。 でも、この授業はリラックスして受けれる。 この2時間の授業のあとが問題の「現代中国語読解」の授業。
この先生、女の若い先生なのだが、すごく厳しい。 「予習してない人は授業に出る資格はありません。 他の人がやってきてるのに、それを準備なしで盗むなんてフェアじゃない!!」 しかし、この先生日本語をしゃべることが発覚。 しかも、すごくかわいい日本語。丁寧だし、、、。
はっきり言って、この先生が日本語はなすとき 「人格変わって」感じられる。 何だか「バーチャル・リアリティー」ってな感覚さえする。 でも俺的にはけっこう好きな先生。 「気に入られてるような気」もするが、、、。
この前も授業中、翻訳するときに当てられて
「さんぺいた、どうぞ!」
と言われてびびる。しかも文中の分からない単語、 ちょっと考えていると、彼女が
「がっぺい」
合併のことだった。英語ではmergeと言うらしい〈笑 中国語の文章中ででた漢字は「并」と言う漢字。
この授業も2時間で終わるのは5時。 英語に翻訳する授業が一番緊張する。気が抜けないからね。
で、今日は水曜日なのです。 で、水曜日ともなれば、またもや「LOVE週末」モードになってきて 明日の「現代中国文学」の授業をクリアーすれば、 気分はもう週末。
今日は学校の図書館で日本語版の「水滸伝」「史記〈上〉」を借りて来た。 今日もいっぱい勉強したけど、やっぱり孟子はつまらない。 このクラスの先生はすごく厳しくていい先生だけど、 「孟子先生」の言ってることはすべてが どうしてもへ理屈にしか聞こえなくて、また、それを勉強して入る自分が辛い。
「その程度のへ理屈だったら、俺だって負けないぞ」
って思う。 というか、もうへ理屈のいらない世界の住人になったんだから、 後戻りしたくないって感じ。
やっぱり「史記」が面白いな、と思う。
最近の俺は「実務主義」なのです。 なにごとも出来高、出来高。〈笑
昨日の夜、マーティンと友達ふたりでクラブに行った。 正確には、クラブの前までいった。 もう、何回もいったことのあるクラブ。 かなり大きなクラブだ。今日はLiberty Xが来る。 マーティンはすでに、今日のイベントの前売券を買っていた。
結果は。なぜか入れてもらえなかった。
俺「ここには何度も来たことがあるし、、、どうしてだめなんですか?」 係「今日はだめだ」 俺「『だめ』じゃ、分からないでしょう? 理由を説明して下さい」 係「早くここから出ろ」
マーティンは一度、中に入らせてもらえた。 俺達三人は、外に出されてしまった。
少し混乱。
携帯をかけてマーティンに中から出てきてもらう。 係員に「彼らはの僕の友達だ」といってくれる。
この時点では、俺は入れてもらえるだろうと思っていた。 しかし、係員が「だめだ」を繰り返し、 マーティンが「どうしてだ?」と叫ぶにいたって、 彼までもが外に出されてしまった。
係員にしつこく説明を要求した。
俺「何が理由で入れないと言ってるのですか?」 係「理由はない」 俺「理由がないではわからない。どうか説明をして下さい」 係「説明はない。なぜなら説明する必要がないから」 俺「なんということだ、、、」 係「『なんということだ』? だからなによ?」
係員は『毅然』とした態度で、揺るぎがない。 内部でどういう指示が出されているのか不明だが、 客に対する極度の非礼でありながらも、自信満々な態度を貫く彼女からは、上から何らかの「指示」が出されていることが見て取れる。
「気分が良くないので帰ろう」ということになる。
マーティンは追いだされた時に、 前売り券の払い戻しさえ拒否されてしまう。 「払い戻ししてほしければ、明日戻ってこい」と言われる。
翌日戻ってきても払い戻さない確率が高いので、 彼の買った前売りを他の〈中にいれてもらえそうな〉やつに売り、 その場を去ることに。
何人かのやつらと路上ですれ違い言葉を交わす。
「彼らは人種差別主義者だ! もう一度一緒にトライしに行こう!」 という陽気なラテン系。 「そう言うのが彼らのやり方だ。入りたいならそれに従うしかない」 我々の入場の仕方に難があると言う香港人。
昔は良く考えた。
彼らの行為が、何らかの特定の悪意、偏見、もしくは憎悪といった 類いのものに裏打ちされているのか、それともそうではないのか。
今の俺には、もうほとんど興味がない。
どうでもいい
そんなことは、もう分かったうえでこの国に『学び』に来ているんだ。
マーティンは、よく叫んでくれた。頼もしかった。うれしかった。 それでいいんじゃないのか?
「現象」が目の前で展開されているに過ぎない。 それにどういう意味があるのか判断しない。
その時の俺には、なにも感覚がなかった。何も感じない。 それどころかすっきりした気分さえしている。
その時、俺はどんな顔をしていただろう? どんな顔をして係員とはなしていただろう?
マーティン、あの時の俺の顔はまともだったかな?
本当は、今日はこんな話を書くつもりじゃなかった。 浦沢直樹の「モンスター」を読み直している。 「彼氏・彼女の事情」もそうだがーーー それがどんなものであったにせよ、原因が分かっていようといまいと、 トラウマから回復しようとしている人間にとって、 こういったものはどういう読み方になるのか。 そういう話を書くつもりだった。
授業で習っている、中国語の現代前衛小説の内容は、 確かに「精神病的」内容だが、俺的には、全く「普通」の内容だと思う。 俺には良く理解できる。ただ、今は理解したくないだけだ。 そしてそういうことは、やすやすと言わなくなっただけのことだ。 表現方法を変えたいんだ。飽きたから。
それは自分にとって大事なことだからだろう。
自分の感情を理解し、必要があれば表現し、 感情的に何かが強烈に流れ出してきていると、自分で気付いたとき その感情を受け入れてやり、 「コントロール」出来るようになるということーーー
それは、自分の身を守ることであったり、 無用なトラブルに巻き込まれないための知恵であったり、 自分がみじめにならないため、 さらには、それによってまわりを巻き込まないため、 悪循環を起こさないため、自分が成長するため、、、。
それはそれだ。 そういうふうに成長できている自分が好きだし、 言いわけもほとんど言わなくなった。 「自分が、無前提に、この世に存在してもいいのだ」 と、本当に思っている。 余裕が出来た。追いかけらることもない。 先制攻撃して、いつも何かを守ることに汲々とする必要もなくなった。
それはすごく大きな変化だ。 自分をめぐる世界が変わっていく。 何が変わった? 自分が変わった。
うちの家のそばの保育所に、話をしないで いつも「うーー」と大声で叫ぶばかりの男の子がいる。 フラットメイトによると「昔は話をしていた」らしい。 彼に何があったのかは知らない。 勝手に判断する気もない。 ただ、気になる。
今回ロンドンに帰って来てから、 むかつく回数は以前に比べて格段に減った。 かわりに「ものすごく残念な気持ち」になることが多い。
先週はインターネットの「ブロードバンド」接続に頭を悩ませた。 といっても、俺はマックユーザーになったので、 ウィンドウズを使っていた以前ほどのストレスはない。
ちょっと安いルーターを買ってしまい、セッティングが出来なく、 買った店の店員とひともめ。
イギリスも3年以上になる俺、やっと慣れてきたのか、 交渉したあとに、すっきりとした感覚が。
「勝った」
どうでも良いんだけど、こういう感覚、必要なのだと思う。 そうでなければ、 いつも「やられている」って言う感覚ばかりになってしまうから。
もちろん、それでも
「この国が大好きっ!!」
っていう人にとっては、ぜんぜん苦にならないのでだろうが、
「こちとら、そういうんじゃないんでいっ。勘弁してくれよっ」
っていう俺にとっては、あと2年のイギリス修業で、
*イギリスの良いところをいっぱい見つけてやる!!(爆 *友達をいっぱいつくってやるっ!! *「また帰って来たい国」にしてやるっ!!
俺的には無理に英語を上達させたり、無理に頑張って「成果」を出すのは もう、本当にこりごりなので、今までのやり方とは違うやり方で、 今まで達成できなかった何か、新しい何かを得る。 それが目標。そうでないと人間的に成長できないでしょう??
話は違うけど、イギリスに来ると「歯にくる」 台湾では「腹にくる」。
ストレスのバロメーターの話だ。 台湾にいるときは、「ストレスボール」がストレスの指標となっていた。 ストレスボールが上腹部に感じられるとき、
「あ、俺はしんどいんだな」
と感じることが出来る。一種のセンサーといってもいい。
ところがイギリスに来ると、どうも、 このストレスボールを感じている余裕がないらしい。(苦笑
で、どうなるかというと、「歯に来る」 歯ぐきが痩せてくるのだ。何かを食べるとき、ものを咬む時に 歯が痛い。特に利きあごの左の奥歯が痛くて、ちゃんと咀嚼が出来ない。
「ナスの黒焼き歯磨き」で、かるーく歯ぐきをマッサージしたり、 手で押してマッサージしたり。 ストレスで歯の神経が「壊死(えし)」していた昔に比べれば、 ものすごい改善なのだが、、、
おー、そう言えば広島のかかりつけの歯医者の先生が、 昔、俺に良く言っていた。
「三平太くんの歯は、煩悩がようけぇ(「たくさん」の意)出とるのぉ」
この前行ったときには、台湾帰りだったせいもあって、
「ストレスが少ない生活をしとるんじゃのぉ」
と言われた。うれしかったなぁ。 でも、またロンドンに逆戻り。
是大夫(これだゆう)と学校の前でした会話。
「ロンドンは三平太にとって『鬼門』なんだぁ」
そうなんだよ。 やりたいことはたくさんあるけど、そんなにいっぱいできないんだよ。 今日はリラックスすることに専念する。
2003年10月18日(土) |
ひとつずつ片づけていく |
久しぶりに浦沢直樹の「モンスター」を読んでいる。 読み返すと伏線が多く張ってあるのに感心する。 日本から「ワン・ピース」が送ってくるまで、 なんとか俺の空想欲を満たしてもらわなくては行けない。
今日イギリスの警察から「犯罪報告」を受理したとの手紙が届く。 その処理番号を日本の保険会社に知らせて、保証を得るというシステム。
「手続き」がすべて。
そして、ひとつひとつに、膨大な時間を費やさなくてはいけない。 14年前に中国に行ったときに思ったこと、 そして今、イギリスに来て思うこと。
「この二つの国。なんか、似てない?」
中国語の辞典を買いたい。いろんな辞典があるのだろうが、 まず、大英博物館前の東洋系を扱う本屋に行ってから、 大学そばの本屋で買うのか、そこに他にいい辞典があるなら そこで買うのか決めなければいけない。
この前の水曜日、ホルボーン警察署に行った際 不覚にも「待たされる」という可能性を全く考慮にいれていなかった。 おかげで一時間待たされ、結局「番」が回ってこなかったため 報告できなかっただけでなく、その本屋にも行けなくなってしまったということ。
「風が吹くと桶屋がもうかる」
自転車をとられると、いろんなところに影響が出る。 ま、それだけ、俺が自転車が好きで、依存しているということなんだろう。 何でも良いから、早く自転車を手に入れて、 生活をもとのサイクルに戻さなくては行けない。
2003年10月16日(木) |
「ロンドン・メトロポリタン・ポリス」は「西成警察」 |
意味もなく欲求不満気味。
さてさて、先週にHPの解析サービスに申し込んだのだけど、 それによると、ここ3日間、毎日10人以上の人がアクセスして くれているらしく、日記の更新に思い至った。
昨日は警察署に自転車盗難の被害届を出しに。 これは保険を申請するために必要な作業。
まずは学校の近くにあるホルボーン警察署に。 オックスフォード・ストリートで買ったばかりのもの一式を盗まれて 泣きはらしている女の子二人。かわいそう。
待合室(とは言えないような空間だが、、、)さすがはイギリス。 案の定、待たされること1時間。
まだまだ時間がかかりそうということで、他の警察署にいいくことを勧められる。この警官はけっこうまともだった。
夜になって、うちの近くにあるホロウェイの警察署にいく。 入り口を入ると、そこから警察署の中に入れない。 「一度に一人だけでお願いします」 の張り紙。
「弟が『また』パクられた、、、」と言うイギリスのテレビドラマ 「イーストエンダーズ」に出てきそうなの男女のカップルが面会を求めて待っている。 俺的には、こいつらに順番を越されてはいけない(けっこう切実)という感じで、 冷たくあしらうことに。(笑
待たされること一時間弱。処理に30分。 自転車の種類、メーカー、サドル、ギア、泥よけ、いちいちどんな感じのものだったか 聞かれる。 多分、この国、盗られてなくても盗難申請する人が多いからこういう ややこしい手続きが必要なのだと、一人で納得。
ホルボーンの警察署もそうだったけど、 ロンドンの警察署は、あえてたとえるなら、どこもがすべて日本でいう
「大阪府警西成警察署」
な感じで、日本がすべて大阪市西成区「釜が崎」の「愛りん地区」 の様な感じだと思えば、スムーズに受け入れられる感じ。 「にしなりけいさつ」とひらがなの看板なんかがあったのを思い出しながら、 在りし日の西成暴動に思いをはせてみたり、、、。
「ロンドン警視庁」とか「ロンドン・メトロポリタン・ポリス」 とか言うとカッコ良く聞こえるけどねぇ。 釜が崎の人らが「にしけい」と省略して言うように おれたちも「ろん・ぽり」とか「めと・ぽり」とか言ってみようかしらん。
さて、それでも警察官達は、イギリス人の中にあっても シャキッとしている感じで、なかなか好感を持ったのでした。 かわいい警察官にも会ったし(!!!)
イギリスって国は変な国。 期待するとほとんど裏切られるが、あるがままをそのまま受け入れると そんなにいらいらしない国。 いらいらしても、すぐに忘れてしまおう!!
教訓「泥棒に遭うと、宿題をする時間がなくなります」
今週末は、日曜の朝に友達と泥棒市「ブリックレーン・マーケット」に 自転車を買いに行く。朝6時半起き、7時20分に現地集合。
近くの中華料理屋の広東系のおばちゃん達曰く 「そんなきれいな自転車に乗るからよ! もっとボロのに乗らなきゃだめよ!!」
最近「魔方陣グルグル」(衛藤ヒロユキ作、ガンガンコミックス)に はまっている。
この前、1年ぶりにうちの大学の前で再会した是大夫(これだゆう)曰く
「あのファンタジー、マジやばいっすよー」
そうなんだよ。是大夫の言うとおり、このファンタジーはかなり来ている。
ってわけで、おれは「勇者ニケ」になって、 ロンドンのへなちょこダンジョンで、へなちょこモンスターと 日々戦っているのだ。 ただいまパーティーメンバー募集中!! ってかんじ。でも、なかなかレベルが上らないんだよね(泣
昔、ロンドンで出会った同郷(広島)出身のマメコに、 「『オンス』(註1)の時どうしたら良いか」聞いたことがある。
彼曰く 「ドラクエの世界に入って、しばらくひたる」
その時は彼の言っている意味がよくわからなかったけど、 今は、不思議と良くわかる。 「魔方陣グルグル」の破天荒な強烈世界は、 ドラクエとは到底比較できるものではない。
さて、「勇者ニケ」の偉大なところは、その能天気さというか アホさ加減というかにある。 多くの人が思うように、そう、自分を投影しているかのような あの、お気楽で、気が抜けている勇者の感じに 引き込まれてしまうのだろう。 (って、どれぐらいの人が、それに賛同してくれるのでしょう、、、)
しかも、ニケがかっこいいのは、「きめる」ところを「きめる」からだ。 これでこそ、オトコ!! かっこいい!!
なーんて。けっこう本気で思ってるんだけどねー。 最近の俺の心の友はニケくんですね。 ニケなら、このロンドンも 「かったるい。どーでもいー。鼻毛ー。」 などと言って、さほど気にもしないであろう。
今週末はほんとうに「さっぱり」だった。 「さっぱり妖精」(これは魔方陣グルグルに出てくるキャラ)が 大量に踊っていました。
プールは休み、自転車を取られ、風邪を引く。 はー、さっぱり、さっぱり、、、
ーー以下、本日の掲示板より抜粋ーーーーーー
今週末はさっぱり。プールに泳ぎいったら 「今日はもうおしまい」と言われ、 自転車置き場に帰ってくると、自転車が消えていた、、、。
120ポンドの自転車。見た目は新車なのできれい。
でも、そこまでして奪うほどの良い自転車か? (多分ロンドン的にはすごくきれい)
「狙われていた」???
2つで55ポンドもする鍵をつけてたんだよ。太いやつね。 何やら工業用の大きなワイヤーカッターを使ったらしく いともあっさりと、ざっくり見事に切られたチェーンの無残な 残がいに、なんの感覚も起こらず。っていうか感心するよね。
で、これで取られるって言うことは、じゃ、どうしろと???
しかもその夜はものすごく冷えて、そういうときに限って 外に長いこと立っていたりして、、、。案の定風邪気味に。 本当に、またとんでもないとこに戻ってきたんだなという 気がして、すごく「寒い」。 早く文明国に戻りたい。 (異論はあるかもしれないが、俺的にはイギリスよりも、 台湾の方が断然先進国)
さて、さっぱりな週末だけど、すごく面白い出会いとかも あったりして、そういうことがなければ、けっこう良い週末 だったのにねー。いやはや。さっぱり、さっぱり。
ーー引用終わりーーーーーー
ふにゃー。今夜も外は冷えてるよー。 人肌恋しいよー。さみしくなってきたよー。
しかーし、勇者の冒険は続くのだ(笑
(註1) 「オンス」ーー女性にメンスがあるように、男性にも「オンス」がある と言う説。中学生の時の同級生Sが「遠藤周作の説」として俺に語った もの。 っていうか、あるんです。説ではなく、実際にあるんです。(笑
これは以前に、当日記で「魔境の発見」と言うテーマでも 書いているはずです。 オンスの時は心理的に不安定になり、心は渇き砂漠になります。 荒れ果てた荒野を一人さまようような、不毛なイメージ。 さみしくなったり、ぐちゃぐちゃになったりして、気がつくと 終わってるんですけどね。重いときは、ホントしんどいですね。はい。
9月に入ってからも素晴らしいお天気が続いたロンドンも、 風が吹いたり、しとしと雨が降ったりやんだり。 毎朝ひんやりとして秋の気配。 もしくは、秋は急ぎ足で通りすぎて、すぐにも冬の気配が訪れそう。
さて、昔は春が好きで、秋は苦手だったのだけど、 大人になったのか、今では嫌いではないな。この感じ。
ただ、やっぱり人恋しさを感じたり、さみしくなったりする。 それがいつも当たり前だった昔を思い出すと、 そういう感覚がこういった、秋という気配によって感じられるのは やはり、自分のなかの大きな変化を感じずにはいられない。
せつなさや、さみしさというのが、ひとつの持っていい感覚として 出来るだけコントロールできているというのが、 俺としてはひとつの自信として、いまはある。
その感覚は楽しんでいいものだという余裕や、 持っていてもいいんだという安心感。
自分の成長を日々感じられる。 今俺は、まさに霊性の「成長期」にあるのかもしれない。
|